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故地奇譚 ―嘘つきたちの異世界生存戦略―  作者: ユキノト
第23章 レジスタンス ―リバル村―
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23-8.川湯

 低い山の間を流れる川沿いに、その泉はあった。あたりには硫黄の匂いと湯気が色濃く漂っている。

 そこかしこに転がる岩の間の砂地から、かなりの湯量が噴き出していて、直径十メートルほどのプールを作り、あふれた湯は、そのまま川へと流れ込んでいく。

「……硫黄があるってことは、硫化水素を含んでる可能性がある?」

「低pHなら……? そうじゃないのはゆで卵臭もあんましないって爺さんが言ってたし」

「じゃあ、これは硫化水素入り……硫酸が得られる? ってどんな利用方法があったっけ?」

「バッテリー、肥料、特定の金属を入れたら水素が得られる……以外に思いつかない」

 うきうきでやってきたくせに、宮部は湯の周りに黄色い物質が貯まっているのを見るなり、真顔になった。

 付き添いというか、監視というかのゼイギャクの側近、ケォルジュに怪訝な顔をされながらその辺の青い花を摘み、すりつぶす。

「アントシアニンでpHを測ろうって?」

「この花の色素がもしアントシアニンと同じなら、pHによって色が変わるはず。田んぼの水は酸性寄りに調整する必要があるから、これが使えたらいいなって」

(ほんと、色々考える奴……)

 呆れ半分、関心半分に「あ、変色した」と顔を輝かせる宮部を見つめ、江間は苦笑を零した。

「江間、刀、湯につかないようにね」

「了解」 

 湯から少し離れた岩の上に刀を置くと、江間はさっさと服を脱いだ。そして、ざっと体を流し、好水布ことタオルを腰に巻いて、湯に身を沈める。

「……」

(タオルを入れて入浴……日本じゃできないな)

 両腕を晴れた空につき上げ、伸びをする。一年近くぶりに浸かる湯船は、やはり気持ちがいい。

 などと考えて、湯けむりの向こうの物音からできるだけ意識を逸らす。

「湯加減、どう?」

「ちょっとぬるめかも」

 姿を見せた宮部は、襦袢のような、こちらの世界の白い肌着を身につけたままだ。ほっとするのと同時に、もったいないような気もしてくる。

「……」

 かけ湯を済ませた宮部は、ドキドキしていると明らかにわかる顔で、湯へと足を付けた。ゆっくりゆっくり体を沈めていく。そして肩までつかると、表情を一変させた。目をとろんとさせ、「しあわせ……」と呟く。

 だんだん染まっていく頬と、濡れた肌着の襟から見える鎖骨と細い首、髪から滴る雫……湯船に肌着の裾が浮かび上がって、太ももが見えた気がして、江間は慌てて顔を背けた。

「来られてよかった……」

「まあ、な」

「すっごく気持ちいい」

(なんつーか、こういうとこ、マジで幼い……)

 江間の体に起きている変化に気付かず笑いかけてくる宮部に、江間はこっそりため息を零した。いや、こんな子供みたいに無防備に笑うことなんてまずないし、可愛いには可愛いのだが……。

「?」

 聞き咎めたらしい宮部が、湯の中をにじり寄ってきて、江間の顔を覗き込んでくる。

「……」

 濡れ髪の間からのぞく火照った頬と半開きの濡れた唇――ごくりと音を立てて唾液が喉を下っていく。視線が知らず、下に向かってしまう。肌着はぴったりと肌にくっついて、その色と体の線を伝えてくる。胸のあたりを見そうになって慌てて視線を伏せれば、水の下で、宮部の動きに合わせて、裾のあわせが割れ、太ももの大部分が……。

「っ」

 江間は水音を立てて、距離を取る。

「その、わるい、それ以上、近寄らないでくれ……」

「……」

 宮部の顔が曇って、江間は露骨に呻き声をあげた。護衛兼監視のケォルジュがその辺にいなかったら、理性なんかとっくに放棄しているのに。

「なんていうか、襲わない自信、がなくなる……」

「……」

 一瞬の間をおいて、茹で蛸のようになった宮部が、音を立てて離れて行った。


 大きな岩をはさんで、お互いの姿を見ないように、けれど気配はちゃんと感じられる距離で会話する。

 霧続きだったのが嘘のように、今日の空は明るく晴れ渡っていて、川風が心地いい。

 リカルィデに「絶対に嫌」と誘いを断られたこと以外、宮部は終始上機嫌で、江間もつられた。来てよかったと心底思う。


「その、背中、流す?」

 遠慮がちに聞いてきた宮部にいたずら心が湧いて、上体を見せてみれば、彼女は真っ赤になって視線を揺らした。

 背中を洗ってくれている間もひどく恥じらっているようで、拷問のような時間になると同時に安堵もした。大丈夫、ちゃんと意識されてるし、そういう欲望の存在も知らないわけじゃない、と。

 惑いの森を出る際に半裸になった時、白けた目で見られていたことを考えれば、進歩も進歩だった。江間がお返しに背中を、と申し出たら、全力で逃げられたし。


 江間が再び湯船につかる背後で、宮部が肌着にせっけんを擦り付け、布越しに体を洗っていく。脱いで入念にしたい、ちゃんと外から見えない場所でするから、という要望はもちろん却下した。そんなことが可能な環境であれば、自制なんかとっくに捨てている。

「……」

 やましい気持ちではない……こともないが、それ以上に安全か気になって、江間はちらちらと後ろを窺う。

 宮部は中性的に見えるほうだと思う。加えて、こっちでは人の体型の個人差が大きくて、髪の長さや服装以外で性別を見分けることが難しいため、髪をショートにし、男物の、しかも厚手の巻頭衣を着た宮部が女性に見られることはほぼない。

 だが、薄い肌着、しかも濡れた体の線を見れば、一目瞭然だ。華奢で柔らかそうな全身のライン、胸や腰の曲線は劣情をあおる。

 いい加減限界が近い気がして、江間は両手で湯をすくって顔を洗った。湯船の中に目を落として、タオルがあってよかったと胸を撫で下ろす。

「……」

 彼女を手に入れたい、と思う。心も体も自分で埋め尽くして、自分以外の男が入る余地を奪ってしまいたい。だが、心はともかく、体をそうしてしまった結果は……。

≪エマはミヤベのこと、ええと、結婚したいとか、子供を作りたいとかいう意味で好きなんだよね?≫

「……」

 いつかのリカルィデの言葉が蘇って、知らず背後を振り返り、一心不乱に体を洗う宮部を見つめた。

(あの体に自分との……? もしそうなったら?)

 絶対に失えないのに、この世界でそれはリスクが高すぎる、とまで考えて、江間は眉間に皺を寄せた。

 今、無意識に、こっちに残ることを前提に考えていた――。


「なあ」

「?」

 体育座りをして、足をタオルで擦っていた宮部が、キョトンとした顔を返してくる。全身泡まみれで、顔にもついていて、ひどくあどけなく見える。

「……やっぱ背中、洗うぞ。着たままだと、うまくいかないだろ」

 宮部は顔をひきつらせて停止すると、顔を赤くして眉根を寄せ、呻き声をあげた。徹底的に洗ってさっぱりしたいという欲求と羞恥の間で、逡巡しているらしい。

(なんか、本当に表情豊かになってきた……)

 驚きと感動を新たにすると、自然頬が緩んだ。

「何もしないって」

「それは、疑ってない、けど……」

「いや、少しは疑ってくれ」

「どっち!」

 許可を得ないまま、湯船の中から、背に手を伸ばした。

 改めて見ると、驚くぐらい細い。普段の態度も表情も言動も思考も不遜そのもの。襲われたって大したレベルでなければ、返り討ちにする。決してか弱くは見えない分、こうして彼女の体を身近にすると、いつも意外な気がしてしまう。

「っ」

 触れた瞬間、びくりと体を震わされて、緊張が江間に移った。

 墓穴だったかも、さっさと済ませてしまおう、と思って、石鹸を含んだ肌着越しに背をさすれば、体が逃げるようにしなり、びくびくと震える。後ろから見える頬と耳が赤い。

 腰に手をかけたあたりで、江間は「……限界」と呟くと、宮部に再び背を向け、湯船に頭まで沈ませた。

 水中で、泉源から湯が湧き出る音に混ざって、宮部のお礼が聞こえてきた。律儀だと微笑ましく思う一方で、能天気さがちょっと腹立たしい。


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