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故地奇譚 ―嘘つきたちの異世界生存戦略―  作者: ユキノト
第23章 レジスタンス ―リバル村―
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23-8.霧の中

 もうそろそろ生中せいちゅうの期が終わろうとしている。

 目下の課題である米については、野生のものはほぼ発芽したが、祠の方の発芽率はひどいものだった。それでも併せれば、それなりの数になって、今はすべて育苗箱で大事にされ、田植えを待っている。

 森の中にひっそりと作られた田んぼも中々の出来で、無事に水を湛えている。水もぬるんできたし、このままいけば、あと数日で田植えができると宮部が言っていた。


 こうなると、メゼルディセルでの植え付けも、急がなくてはならない。

 リカルィデに頼んで、オルゲィと食料司セゼンジュへの手紙を書き、メゼル湖に注ぐ川の周辺などの土地を探し、田の整備をするよう頼んではあるが、どうなっているか。見たことのない物を文章での説明を基に一から作るというのは、想像以上に難しい作業のはずだ。ひどく気にかかる。

 昨日、馬車ならぬホダ車を仕立て、メゼルディセル用の育苗箱を積んで食料司長のセゼンジュあてに送ったが、それがうまく届くかどうかも、問題だろう。


 江間たちの最大の課題――帰るための鍵として探っている霧は、あれから何度か出た。

 一度は霧と共に“飛び交うもの”と呼ばれる、猿に似たイェリカ・ローダも出現した。

 ゼイギャクたちの監視もさることながら、それゆえ霧を恐れる村人にも心配されてしまい、江間たちは結局その中に入ってみることができないでいる。


 ただ、一度、江間がコルトナと共に外に出ている時に、深い霧が出たことがあった。

 一緒にいたコルトナと村人の姿が、急速に濃くなっていく霧によって消える中、江間は神森の時と同様、落ち着かない感覚に襲われ、鳥肌を立てた。

 ≪多分稀人には、潜在的に帰る力があるんだと思う≫

 宮部の言葉を思い出し、ひょっとして帰れるのだろうか、と思いついた瞬間、口内にたまった唾液が、音を立てて喉を下って行った。

 日本で待っているはずの家族の顔が思い浮かび、直後に強い浮遊感に包まれる。

 こちらに来た時とまったく同じその感覚に、江間は血の気を失った。

 頭を占めたのはたった一つ、冷たい無表情だ。その彼女が自分へと目を向けるなり、蕾が綻ぶかのように口元を、目元を、微かに、だが確かに緩ませる。この世界で見られるようになったその顔を思い出した瞬間、全身に怖気が走った。

 まだ帰れない、ずっと一緒にいると約束した、絶対に置いていけない、置いていきたくない――。

「っ、みや……っ」

『エマ? どうした?』

 その言葉を言い切る前に、コルトナの顔が目の前に現れた。いつの間にか霧が薄くなっている。

『森から流れてきています。戻りましょう、イェリカ・ローダがやって来るのは、こういう霧です』

 真っ青な顔をした村人に急かされるまま宿に戻って、そこにリカルィデと共にいた宮部を、江間は思いっきり抱きしめた。

 その出来事を、江間はなんとなく宮部に話せていない。

≪大切な人の名を呼ぶと言い。本当に愛し合っていれば、神様が憐れんでくださって――≫

 ジャア、アイシアエテイナケレバ……?

 以来、江間は必ず宮部と共に行動するようになった。その理由も宮部に伏せたままだ。


 シャツェランの命を受けたゼイギャクがいる限り、このままここにいても帰る方法についてこれ以上の知見は得られない。

 そう判断して、江間たちはここでの田植えが終わったら、メゼルに向けて、発つことに決めたのだが、宮部にはその前にどうしてもやりたいことがあるらしい。


「お願い、江間」

「……」

「どうしても行きたい。ダメ?」

「……」

「ねえ、お願い」

 リバルの村の粗末な宿の部屋。頬を染めて膝をつき、胸の前で両手を組んで、ベッドに腰掛けている江間にねだっているのは――宮部だ、信じられないことに。

 これまで考えられなかった光景に遭遇した衝撃とか、「ついにこんな日が」とかいう感動とか、色々頭の中を駆け回っているが、一番は「めっちゃくちゃかわいくね……?」で、次は「絶対に嫌だ!」だったりする。

「いや、気持ちはわかる、が……」

 一番と二番がせめぎあって、歯切れが悪くなる。それで、宮部が悲しそうに眉根を寄せて、江間はついに呻き声を上げた。


 この村の近くに、『湯が沸き出る泉』があるらしい。それを聞くなり、宮部は教えてくれた役場の人間が引くぐらい、目を輝かせた。もちろん江間も「温泉!入りたい!」と思ったのだが、問題は……。

「オンセン、だっけ? お湯に、つ、つかって? 何が楽しいの?」

「聞いたでしょ、温泉の気持ちよさを知らない、憐れなリカルィデのためにも、お願いー」

「……勝手に人を憐れむな」

 リカルィデの鬱陶しそうな視線にも声にも、宮部はめげない。

「全身が蕩けるくらい気持ちがいいの、気持ち良すぎて何も考えられなくなるくらい。一度経験したらなしでは生きていけない……。ねえ、もう限界なの、お願い、江間、意地悪しないで……」

「っ」

 微かに染まった頬と潤んだ目で、上目遣いにねだられて、別の意味に響く。

(……違うだろ、温泉に、湯船につかりたいというだけの話だ)

 江間は顔の下半分を手で覆うと、宮部から慌てて目を逸らした。最近、忍耐の限界が近づいて、ヤバい奴になっている気がする。

「あのな、レジスタンスのジィガードが、言ってただろ、稀人と結婚すれば、国づくりの大義名分にすらなるって。佐野がやられたのも、それが原因だろうが。稀人だと疑われてる上に女だってばれたら、即福地はお前を連想するだろうし、ジィガードたちだって、その辺にまだいるだろうが」

「? 女だってばれる……? まさ、か……お湯につ、つかるって裸!? 絶対あり得ない!! 色んな意味で何考えてんの、ミヤベっ!」

「肌着を着て入るから! 私は稀人だと思われてないから!」

「……いっつも悲観的なくせに、今回だけやけに楽観的だな」

「だって……」

 これまた珍しい、しょんぼりとした顔で宮部が俯いてしまって、江間は天を仰いだ。


 宮部は我がままを言わない。誰にも頼らないし、何が欲しいとはもちろん、してほしいと望むこともない。

 助けようと手を差し出しても、向こうではほぼスルーされた。こっちに来てからも、手をとる確率が上がっただけで、宮部から頼んでくることはほとんどない。

 それは、望んでほしい、頼ってほしいとずっと思ってきた江間にとって、ひどく寂しいことだった。

 だから、そんな彼女についに「お願い」と言われて、どうしようもなく幸せな気分になっているし、叶えてやりたいとも思う。

 これが向こうだったら、簡単な話なのだ。一緒に旅行に行って、どこかの旅館にでも行けばいい。家族風呂を借りるのも大いに検討したい。

 だが、入浴の習慣がないこっちの世界にそんな行き届いた施設があるわけもなく、その温泉も野ざらしの露天風呂だという。

 しかも、稀人との婚姻を相変わらず視野に入れているジィガードたちもまだその辺にいるし、寺下などが刺客を差し向けてくる可能性もある。そんな中、無防備になる温泉なんかに入れられるわけがない、と思う。

 思う、のだが……。


「宮部、その、悪いけど、やっぱり……」

「心配してくれてるのは、わかってる」

 明らかに落胆して泣きそうな顔をされて、冷や汗が出てくる。

「あのさ、他のことなら何でも……」

「あ、ゼイギャクに護衛を頼むのは? ゼイギャクなら私の性別を知っているし」

「っ、なお悪い!」

 いや、安全ではあるのだ。先日宮部がさらわれた時だって、二十人くらいの武装したレジスタンスの連中を、ほぼ傷を負わせないまま戦闘不能にしてのけた、あのゼイギャクだ。この上はいくら探しても見当たらないだろう。だが、六十?とは言え、彼も男だ。

「それでエマが頷くわけないじゃん。ミヤベ、もう少し考えなよ……」

というリカルィデの呆れ声に、江間は全力で同意する。


「じゃあ、江間」

「は?」

「お願い、一緒に来て」

「……」

(一緒に、入る? ……本気で?)

 唖然として、江間はまじまじと宮部を見つめた。

 自分とならありかも、とは思うものの、意味を分かって言っているのかどうか気になって、彼女の表情を伺えば、希望に満ちた瞳と視線がかち合う。

(かわい……って、今の問題はそこじゃねえ)

「……」

 長々と息を吐き出した。

 神殿で江間は大人の関係になりたいと彼女に告げた。急ぎすぎた、警戒されるかも、と思って緊張していたのに、その後彼女に変化がなくてほっとした。が、ここまで意識されないのはさすがに予想外で、いらっとしてしまう。

「……一緒ねぇ。宮部はそれでいいんだよな?」

 目を眇めて、目の前にある頬をとらえた。艶のある唇を親指でつっとなぞり、顔を近づける。ここを手加減なしに食らいつくしてみようか、そうしたら嫌でも意識するだろう。

「っ、いいの!? ありがとう!!」

 ──通じなかった。

 満面の笑みを浮かべた宮部に抱きつかれて呆然とする江間を、リカルィデが指さし、声を殺して笑っている。


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