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故地奇譚 ―嘘つきたちの異世界生存戦略―  作者: ユキノト
第23章 レジスタンス ―リバル村―
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23-7.引っ越し

 ジィガードは、バルドゥーバ南部の砂漠のオアシス、バハルにいたという仲間を呼びに行った。

 ゼイギャクは『気にしないで続けてくれ』と郁と江間に告げて、少し離れた木の根元に背を預け、目を閉じている。


「まず水に入れて浮き上がった籾を取り除く。次に卵が浮く程度の塩水にして同じことをする。それを繰り返した後、殺菌のために六十度くらいのお湯に十分程度さらす。後は冷却と保存のための冷水……」

 種籾の処理にいるものを羅列しながら、まずはバケツに水を張った。

 そこに籾を入れてかき混ぜれば、相当な量が浮き上がってきた。

「……これ、全部駄目なやつ?」

「うん、植えたところでうまくいかない……」

 そう知っているものの、あまりの量にため息が出る。

 二人でびしょびしょになりながら、浮き籾を取り除き、次に塩を入れた。ぐるぐるとかき混ぜていくうちに、先ほどまでバケツの底に沈んでいたものの中から、浮き上がってくるものが出てくる。それをまた取り除いていく。

「これ、残る種籾って、元の一割ぐらいじゃないか?」

「それだけ残れば上等だよ……」

 ぶつぶつ言いつつ、同じ作業を繰り返した。

「次は殺菌だ。薬剤があればいいんだけど、ないからお湯で」

 メゼル城の防病処に勤める防病師たちに頼んで、試作してもらった『温度測定棒』と取り出す。ラゴ酒を蒸留して取り出したエタノールをガラス管に入れ、同じくエタノールの沸点と氷の融点を利用して目盛りを打ったものだが、それなりに正確なはずだ。

 先ほどジィガードが焚いてくれた火にくべられた鍋が蒸気を吹き出している。それをバケツに入れ、水を少し足した上で、温度計を突っ込んだ。

「なあ、なんでこんなこと知ってるんだ? 稲のこと、妙に詳しいよな?」

「実家の周辺の田んぼ、祖母のものだったんだ。ほとんど貸していたけど、一部祖母の趣味で作っていた。無農薬だの合鴨だの不耕起だのなんだの、色々試していたのを手伝っていた」

 カエルが鳴き、トンボが飛び交う中、泥だらけ汗まみれになって、楽しそうに祖父と笑いながら――思い出の中の懐かしい光景に目を細める。

「じゃあ、今は荒れ放題だな……」

 顔をしかめた江間に、郁は首を横に振った。

「祖父が亡くなった後、家も含めて母に渡したから。また田んぼを作ることがあるとは思ってなかった」

 懐かしくて楽しいと言っていられない状況なのが、切ないが。

 なんせ元になる種籾に限りがある。発芽したものは、半分をリバルの村、残りをメゼルに持って帰る予定なのだが、正直‟失敗できない”というプレッシャーで胃が痛くなりそうだ。


「渡した? つまり……引っ越した?」

「? うん、ええと、江間が様子を見に来てくれて、帰った後にすぐ動き出して、年が変わる前には」

 試作品の温度計を見ながら、水を慎重に加えていた江間に唖然とした顔を向けられて、郁は首を傾げる。

「っ、まるっきり二年、黙ってたのかっ、言えよ!」

「……なんで」

「っ、なんでもだ! てかどこに!」

「ええと、春日。大学の東門すぐのパン屋さんの近く……」

「言え!」

「言え、って……その、小娘が一人持ち家に残されたからだと思う。面倒なのが出てきて、急いだんだ。祖父や父が遺産がどうのってごちゃごちゃ騒ぎ出したのもあって、これは手放した方が楽だなって……」

「っ、なおのこと言ってくれよ……」

 悲痛な響きを含んだ声とあまりの剣幕に引いて、とりあえず「ごめん」と口にすれば、江間は顔を歪め、肩を落とした。

「……いや、違うな、悪いのは俺の方だった」

 そう言ってさみしそうに笑った。

「ずっと近くに行きたかったんだ。何さまだって思うかもしれないけど、力になりたい、守りたいって思ってた。けど、うまくやれなかった」

「……」

 信じられないことを聞いた気がして、郁は息を止めた。江間は、何か苦々しいものを噛んでいるかのような顔をしている。

「お前に避けられてるの、気付いてて、ずっと苛ついてた。それでまた嫌われて……ほんと、何やってたんだろうな」

 自嘲気味に笑う顔に、体の芯が痛み出す。

「……江間のせいじゃない。私のせいだ。江間だけじゃなくて、人に近づいてほしくなかった。その、ごめん、一緒にいたら、迷惑をかけるとしか思ってなくて、実際そうだったし……」

 それが誰かを傷つける可能性とか、考えたこともなかった――

「避けられ始めたって気付いた時、ショックだった」

「……ごめん」

 入学式で知り合った江間が普通に話してくれて、普通に笑いかけてくれることが本当に嬉しかった。周りの皆がしている様に、授業の合間にわからないところを教え合ったり、食堂で一緒にご飯を食べたり、コーヒーを飲みながら何でもないことを話したり、ノートを貸し借りしたり……何年ぶりかで“普通”の生活に手が届いた気がしたのだ。恋しかったのが、人だったのか江間だったのかはわからない。でも、郁も確かに近くにいたいと思っていた。

≪論外。宮部みたいなのとか≫

 そんな時、彼が同じ学科の人とそう話しているのを聞いてしまって、このままではいけないと思って離れた。でも、そんな事情を知らない江間からすれば、何のことかわからなかっただろう。

「お前の妹のことも、元カノが近寄るなって言ったのも、もちろんお前のせいじゃないけど、そのことを含めて話してほしかった」

 真剣な顔で言われて、郁は眉根を寄せると、唇を引き結んだ。

「江間が気にするとか、まったく思ってなくて……本当にごめん」

「……マジで言ってる?」

「うー……」

 信じられないという顔で、「結構露骨だったと思うんだが」と言われて、郁が「そ、そんなにショックを受けていたっけ?」と顔を引きつらせれば、彼も顔を引きつらせた。

 そして、「いや、そっちじゃなくて……お前、本気で鈍いんだな」と、ため息をつく。

「まあ、もういいけど」

 そう言われて、郁はほっと息を吐き出し、小さく笑うと、「今度引っ越す時は、ちゃんと話す」と言って、温度調整を終えたバケツの中に、種籾を落とした。

 その正面に江間も屈んで、中を覗き込んだ。

「必要ない」

 突き放すような言葉が響いてきて、郁は手を止めた。

 深く意味を考えてしまえば、多分声が震える。その前に、とりあえず「そっか」と言ってしまおうと、口を開いた。

「離れて暮らすとか、もうあり得ない」

「……」

 思考がついてこなくて、郁は江間をまじまじと見つめた。

「――婚約」

 左腕の腕輪を右の人差し指で指し、江間はまっすぐ郁を見ている。

「あ、うん」

(婚約していることになっているんだから、離れて暮らすのは不自然という話なのか、それとも……)

 慌てて思考を止め、目をバケツへと戻した。

 今考えるべきは、この国でどうやっていくか、そしてどうやって帰るのか、ということなのだから。

「……っ」

 伸びてきた江間の腕に頭を引き寄せられ、彼の唇が額に落ちた。

「ほら、お湯足すぞ。温度、下がってる」

 顔を赤くして睨む郁に、いたずらが成功したとでも言うように江間は舌を出し、新たな湯をバケツへと注いだ。


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