23-3.裏切り
『なあ、爺さん、わざわざテラシタを持ち出したところを見ると、処刑されそうになって逃げた女の稀人が大神殿にいるというのは、本当のことのようだな――確かサノ、だったか』
水色頭の男は彼女のことも知っている。だが、やはり直接の接触はなさそうだ。
『砂漠、バハルの稀人は? 彼女も寺下と一緒で、』
『キクタさまをテラシタなどと一緒にするな』
主犯とは別の人間が気色ばんだ。他にも一人いる。
(なるほど、やはり彼らは菊田先輩の関係の人間だ)
薫風堂に来た少年も菊田のことを『キクタさま』と言い、慕っていたと聞いた。僻地に追放された彼女は、寺下たちとは袂を分かったのかもしれない。
郁は気の強さの中に、自信のなさを時折見せていた、二つ年上の彼女の顔を思い出す。
『なら、彼女、キクタに協力を仰げばいい』
『お前に指図されずとも……っ』
なるほど、菊田は逃げるに逃げられない状況にある。そして、彼らはそれを打開しようとしている――これで必要な情報はとれた。
『……』
「……」
ゼイギャクの紫の瞳が郁に向いた。軽く頷き返す。
彼らの動機が悪いなんてことは、もちろんない。意気込みが悪いとも、性根が悪いとも思わない。ただ――
『残念だが、お前たちは国づくりに向いていない』
『――人が好過ぎる』
郁の後を受けたゼイギャクが、人外としか思えない速さで、二人昏倒させた。
『出ろ、ミヤベ』
先ほど自分たちをかばった男に、郁もあて身を食らわせると、扉を開いた。
背後でもう一人、呻き声が上がる。
『っ、逃がさんっ』
夜の森に飛び出した郁の頭上に、白刃が振り上げられた。冷や汗を流しながらよけるなり、足刀を脇腹に蹴り込んで、距離を取る。
すぐに別の剣が振り下ろされた。相手の方に飛び込みながら、その剣を持つ手首を手刀で下から止め、直後に捕らえる。逆の手で二の腕を掴み、身を回し引きながら関節を決めて、地に転がした。追手がその身に躓いて転んだ隙に走り出す。
『森に入れ、ミヤベ』
視界に入ったゼイギャクはゼイギャクで、既に四人に囲まれている。見る間にまた二人倒したが、次から次へと人が押し寄せていく。
まずは自分だ、と思い定めて逃げ出す。郁がいるほうが、彼の動きは制限される。
『逃げるぞ、回り込めっ』
走り出した郁の背後から、空気を切り裂く音が近づいてくる。体を低く落とすと、左手を地に着き、身をひねりながら、後ろに回し蹴りを放つ。が、腹に掠っただけで、威力はない。
崩れた態勢をすぐに立て直し、血走った目の男が剣を振り下ろしてくる。郁も態勢を立て直すが、向こうの方が明らかに早い。血の気が引く。
「っ」
刹那、鈍い音が響いて、目の前の殺気が消えた。
「……」
倒れ落ちた男の向こうで、闇と同じ色の瞳が郁を捉えた。もの言いたげな表情を見せ、すぐに江間は身を翻す。
その向こうではゼイギャクと彼の配下のグルドザ、そしてコルトナが誘拐犯たちを圧倒していた。
気を失ったり、行動不能になったりしている彼らの拘束を終えた後、郁はゼイギャクの元へと歩み寄った。
台地にある惑いの森への入り口にあたるこの場所は、麓のリバル村より標高が高い。既に闇に覆われてしまった下方を見れば、明かりが見えた。王の直轄地で、セルからも大神殿からも近いというのに、賑わいに欠けるリバル村に灯る光はひどく頼りない。
『ゼイギャクさま、ありがとうございました。ご迷惑をおかけしたこと、お詫びいたします』
最初に囲まれた時点であれば、相手の人数も少なく、郁にも剣とスオッキがあった。ゼイギャクにはその方がやりやすかっただろう、と謝罪を口にする。
『ゼイギャクでかまわない。謝ることはない。意図あってのことと理解している。あとは……できるだけ傷つけたくなかったのだろう?』
読み取ってくれたのか、と目を丸くする郁に、ゼイギャクは顔をしかめた。
『だが、私も老いたな。すまなかった。当然余裕だと思っていたのに、少々怖い目に遭わせてしまった』
そして、やってきた江間へと顔を向けると、『助かった』と口にした。
『いえ、こちらこそいくらお礼申し上げても、足りないくらいです』
肩を引き寄せられてよろけ、江間の体に肩が触れた。そこから伝わってくる彼の体温に、力が抜けそうになる。
「……」
そのまま身を任せそうになるのを、足に力を入れて、踏みとどまった。
「心配したんだ。抵抗すんな」
「…………むかつく」
が、結局彼の思い通りに腕の中に抱え込まれてしまった。
江間もだが、後頭部を撫でられて、息を吐き出してしまう自分こそが一番気に入らない。
「……リカルィデは?」
「エナシャがメゼルから来て、一緒にいるはずだ」
「エナシャ? まさか……シハラ?」
「いや、途中、神殿に寄って挨拶して来た、相変わらずだったと言っていたから、そこは大丈夫だ。シャツェランからリバルに行けと指名されたらしくて……」
「?」
シハラにもう何かあったのか、だから彼女の従甥でもある彼がやってきたのか、と蒼褪めた郁を宥めていた江間が、不意に口をつぐみ、坂の下へと鋭く視線を投げた。こちらへと炎が列をなして登って来る。集団の静かな行進がひどく不気味で、郁は眉根を寄せた。
『……エマ、読みが当たったな』
『はい』
話しかけてきたのは、年の頃四十ぐらいのグルドザ、ピンク色の髪をしたケォルジュだ。惑いの森に同行した、ゼイギャクの腹心でもある。
『どういうこと?』
『裏切りというか反乱というか、なんだろうな、とにかく売られたらしいぞ、俺たち』
『売られた? って、リバル村の人たちに……?』
『ああ、統官も含めて』
(タグィロの叔父さん? 陰鬱な様子ではあっても、ひたすら真面目そうなあの人が?)
呆然とする間に、集団は郁たちのすぐ下へとたどり着いた。
『……その者たちを放していただきたい。そして、エマ、どうかこちらへ』
闇の中悲愴な顔と声をみせているのは、本当にタグィロの叔父の、リバル村の統官だった。背後には、手に手にたいまつと武器をもった村人がずらりと並んでいる。皆眉根を寄せ、視線を伏せていた。
郁は自分が閉じ込められていた小屋が、綺麗に管理されたものだったことを思い出す。(つまり、彼らが誘拐犯たちに隠れ家を提供した……)
『断ったら?』
『あなた方が村のために尽力してくれていることには、心から感謝している。手荒なことはしたくないんだ、頼む……』
淡々とした江間の声に、統官は苦しそうな顔をし、背後を見た。そこにいたのはここの警護隊長と後ろ手に拘束された少女――緑に黒の装飾のある、見慣れた外套姿だ。深く降ろされたフードの下から見える唇は、固く噛み締められている。
「リカルィデ……」
苦々しく眉を寄せ、視線を合わせようとしない警護隊長に、彼女は二の腕を掴まれ、前へと引き出された。細い喉に隊長が剣をつきつける。
『エマさえおとなしくこちらへ来てくれれば、他の者の命は取らない』
『……あなたたちも新たな王になりたいのか?』
郁の声にゼイギャクやケォルジュたちの空気が一変した。この国では、‟王”という言葉がそれぐらい重い意味を持つのだと思い知らされる。
『ちがうっ』
『だが、この男はそう言っていた』
郁は縛り上げられ、土の上に転がされている水色の髪の男を引き起こし、その頬を軽く叩いた。小さく呻き声を立て、瞼が動く。
『知っている。だが、私たちの目的は違う。ただ……ただ普通に、家族と、皆と共に生きていきたい。このままでは秋を待たず皆飢えて死ぬ』
統官の声には、今にも爆発しそうな音が含まれている。
郁は水色の髪の男の頬を強く張った。ピシッという音と共に、男の藤色の目が郁に焦点を結んだのを確認し、『――聞いてろ』と睨むと、統官と村人に向き直った。