23-2.囚われ
郁は小屋の中を眺めた。今郁と同じ部屋にいるのは五人。一つだけあるテーブルの正面に座り、うんざりした顔でこちらを見ている水色の髪の男が主犯だろう。耳の先がとがり気味で、言葉にバルドゥーバ人のものに似た訛りがある。
郁たちを攫った人たちは一人を除き、この場にいない。となると、それなりの人数がいる組織ということになる。
『なんか気に入らん目つきしてるな、お前ら。囚われの身だってわかってるか?』
横にいる禿げ頭が睨んで、にじり寄ってきた。額にある傷が右の瞼の上にまで届き、その目を歪に見せている。
『やめてください。彼らに危害は加えないと約束したはずです』
別の細身の男が引きつった顔で、郁とゼイギャクの前に立ちふさがった。やはり耳が大きめだ。その彼は背後の郁を肩越しに伺うと、ひどく気まずそうな顔をする。
(? この顔、どこかで……)
その顔が記憶のどこかに引っかかった。出会ったことがあるような気がするが、思い出せない。
『ああ? ギリク、お前、随分と』
『――やめろ、ガダ。そいつはそいつで人質になる。エマとは恋仲だそうだからな。しかし……こんなのの何がいいのかね、稀人なら選びたい放題だろうに』
引っかかるところはあるが、重要なのは狙いが江間で、彼が稀人だと知っていること。その一方で、郁を稀人だとは思っていないこと。そして江間と郁の婚約話を知っていることの三点だ。事前に調べてきているのは確かとして、問題はその情報源だ。
彼らがバルドゥーバに縁のある人間だとすれば、真っ先に福地が思い浮かぶが、そうであれば、江間だけを気にかけて、郁が無視するのはおかしい。寺下であれば逆――郁を狙い、江間はスルーするはずだ。
『それで? 江間に何の用だ。ここのところ彼を稀人呼ばわりする奴が多くて、うんざりしているんだが』
『しらを切るなよ。ちゃんと調べはついてるんだ。ギャプフの疫病を治めたのは、お前たちだと。その時に作った洗衛石も稀人の世界のものだと聞いた。であれば、言葉をまともに話せなかったというエマこそが稀人だ』
『ふうん。その説によると、その江間と話せた私や“かわい子ちゃん”はどうなるんだ?』
『大方、神殿かメゼルディセルの領主あたりに派遣されたんだろう? ちょっと前までディケセルには稀人がいたからな、話せる奴がいても不思議じゃない』
(悪くない推論だ。詰めが足りないが)
郁は水色の髪の男の顔をしげしげと見つめた。
粗暴な物言いの合間に、品が見える気がする。それなりに情報を持ち、状況を分析しているとなると、まったくのバカでもなさそうだ。となれば、プライドもあるはずだ。
『洗衛石の材料は、その辺に転がっているものだ。加工も難しくない。稀人稀人ともてはやすほど、価値のあるものでもないぞ?』
小馬鹿にしたように、『お前たちにはわからないかもしれないが』と付け加えれば、案の定、主犯の男は一瞬だけ眉を寄せた。側にいる男たちは、隠すことなく苛つきを露にする。
これではっきりした。主犯の男は人の上に立つことに慣れている、もしくはそうなるべく育てられた人間だ。
『稀人がそう言っているんだ。しらばっくれるんじゃねえ』
これで福地が消えた。彼はせっけんの製作がさほど難しくないことを知っているはずだ。そして、あの慎重な性格であれば、洗衛石=石鹸=稀人などという安直な推論は口にしない。
寺下はそもそも洗衛石を作った、メゼルディセルのイゥローニャ人モドキの存在を知らなかったから、彼女でもない。神殿で郁に会ったことで、江間の生存の可能性に思い至って、ということもないはずだ。計画通りであれば、あの後、彼女は再びエンバに引き合わされ、彼を郁のパートナーと誤認するよう仕向けられているはずだし、そもそもまだ神殿に引き留められていて、バルドゥーバに戻れてもいないはずだ。
残る可能性は佐野と菊田だが、多分佐野じゃない。彼女はバルドゥーバの城の中枢にいた。彼らとの接点はまずないだろう。
であれば菊田――ギャプフで死んだという元奴隷の子供を思い出して、郁は目を細めた。彼女が洗衛石を見て、製作者を探り始めたと考えれば、つじつまがあう。僻地にいる彼女であれば、彼らと接点があってもおかしくない。
『なるほど、洗衛石の製作者に会えと、幼い子供に砂漠を渡らせたのはお前たちか』
『っ』
主犯の男は微妙に目を眇めただけだったが、残りは動揺を見せた。
『全身を棘と毒に蝕まれて、痛みと熱に苦しみながら、死んだと聞いた。お前たちが殺したんだ、“稀人”を探るために』
くだらない真似を、と嫌悪を露に吐き捨てる。
『ああ、それとも何か、お前たちバルドゥーバ人にとっては、奴隷の一人や二人』
『――お前に何がわかる? 俺たちはその奴隷だ』
じっと郁の言葉を聞いていた主犯の男の声音が、低くなった。顔色を変えたのが他に三人、よく見れば、体のそこかしこに傷や欠損がある。
ゼイギャクの空気が尖った。まだ動かないよう目配せを送ると、郁は郁で縄を抜く準備をする。
『元奴隷だろう? 逃げて、尊厳を取り戻した――話せ。お前たちの目的はなんだ? 江間を連れて行って、何がしたい?』
祖父の教えに従って、手を縛られる際に縄に余裕が出るようにしてある。静かに親指を抜き、手首にかかった縄が落ちないよう、指で抑えた。少しずつ少しずつ、手を抜いていく。
横目でゼイギャクを窺った。彼の縄ももう親指が抜けている。老人だと侮ったのだろう。彼の方は、スオッキも剣も取られていない。
『囚われの身でいながら、随分上から目線だな?』
『親切で聞いてやってるんだ。江間が脅されて言いなりになる人間だと思っているなら、下調べが足りてない』
江間は自分が納得したことはきっちりやるが、そうじゃないことは絶対にやらない頑固者だと事実を告げれば、リーダー格の男は郁を眺めた後、息を吐きだした。
『バルドゥーバはもちろん、ディケセルに期待するのも諦めた――自分たちで奴隷のいない、飢えない国を作る。そのために稀人を手に入れる。エマだけじゃない、女もだ』
『……くに? を作る、ため? 稀人?』
素でぽかんと口を明けてしまった。
(……なにそれ。いや待て、どこかでそんな話を……って、ディケセルの神話、始まりの神コントゥシャだ……)
ディケセル王国の祖であるコントゥシャは、稀人だとシハラが言っていた。神話には、コントゥシャはこの地に降り立ち、息子をもうけた。そして、その神力を用い、子と共に乱立していた小さな国々を一つにまとめ、ディケセルとした、とあるらしい。
「……」
本気でそんなことを信じているのか、と思わず呆然としてしまってから、そうか、“この世界”のこの時代では、まだそれが通じるのだ、と悟って、郁は呻き声をあげた。
同時に納得した。だから、江間は「稀人だということもだが、女ということも可能な限り隠せ」と、ここのところしつこく言い出したのだろう。郁が稀人だと疑われないように。
『テラシタという稀人が、今大神殿にいるが? この次はセルに向かうだろう。護衛が少なく、質も悪い。それを襲う方が確実かつ楽じゃないかね?』
「……」
サラっと言い放ったゼイギャクに、郁は顔を引きつらせる。
『あれは嫌だ。醜いし、何より性格が悪すぎる』
『……選り好みはするのか』
『当たり前だ。奴隷を当然のように受け入れ、犠牲にして、涼しい顔をしている人間など、必要ない』
稀人は違うと聞いていたのに――
失望のこもった最後の声は、怒りを含んでいた。