表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
故地奇譚 ―嘘つきたちの異世界生存戦略―  作者: ユキノト
第22章 同胞 ―コントゥシャ大神殿―
158/254

22-15.錯誤

『降ろして』

『何を言っている。とりあえず連滝の間に行くぞ。アムルゼ、医師の手配を』

『あ、大丈夫。具合、まったく悪くない』

『……は?』

『彼女を怒らせたかっただけ』

 郁を抱えたまま足早に歩いていたシャツェランが歩みを止めた。

『……本当か? 無理をしているわけじゃ』

『ない。実際うまくいったでしょう?』

『…………紛らわしい』

 硬い表情を一変させ、むっとした幼馴染の様子に、本当に心配してくれていたらしいと悟って、郁は目を瞬かせた。

『というか……力あるね。重くない?』

『別に。男だし、もう大人だし』

『それもそうか。なんにせよ降ろし――』

「っ、キャーっ」

 もう一度降ろしてくれと頼むつもりだったのに、突如佐野の声が響いて、色んな意味でぎょっとした。

 慌てて視線を向ければ、彼女が目的の部屋の扉から顔をのぞかせている。

『出ないでっ、あと声、声を落としてください……っ』

 慌てて佐野に駆け寄って、彼女を部屋に押し込むアムルゼに続き、シャツェランが駆け足で部屋へと滑り込み、扉を閉めた。

「お姫さま抱っこ……!」

 ほっと息を吐いたのも束の間、目をキラキラさせて喜ぶ佐野の奥、窓際で信じられないものを見る目でこっちを凝視している江間と目が合ってしまった。


「……」

『……こ、れは、具合が悪いという口実で、聖山の間を出てきたからで……』

 固まった郁を抱えたままのシャツェランも、微妙に早口になっている。

(なんか空気がおかしい……)

 江間が表情なくまっすぐ歩み寄ってくるのを、郁は身を縮め、息を殺して見つめた。

『――もらう』

 低い声と共にシャツェランの腕から掬い取られて、弾みで江間に抱きつく形になった。江間の首筋に唇が触れた瞬間、彼の香りが鼻腔に届く。反射で顔が赤くなる。

『ご、ごめん、降りる、……っ』

 めちゃくちゃ怒っているのは分かる。なのに、江間は郁を下ろさないどころか、さらに強く抱き寄せた。

「本当に結婚式……チャペルからこうやって抱き抱えられて出るの。ああ、もう素敵……」

(佐野、頼むからもう黙って)

 全身が赤くなったのがわかって、隠れたくて顔を江間の胸へと押し付ければ、その先の口から小さく吐息が漏れた。少しだけ腕の力が弱まる。

『……疲れたか?』

『え、あ、そう、かも』

『なら、このまま着替えに行こう』

『あ、いや、大丈夫だから降ろし……い、え、お手数、でなければ、お願いします……』

 焦って断ろうとした瞬間、冷えた目で見られて、咄嗟に好意?に甘えることを選択する。

「……」

 ちらちらと江間の顔をうかがうが、目が合わない。いつにない状況に緊張しながら、続きの支度部屋に連行される途中、江間の肩越しにリカルィデに目で訴えてみたが、呆れたような顔で首を横に振られた。



『……ほんと、変なところで迂闊なんだよな、ミヤベって』

 憐れなものを見る目つきで、保護者とも親友とも言える間柄の宮部と江間を見送っていたリカルィデがため息をついた。

『エマはエマで大人げないし……お芝居の一環だってわかってないはずないのに』

 郁と江間が着替えに消えて行った小部屋の扉が完全に閉まるなり、彼女はため息を重ねる。


『いつも笑っているから気付かなかったけど、エマって真顔になると、かなり怖いんだね……』

『ああいう顔をするの、ミヤベが関わる時だけだよ』

 顔を引きつらせたアムルゼに、リカルィデが何でもないことのように肩をすくめる。

 佐野が『でも、そういうの、あ、憧れ?ます』と寂しそうに後を受けた。

『憧れる?』

『だって、「ええと、なんだっけ? そうだ、」特別、だからでしょう?』

『……あの特別はちょっと嫌じゃない?』

『あのミヤベが顔を引きつらせていたからね……』

 リカルィデとサノ、アムルゼの会話を聞くともなしに聞きながら、シャツェランは二人の消えた扉を見つめた。


(……この私が心配して、しかも労まで取ってやったのに、二人そろって無礼極まりない)

 先ほど江間に郁をとられてから心中に渦巻いているモヤモヤをそう片付けると、手近な椅子にどさりと腰かけた。

「……」

 腕にまだ郁の感触が残っている気がして、知らず自分の手を見つめる。

(想像とはまったく違っていたな……)

 幼い時分の夢の中での郁はシャツェランと同じくらいの目線で、いつも対等にものを言ってきていたから、何となく頭の中身も体も自分と同じというイメージがあった。顔つきも特段の欠点がないだけで、人目を惹くパーツもなく、どうしようもなく地味で中性的。

 だから女だと意識することはまったくなかった。

 なのに、実際抱き上げて見たら、想像より軽くて柔らかくて驚いた。認めたくはないが、化粧された顔も、本当に郁か、と一瞬呆然としてしまった程度には美しかった。

(……あいつ、ちゃんと女だったんだな)

 本人に聞かれれば、また脛を蹴り上げてくるだろうことを考えて、シャツェランは顔を顰める。

(さっきもそうだったし)

 先ほど江間に抱えられた郁は、彼の様子に引いていたくせに、それでも赤くなった。一昨日もそうだ。着替えて化粧をした姿を見せる時、江間の前では挙動不審になった。

(聖山の間で私が抱えた時はすこし驚いたぐらいで、すぐに寺下に意識を向けたくせに。一昨日だって……)

『……』

 シャツェランは目を見開いて思考を止めると、眉間に皺を寄せた。とんでもなく下らないことを考えていた気がする。

(アヤに言った通りだ、あいつに関わるとおかしなことばかりが起きる。稀人ではあるし、優秀でもあるが、エマと違ってあいつは疫病神でもあるに違いない)

 先ほどのフュバルの言葉を地で行っていることに気付かず、シャツェランは嫌気を隠さないため息をついた。


『殿下、お茶を、飲み、じゃなくて、召し上がります、か?』

『いただこう』

 フュバルの申し出にシャツェランは、小さく微笑んで応じた。

 にこりと笑い返して、準備を始める彼女の姿を目で追って、シャツェランは白い目で続きの小部屋へとまた視線を投げた。

(女とはああいう存在なはずだろうが)

 ――絶対に傷つけないでくれ。

 寺下に会うために郁がここで準備をしていた時、その姿を見ていた江間がシャツェランに発した言葉と、その時の彼の苦しげな表情を思い出して、シャツェランは首を振る。

 あの可愛げのない郁の何がいいのだろう。江間は本気で物好きだ。



 誰もいない室内に、扉の閉まる音が大きく響いて、消えて行った。

 沈黙が耳に痛くて、郁は恐る恐る江間に話しかける。

「重くない?」

「まったく」

 返事があってほっとしたものの、上背の分、それなりに体重があるという自覚がある郁は、次の手を考える。

「その、そろそろ着替えようかと」

「せっかくだからもう少し見せてくれ。俺、あんま見てないんだ」

 顔がまた赤くなるのがわかった。わざわざ見るほどのものではないのに、と思うものの、また不機嫌になられたらと思うと言えない。

「お、りた方が、見えると思う」

「それはそうだな」

 身をかがめ、壊れ物を置くような仕草で郁を立たせると、江間は一歩、身を引いた。

「……」

 全身を見られている気配がして、自分で言った言葉を後悔する。

「本当にウェディングドレスみたいだな」

「かな。けど、動きにくいし、寒い」

「……嬉しかったりはしないのかよ?」

 呆れだったけど、淡々としていた江間の顔に少し表情が出て、郁にも安堵が生まれてくる。

「正直あんまり」

「そんなもんか。きれいだから、ちょっともったいない気もするけど……」

「……食えるもんでもないし?」

 郁が惑いの森で髪を切り落とした時の江間のセリフをまねれば、彼は目を丸くした後、ふき出した。


 ほっとしたのもつかの間、開いていた距離がまた詰められる。そして、彼の手がベールにかかった。

「顔もちゃんと見たい」

「……」

(どうせなら鏡を見るか、リカルィデやシャツェランあたりを見ておけばいいのに)

 そう思うのに口に出せなくて、郁は顔がさらされるのに合わせて視線を伏せた。

「宮部」

 そうかもしれないと思っていた通り、江間が顔を寄せてくる。

 唇が重なった。角度を変えながら、ついばむように何度も繰り返される。

 唇の間から熱い塊が入り込んできて、身を固くした瞬間、それが口蓋を撫でた。全身が震えて膝から力が抜ける。

 腰を咄嗟に支えられるが、それで余計逃げられなくなった。せめても、と上半身を逸らしたのに、後頭部も捕らえられて、江間が覆いかぶさってくる。

 舌をからめとられた。自分と江間の間から信じられないような水音が立って、その音にますます痺れた。呼吸すらままならない。

 空気が欲しくて喘げば、さらに舌の動きが増して、小さな声が漏れる。


「……」

 ようやく終わって、肩で息をしながら江間を見上げた。彼の息も少し乱れている。こちらを見ている黒い瞳に見慣れない色を見つけて、咄嗟に目を逸らす。

「他の男に抱き上げられた罰」

 後頭部から回ってきた手に顎を捉えられ、まだ濡れている唇をその親指に撫でられて、背筋がぞくりとした。

「あれ、は、別に……」

「知っている。でも嫌だ。二度とさせないでくれ」

「……」

(こうなると江間は何を言っても聞かない……)

 郁は逃げるように顔を背けながら、頷いた。

 再び抱き寄せられて思う。彼はこの感情を、異世界にいるが故の勘違いだと疑ったりはしないのだろうか、と。

(実際ここに来て共に行動するようになるまで、どちらかと言えば険悪だったし、そもそも対象外と言い切っていたのに……)

 遠くない未来に気のせいだとはっきり指摘しなくてはならない――必要なことだと知っているのに気分が塞いで、郁は江間にばれないよう、そっと息を吐き出した。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ