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故地奇譚 ―嘘つきたちの異世界生存戦略―  作者: ユキノト
第22章 同胞 ―コントゥシャ大神殿―
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22-8.最期の願い

『アヤ、あなた、テラシタに会っちゃわない?』

 郁に向かってにこりと笑い、シハラは毎朝『散歩に行くわよ、付き合いなさい』と言う時とまったく変わらない調子で、軽く口にした。


『っ、宮部、頷くなっ』

『シハラ、どういうことだ?』

 切りつけるような声と鋭い視線で即応した江間に、渋面そのもののシャツェランが続く。

『……』

『あら、そんな顔しないのよ』

 シャツェランの存在のせいで、元々硬い表情をしていたリカルィデに悲愴さが漂い、見る間に青ざめていく。シハラはその彼女にだけ安心させるように笑いかけた後、『どう思う?』と郁に尋ねた。

「……」

 シハラにからかいの気配はない。嘘もない。

(でも、言っていないことは多分山盛り――そういう人だし)

 ここで多くの時間を一緒に過ごし、彼女の性格を把握しつつある郁は苦笑を漏らした。

 では、次に考えるべきは彼女の意図、そして、その話の自分たちにとっての意味だ、と思考を切り替える。


『無視して、勝手に話を進めようとするな……っ』

『シハラ、勝手な真似をするのはよせ』

 窓の外に並び、そろって抗議の声を上げるエマとシャツェランは、一部の噂の通りやはりとても気が合うのだろう。さっき上の台地から降りてくる時も仲良く話しながら、のんびり歩いていた。

(……なんせ本当に二人とも整っている。並べておくとものすごく絵になる)

 面倒からの逃避を兼ねて、寒風の中に立つ彼らを眺めれば、シハラが二人へと歩み寄っていった。

 バンと音を立てて、窓を閉める。

「……」

『……』

 流石に顔をひきつらせた郁の横で、リカルィデの顔が青を通り越して白くなった。

『おいこら、魔女!』

『っ、シハラっ、いい加減にしろ!』

『――招いていないのだから、せめて黙ってなさい。それができるなら、存在“だけ”は許してあげるわ』

 他は笑っているのに、目だけは人を殺せそう、という顔でガラス向こうに微笑みかけるシハラから、郁はそっと目を逸らした。

(仮にもこの国の王子様を部屋にすら入れないって、ほんと、どういう神経をしているんだろう……)

 祖父の人を見る目をまたも嘆くと、窓越しにぎゃあぎゃあとやり取りを続ける三人を放っておいて、郁は先ほどのシハラの提案を考え始めた。

「ミヤベも無視するんだ……」

「だって今のうちに考えをまとめないと」

 口元をひくつかせたリカルィデに、シレッと答える。

 あの三人は三人とも癖だらけで頭も回る。「この隙に自分に都合よく話を進める方法を考えてしまわないと」と言えば、彼女は「ええと、ナンダカナー……って言うんだっけ、こういう気持ち」と肩を落とした。


 シハラ曰く、『“稀人”のテラシタが、神殿を参拝したいと申し出てきた』そうだ。

 バルドゥーバの使節としてではなく、稀人としてというのが鍵だ。稀人を名乗られれば、彼らの来訪を最初に察知し、保護を計る責にあるコントゥシャ大神殿は断りにくいのだろう。

 そうまでして、なぜ大神殿に来たいのか? シャツェランもしくは稀人疑惑のある郁や江間がここにいるとバルドゥーバに伝わるには早すぎるから、目的は多分佐野。

 佐野は疫病をもたらしたとして、バルドゥーバで処刑されたと聞いた。誰の発想か。元はこちらの人間だろうが、少なくとも福地と寺下はそれを止めなかった。

 気になるのは、菊田のような追放などではなく、処刑にまで到った点だ。稀人の利用方法は色々あるはずだし、特にあんなふうにあちらの文化を見せる才能がある佐野の場合は、かなり価値が高いはずだ。まして、彼女の場合は見た目もいいのだ、良き稀人の象徴として利用できるだろうに、逆に殺されかかった。

(となると、誰かが積極的に佐野を排除したかった……誰だろう)


「……」

 郁は先日の佐野の話を思い返す。

 記憶がないとはいえ、佐野は向こうの人間だ。彼女にまで江間が“婚約”の件を告げるとは思っていなかった。頭が真っ白になった郁の前で、佐野が目に見えて消沈して、ああ、やっぱり、と思ったのも束の間、佐野は自分にも誰かがいた気がすると言った。

 大事に想い、想い返してくれる人が佐野にいたとすれば?

 向こうでは彼氏はいないと言っていたから、この世界に来てからだろう。その関係で処刑されることになった可能性はないか。

 彼女は誰とでも仲良くするし、明るくからっとしていて、人に好かれる子だ。注目を心地よく感じるタイプだとは思うが、グループを組んだり、人を蹴落としたりしてまで人の優位に立ちたがる子ではない。

 恨みを買いやすいわけでもなく、野心がなくて、権力争いに関わりたがるわけでもないとなれば、処刑の理由は彼女自身にはなく、なんらかの争いに巻き込まれたことにあるのではないか。

 女王に直接疎まれて、処刑に至ったという可能性が低そうなのも、郁がそう疑う理由だ。佐野のコミュ力でそういう失敗をするとは思えないし、聞く限り彼の国の王は抜かりのない、苛烈な性格のようだから、処刑するなら確実にやるだろう。仮に失敗したのであっても、その場合はもっと露骨に佐野を手に入れにかかるのではないか。


 彼女の処刑が彼女の想い人に起因するとすれば、誰か。

 福地ではおそらくない。佐野は福地狙いと口では言っていたが、それほど熱心ではなかった。その前、江間にアプローチしていた時の方がまだ真剣味があったくらいだ。また、福地の方にもそんな気はなかったはずだ。

 だとすれば、彼女の相手はバルドゥーバの、おそらくそれなりの身分の人間のはずで、その人と反目する派閥が佐野の処刑を目論んだ。そして、福地も寺下もそれを止めなかった。

 止めようとしたが、止めきれなかったという可能性は、福地はともかく寺下の性格を考えるとまずない。彼女は常に大勢をうかがい、過たずそちらに属す。他人のために大勢に逆らうなどということも絶対にしない。佐野の処刑が決まった以上、主犯か従犯かはわからないが、寺下は佐野の死を願った一派の近くにいるはずだ。

 だが、佐野の処刑は失敗。寺下はそれを挽回しようと、神殿に来るのではないか。


(福地は寺下さんと同じ勢力、それとも反目するほう、どのあたりにいるんだろう? 福地が佐野さんを処刑する気だったなら、確実に実行した気はするけど……)

 郁は柔和な物腰の同期を思い浮かべ、彼は多分処刑などというものに軽々しく賛成しない、と結論付ける。

 郁は、彼は他者に共感を持ちにくいタイプなのではないかと見ている。本人もそれを自覚しているからだろう、人の中でうまくやるために、道徳や倫理について神経質なほど気を払っていた。共感ではなく、学習によって練り上げられた“思いやり”――彼は他者を害することのリスクを知っているはずだ。

(となると、福地と寺下さんの立場にはそれなりの距離がある)

 そんな中、郁が寺下に会えば? 寺下はどう動く? 佐野はそれでどうなる? 郁自身は寺下に会うメリットはほぼない。だが、バルドゥーバ、特に福地の動きまで視野に入れた場合は?


 黒目がちな目を緩ませて人懐っこく笑いかけてきた昨日の佐野を思う。

 彼女には大事に想い、想ってくれる人がいた。なのに、処刑されかかった――記憶をなくすには、十分な理由な気がする。

「……」

 窓辺でシハラと言い合っている江間へと視線を向け、昨日同じ場所で彼が仏頂面でプリンを食べていたことを思い出す。

 昨日もまた喧嘩をしたのだ。

 郁は佐野の記憶が戻るなら、その方がいいと思う。処刑されかかったならなおのこと自分の身を守るために何が起きたのか知っておくほうがいい。けれど、江間は放っておけという。

(もし佐野さんが処刑される時に、彼女の大事な人も殺されていたとしたら……? 思い出せば、確かにつらいだろう。でも、それほど大事な人を覚えていないのは――)

「……」

 窓辺の江間を知らず見つめる。黒髪の間からのぞく切れ長の目を鋭く眇め、眉間に皺をよせて、シハラに詰め寄っている。

 元々黙っていると冷たく見えるけれど、今はその雰囲気が一段と増していて、恐ろしくすら見える。けれど、彼は郁の視線に気づくなり、気遣うような顔をした。

 昨日あんなに不機嫌だったのに、と不思議な気分になると同時に、離れてしまう時がいずれ来るにしても、忘れてしまうのは嫌だな、とぼんやりと思った。


『……シハラ、いい?』

『ええ』

『『よくない』』

『……仲いいよね』

『『よくない』』

 二度も声をそろえた江間とシャツェランに、たまりかねて吹き出せば、二人は元々歪めていた顔をそろって引きつらせた。

 ひとしきり笑った後、改めて江間を見上げた。昨日のプリンの件も今回も、多分心配してくれてのことなのだろう。本当に人がいい。


『ごめんなさい、シハラ、ちょっと待ってて』

 苦笑しながら祖父の姉に告げれば、彼女も同じ顔で『めんどくさい護衛がついているわねえ……。仕方ない、お茶でも用意しましょうか』と言って、戸口の方に歩いて行った。

 外で待機させている従者に飲み物と菓子の手配をする声が、うっすらと聞こえる。

 郁はもう一度江間を見、それからその横に立つ幼馴染へと視線をやった。

「シャツェラン」

 青い目が見開かれた。陽の光を受けて見えるその色は、昔夢の薄霧の中で見た時より、はるかに美しく見えた。

『もう知っているだろうけど、私は日本から来た稀人で、コトゥド・リィアーレの孫の、』

『――アヤ』

 目を見てまっすぐ名を呼ばれて、目を丸くする。こんな風に面と向かって名を呼ばれる日が、再び来るとは思っていなかった。

『……そうだよ』

 思わず苦笑を漏らした郁に、右手を持ち上げたシャツェランは、途中でその手を握り締めて下ろすと、『……知っている。最初に見た時からずっと』と呟いた。

 視線を江間に戻せば、シャツェランの様子を警戒するように見ていた彼は、郁と目が合うなり、息を吐き出し、黒い髪をガシガシとかく。

『俺も向こうの人間だ。宮部と違って、完全にあっちの世界の人間だけど。って、まあ、それも知ってるか』

『さっきといい、お前はほとんど隠していなかっただろうが』

 固い顔をしていたシャツェランが江間を見て、ようやく笑いを見せた。


『それで……こうしてわざわざ明かして、何を望む?』

 改めて郁に向き直ったシャツェランの顔から、幼馴染や友人に対する気安さが消えた。代わりに、王弟、いや王位を狙うメゼルディセル領主としての計算や警戒が滲み出てくる。

 応じて郁も旧友への懐かしさを封印した。

『バルドゥーバの稀人についての情報が欲しい。私からも渡す。と言っても、向こうで彼らが何をしているかはまったく知らないから、彼らの得手不得手、性格などになる』

『なぜ奴らの動向を知りたい?』

『他の稀人を害する気があるとはっきりした。警戒のため、それから可能であれば彼らを邪魔するために』

『……いいだろう。エマは?』

 シャツェランの視線を受けて、江間は『同意してもらえると確信しているが』と、前置きする。

『できる限り協力する代わりに、俺たちが稀人だということは、公にしないでくれ』

『簡単には同意できない。稀人には色々使い出がある。持っているというだけで他国を畏怖させ、惑乱できる。民を恭順させられる。婚姻を結べば、格を高めることにも繋がる』

『理解している。だが、同時に揉め事の種にもなる。今回のバルドゥーバがいい例だろう? それに、こちらに協力の意志がなければ、実は得られない。お前がそれで満足するとは思えない』

『最後のだけはそうでもない』

 シャツェランの平坦な返事に、江間は鋭く目を眇めた。

『――それこそ満足できないくせに』

 今度はシャツェランが目を細めた。

『随分と居丈高だな』

『稀人だからな』

『開き直るな』

『そのために明かしたんだ』

『明かしたのはアヤだ』

『何度も言ってるだろ、ミヤベだ』

 言い合いを始めた江間とシャツェランを前に、またか、とため息をつけば、郁の横にいて、びくびくしていたリカルィデが意を決したように、『私、私は……っ』と叫んだ。

「「『『――リカルィデ』』」」

 今度は背後からのシハラの声もそろった。

 振り返れば、シハラも意外だったのだろう、目を丸くして窓の外の二人、いや、シャツェランを見ている。それから笑い出した。

『ね、あなたはリカルィデよ。ここにいるみんなが知っている』

『……』

 泣きそうな顔で唇を引き結んだリカルィデが、王弟へと顔を向けた。

『……サチコが人生をかけた、最後の願いだ。お前はリカルィデで、それ以外の何者でもない』

 少し困ったように、でもひどく優しい顔で、言い聞かすようにシャツェランは声をかける。

『今のお前と、お前の生まれを結びつける情報はどこにも存在しない――彼女がそう仕組んだ。すべてお前のためだ』

 そして、シャツェランは『お前はもう「自由」だ』と日本語混じりにリカルィデの目を見つめた。


『結局泣くのか……』

 彼を見返したまま、ボロボロと泣き出したリカルィデを前にしたシャツェランに、助けを求めるように見られて、郁は笑いながら彼女を抱き寄せる。

『ありがとう、シャツェラン』

『礼ならサチコに言え』

『サチコさんの遺志をかなえてくれるのは、シャツェランだ』

『……』

 眉間に皺を寄せ、顔を赤くしてそっぽを向いたシャツェランに、そういえば、自信満々で自分を自分で褒めまくるくせに、人から褒められたり、礼を言われたりするのには、案外弱いんだったと思い出す。

『確かに。思ったよりいい子でいらっしゃるのねえ。でも残念』

『い、いい子?』

 さらに赤みを増したシャツェランに、シハラはにこりと笑った。

『あれだけ世話になったサチコの希望を叶えないと、万が一仰るようだったら、お考え直しいただくために、色々、本当に色々、考えていたのに』

『……』

 室内の温度が冷えた気がしたのも、シャツェランの顔色が一気に青くなったのも、開けっ放しの窓のせいじゃ絶対にない。


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