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故地奇譚 ―嘘つきたちの異世界生存戦略―  作者: ユキノト
第22章 同胞 ―コントゥシャ大神殿―
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22-7.逃がさない(江間)

 初めて出会った日を、多分宮部のほうは知らない。

 大学入試の二次試験の日の朝だった。試験会場に向かう電車の中で、言っていることもやっていることも不明瞭な婆さんに捕まって、延々と話しかけられ続けていた子がいた。

 電車は少し遅れていて、最寄り駅に着くなり、様々な制服を着た受験生と思しき連中は、皆急いで改札に歩き出す。その流れにも乗れず、電車を降りたところで引き留められるまま婆さんの相手をしていたその子が、宮部だった。

 長い髪はストレートで染めた形跡ひとつなく、化粧っ気もゼロ、コートも制服も標準をそのまま工夫もなく着ている感じの垢ぬけない子が、会話が成立しない様子の婆さんを前に、「面倒なことになった、困った……」という顔をしていた。

 それが、天を仰いで息を吐き出し、もう一度婆さんを見た瞬間一変した。婆さんの荷を手にひっかけ、その体を背負って走り出す。

 そりゃ結構背の高い子だけど、婆さんもちっさいけど、やるか、普通……と唖然とした。

 江間の横をすり抜けて遠ざかっていった横顔に、今まで男にもほとんど感じたことのない妙なかっこよさがあって、それで印象に残った。

 大学の入学式の日、桜吹雪の中で一目見て、その子だとわかった。同じ受験生だったのか、と驚いて……気付いたら、声をかけていた。


(あの時からそうだったんだよな。やると決めたら、自力で勝算を付けてとことん突き進んで、結局やり通す)

「……」

 視線の先で、宮部が怪訝な顔をして首を傾げた。途端に幼さが漂って、江間は微笑む。彼女の背後の四阿からリカルィデが出てきて、江間を見るなり手を振った。


『……なあ、譲る気はないか?』

『ない。絶対に、だ』

 思い付きをそのまま口にしたようなシャツェランの軽い口調に、隠そうとして隠し切れない感情があることに気付くが、反応すれば自覚を促すことになる。江間は意図的に静かに返した。

『代わりに望むものをやるぞ』

『いらん』

『私はこの国の王になる。バルドゥーバも含め、周辺の国もすべて手に入れる。その私が何でもやると言っているんだ。よく考えて答えろ』

 気負いなく、淡々と自分の野望を口にするシャツェランに、江間は眉を跳ね上げた。彼は本当にそうするだろうと、畏怖とも尊敬ともつかない感情を抱く。

 自分より一つ年上なだけなのに、こういう瞬間ひどく遠い存在に感じる。だが、返事は同じだ。

『いらない。考えるまでもない』

『……そこまで行くと、熱愛というよりもはや変人だな。おかしいだろ、なぜそうアヤに執着する? 頭はいいが、性格が最悪に悪くて、特に美しいわけでもない、可愛げもまったくない、あのアヤだぞ?』

『おかしいと思うなら譲れとか言うな、ほっとけ。あと何度も言うが、名前で呼ぶな』

 敬語をすっかり忘れたまま、ムスッと返した。

 自分で矛盾に気付かないあたり、シャツェランはシャツェランで相当鈍いのかもしれない。

『私は頭がよくて話の通じる、場合によっては私の代わりに動ける妃が欲しい。稀人ならなお都合がいい』

『……それ、間違っても宮部に言うなよ』

 江間はシャツェランを、じろっと音が立つような目で睨んだ。

『宮部はもうお前を嫌ってない。力になれることがあるなら、お前のためにするはずだ。そんな奴をみすみす傷つけるような真似をこれ以上しないでくれ。フュバルとの会わせた時のやり方だって、俺はムカついてる』


≪もういいかな、と思った≫

 宮部の祖父が死んで、残された骨までもが消えたとリカルィデに話していた時、宮部はそう言って暗い目で笑った。

 一歩間違えていれば、彼女に二度と会えなくなっていたのかもしれないと悟って、全身から血の気が引いた。

 あの日、もし電話をしていなかったら……?

 電話での宮部の様子があまりにおかしかったから、強引に訪ねてみた。終始ぼんやりとしていて、何もしていないようだったから、無理やり食事をさせて、無理やり寝かせた。気になって帰れなくてそのまま側にいたのに、彼女は何も言わない。話しかければ、答えるし、動く。食事に風呂、着替え、ぼうっとしつつ、江間にも提供してくるのに、江間を江間と認識していないのも明らかだった。若い女の一人暮らしとなったことを知られているのだろう、おかしな訪問客だけは来るのに、両親も妹もトゥアンナも一度も顔を見せなかったし、連絡すらなかった。

 何の抵抗もなく、機械的に動いていた宮部の目の焦点が、四日目の朝ようやく江間に合った時、泣きそうなくらいほっとした。

 その後は、以前のように淡々と拒絶されるようになったから、むかつきながらももう大丈夫だと思っていた。

 けど、そうじゃなかった……。


『俺も人のこと、あんま責められないんだけどな……』

 なぜ気づかなかったのだろう、きっとずっと危ういところにいたのに。

 大事に想い、想ってくれた祖父母が死んで、悪意のただ中に一人残された。江間も含めて誰もそこに手を伸ばさない中で、生きていくことに価値を感じなくなっても、何も不思議はない。

(宮部があの洞窟を一人で出ることを選んだのは、勝算があったからだけじゃない。勝負に負けて死んでもかまわないと思っていたからだ――)

 今更そう気づいて、宮部を見つめたまま江間は拳をぎゅっと握りしめた。

『……』

 傲慢な彼のことだ、言い返してくるだろうと思っていたのに、横のシャツェランが自責を顔に浮かべて押し黙った。

 安堵するのと同時に、それこそが彼の宮部への愛着の証拠だと気づいて、江間は眉根を寄せた。このまま気付かないでいてくれ、と切に願ってしまう。


『……あ、警戒した』

『……あの娘、いい加減慣れろ。いつまで経っても人を化け物みたいに』

 リカルィデは江間の隣にいるのが、シャツェランだと気付いたらしい。元気な笑い顔を一変させると、宮部の影に隠れた。

 宮部が真顔になって、警戒を露にこちらを――シャツェランを見上げてきた。

『あの娘が警戒するたびに、ああして刺すような目で睨んでくる。おかげですっかり騙された。あれで知り合って一年経たない間柄だと気付くわけがない』

 苦々しく呟いたシャツェランの様子を、江間は横目でうかがった。リカルィデをどう扱うつもりか――場合によっては、と密やかに覚悟を決める。


 その視線に気づいたらしい。シャツェランは鼻を鳴らした。

『“あれ”はもう死んだ。誰も気にも留めまい』

 そして、『証明する術もない』と痛快そうに笑った。

『散々調べたが、城の外に出たアーシャルをアーシャルと特定しうる情報は、何も残されていなかった。バルドゥーバ派がアーシャルを隠していたことを逆手にとって、実物のアーシャルに関する情報を巧妙に消し去り、関わった数少ない者たちの記憶も意図的に操作されている。性別だけじゃない。ある者は神経質でまともに人前に立つこともできないと思い込み、ある者は知的に困難があると信じ込まされている。ある者は耳の後ろにほくろがあると断言し、ある者は犬歯が八本あると刷り込まれている……――サチコだ、彼女がやった』

 何かを懐かしむ目で『鮮やか極まりない。私も完全に騙された』と、シャツェランはリカルィデを見つめる。

『彼女はディケセルとバルドゥーバ、二つの国を騙す仕掛けを考えて、長きにわたって誰にも気づかれず周到に仕込んだ。そして、自身の命が潰えた後にその仕掛けを発動させて、死してなおあの“娘”を守り続けている』

『……仕上げは大神殿、いや、シハラか』

『おそらくな。サチコと二人で謀って、あの娘を森に連れ出した』

 だからアーシャルは惑いの森に来た。稀人たちを迎えるためではなく、そこで“死ぬ”ために。

『ゼイギャクは?』

『見込まれたのだろう、シハラに。ゼイギャクならば、見逃してくれるはずだと。まあ、その彼女ですら、まさかあの“娘”の代わりに瀕死のゼイギャクを回収する羽目になるとは思っていなかっただろうが』


「……」

 四阿の横でこちらを見上げてくる二人へと、江間も目を向けた。

 宮部の背後に彼女の祖父母の影が見えるように、リカルィデの後ろにはヨコテサチコの影が常に寄り添っている。


『頭のいい、情の深い、いい女だった』

『それも直接伝えてやってくれ』

『?』

『サチコを覚えていてくれる人がいて嬉しかった、と』

『……そうか、だから泣いたのか』

 眩しいものを見るような目でシャツェランはリカルィデを眺め、ごく小さく『……もう少しだったのに』と呟いた。

(もう少し?)

 何かの後悔を含んだ声に、江間の頭に疑念がさす。リカルィデはちゃんと城から逃げ遂せた。なら、彼は何を悔いている?

『サチコに免じて、あの娘は見逃してやる。だが……』

 ――お前たちは逃がさない。

 王弟の金の髪を踊らせたのと同じ風に乗って、不自然なまでに平坦な声が響いてきた。


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