22-5.身代わり(江間)
『おはようございます、殿下』
フュバルこと佐野と共に朝食をとることになったシャツェランに連れられて、江間は大神官長の居住棟を訪れた。
洗衛石の試作品を渡されてから、佐野はふさぎ込むようになり、食事もあまりとらなくなったという。
『今日はエマも一緒、ですね。嬉しい』
心配した大神官長の計らいで、日本語で会話してやってくれないかとシャツェランが呼ばれたらしいのだが、巻き添えを食らった江間としてはいい迷惑だ。
元々機嫌が悪かったことも手伝って取り繕う気に慣れず、笑顔を向けてきた佐野に小さく頷いて返すにとどめる。
佐野の斜め後ろにいた、黒髪の少し年上の青年と目が合った。
「エンバと申します。お会いできて光栄です」
(――日本語だ。しかも、エンバ?)
訛りは強いものの、敬語まできっちり押さえた故郷の言葉。目をみはりそうになるのを抑え、江間はシャツェランへと視線を投げた。
『神殿では歴代の稀人の助力を得て、ニホン語話者を育成している』
「サチコさまにも、大変、世話、お世話に、なりました」
「ふふ、すごく心強いです」
無表情に、江間の意図とは微妙にずれた言葉を返してきたシャツェランの横で、佐野は嬉しそうにはにかむ。
それから、『エンバ、なんとなく、エマに、似ています……似ていませんか? だから、会わせてみたかった、です』と佐野はいたずらっ子のように江間を見上げてきた。
江間はエンバに視線を固定したまま、『そうですね、親近感が湧きます』と綻びのない笑みを作り上げ、彼へと略礼をとる。
(髪と目は黒、髪型も同じ、目線の高さもほぼ同じ――)
彼の足元、こちら仕様のサンダルの底が通常よりはるかに厚いことに気付く。
『以後、お見知りおきください』
エンバの方も含みのある笑いを見せたことで確信する。似ているんじゃない、似せているのだ。
(誰が何の意図で? シャツェランか神殿、どっちだ――)
『では、私はこれにて失礼いたします――御用の際は、お呼びください』
佐野かシャツェランか江間か。誰に対しての言葉なのか不明瞭なまま、エンバは退出していった。
『……俺だけじゃなく、宮部やリカルィデのそっくりさんもいたら、おもしろいですね』
『他の、地域? 地方?にも、神殿があって、たくさん神官がいると、聞きました。だから、いるかも、です。私の故郷より、色々な見た目の人が、いるような気がします』
探る意図を隠して軽い調子で尋ねた江間に、佐野は邪気のない答えを返してきた。
『ミヤベに似た者ならばいる』
『えー、本当ですか、会ってみたい』
『シハラの側仕えの者だ。彼女もニホン語を話すはずだ。リィアメという。話しかければ、相手をしてくれるだろう』
『ありがとうございます、やってみます』
「……」
シャツェランが無表情に会話に乗ってきて悟る。やはり、自分たち二人に似た人物を意図的に用意している。
(目的はセルやバルドゥーバなどに向けた情報の攪乱、そして、いざという時の身代わり……)
シャツェランだけじゃない、神殿も自分たちを稀人だと認識し、今後そのつもりで動くという意思表示に他ならない。
なんだかなあ、と思い、江間は嫌気を含んだ息を吐き出した。
自分たちを保護する意図があってのことだと理解する一方で、身代わりにされる方は?と考えてしまう。ありがたくない訳ではないが、人の命の価値に順位を付け、それを当人たちにあからさまに見せて動じない、こちらの感覚にはやはり馴染めない。
昨日からただでさえ、ささくれ立っていた気分に、拍車がかかる。
『お待たせいたしました』
神官たちが朝食を運んで来たのを合図に、佐野や王弟と共に席に着いた江間は、それからひたすら口をつぐんで過ごした。
『これ、ええと、「デザートはディケセル語で……」食事の後の甘い物、はいかがですか。これ、「プリン」と言う、んです。ミヤベが届けてくれて、ええと、ミヤベの、出身、地? でも似たようなのがあると……って、エマもでしたね』
江間のそもそもの不機嫌の理由は、宮部との喧嘩。原因はその「プリン」――放っておけばいいのに、宮部は佐野の記憶を戻せるなら戻してやるべきだと言う。どこまで馬鹿なんだ、と苛ついてしょうがない。
今の佐野は、宮部に対して他の人間に対するように普通に好意的だ。だが、向こうでは態度に出さないだけで宮部を見下していたはずだ。研究室の決定、実験、院試、卒論、色んな場面で宮部を利用していた癖に、口先の礼以外を佐野が彼女に返しているのを見たことがない。
佐野は宮部の妹を知らないようだったから、見えないところでやり取りしていたということもないはずだ。嫌な話だが、佐野がどんな形にせよ受けた恩を返していたなら、あれが嗅ぎつけて接触してきている。
苦々しく思いながらも、宮部本人が気にしないなら、と放置した結果が惑いの森でのあの振る舞いだ。あんな思いはもう二度とごめんだ。
江間はこの先宮部を害する可能性のある人間を彼女に近寄らせる気はない。だから、佐野の記憶もない方が平和なら、ないままでいさせたい。
なのに、宮部は「今の状況を見れば、見捨てたのはむしろ私ということになる」と言い、「ただの結果論だろうが!」と言い合いになった。
『ちょっと匂いが、違うけど、そ、っけけ、ない?味で、美味しいです』
(せめて素朴って言え。まさかとは思うが、バニラの香りがしないでも言う気か? 匂いのきつくない卵を見つけるのに、どれだけ宮部と神官たちが気を使ったと思ってるんだ? 普通に美味しいでいいだろうが……?)
江間は隠し切れなくなって、眉間に皺を寄せる。佐野に食欲がないと聞いて、確か甘いものが好きだったと言い出したのも宮部で、じゃあ何か作れないかと言い出して、実際作ったのも宮部で、そのせいで彼女と喧嘩になったのは江間だ。
渋々であっても一緒にやろうとしたのに、シハラに『大姪との貴重な時間を、邪魔しないで頂戴』と言われて厨房から追い出され、彼女との時間がなくなったのも江間だ。もっと感謝して食え!と目を眇める。
「おいしい。こんな料理の、方法? があると、知らなかった。この黒いものは何?」
「カラメルです。砂糖、はこっちにはないから、『実蜜』?に似た物を、焦がして作るはずです」
「……」
日本語で返したシャツェランの、責める目線に気付かないふりをして、江間はプリンに匙を入れる。
昨日食べた試作品より、おいしい気がして余計苛ついた。リカルィデならまだしも、江間以外の人間にプレゼントする為の手料理という発想がそもそも気に入らない。
江間が初めて彼女の料理を食べたのは、出会ってから三年半後、彼女の祖父が死んで側についていた時のことだ。あの時、「食事をしろ」と必死に勧める江間を前に、彼女はぼうっとしつつ料理を作り、江間の分も差し出しておきながら、江間を江間と認識していないようだった。実際今も記憶にないようだから、江間のために作ってくれたのはこっちに来てから、つまり五年以上経ってからだ。しかもプレゼントとしてではなく、生活の一環、自分やリカルィデのついでというだけ……。
(好きな相手に食べさせたくてとかいうつもりで作ってもらったことはまだ一度もない……俺が作る時はいつもそういうつもりなのに)
とますますぶすくれる。
『私も、やってみる、です。もっと美味しい、「ええと、」ふるさと?の味、に、似る、近い、づける、かもしれない』
「……」
知っている、佐野に悪気はない。彼女は宮部が同じ世界の人間だと思っていない。けど、宮部の手料理を食べておきながら、何気にディスったぞ、今、と殺気を覚えた瞬間、隣のシャツェランにテーブルの下で足を蹴られて、なんとか笑顔を張り付けた。
佐野の失われた記憶に関しては、何も進歩がなかったけれど、一つはっきりしたことがある――バルドゥーバにいたかもしれない佐野の恋人は、きっとものすごく心の広い男なのだろう。