22-3.選ぶなら(リカルィデ)
王弟も宮部も無言のまま睨み合い、時間が流れていく。
石造りの神殿に漂う冬の空気に加え、冷たく重い沈黙に押しつぶされるような気がしてくる。
緊張を破ったのは、王弟だった。
『そんな目で見られる覚えはない』
「……」
『っ、おまえは……っ! 人の言葉を疑うにしても、せめてはっきり口にしろ!!』
『では、お許しに甘えて。年端もいかない娘と二人きりで人気のない場所にいて、かつその娘は怯え、泣いている。その状況でなぜ疑われないと思えるのか、理解できません。たとえ心当たりがなくても、この状況であれば悪いのは大人のあなたです、どう見ても。変質者と思われても仕方がな――』
『っ、そこまで言っていいと許した覚えはない!』
『ああ、寛容ぶってみただけという話でしたか。では許される範囲で――弱き存在を守護する存在たれというグルドザの規範にもとることは言わずもがな、男として、大人として、人として最低ですね、殿下』
『っ、それのどこが許される範囲だ……っ』
『これもダメでしたか。では、実に情けない、嘆かわしい、忌々しい、外道――お好きなものをお選びください』
『っ!』
『お気に召さないならもっとわかりやすく――最低、とでも言ってやろうか……?』
『っ』
慇懃かつ静かに罵りと皮肉を吐き出し、宮部は最後を恐ろしく低い声で締めくくった。王弟は王弟で顔を怒りに歪めている。
(……どう、しよう、全部私のせいだ)
宮部が「タテイタニミズヲナガス」勢いで話す時は激怒している時だ、と江間が言っていたのを思い出して、リカルィデは涙でぐしゃぐしゃの顔をさらに歪めた。
せっかく大神官長たちが隠そうとしてくれたのに失敗してしまって、ただでさえまずい状況だったのに、その上王弟を怒らせてしまった。
『…………変わらないな』
だが、王弟は突如ため息をついて脱力し、呆れ笑いを顔に浮かべた。
その彼に目をみはった宮部は、すぐに唇を引き結ぶと、少し悲しそうな顔で彼から目線を逸らした。
一瞬王弟が、同じ顔をした気がする。
『……』
その直後、彼はリカルィデを見た。一瞬前まで宮部に向けていたのとまったく違う冷たい顔に、リカルィデはブルっと身を震わすと宮部にしがみつく。
『――エマとその“娘”なら、どっちを選ぶ?』
(……え?)
『両方』
酷薄さの滲む笑顔から発せられた意味深で残酷な質問に血の気を失ったリカルィデに対し、宮部は素で即答した。
『質問の条件を無視するな』
『条件など知ったことか』
そして、敬語すらやめてしまった。
『では、質問を変える――エマとリカルィデのために、自らを差し出す気はあるか?』
「……」
半眼で王弟を見ていた宮部の目が、大きく見開かれた。そのまま静止してしまう。
(ミヤベ、のこの顔……)
≪でも、江間は返そう≫
いつかの彼女のセリフが頭の中に響いて、リカルィデは息を止めた。
『その気があるのなら、お前の望みをかな――』
『……っ、ないっ』
(――嫌だ、そんなのは嫌だ……!)
気づいたら大声で叫んでいた。
書架の間をすり抜けて、むき出しの石壁にあたった声が跳ね返って、空間に反響する。
『ないったらないっ、絶対にないっ』
「リ、カルィデ……?」
『そんなのっ、私も、エマも望まないっ、絶対だっ!』
戸惑うミヤベを無視して、リカルィデはボロボロと涙を零しながら、王弟を睨んだ。
『ミヤベは分かりにくいだけで、すっごく優しいんだっ。じ、ぶんのことなんて、いっつも、後回しにするんだ……っ。そ、な人に、そんな、ひど、選択、せまるな…っ! わた、私は、ミヤベにも、じ、じゆ、に、自由にして、てほし、んだ……っ!!』
『……』
王弟は目をまん丸にして、食ってかかるリカルィデを見ている。その顔を見たら余計ムカついた。
『っ、優しい人だと思ったのにっ。一緒にサチコを好いて、懐かしがってくれる人だと思ったのにっ、大嫌いだっ、大っ嫌いだ……っ!』
罵るだけ罵ると、リカルィデは宮部にぎゅっと抱きつく。
『ミヤベも! 絶対! ダメだからね!!』
『え、あ、……と、とりあえず落ち着――』
『はぐらかさない! ちゃんと約束して!!』
涙声で叫んで、そのまま大声でわんわん泣き出したせいだろう、人が集まってくる気配がした。
『…………完全に悪者だな』
『何をいまさら』
周囲からの注目を浴びて、王弟は深々とため息をついた。
『あー……、その娘、何とかしといてくれ。あと……すまん、と』
『目の前にいるだろう。本人に言え』
『泣いていて話にならないだろ、それ……』
遠巻きに見られる中で、王弟と宮部が疲れたように会話している。
それって言うな、と思うのに、王弟から冷酷さが消えたこと、それどころか困ったような顔をしていることにホッとしてしまって、言葉にならない。
リカルィデは宮部に縋りついたまま、しゃっくりを繰り返す。
頭に宮部の手が降りた。優しく宥められるように撫でられて、また涙が溢れ出てくる。
『シャツェラン、少し休め』
『……どうせ疲れているとしつこくなると言いたいんだろ』
『シドアードにもばれていたじゃないか』
宮部が王弟を名で読んだ。ひどく親しげに聞こえる。王弟の拗ねたような声と、さらなるため息が聞こえた。
『昨日のことも含めて悪かった、アヤ。今日はもう休む――……また明日な。約束、する』
王弟は気まずさそうにつぶやいた後、小さく、けれど柔らかく宮部に笑いかけ、踵を返して去って行く。彼が口にした宮部の名も優しい響きを帯びていた。