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故地奇譚 ―嘘つきたちの異世界生存戦略―  作者: ユキノト
第22章 同胞 ―コントゥシャ大神殿―
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22-1.橋者(リカルィデ)

『また明日ね、シャツェラン』

 大抵そう言って笑っていた。たまに怒っている時も、ブスッとしながらでも『また』とは言って別れていた。

 何千回と交わし続けていた約束を破ったのは、自分だ。

『もう何年経ったっけ? いつまでこうやって会うんだろう』

『私が飽きたら終わりだな』

『言い方!!』

『飽きてないのだから、いいだろう』

 あちらとこちらを繋ぐ自分がその気にならなければ、そこで終わる。事実だと思ったからそう答えた。事実そうだった。佳乃に会って、郁への興味を失った。その間、郁と会うことはなかった。

『わかった。もういい』

 そして、なんとなく彼女を思い出し、たまには、と思って会った時が最後になった。


 続いて、佳乃が現れるよりずっと前、郁と向かい合ってお互いの手の大きさを比べていた時のことを思い出す。

 触れている感触がするのに体温は感じない。そこからさらに手を押せば、影のように重なって相手の腕を突き抜ける。側にいるのに側にいないと実感したのはシャツェランだけではなかったようだ。郁が何の気なしに『実際に会えたら面白いのに』と呟いた。

『無理だな』

『そうだけど! ……ほんと、シャツェランってつくづく嫌われるタイプだよね』

『……アヤは無礼すぎて、とっくに牢に放り込まれているタイプだ』

 郁がこっちに渡ってくる可能性は考えていなかった。渡るなら自分だと。それを望む気はまったくなかったから、そのまま答えた。

 でも、もしあの時、自分も会いたいと口にできていたら……?


『ずっと一緒にいられたらいいのになあ、きっと楽しいのに』

『ずっと寝てろって?』

『それはおなかが減る。嫌だ』

『空腹が問題なのか。無礼さもそこまで行くと、いっそ清々しい』

 よく共に笑った。楽しかった。でも、『ずっと一緒に』なんて、起こり得ないと思っていた。

 でも、もし、もしもあの時、ただ同意していたら――



* * *



 江間と宮部がシャツェランの呼び出しで出かけて行った後、残されたリカルィデは大神官シハラに伴われ、大神官長に謁見した。

 事前に、シハラに『挨拶をしたらひたすら話を聞いて、最後に『光栄です』と答えれば、それで大丈夫』と言われて、リカルィデは疑問を通り越して、胡散臭いものを見る目を向けてしまったらしい。

 それもシハラにはばれて、『私、エマみたいなのをひっかけて遊ぶのは好きだけど、あなたにはしないわ。そこまで悪人じゃないもの』とケタケタと笑われた。

 シハラと宮部は、確かに血が繋がっていると思った。タイプは違うけど、どっちも根っこの部分は善良(多分)、でもその上の部分が曲がっている。


 そうしてリカルィデは、始まりの神コントゥシャの力が宿るとされる、巨大な月聖石“月の石”が祀られた聖山の間、しかも明らかに高位とわかる神官たちが居並ぶ前に一人立たされた。

(な、なんなんだろう……)

 神官たちから向けられる視線が敵意でないことはわかるが、観察するような目つきに、顔が引きつりそうになる。

 戦々恐々としながら、月の石の前に立つ、コントゥシャ大神殿の最高位の方になんとか挨拶をすれば、その人、大神官長は『久しいな』と目を細めた。

『……』

(ヒサシイ……は、久しい?? え、会ったこと、ないよね? ……え、嘘、まさか子供の時? アーシャルだって、ばれた……?)

 顔を真っ青にしたリカルィデに、大神官長は『特に優秀であったと聞き及んでいる。機会を得られなかったことは無念だが、長きにわたり良く務めた』と不思議なねぎらいの言葉をかけた。

(ゆ、優秀? 機会? 務める? 長く? ……な、何の話?)

『新天地でもその力を生かし、多くを救うこととなるであろう――行く先にコントゥシャの加護の多からんことを』

(何その予言みたいなの? しかもなんか祈られた……!)

 頭の中はすっかり恐慌状態だ。だが、それを表に出すまいと、リカルィデは全力で宮部になり切る。

(冷静に、冷静に、無表情、無表情……)

 自らに言い聞かせつつ、最後に『光栄です』と言われた通りに頭を下げた。

 主神官の解散を促す声を機に、周囲の神官たちが退出していく。すれ違いざまにじろじろと見られて、額に汗が滲んでくる。

 大神官長とシハラ以外の人がいなくなっても、リカルィデの心臓は早いまま、元に戻らなかった。


 心の中で『もう限界! 無理!』と江間と宮部を呼んでいたら、近づいてきたシハラが『終わったわよ、って、いやねえ、取って食われたみたいな顔して』とふき出した。

 大神官長はそのシハラに『さては、事情を全く説明していないな?』と呆れた後、苦笑を零して……。

『……』

 ポンとリカルィデの頭に手を乗せた。

 相変わらず事情は分からない。けれど、自分とよく似た青色のひどく優しい目に、リカルィデはそこで初めて息を吐きだすことができた。


 それから月の石を前に祈祷を受けた後、第三の滝の見える続きの小部屋に招かれた。そこで大神官長自らリカルィデに色々なお菓子を勧めて来て、そこから一刻ほどただただ話をした。リカルィデの素性に関わるような話題もなく、郁や江間の正体を疑っている感じもなく、メゼルでの生活とかここまでの旅のこととか、本当に世間話だった。

 印象の通り、大神官長は穏やかな優しい人のようで常識人だった、シハラと違って。

(よかった、これで大神官長までシハラみたいな人だったら、『神殿、ヤバいかも』とか思っちゃうところだった)

とリカルィデはこっそり胸を撫で下ろす。だが、その大神官長もシハラを止め切ることはできないようで、『神殿、大丈夫……?』という心配までは拭い切れなかった。


『困った時は私の名を出すといい』

 色々不可解なことだらけだったが、最たるは部屋を辞そうとした時だ。その時には好々爺にしか見えなくなっていた大神官長が、そう言ってリカルィデの頭を再び撫でた。

 その言葉にも、日本人のサチコや江間、宮部はしょっちゅうするけれど、ディケセル人には珍しいその仕草にも驚いて、リカルィデは白く長い眉の下に見える、彼の青い瞳を見つめた。

『……』

 やはり優しい目だった。そして、なぜか謝罪と憐れみが混ざっているように見えた。



 次に連れてこられたのは、日本語でいう図書館にあたる蔵書殿だった。シハラは用事があるとかで、書物の管理と記録の作成を担う覚書官にリカルィデを託し、去ってしまっている。

 小さい頃から慣れ親しんできた古い書物の匂いと静けさに、リカルィデは息をつく。


『こちらが各地方の神殿が管理してきた記録の写しになります』

『随分と古くからあるんですね』

(というか、ものすごく貴重なものではないだろうか?)

 紐でつづられた上で革の装丁をされた記録書は、地方ごと、年代ごとにまとめられていた。

 それらを持って来てくれた女性の覚書官に、『あの、本当に私が見てもいいのでしょうか?』と恐る恐る訊ねたリカルィデに、彼女は『ええ、大神官より許可をいただいております。シャツェラン殿下のお口添えもあったと』と言いながら、微妙に首を傾げた。彼女もきっと『なんでこんな子供に』と思っているのだろう。

『あの……ええと、もし、ですが、もしお力添えできることがあれば、遠慮なく言ってくださいね』

 これは、『古語とか難解なものもあるけど、読める? 大丈夫?』という意味だ。

『ありがとうございます。わからないことがあると思うので、その時は助けてください』

(いい人だなあ、迷惑をかけないように、本、大事に扱います)

 そう誓いながら、リカルィデは以前江間に教えられたとおり、否定しないでにこりと笑いかけた。

『リーリナ、心配は不要だ。彼女があの“幼き橋者”だよ。本日任を解かれたそうだが』

『……え? えー!? そ、そうでしたか、私、大変な失礼を……。どうかお許しください』

 彼女の上役と思しき覚書官の苦笑に、女性は驚きを露にリカルィデを見、リカルィデも同じ顔を返した。

(『キョウジャ』? 『任』? あのって何??)


 蔵書殿の奥の一間を借り、リカルィデは資料を机の上に並べ、椅子に座った。

 色々謎なことだらけだったが、そういう時咄嗟に口を噤んでしまうのは、アーシャルだった時に染みついた習慣だな、と自嘲を零した。

 余計なことを口にすれば、後でどんな目に遭うかわからない。自分だけならまだしもサチコにまで害が行くのを避けたくて、あらかじめ言われたこと以外は誰に何を言われてもアーシャルはひたすら黙っていた。

 あの頃、ちゃんと話を聞いてくれたのは、サチコだけだった。

(今はミヤベにエマ、ヒュリェルと薫風堂のみんな、チシュアたちリィアーレ一家、コルトナ、ゼイギャクやシドアード、セゼンジュ食料司長に食料師たち、ボルバナ財務司長やそこの財務師たち、メゼルの蔵書師のスムザ、あのシャツェラン殿下ですら……)


『……』

 古い本の香りと、周りに誰もいない静寂――物心ついた時には日常だった感覚に浸っていると、ふと時がわからなくなった。

 ――ね、いつか自由に、なりたい自分になれると言ったでしょう?

 耳にサチコの声が響いた。瞬きして、窓の外を見れば、山肌を流れ落ちる第二の滝が遠く見えた。その上に広がる空は高く青く澄んでいる。

『……』

 リカルィデは小さく微笑みを浮かべると、手元の資料に視線を移した。


 メゼルで調べた限り『コレ』、日本語でいう米が出現したのは、ガルメナ朝の末期、百五十年くらい前。飢饉の最中に登場し、ホトセルナ地方など王都セル周辺の低地地域に広がった。だが、王朝の終わりに伴う混乱の中で、消えてしまう。戦乱で栽培地が直接打撃を受けただけでなく、栽培のための知識や技術が、うまく受け継がれなかったことも問題だったようだ。

『ガルメナ朝の末期の資料は、と……』

 リカルィデはこの時期の大神殿と、ホトセルナ地方の神殿史を手に取ると、稀人についての記述を探す。

 あった。ガルメナ朝百二十九年生中の期、大神殿の月の石が光ったことと応接使の派遣、そして「ヨスケ」が到来したと記録されている。

『月の石ってあれだよね』

 先ほど祈祷を受けた際に見たあの石だ。コントゥシャ神を宿すと言われ、信仰の対象となっている青と金色の巨大な月聖石で、当時から大神殿の最奥、聖山の間に祀られていたようだ。

 大神殿がどうやって稀人の到来を知っているのか? 世界が繋がる時を予見できるのであれば、その時に惑いの森に行くなどの条件を満たせば、向こうの世界に行けるのではないかと思っていたが、どうも稀人がこちらに着いてから、あの石が到来を告げるだけらしい。

(つまり帰るため、世界を繋ぐためにあの石が必須なわけじゃない……)

 今朝郁たちと話した向こうに帰るための条件を考えて、リカルィデはしばし考え込む。


 気を取り直して、ヨスケについての記録を辿っていく。農業を生業とする者であったこと、いくつかの農具を開発・改良したこと、こちらの民との結婚にあたっての祝いの記述……死亡については書かれていない。

『ひょっとして……』

(サチコについても何か記録が残ってるかも)

 思いつきに目を見開くと、リカルィデは最も新しい大神殿の記録を急いで引っ張り出す。

 大事にしなくては、と思うのに、ページをめくる指が逸る。

 だが、そこにあるのはサチコの前に来訪した「アメリカ人」の「バイコゥ」の記録までだった。やはり月の石が到来を知らせ、応接使が送られたとある。ミヤベのひいおじいさんが、彼を迎えに惑いの森に向かったと聞いたが、ここに名前がある、セデゥダ・リィアーレがその人だろう。

 バイコゥについては、ニホン語話者ではなく、細かい意思疎通が難しいことや、明るく、積極的な性格であること、「ガン」を持っていたこと、肉食を好むことなどと共に、到来後一年と八か月後に病を発症し、療養のため雨の少ないバルドゥーバの南部に渡ったこと、その三年程後に死亡したことがはっきり書かれている。

『……』

 自分以外にも、サチコを覚えてくれている人がいるのではないか、という期待が消えてしまって、リカルィデは肩を落とした。


『…………「学校」、「交番」』

 サチコが教えてくれた日本の仕組みを、日本語でつぶやいた。

 王都セルの城ではサチコはただ稀人として敬われ、時折儀式に引っ張り出されるだけ。常に監視され、自由に他の人と会うことも出かけることもなかった。

 彼女の痕跡が初めて見えたのは、メゼルディセルに行ってからだ。シャツェラン・ディケセルだけが、彼女が確かに生きてここにいたことを形にして残してくれた。

『――がどうした?』

『っ』

 今まさに考えていた人の声が聞こえて、リカルィデは文字通り飛び上がった。


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