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故地奇譚 ―嘘つきたちの異世界生存戦略―  作者: ユキノト
第21章 大伯母 ―コントゥシャ大神殿―
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21-13.“シャツェラン”(シャツェラン)

『まあ、ミヤベも来てくれたの』

 歓迎の声をあげたフュバルに、郁が心持ち目を丸くした気がする。すぐに『お約束の洗衛石、「せっけん」をお持ちいたしました』と横の江間を見上げた。

『……』

 ひどく親しげな様子に見えて、シャツェランは知らず眉を顰める。

『どうぞ』

 その郁の視線を受けて、江間は一瞬見惚れるような顔で彼女に微笑むと、抱えてきた箱をフュバルに手渡した。

 そして、フュバルへと箱の中身の説明を始めた郁にまた視線を戻す。

『香りの異なるものが六種類入っております。こちらはメゼルディセルで一番人気のある……』

(……またやっている)

 淡々と話す郁の傍らで、彼女に締まりのない顔を向ける江間――彼らの日常を見て、シャツェランはため息をつく。

 江間のせいで居たたまれないのだろう、フュバルはしきりに視線を二人の間を行ったり来たりさせ、落ち着かなげに身じろぎしているし、シドアードに至っては『何もしてないんだけど、なんだかなー、あの空気』とはっきり呟いた。


『どれかお気に召すものがあるとよいのですが』

『……ありがとう、本当に嬉しいです』

 そう言って話を締めくくった郁に、フュバルは洗衛石のひとつを取り出して見せた。

『あの、これの、香り、どこかで嗅いだ、気がします』

『隣国のバルドゥーバ産の花、ギビォナの香油ですね』

 かの国の女性たちが好む香りだ。香水や衣服に焚き染める香、化粧品、あらゆるものに使われている。

『バルドゥーバ……』

 そう呟くと、フュバルは眉間に皺を寄せ、どこか遠くを見るような目で黙りこくった。

 しばし沈黙が続く。


『エマとミヤベは、恋の、ええと、恋、人? ですか?』

『はい、婚約しました』

 目をみはった後、目の端を緩ませつつはっきり肯定した江間を、郁が驚いたように見あげた。いつも冷めた顔で聞き流している彼女には珍しいその反応に、二人の関係は佐野がいた当時からのものではない、とシャツェランは推量する。

(となると、二人で行動することを不審がられないための方便にしているだけで、本当に恋仲なのか、やはり怪しい……)

 すぐに表情を戻した郁の顔を白けた気分で見るともなしに眺めていて、シャツェランは軽い違和感を覚えた。

 郁の白い頬が淡く染まっていく。

『……』

 呼吸と共に、思考も止まった。


『そうでしたか……。お、おめでとうございます? で合っていますか……?』

『ありがとうございます』

 しゅんとしたフュバルに気付いているのかいないのか、江間は郁の頬を小さく笑ってつつく。続いて肩を引き寄せ、髪に口づけを落とした。

 郁は身体を固くし、視線から逃げるように顔を背ける。シャツェランから見える耳は赤く染まり、唇は引き結ばれていた。

『っ』

 その表情を見た瞬間、シャツェランの中にイラっとした感情が湧いてきた。なぜ無表情のままでいない、と。


『そうですよね……』

 沈んだ様子で視線を落としたフュバルは、『誰かがいた気がするんです』と呟いた。ローブの胸元の合わせ目を両手でぎゅっと抑える。

『誰か?』

『多分、とても大事な人。今、エマがミヤベを見ていたの、見て、誰かが同じ顔を、私にした、見て、見せてくれた、気がして……』

「……」

 江間と郁は驚いたように顔を見合わせた後、気遣うようにフュバルを見た。

 その瞬間、言葉が勝手にシャツェランの口をついて出た。

『――お前たちの国の言葉を話してみてはどうだ?』

「……」

 微かに目を眇めた江間と視線が合って、シャツェランは歪に笑う。

『フュバルの記憶に引っかかった洗衛石の香りを嗅いだのは鼻、お前たちの表情を見たのは目、ならば次は耳だろう?』

『……かの地の言葉については、殿下と神殿の方が既にお聞かせになったと伺っております。私たちが役に立つとは』

 江間の声に困惑と微妙な警戒が宿ったのがわかる。


 至極妥当だ。ここにはシドアードも神官も侍女も警備のグルドザもいる。江間と郁が彼らの言葉を話せば、フュバル、いや佐野の反応で二人も稀人だとばれる。

 そうすれば、彼らはすぐに権力闘争の道具になるだろう。ディケセルやバルドゥーバなど各国の王、神殿、野心ある貴族や商人たち、稀人を欲しがる人間はいくらでもいる。

 彼ら自身がそれを望んでいないという以上に、シャツェランにとっても面倒事を避けられる一方で、彼らが生み出す稀人の果実を享受できる今の状況は理想的だ。

 冗談として済まそうと、シャツェランは口を開く。

『何が記憶を取り戻すきっかけになるか、わからないだろう?』

 だが、出てきた言葉は、江間と郁をさらに追い詰めるものだった。


『……』

 横でシャツェランを見るシドアードの目が微妙に丸みを帯びた。不審がっていると思うのに、まして合理的でもないと理性が告げて来るのに、言葉を引っ込める気にならない。

『どうした、大したことでは、』

「シャツェラン、」

『っ』

 心臓が跳ね上がった。音源を咄嗟に見れば、黒茶の目とまっすぐ視線が絡んで時がわからなくなった。

≪シャツェラン、今日しつこい。いつもしつこい方だけど、今日は特に。疲れているんだろう? ちゃんと食べた? なら、もう今日は寝ろ。疲れているとろくなことを考えないんだから≫

 脳内に十年以上昔の記憶が蘇る。

『――殿下、申し訳ないのですが、以前アムルゼさまにも申し上げた通り、人の耳がある場で少数者である自分たちの言葉を話すのは、慎んでおります』

 シャツェランを真っ直ぐ見据えたまま、郁が静かに続けた。

『へえ、なんでまた?』

『あらぬ疑いをかけられることがあるので』

『ああ、なるほどなあ、結構苦労してるもんなんだな』

『実際ありました。街で二人で話していたら、見覚えのない男に『お前のプロポーズは受け取った』と押し倒されました、江間が』

『……それ、言う必要なくね?』

『今言わなくて、いつ言うんだ?』

 淡々と話す郁に江間が顔を引きつらせ、シドアードが大笑いする。

 その彼らを見て、落ち込んでいたはずのフュバルが声を漏らして笑った。


『……』

 さっきまでシャツェランを突き動かしていた、訳の分からない激情が、波が引くように消えていく。

『では、仕方ないな。お前がまた押し倒されでもしたら、ア、ミヤベに恨まれる』

 冗談でごまかしたのに、それに笑った江間が一瞬郁を見たこと、その視線に彼女が無表情のまま、また目元を少しだけ染めたことに気づいてしまう。

(エマだけじゃない、アヤもエマをそういう意味で気にかけている……)

 自分の言葉への彼らそれぞれの反応のせいで、そう確信してしまう。

 そして……、「シャツェラン」――あの声が脳内でまた響いた。


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