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故地奇譚 ―嘘つきたちの異世界生存戦略―  作者: ユキノト
第21章 大伯母 ―コントゥシャ大神殿―
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21-10.努力する

 帰還の祠を出ると、青空が広がっていた。日はもう朝日ではなくなろうとしている。

 行きは静まり返っていた神殿内も動き出していて、そこかしこで人の気配が感じられた。


 崖沿いの道をたどりながら、郁はシハラととりとめのない話をする。

『自分のせいで婚期が遅れてしまったと気にしていましたが。それにトゥアンナの件があって、あなたの結婚はなくなったとサハリーダさんも』

『誤解ね。そもそも嫌だったのよ。貴族じゃなかったら気の合う相手と結婚して、対等にやっていく道もあったのでしょうけど、生憎と相手は男限定で、必ず私の立場が下。私より賢い人間なんてそうそういないっていうのに、結婚なんかしたら、一生その馬鹿の面倒をみる羽目になって終わりじゃない』

「……」

 ここまではっきりとは言っていなかったが、きっと祖母の桜子と彼女は、とても気が合ったと思う。

『あの子、本気でダメね、その辺は。余計なお世話というより、完全な朴念仁だわ』

『ボクネンジン……』

『ボケッとしていて、特に色恋や意中の相手の心に疎い、鈍い、感情の機微がわからない、気が利かない』

『……容赦ないですね』

『そんなふうだから、トゥアンナみたいなのに引っかかるのよ。可愛いだけ、媚びるのが得意なだけの性悪、自己中、頭スッカスカの女に引っかかる男の頭ってどうなっているのかしら? それがまさか私の弟だなんて、未だに信じられない』

『えー、と、引っかかったとか、恋愛感情的なものではなかった、んじゃないかな、と……。その、なんていうか、ただ護衛として主を守らなきゃ、グルドザとして頼られたら、頑張らなきゃ的な……』

『好きでもない相手のためにそんな目に遭ったのであれば、なお馬鹿じゃない』

 焦がれた故郷で、愛し懐かしんだ姉に、異世界にいるはずの自分の孫が出会い、その姉が自身を『女を見る目のない馬鹿』と酷評することがあろうとは、祖父はきっと夢にも思わなかっただろう、と郁はコトゥドにしみじみと同情する。

(お婆さまが聞いていたら、悲し……まないか)

 きっと「はっきり仰るのねえ」とでも言いながら、コロコロと笑うだろう。


「宮部っ」

 遠くから名を呼ばれて、心臓が跳ねた。

「……」

 はるか向こうから長身が走ってくる。逆光で顔もよく見えないのに、江間だとわかってしまうことに、郁は眉尻を下げる。

『あら、お出ましね。中々懲りないわねえ』

 さて、今度はどうお迎えしようかしら、と微笑むシハラの顔は、控えめに言って悪魔を思わせる。彼女は郁の背後、木の影へと身を滑り込ませた。


「どこ行ってんだよ、探したぞ……」

 顔がはっきり見える位置まで来た江間の顔は上気していて、息も弾んでいる。

「その、昨日の件だけど、俺が悪かった。けど、佐野のこと、魔女が言ってたようなことは何もな――……泣いたのか?」

 歩み寄ってきながら、気まずそうに話しかけてきた江間は、郁の顔に焦点を当てた瞬間、ひどく怖い顔をした。

「何があった? 何された? あの魔女か?」

 頬を両手で包み込まれて、目の前になった江間の顔につい見入れば、『なんと言っているかわからないけど、悪口だってことは伝わるものねえ』と、シハラが郁の背後からひょいっと顔を出した。

「っ」

 息を飲んだ江間は、シハラから郁を隠すように、脇へと抱え込む。

『いやだわ、まるで“魔女”を見るみたいに』

「っ」

 日本語だったのに、正確すぎるぐらい正確に伝わっていることに、江間と郁はそろって顔を引きつらせた。


 目の前で人の悪い微笑を見せるシハラに、江間はすぐに持ち直した。

『宮部に何をした?』

 憎悪と呼んでいいような顔で睨む江間を意にも介さず、シハラは『いい顔ねえ。ぞくぞくするわ』と楽しそうに笑ってみせた。

『何を、と言われると、シャツェラン殿下の妃にならないかという話をしたの』

『……は? え、いや、ちょっと待っ』

『――ふざけるな』

 なにそれ?と目を白黒させる郁の横で、江間は聞いたことがないような低い声を出した。

『ふざけてないわ。だって、あなたたち、稀人でしょ? その上、洗衛石に鉄、何とかという水、好水布、ラゴ酒の精製に温度測定棒、土蟲の防除、農具の改良もだったかしら? なにせ資格はあるわ。神殿も後押しす』

『知った話じゃない。絶対に渡さない。王弟だけじゃない、誰にも――』

「っ」

 低い声と共に強く抱きしめられて、言葉の意味を理解した瞬間、顔に血が上るのがわかった。

 目だけで恐る恐る江間を見上げれば、今にも殺しそうな目でシハラを見ている。昨日自分に向けられた不機嫌など、大したものじゃなかったと思い知らされる。

『……』

 シハラはその顔を半眼で眺めた挙句、鼻で笑った。

『なら大事にしなさい』

「っ」

『そこで“している”と即答できないうちはまだまだ』

 ぐっと声を詰まらせ、悔しそうな顔をした江間は、次に腕の中の郁に目を向けた。

『……努力、する。し続ける。誓う』

 少し困ったような、でも真剣な顔を、郁は呆然と見つめた。

 なぜこうも彼はお人好しなのだろう。向こうでもこっちでも十分すぎるほど思いやってもらった。努力が足りていないのは、逃げてばかりだったのはいつだって郁の方だ。

『まあ、悪くはないわ、ギリギリ合格? ねえ、アヤ』

『試験、じゃないな、審査? とにかく、される謂れはない。というか、アヤと呼ぶな』

『あらあ、可愛くない。そんなこと言っていいの? アヤを妃にする話、本当のことにするわよ?』

『……ってことは、嘘なのかよ!』

 江間の反応に大笑いしたシハラは、涙をぬぐいながら、『アヤの“目”は、サクラコに似たのね』と郁を見た。

「……」

(ああ、ずっと認めないようにしてきたのに、なんてやりにくい……)

 顔をしかめた郁に、シハラは挑戦的な笑いを零した。

『足搔きなさい、自分がすべきと思うことを成し遂げるために』

 そのために“会わせて”あげたのだから――



「……強烈すぎるだろ」

 軽快な足取りで去っていくシハラを見送ると、郁を抱きしめたまま、江間はがくりと肩を落とした。その拍子に江間の少しだけ癖のある髪が、額をくすぐった。

「じゃなくて! ……本当に大丈夫か?」

 江間は形のいい眉を下げられるだけ下げ、ひどく心配そうに郁の顔を覗き込み、右手の人差し指で目元を撫でる。

 彼の目には、いつも彼の内心が映る。素直に感情を出せるその瞳は、いつも本当に美しくて、ずっと羨ましかった。まっすぐ自分を見てくるこの瞳が、ずっと怖かった。だからいつも目を逸らしてきた。

「……」

 また目頭が熱くなってきて、雫が零れた。さっき泣いたせいか、涙腺が緩んでいる。

「っ、やっぱなんかあったんだな? シハラじゃない? となると俺? ええと、昨日の態度なら、ごめん、本気で反省してる。あとは……あーもー、わかんねえ、今度は何した? 悪かった、何でもするから……」

 江間が今まで見たことがないくらい動揺して、郁は笑いを零した。笑っているはずなのに、なぜか涙がぼろぼろと溢れてくる。

 祖父の骨壺が消えた霧の夜、郁の中で生きていくために必要な何かが切れてしまった。わざわざ訪ねてきて、切れたそれを繋ごうとしてくれたのも彼だった。

「だい、じょうぶ」

「……泣いてる」

 一緒に泣き出すのではないかという顔で、江間は雫をぬぐおうと指を忙しなく動かす。不意にその動きが止まり、顔が近づいてくる。柔らかい感触が目元に、瞼に、頬にあたり、雫を吸っていく。

「……」

 驚きで郁の涙が止まったのを確認すると、江間はほっとしたように微笑んだ。そして、郁の後頭部を抱え込んで、自分の胸に押し付けた。

「……」

 こちらの世界に来てから馴染むようになった香りが色濃くなる。収まった涙がまた出てきてしまって、それを感じたのだろう、江間は諦めたように深々と息を吐き出した。

「……わかった、俺がいる所でなら、いくらでも泣いてくれ」

 江間の腕が緩やかに頭を撫でていく。


 自分のことをただただ心配してくれる人がいるというのは、なんて幸せなことだろう。

 祖父が死んで無くなったと思ったものは、実は傍らにあった。そして、新しく生まれてもくる。

 帰る方法を一つ見つけた――ずっと疑ってきた方法だ。でも、今その方法を選べば、そしてそれがうまく行かなければ、きっとこの江間、それからリカルィデを悲しませることになる。

 だから、“足搔こう”。大事な彼らが悲しまないように、彼らと一緒にいる未来を確実に掴めるように。

 でも、もし――もしも、その努力が届かなかったら……?


「……江間」

「どうした?」

 呼びかけは掠れていた。なのに、彼はちゃんと気づいてくれる。そんな人だからこそ、“その時”を考えると、この想いを伝えてはいけないのではないかと思う。

 代わりに――

「約束、追加していい?」

 江間の胸に押し付けていた顔をあげ、郁はまっすぐ江間を見る。

「約束?」

「“言わないこと、嘘をつくことはこの先もある。でも、受けた恩は必ず返す”。それから、」

 江間の黒い瞳が丸くなった後、真面目な色を宿した。

「それから――大事にする、努力し続ける」

 代わりに、これが今言える精いっぱいだ。

「……」

 息を止めて硬直した江間は、見る間に顔を真っ赤に染めていく。それから、泣きそうな表情で破顔すると、郁をまた力いっぱい抱きしめた。


 日差しで温められて上空に向かう気流と、背後の山から吹き下ろしてきた冬風がぶつかって渦を巻く。散り損ねた葉が巻き込まれて、乾いた音を立てている。


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