表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
故地奇譚 ―嘘つきたちの異世界生存戦略―  作者: ユキノト
第21章 大伯母 ―コントゥシャ大神殿―
139/255

21-9.帰還者の祠

 話題は祖父母からその娘である母に移った。

 彼女がトゥアンナの息子と縁付いたことは話せたが、母個人のことを郁はよく知らないし、祖父母とも疎遠になっていたから、あまり話せることがない。

『見た目は私と似ていると言われたこともありますが、自分ではよくわかりません。その、私は望まれての子ではなくて、彼女たちと一緒に暮らしたこともないので……』

 トゥアンナが“使用人”の娘と自分の息子の結婚を認めなかったがゆえに、郁の母は未婚のまま郁を産んで、祖父母に預けた。その四年後、母は妹を産み、その子がトゥアンナに似ていたがゆえに結婚を許されたそうだ。ただし外聞が悪いからと郁の存在をそのままなかったことにしようとしたせいで、祖父母は激怒した、と。

 祖父母と母が疎遠になったのは、郁のそうした扱いを巡ってのことでもあって、歯切れが悪くなる。

 シハラは抜かりなくその辺を察したらしい。

『なるほど、その子はきっと人を見る目がコトゥドに似たのね。残念ねえ』

「……」

 バッサリ切られて、さすがに二の句が継げなかった。

『あたっているでしょ? “それはない”って相手に引っかかって、しかも中々切れず、ずるずると人生を誤っていく――父娘でそっくりじゃない? コトゥドをトゥアンナから引き剥がしてくれたサクラコは、コトゥドにとって救いの神ね』

 しれっと追い打ちをかけたシハラに、唖然していた郁も、ついには吹き出した。そのまま笑い出す。

 ずっと引っかかっていた。母は知らせを受けても、自分の両親である桜子とコトゥドの臨終にすら来なかった。葬式に来ても涙ひとつ零さず、ひたすらトゥアンナやその夫、父と妹にだけ気を使って動き回っていた。自分さえ生まれなければ、もしくは生まれたのが自分でなければ、祖父母は娘である母とあんな関係にならなかったのではないか、と。

 事実そうだと思っていることには、変わりがない。悲しいとも祖父母に申し訳ないとも変わらずに思っている。でも、どうしようもない――。

 笑い声と一緒に、心につかえていた重いものが、体の外に出て行く気がした。


 彼女、シハラ・リィアーレは、本当に妙な人だ。

 八十になろうという風には、まったく感じられない。毎日何百段と階段を上り下りする生活をしているせいかもしれないが、頑健な足腰は少しも揺るがず、背筋は常に凛と伸びている。

 郁はもちろん、江間からもやすやすと言葉を奪っていたとおり、頭の回転は言わずもがなだ。

 郁に向けられる瞳は、祖父のものより緑が濃い。そこには祖父と同じ、意志と理性の強さ、そして、からかいや皮肉に混ざって、優しさが見え隠れする。


 二人は滝から離れる方向へと、崖沿いの小道を歩いていく。次第に周囲から建物が減っていき、道が細っていく。

 やがて敷地の西端の崖に突き当たった。

 背後からの朝日に照らされて金に輝くその場所には扉があり、両脇には鉄製の篝火が置かれていた。グルドザが一人、籠の中に手を伸ばし、夜間に焚いていた炭火を始末している。

『ご苦労様』

 シハラを認めるなり、グルドザは顔に緊張を張り付け、最敬礼をよこした。彼に彫刻仕様の微笑を返し、シハラは扉の向こう、崖の中に掘られた階段を上がっていく。

 幅一メートルほどの石段の右側の壁には、一定の感覚で小さな穴が掘られていて、獣から取れる油に芯を差したロウソクの様なものが置かれていた。独特の臭いが鼻を突く。


「っ」

 三十段ぐらい登っただろうか? 突きあたりの扉を開くと、光が洪水のように視界に流れ込んできた。思わず眩さに目を細める。

 目が慣れて周囲を見渡せば、左手は西方向から北東に至るまで、円を描く形で石柱と嵌め殺しの硝子窓が並んでいる。右手には岩肌を削った階段状の祭壇があり、ロロの毛で織られた赤い敷布の上に、様々なものが置かれていた。一見して丁寧に扱われていることは分かるが、どれもこれもこの美しい空間に不釣り合いに古びている。

「……」

 その一つ一つに順に目を向けていた郁は、あることに気付いて、固まった。

 擦り切れた着物と帯、壊れた下駄、かんざし、少し欠けた櫛、刀、草履……すべて日本のものに見える。奥の方、上段にある物ほど古く、手前になるほど新しい。

 心臓が早くなる。まさかと思う一方で、確信に近い気持ちもあって、郁は音を立ててつばを飲み込んだ。ぎゅっと目を瞑り、深呼吸をすると、恐る恐る棚の最下段へと目を凝らす。

 左隣がまだない、一番新しいと思しきそれは、高さ十五センチほどの、はしばみと銀の錦織の袋。そして、そのすぐ脇に使い込まれたスオッキが添えられていた。

郁は強く眉根を寄せる。唇が戦慄いた。

『ここにあった、んですね』

『ええ』

 霧の夜、忽然と消えてしまった祖父の形見の短剣と、それが添えてあった袋――骨壺だ。


「……」

 郁はそれらを見つめたまま、静かに祭壇に近づく。そして、その袋に触れ、慈しむように数度撫でた。生きていた時、彼がそうしてくれたように。

『よかった……』

 ずっと帰りたがっていたと思うから。祖母が死んでからは、特にそうだった。生きている間に帰してあげることは、できなかったけれど、それでも――。

 祖母の桜子が死んだ時、彼の魂の半分――祖母を愛し、共に生きた彼は、彼女と一緒に逝ってしまったとしか郁には思えない。

 ディケセルの、何でもない日常の話や思い出話を、色々聞かされるようになったのはそれからだった。気付いていたのだ、残された彼の半分は、どうしようもないほどに故郷を焦がれている、と。

 喜びたいと思うのに、鼻の奥がツンとして来て、郁は鼻をすする。確かに帰れたのだと目に焼き付けておこうと思うのに、視界がぼやけてきた。

『あの子、結構長生きしたのねえ。侍女の子の方は、早々に戻ってきたというから、コトゥドもすぐかと思ったのに』

『侍女……リョーナさんは一年ほど後に耐えかねて自分で、と聞きました』

 郁は祖父の骨壺の横にある、白っぽい衣、死装束に目を向けた。

 祖父母は折に触れて、とても悲しそうに彼女について話をしていた。毎日のように彼女を訪ね、ディケセル語で話しかける祖母に笑顔を零すようになって、ちょっと安堵した時だった、救えなかった、とひどく自分たちを責めていた。

 リョーナという名だったこと、王都セルの大きな商家の子だということ、赤みの強い茶髪に水色の目、笑うと左頬にえくぼができる子だったこと、敏感でとても気が利く子だったこと、それゆえ変化に耐えられないようだったということ……。

 トゥアンナの性格からすれば、彼女を我がままやストレスのはけ口にしていたはずだ。その夫であり、祖母の桜子の弟である男にしても、目障りなコトゥドはトゥアンナから引き離したのというのに、侍女の彼女は“便利”だったから、手放させようとはしなかったのだろう。

「誘拐でも脅迫でもなんでもして、トゥアンナから引き離すべきだったのに……」――祖母が弟夫婦について一度だけ零した非難の言葉は、彼女に関するものだった。

 なのに、二人が彼女のお墓参りに行く気配がないことを、不思議に思った覚えがある。

 郁は彼女の着物にそっと触れると、祖父母が何度も口にしていた謝罪の言葉を伝えた。


『……始まりの神コントゥシャも稀人だった。ディケセル王国の初代王は彼ではなく、その子――合っていますか?』

 それから、郁はシハラに真正面から向き合った。

『いくつかの神話にそう記述されているし、事実、この神殿も世界を繋ぐあの森を見える位置にあって、毎朝祈りを捧げているわ』

 答えてくれないかもしれないと思ったのに、シハラは『別に秘密でも何でもないことよ』とあっさり頷いた。

「……」

 コントゥシャが稀人であること。トゥアンナなどディケセル王族にあちらの世界に繋がる力があること、それが消えつつあること。リョーナの墓がないこと、祖父の骨壺が消えたこと、サチコにも墓がないこと。守り袋の中身。シャツェランが霧をひどく嫌がること。もう意識の怪しかった祖父が、朦朧とした目つきで郁に手を伸ばしてきたこと。自分がここに来たこと。

 全部繋がった――“稀人”には潜在的に元の世界に戻る力がある。


『私に見せてよかったんですか?』

 思考をいったん脇に追いやり、郁は重ねて訊ねた。

 シハラは郁の素性を知っている。であれば、今見せている物も先ほどの情報も、帰る方法に繋がると、この人が気づいていないはずがない。

 シハラは郁の質問に、困ったような笑いを見せた。少女のような印象が漂う。きっと祖父の記憶にある彼女は、何度もこんな顔をしていたのだろう。

『私……あの子が可愛かったの。末っ子で十近く年下で、よちよち歩きで『ねーさまねーさま』と言いながら、追いかけてくるの。泣いていても、私が抱っこすると笑うの。私よりはるかに背が高くなっても、目が合うとちょっとだけ笑うのよ、小さい頃の笑い方のままで』

 シハラは郁のすぐ横にやって来た。そして、何かを懐かしむような顔で、コトゥドの骨壺の入った袋を撫でた。その仕草が自分、いや、祖父と同じことに気付く。

『ずっと心配していたの。でもあの子、幸せだったのね』

『幸せ……』

『だって、あなた、いい子じゃない。ひねくれているけど』

 そう笑ったシハラの顔を見た瞬間、なんとか堪えてきた涙がぼろぼろとこぼれ出した。

『……ち、が、ちが、う……ちがう、んです……、たぶ、ずっと、知って、たのに、帰り、たいって、知っ、たのに、知らな、い、ふり、し』

 帰る方法はあった、祖父はずっとそれを知っていた。そうでなければ、守り袋の中身の説明がつかない。

『亡く、な、前、首、わた、の首、に、手を……』

 いつもと違う空気に、郁は怖くなって咄嗟に身を引いた。

 あのまま大人しく首を絞められていれば、彼は最後に故郷をその目で見ることができた、感じられたかもしれないのに、郁を必要とする人は彼で最後だったのに――。

『どっちを信じる? あなたとずっと過ごしてきたコトゥドと、死ぬ寸前のコトゥド』

『……』

 顔をぐしゃぐしゃにして子供のように泣く郁に、シハラは静かに訊ねる。

『人の心はすべて善になることも、すべて悪になることもない。あなたやサクラコを愛おしむ気持ちと、あなたが言うようにあなたを犠牲にしてでも帰りたいという気持ち、両方あったとしてもまったくおかしくない。あなたがわからない、まったく別の考えがあったかもしれない』

『……』

 郁は胸元の守り袋に手をやる。二十一年間郁を育ててくれた祖父と、死の床にあった祖父――。

郁はしゃっくりを上げながら、シハラの柔らかく弧を描く目を見つめた。

(ああ、同じ目だ……)

『あなたに光という名を与えたのは、彼なのでしょう? ――信じてあげて』

 そう言って笑うシハラに釣られ、郁は泣き笑いを返した。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ