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故地奇譚 ―嘘つきたちの異世界生存戦略―  作者: ユキノト
第21章 大伯母 ―コントゥシャ大神殿―
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21-7.索“敵”(江間)

 江間が大神官の棟を出ると、西の空は橙と金に明るく染まっていた。足元には長い影が伸び、すっかり夕刻の雰囲気になっている。

 背後にそびえる聖ディ山の山肌は暮れゆく日に照らされて、まるで燃えているかのようだ。

「っ」

 苛立ちに耐えかねて、横にあった木の幹を殴りつければ、警備のグルドザたちがぎょっとした顔で江間を見た。冬風にも耐え、散り損ねていた葉が、葉裏の銀を西日に煌めかせながらはらはらと舞い落ちる。


 シハラが宮部を抱きしめた瞬間、二人の月聖石が共振して光った。宮部がコトゥドの身内だと、元々知っていたのだろう。

(神官だから知っていた……? いや、オルゲィあたりから聞いた? その上で俺や王弟から引き離して自分の棟に連れ込んで――それで? リカルィデを敢えて宮部と一緒にした理由は?)

 シャツェランと大神官は宮部が稀人であることを前提に、佐野と引き合わせた。シハラもそれを知っているだろう。宮部の血と地、両方の生まれを暴いてみせた彼女は、今後何をどう仕掛けてくるつもりなのか。

 ミヤベの祖父、コトゥドの姉であるはずのシハラは、宮部から聞いていた話とは全く違っていた。

 シハラは常に笑っていて、表情がひどく読みづらい。その上、こちらの持っている手を先読みしてすべてつぶし、さらには言葉の端々に罠を仕掛けている。気づけばまんまとはまって、この有り様だ。

「……っ」

 江間はぎりっと歯ぎしりすると、重い足を引きずるようにして一段上の台地に向けて歩き出した。


 シハラについても佐野についても、まだ宮部と何も話せていない。佐野と関係を深めるよう宮部に勧められてイラついて、とりあえず部屋に行こうと思ったのだが、こんなことになるなら、あのまま話を続けておくべきだった。

(このまま引き離されたら……?)

 思い浮かんできた考えに、江間は血の気を失う。そしてすぐにかぶりを振った。そんなことにはならない、させない。稀人であること、持っている知識や福地たちに関する情報、シャツェランに佐野、こっちにもカードならある。

(俺と離れることを大人しく承諾した宮部にだって、考えはあるはず……)

『誤解される行動をとったのは誰』

(……誤解、しているのだろうか?)

 シハラの声と、その直後の宮部の様子を思い返して、江間は顔を歪めた。


 佐野に関し、宮部に対してやましく思わなくてはいけないことをした覚えはない。だが、シハラのあの言葉を聞いた宮部は、おそらくそうは思わないだろう。シハラの言葉を聞く前から佐野は江間を気に入っているはずだと、嫌な予見をしていたくらいなのだから。その証拠に、別れ際も宮部は自分を見なかった。

 研究室に入ってきてからしばらく露骨につきまとわれていたから、佐野に好かれていたことは知っている。周りが勝手に「付き合うんじゃないか」と噂していたことや、佐野が寄ってくるたびに宮部がさりげなく遠ざかっていくことで、最悪に迷惑だとしか思っていなかったが、宮部がもしあの噂を信じていたら……?

「やばいかも……」

 江間は足を止め、口元を抑える。


「つーか、何が神官だよ、わざわざ引っ掻き回すとか、むしろ悪魔寄りじゃねえか」

 正面からやってきた神官に怪訝な目を向けられてまた足を動かすと、滝横の階段を登り始めた。

 江間に寄ってくる誰かに不快な思いをさせられても、宮部は言わない。表情にも出さないし、それどころかこっちの事情をできるだけ汲もうとする。

 あっちの世界で、江間の彼女を名乗る人間にあれこれ言われていたなんて、この世界に来るまでまったく知らなかった。この前の昼食時の件だってそうだ、宮部は困ったような顔をして、「江間のせいじゃない」としか言わなかった。

「……」

 そもそも不快な思いをしていないという可能性に気付いて、さらに凹む。

(俺のことどうでもいいと思ってなきゃ、佐野に会いに行ってやれなんてわざわざ言わないよなあ……いや、宮部の性格なら言うかも……)

「あーもー、ぜんっぜんわかんねえ…」

 リカルィデは、宮部は江間を好いていると言う。自分でもそう思う。でも、彼女が何を考えているか、今なおわからない。

「なんであんなめんどくせえんだよ、本気でイライラする」

 だが――もし傷つけていたら? 思い返せば、最初から少し様子がおかしかった。

「……」

 重い足がついに動かなくなって、江間は滝横の階段の中途で止まった。

 大丈夫だろうか、と宮部がいる下の台地を振り返る。西に傾きを増した夕日は、南にせり出した山にさえぎられて、その地に届いていない。

 暗い山影を見るうちに、強い後悔と焦りが湧き上がってきた。


(リカルィデ……)

 自分たちの最大の理解者となりつつある少女を思い浮かべて、江間はなんとか息を吐き出す。不幸中の幸いというべきか、宮部は一人じゃない。

 緊張してはいたが、別れ際、リカルィデは江間の目配せに頷きを返してきた。彼女はひどく聡いし、宮部を大事に思っているという意味で、この上なく信頼できる。それは宮部の方も同じで、リカルィデがいれば、彼女のために滅多なことはしないだろう。

「……やっぱ食えないな、あの婆さん」

 シハラがリカルィデを敢えて連れてきた意味が分かった気がして、江間は眉を顰めた。



『おかえり、エマ……ってことは、ミヤベはやっぱりシハラさまのところか』

『……強烈だった。殿下も一蹴したってさ』

『あー、目に浮かぶ』

 王族など貴賓用の宿泊棟、従者用の部屋に戻れば、同室となったアムルゼが苦笑を零した。室内は既に暗くなっていて、火を灯そうとしているのだろう、彼は複数のランプを手にしていた。

『アムルゼの、なんて言うんだっけ? お祖父さんのお姉さんなんだろ?』

『大伯母だね。うちの父がリィアーレ一族の長となっているけれど、シハラ様にかかれば、赤子扱いだ。僕も父も多分また怒られるよ。それがあなたがすべきと判断したことなのかって』

 ため息をつきながら『あのやり方はそう言われても仕方がない……』と微妙に落ち込みながら、彼は懐から石英石と鉄片を取り出した。カチカチと音を立てて火花を散らし、火口ほくちに火を移すと、息を吹きかけて炎を大きくし、獣脂に挿したランプの芯に明かりをともす。

(つまりシハラだけじゃなく、オルゲィとアムルゼも宮部がコトゥドの縁者だと気付いているってわけだ)

 ――では、同時に、稀人でもあるという点についてはどうだ?

 向こうの世界での火打石と火打金とまったく同じ仕組みで火を扱う彼の様子を、さりげなく、だが注意深く観察する。

『けど、ミヤベはシハラさまに、随分気に入られたみたいだね』

 アムルゼがランプの一つを運びながら、ほっとしたような笑顔を見せた。少なくとも彼には宮部への善意があるらしいと判断して、江間は密やかに息を吐き出すと、外套を脱ぎ始める。

『そうだな』

 内心で「気に入った? あのやり方で? だとしたら、人としてどうなんだって話だ」と思いつつ返事したところで、江間は外套のボタンを外す手を止めた。

 シハラに対する苛つきに覚えがあると思ったら、宮部だ。

 先手を打ってこちらの手を潰し、言葉の中に見えない罠をしかけてくる。無表情か笑顔かの違いがあるだけで、どっちの内心も読めない。あの二人はそっくりだ。

「……」

 本気で趣味が悪いかもしれない、と深々とため息をついて外套を脱ぐと、傍らの椅子に放り投げる。そして、巻頭衣の襟を乱暴に緩めた。


『そういえば、フュバルさまの使いが来たよ、今はいないと言ったら帰って行ったけど』

『これからもできるだけそれでよろしく』

『ひょっとして……苦手? 素直でとてもかわいい方だったけど……』

『素直なのも善し悪しだろうが』

『あー、子供は残酷とかそういう……』

 嫌気を隠さずに本音を吐き、江間はベッドに身を投げ出した。


 素直で自分を率直に表現する佐野は、無邪気でひどく愛らしい。見た目も手伝って、一見するとそういうことになる。

 けれど、佐野は任せられるなら、疲れることや汚いことは素直にすべて人に任せてしまう。面倒事も逃げられるなら逃げる。

 そういうところは宮部と対照的で、本人は気にしていないようだったが、あっちの世界でもこっちに来てからも、宮部は佐野にうまく利用されていた。

 それが嫌で、事前に江間が手を貸す時もあったが、そうなったらそうなったで素直に調子に乗る。「お前のためじゃねーよ」と何度言いたくなったか。

 その上、心から礼を言いさえすれば、すべてチャラになると悪気なく思っている節がある。

 事実、受けた恩を返すわけでなく、自分のその時の感情に素直に従って、宮部を森に置き去りにした挙句、それでも助けようとした彼女を見捨てて逃げた。

 処刑されかかったというのも、記憶をなくしていることも同情できるが、半分は自業自得だ。

 そんな佐野がディケセルに来た――記憶が戻っても戻らなくても厄介、面倒なことになった、と、江間は深々と倦怠の息を吐き出した。


『そうだ、殿下がミヤベを連れ戻せたら知らせるように、と』

『……なんで』

『シハラさまが何か仰ったんじゃないかな。お顔の色がちょっと』

『なるほど。……まあ、連れ戻せてないから、いいや』

『いいやって、また……』

「……」

 あいつの顔、今見たくないんだよ、とは流石に言えなくて、江間はアムルゼの視線から逃げるように寝返りを打ち、背を向けた。


 駆け引きの道具――シハラの表現は実に的確だ。

 佐野の記憶喪失が本当の場合、宮部であれば自分の正体を隠しつつ、疑われていると佐野本人に悟らせることもなく、それを確かめることができるだろう。

 逆に佐野の記憶喪失が嘘だった場合、佐野が宮部を稀人だと指摘しにかかっても、宮部なら顔色一つ変えずに、他人のふりをし切る。

 江間には、どっちの場合もうまくやり切る自信がない。

 その辺をシャツェランも理解しているのだろう。だから宮部が最初で、記憶喪失が本当そうなら次に江間という二段構えで、佐野の反応を伺った。

 仮に宮部なり江間なりが失敗した時は、宮部と江間を稀人であると断定できるから、それはそれで駆け引きの材料として、利用する気だったのだろう。

 うまいやり方だとは思うが、使われた方としては、不愉快極まりない。

 しかも宮部にとって佐野は自分を殺しかけた相手の一人だ。菊田や佐野に深い考えがあったとは思わないが、些細な悪意で自分を死の淵に追い込んだ相手に、予告なく会わされた気分は、どんなものだっただろう……?

 シャツェランの無神経さに腹が立つ一方で、自分もその辺をもうちょっと気遣うべきだったかもしれない、と江間は眉を下げる。


 彼女は今どうしているだろう? シハラとやりあって泣いている……ことはない。泣くぐらいなら、解決する方法を必死で考えて、最後まで足搔くだろう。足搔き切れなかったら、耐えることを選ぶか、さもなくば、きっと潔く諦めてしまう。

「……あいつ、泣かねえんだよなあ」

と、江間は口の中で小さくぼやいた。

 親しくしていた人が去ろうが、どれだけ嫌がらせを受けようが、濡れ衣を着せられようが、化け物に襲われようが、異界の森で一人になろうが、誰にどう利用されようが、彼女は一度も涙を見せなかった。

 だからって、傷ついていないわけじゃない――。

「……」

 いつだったかリカルィデが言っていた、「エマも鈍い」という言葉を思い出して、自己嫌悪に沈んだ。

 自分のことでは絶対に泣かないのに、江間が意識を失って目を覚ました時には、嗚咽を漏らすまで泣いてくれたのを思い出し、余計凹む。


 江間は左腕の腕輪を見つめ、そこに光る石を右の人差し指で撫でた。これの片割れの石は今も宮部の腕にある――。

『エマも機嫌が悪い?』

 もう一度寝返りをうてば、横のベッドに腰かけ、ばつの悪そうな顔をしているアムルゼと目が合った。こういうところが宮部のはとこだと思う。変なところで人がいい。

『……ちょっと疲れた。寝る』

『わかった。夕飯は持ってくるよ。あと、殿下にもそう申し上げておく』

『よろしく』

 苦笑した江間に照れたような笑みを返し、アムルゼが出て行った。

 戸の閉まる音を聞いて江間は身を起こすと、部屋に備え付けられた窓から、外を見遣った。

 夜の青みが広がりつつある空に、オレンジとピンクに染まった雲が棚引いている。その下に真っ黒に広がるのは、今朝通ってきた神森だ。

 ここから宮部のいる建物は見えない。

「……」

 江間はきつく眉を寄せた。

 顔を見たい、声が聞きたい、触れたい――ほんの十か月ほど前まで珍しいことじゃなかったのに、今となってはそれができない夜に耐えられそうにない。


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