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故地奇譚 ―嘘つきたちの異世界生存戦略―  作者: ユキノト
第21章 大伯母 ―コントゥシャ大神殿―
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21-5.疲弊と卑下

『シハラ大神官付の主神官補ケデゥナと申します。ミヤベさま、お部屋にご案内いたします』

 どこからともなく女性神官が現れ、案内を申し出た。親しみの持てる柔らかい笑顔に、郁は知らず息を吐き出す。

『ケデゥナ? 橋者に選ばれたと聞いていたけれど……』

『アムルゼさま、ご無沙汰しております。橋者の身分は拝領したままですが、サチコさまが身罷られて、橋者としてのお役目が今は少なく……。でも、シハラさまにお仕え出来て、本当に幸せです。父母もくれぐれもご恩を返してほしいと』

『ソグナィの体調はどう?』

『お気遣いいただきまして……。少しずつですが、復調してまいりました。メゼルへのお誘いも本当に喜んでおりました。あの、ご当主さまもアムルゼさまも、メゼルでご活躍だと伺いまして、両親も、その、私も本当に喜んでいます』

  『キョウジャ』という言葉を心に留めつつ、なるほど彼女もリィアーレ一族の人なのか、と郁は女性の横顔を密かに観察する。緩い癖のある濃い茶色の髪が、何となく祖父を思わせた。


 その彼女に案内されるまま、途中アムルゼと別れ、郁は滝横の階段を降りた。

 冷たい水気を含んだ吹き下ろしに身をすくめながら、サノと出会った台地の一つ下に降りる。迷路のようにも思える建物群の合間を縫って、『大神官シハラ・リィアーレの居住棟』に辿り着いた。

『では、何かありましたら、外の者にお知らせください』

『ありがとう』

(外の者、つまりここでも監視付きということか……)

 うんざりとした気分で入った部屋だったが、窓の外の眺めは素晴らしいものだった。眼下には緑と赤の森が広がり、遥か彼方の街や山などが一望できる。

 郁はその光景を一瞥すると、旅装のまま調えられた寝台にぼすっと身を投げた。右前腕を両目にあてる。


「疲れた……」

 こっちの世界に来てから、こんなことばかりだ。惑いの森でバルドゥーバ人相手にディケセル語を話した時に始まり、オルゲィが祖父の甥だとわかった時、シャツェランにいきなり名を呼ばれた時……。

 今日は今日で死んだと思っていた佐野が、突然目の前に現れた。

 で、とどめは訳の分からないシハラだ。

 予想にないことばかりが起きて、その度に全身の神経を総動員して、その場をしのぐ。終わるたびに五歳ぐらいは余裕で寿命が縮んでいる気がする。

「平均余命引く二十五……それでもあと三十年はある。となると、あと五、六回は同じことがあっても余裕だな」 

 自棄気味にうそぶくと、郁は息を吐き出した。

(江間とリカルィデはどうしているだろう。今回のターゲットは私だったはずだから、滅多なことは起きていないと思うけど……)

 心配が湧き上がってきて、郁は寝台から身を起こす。彼らは今どこだろう?

 去り際、シハラはわざわざ郁の滞在場所を指定した。つまり本来の場所、江間たちの滞在場所は違うはずだ。

「まだ何かあるってことか……」

 ため息をつくと、郁は祖父母が用意してくれた胸元の守り袋を引っ張り出した。中にあった地図は既に燃やしてしまっていて、残っているのは金の粒が五つ、月聖石のペンダント、キーホルダーだけだ。


「真面目で芯が強くて、美しく優しい人ねえ」

 祖父のシハラ評を思い起こして、郁はごちる。

 美しいのは確かだ。彼女はもう八十近いはずだが、そんなふうには全く見えないし、若い頃を想像せずにはいられない美貌を今なお保っている。

 強いのも確かだ。王弟の従者である郁の滞在先を勝手に決めたことと言い、シハラには相当の権力があり、本人にもその自覚があると見ていい。

(けど、真面目? 優しい? ……癖が強すぎる人に使う言葉だっけ?)

「……なるほど」

 なんとなくではあるが、祖父がトゥアンナ王女に騙されるように、あっちの世界に連れていかれた理由が分かった気がして、郁は長々と息を吐き出した。祖母の桜子が彼に惚れて、本人曰くの「押しかけ女房」になってくれたのが、彼の人生最大の幸運だったような気がしてくる。

「あの人から、あっちの世界に帰るための方法を聞き出す……」

≪気に入ったわ――大嘘つきちゃん≫

 人の悪い笑顔で、語尾にハートでもついていそうな軽さで、人を嘘つき呼ばわりしたシハラから?

「……」

 佐野との会話だけを拾えば、郁は何一つ嘘をついていない。ただ、その点も含めて騙す意図は大有り、嘘つきも嘘つきだ。それを正しく見抜いた大伯母を思い浮かべて、郁はくつりと笑う。

 予想と違って、感動的でも感傷的でもない出会いは、自分にふさわしい気がした。


「とりあえずやれることをやらなきゃ」

 郁は寝台から降りると、億劫を誤魔化すように伸びをする。シハラはとりあえずおいておこう。目下の問題は佐野だ。


 彼女に届ける洗衛石を取りに行くため、郁は先ほど閉めたばかりの扉を開ける。

 案の定、部屋の前にいた神殿付きのグルドザに、『フュバルさまへ献上する洗衛石を取りに行きたい。大神官長にお話は通してあります』と嘘とも誠とも言えないことをしれっと告げ、案内を受けることに成功した。


 そのグルドザによれば、王弟とゼイギャク、彼らの護衛や侍従が滞在するのは、大神官長の居住棟で、先ほど佐野に会った『高殿』と同じ台地にあるらしい。その他の人たちは、シハラの居住棟からそう遠くない場所に滞在することになっているようだった。

 そこに着くなり、監視かと思っていた彼は郁に『帰りの案内も誰かに頼んだほうがいい』とだけ言って、さっさといなくなった。

 意外に思いながら、そこにいた顔見知りの内務処官に頼んで、まとめて輸送してもらっている郁たちの荷――洗衛石や好水布、米に関する資料などをまとめて放り込んだ箱を出してもらう。

『そういえば、江間を知りませんか?』

『あーと、その、ここにはいないな』

 歯切れの悪い返事に、江間はシャツェランの付き人扱いになって上にいるのだろう、と推測する。


(なら、今頃、彼は佐野に会っているかもしれない)

 郁は目を眇める。

 江間は彼女にどう対応するだろう? 彼はリカルィデなどに対してはもちろん、郁に対してでさえひどく面倒見がいい。向こうでも素直に慕ってくる後輩の佐野は特に可愛がられていたように思うし、郁以外の人もそう噂して、付き合うんじゃ、と言われていた。

 その上、他国で処刑されかかるような、ひどい目に遭ったのだ。辛くも逃れたものの、記憶まで失くしている彼女には、郁でさえ同情してしまうのだから、江間ならなおさらだろう。

「……」

 先ほどの彼女の笑顔を思い出した瞬間、なぜか眉根が寄ってしまった。

 意識もせずに左の腕輪を触り、慌ててかぶりを振る。

(今考えるべきは……そうだ、彼女にどう対応するかだ)


『この箱、引き取りますね』

 この後王都に向かうシャツェランたちとは、どの道ここでお別れだ。荷を分けてしまっても問題はないだろう。

 幅六十センチ、縦と高さ五十センチ程度の木箱を受け取って、来た道を戻ったのだが、大丈夫だと思ったのに、結局迷ってしまった。

「……おも」

(グルドザの彼の言う通り、誰かに頼めばよかったんだ、私はいつもそうだ……)

と郁はため息をつく。箱も階段に登りまくった足もそれから心も、何もかもが重い。

(あ、滝が見える)

 前方に落差五十メートルを優に超えているだろう、最下段の滝の姿が見えた。崖の下を覗き込めば、滝つぼとそこから流れ出る川、今朝郁たちが通ってきた森が広がっている。

 その古い森の向こう、東端に、河のきらめきが見えた。あれはバル河だ。ならば、そのさらにずっと奥、地平線に沿うかのような黒々とした広大な森――あれが惑いの森だろう。

「……」

 建物と建物を繋ぐ、崖の上の石畳に木箱を下ろすと、郁は凝り固まった筋肉をほぐそうと、腕を振った。だが、もう一度箱を持ち上げて歩き出す気になれない。郁は、その上に腰掛け、ぼうっと森を見つめた。


 そうして滝の音を聞くともなしに聞くうちに、佐野の顔が浮かんできた。

(今の彼女には、個人的な事柄に関する記憶がない。常識や知識などはどうなっているんだろう)

 記憶を取り戻した場合のメリットは、バルドゥーバに関する情報が得られることと、彼女の知識や技能を利用できる可能性。

 デメリットは郁たちの正体が広くばれてしまうこと、それを含めてこちら側の情報が、バルドゥーバに筒抜けになる可能性。

 取り戻さない場合は、基本メリットとデメリットが逆になる。だが、もしかしたら記憶がなくても、利用できる知識や技能には、問題がないかもしれない。


 そんなことを取りとめもなく考えていると、水の流れ落ちる轟音を縫って、先ほど聞いた旋律が耳に届いた。

(……ああ、そうか、向こうの音楽だったんだ)

 祖母が聞いていたクラシック音楽の中にあったのと同じ調べに、佐野が音大に行こうか迷っていたと以前話していたことを思い出す。

 どうやらその辺の記憶には問題がないらしいと頭の片隅で判断しながら、神経は曲に引き寄せられていく。美しい音が青い空に、山に、滝に、森に響いて、溶けてゆく。

 なんて美しいんだろう、なんて素敵な力なんだろう――。

 郁のすぐ脇を通りかかった神官たちも、気付いたのだろう、うっとりしたように目を閉じたり、ため息を吐いたりしながら、聞き入っている。

「……」

 無言で佐野の奏でる調べを聞いているうちに、素直に羨ましいと思えた。彼女は記憶がなくても、こんなきれいな音楽を生み出せる。素直に感情を表し、行動できる。助けが必要な時に、ちゃんとそう口にできる。人を信じることができて、周りの人たちを笑顔にできる。

(……私にはできないことばかりだ)

 郁は自嘲と共に、再び惑いの森へと目を向けた。


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