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故地奇譚 ―嘘つきたちの異世界生存戦略―  作者: ユキノト
第20章 土蟲 ―ディケセル国―
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20-13.嫌悪(リカルィデ)

「さて、と。リカルィデ、コルトナあたりに声かけて、朝飯食ってこい。俺もちょっと寝る」

 あくびをしながら、江間が首を左右に動かした。思わぬ名が出て、リカルィデは息を止めた。

「……あー、今はいい、かな」

「そうか?」

「うん……、あとでミヤベとエマが起きたら、一緒に行く」

 昨日の夕刻、夜会に行く前にリカルィデを訪ねて来た、コルトナの緑色の目を思い出しながら、視線を伏せる。あまり会いたくない。


「ん……」

 日が上ったせいか、光が宮部の顔にあたった。身じろいだ彼女に視線を戻し、江間は彼女の背と膝裏に腕を差し入れた。そして抱き上げる。

 眠ったままの彼女の頭を自分へともたれさせると、額と額を寄せ、彼は幸せそうに微笑んだ。ひどくゆっくりした歩みで、彼女を寝台へと連れて行く。

『……』

 江間が宮部に向けている目は、ひどく優しい。リカルィデに向けられるものとは全然種類が違うけど、その顔を見るのがリカルィデは好きだ。

 オルゲィ内務処長が、出迎えに出てきた妻のサハリーダに向けていた顔も似ていた、と思い返す。

 江間とオルゲィは外見も性格もまったく違うのに、と不思議な気分になる。

(そういえば、旦那さんのマサチカさんのことをサチコに聞いた時もあんな顔だった。サチコの場合は少し寂しそうだったけど)


「……」

 だが、寝台に宮部を下ろした直後、それまで優しかった江間の目に、一瞬だけぞくりとするような色が浮かんだ。

 鋭くそれを見咎め、リカルィデは眉間を寄せる。嫌悪が湧き上がってくる。

「――触らないで」

「は?」

 考えるより先に声が出た。

「触らないで、ミヤベに」

「ちょ、ちょっと待て、いきなりどうした……」

 ずかずかと音を立てて江間に近寄ると、宮部の頬にあった手を引っ張る。

「何もない。とにかく嫌だ」

 昨日のコルトナの顔がちらついて、ぽろっと涙がこぼれた。

「…………あのなあ、それで何にもないわけがないだろ」

 唖然として、口をパクパクと動かしていた江間は、残る手で頭をガシガシとかきながら、「あーもー、とりあえず座れ」とリカルィデをテーブルの長椅子に座らせる。

「なんかわからんが、朝飯と茶、もらってくる。食いながらでいいからちゃんと話そう。それまでに落ち着いとけ」

「うー……」

 ボロボロと泣きながら頷くリカルィデに、江間は困ったように顔をしかめつつ、「ちゃんとお前の話も聞くから」と頭を撫で、出て行った。



「『親しくなりたい』は、友達になりたい? でも、ニュアンス次第で、付き合ってくれって意味にもなるんだっけ? どこのどいつ?」

「よく知らない人。多分ゼイギャクのところのグルドザ」

 茹でて潰したシガと、イララ牛のミルクから取れるバター、ホロロ鳥の卵を混ぜて薄く焼いたクレープ状のもので薄切り肉と菜っ葉を巻いた料理、ガッカルクを口にしながら、リカルィデはもごもごと話す。

「断った?」

「ううん……なんで?って聞いたんだ。だっておかしいと思ったんだよ、十近く歳が違って、住んでいる場所も違う、話したこともない人間と、なんで友達になりたがるのかって……」

「あー、向こうの意図とは違う意味で、解釈しちまったってことかあ。それで?」

 苦笑を零す江間の前で、リカルィデはぎゅっと身を縮めた。

「それで……怒り出して、腕をつかまれた」

「――何された」

 江間の目と声が瞬時に尖った。

「何も。コルトナが間に入ってくれたから……」

 その時、男の目に浮かんでいた色が怖い――リカルィデはその目を思い出して、身を震わせる。

 さっき、江間が宮部に向けていたのも同じだ。そして……昨夕やってきたコルトナにも、同じものがあると気づいてしまった。

 ショックを受けた自分に気付いて、わざわざ花を持って来てくれた優しい人なのに、近寄らないで欲しいと思ってしまった。それを態度に出した。傷ついた顔をしていた。

「……気持ち悪いんだ」

 その目を持つ人も、その目を持つというだけで、コルトナみたいな人を気持ち悪いと思ってしまうことも、その目を向けられる自分という存在も――。

 またぼろぼろっと涙を零し、リカルィデはずずっと洟をすする。

 江間は肘をついて頭をかきながら、「大体理解した」と呻くように呟いた。


「それ、宮部には話したか?」

「ミヤベにそんな話をしたら、その男を探し出して、体か心かわからないけど、半殺しにする」

「……やりそう。あいつ、お前のこととなると、過激だからな」

 メゼルの城に行ってすぐの時、自分の祖父と言ってもおかしくない男に、妾になれと言われた時の宮部の空気を思い出したら、とてもじゃないけど相談できない、とリカルィデが首を横に振れば、江間も眉尻を落とした。

「それに、エマが気持ち悪いって言うのと同じじゃん。エマの悪口を、特にミヤベに言うのは嫌だ」

「俺も気持ち悪いのかよ……」

「だって時々そういう目してるもん、ミヤベに対してだけど」

「まあ、そうかな」

「否定しろ」

と言いながらまた洟をすすれば、「否定しても信じないだろ」と江間は舌を出した。

「むかつく」

 そう言ったのに、「前、子供を作るとかなんとか言ってたくせに」と鼻で笑われて、ますます気に入らなくなる。


 それから江間は宮部の寝る寝台へと目を向け、「あいつには言うなよ?」と言いながら、リカルィデに向き直った。

「俺は宮部の全部――心も体も全部欲しい。俺だけのものにしたい。だから、そういう欲望が出てるってのは、お前の言う通りだと思う」

 静かに、ごく率直に言われて、リカルィデは江間の目を見つめ返した。

 江間は再度宮部へと目をやる。あの色が浮かんで消えた。

「でも、宮部が同じ気持ちになるまで待つつもりだ。傷つけたくない」

 はっきり言い切った彼をじっと見つめた。

 リカルィデが好きな、いつもの優しい顔だった。宮部を大事に思っているのも確かだと伝わってきて、知らず息を吐き出す。

「……待ち切れてなくない?」

「最大限努力してる」

 なんとなく茶化してみれば、江間はバツが悪そうに顔を歪め、息を吐き出しながら、「結構きついんだよ。あいつ、変なところで無防備だし」と天を仰いだ。

 その仕草があまりに子供っぽくて、リカルィデは思わず笑い声を零す。江間が一緒に笑ってくれて、さっきまでの嫌悪が薄れていることに気付いた。


「女の子に扱われることはどうだ? まだそれも気持ち悪いか?」

「まだって……何で知ってるんだよ……」

「宮部がめちゃくちゃ心配してる。ずっとだぞ、ギャプフ村のキャンプに入ってすぐの時から。最初のリネルだって、どれだけ悩んでたか」

 じわっと胸の中に温かいものが広がっていく。

「少し……少しだけど、前よりマシになってきた」

 鏡を見るのも、前ほど嫌じゃなくなった。同じ年ごろの女の子が可愛い格好をしているのを見て、目を逸らすこともなくなった。

 リネルもそんなものかと思うようになったし、気に入ったものは嬉しいと思うことすらある。

 可愛いと言われて、複雑になることはあっても、怒鳴りたくなることも泣きたくなることもなくなった。

 髪の長さも、宮部を見ているうちに、長くても短くても大した問題じゃないかも、と思えるようになった。


「じゃ、そんなに心配いらないさ」

「……なんか軽い、他人事っぽい」

「心配すんのは、宮部の役だからなー」

 口を尖らせたリカルィデに、江間は「周りがどうだろうと、お前はお前のペースで、ゆっくり大人になっていきゃいいってことだ」と彼らしく軽く笑った。

「お前の心も体も大事にしてくれて、お前も同じように大事にしようと思える男……お前らは女も普通にありだっけ? まあ、そんな相手が出てくるまで、のんびりかまえてろ。そん時には平気になってる」

「それ、ミヤベなんだけど」

 江間はいつもそうだ。話しているうちになぜか気が軽くなってくる。だが、素直に礼を言えず、軽口を叩いたリカルィデに彼は顔の片方をしかめた。

「却下。他をあたれ」

「けち」

「今でも大分譲歩、譲ってやってるだろ。他の奴だったら、部屋に宮部と二人きりにさせることも、まして同じベッドで一緒に寝るのを許すこともねえよ」

「まあ、そうかな。じゃあ……エマも早くミヤベに大事に……は、もう思ってもらってるから、ええと、欲しがって?もらえるといいね」

「んっとに、口が減らねえ」

 ブスッとした江間に、リカルィデはくくっと笑うと、食後の香草茶を江間と自分のカップに注いだ。


(……サチコが引き合わせてくれたのかな)

 カップを両手で包み、ふぅっと息を吹けば、白い湯気の揺らぎの向こうに、最後の最後まで自分を心配してくれた育ての親の姿が見えた気がした。

 彼女が死んだ時、リカルィデは目の前が真っ暗になった。彼女以外、自分を心配してくれる人も、助けてくれる人もいなかった。本当の自分を知っている人もいない。江間や宮部には言っていないけれど、いっそ死んでしまおうと思って、実行したこともある。見つかってしまってからは、毎日監視付きで……。

 その一年後だ、惑いの森に行くことになったのは。ようやく死ねると思った時に、江間と宮部に出会った。

「さて、今度こそ寝る。悪いけど、土蟲の件、書き起こしといてくれ。ただし、地図は伏せて、場所ごとの宮部のデータを添えて、惑いの森からの距離を調べてくれって形で」

「了解。おやすみ」

 自分ほど不運な人間はいないと思っていた。でも、今は自分ほど幸運な人間はそういないかも――そう思えている。

 だから、あとでコルトナにもちゃんと謝ろう。そう決めて、リカルィデは新しい紙と炭を取り出した。


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