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故地奇譚 ―嘘つきたちの異世界生存戦略―  作者: ユキノト
第20章 土蟲 ―ディケセル国―
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20-10.一喜一憂(江間)

 もうすぐ没の刻。日本風に言えば、午前零時だ。獣の皮を何重にも張って作られた、ブーツ状の靴の底からは、石造りの廊下の固い感触が伝わってくる。

「……」

 従者用の建物の、割り当てられた部屋に向かいながら、江間は背後に誰かついてきている気配はないか、神経を尖らせた。

 夜会の後に開かれた領主の私的な茶会で、友人たちとにやけた目配せを交わした領主の娘に、本棟の部屋を勧められたせいだ。部屋に忍び込んでくる手はずになっていると察して、適当に煙に巻いたが、本気で腹立たしい。

「ベタベタ触ってきた挙げ句、夜這いの算段、ね。何が貴族のご令嬢だよ。やってること、一般人と変わんねえじゃん」

 害虫でも見るような顔付きで、江間はアムルゼが用意してくれた上着を脱ぎ、部屋に入る前にバサバサと振った。色んな香水が移ってひどく臭い。


 気を付けなくてはいけないことはあるが、人と話すのも、一緒に食事をしたり飲んだりするのも、わいわい騒ぐのも、基本的に楽しいし、嫌いじゃない。

 だが、人が他者を値踏みしているとあからさまにわかる、ああいう空気は反吐が出る。女の、時々男の場合もあるが、そういう関係を期待する視線も絡みも、うざいことこの上ない。だから合コンなんかも嫌いだったが、こっちの世界では身分が絡んで、人の値踏みどころか完全に物扱いだ。

 そんな茶会だと知っていて江間を呼びつけたのはシャツェランだ。さっき事情を知ったから彼を恨む気こそないものの、身分制のない時代と国に生まれて、まだましだったのだ、と江間は痛感している。


 さっさとあっちの世界に戻りたい、と思った瞬間、脳裏にいつもの顔が思い浮かんできた。

(問題は宮部だよな)

 最近消えない疑問に眉根を寄せる。彼女はどう思っているのだろう……?

 さきほどシャツェランから聞かされた、菊田のことを考える。

 江間は、菊田がイェリカ・ローダの幼体を育成しているということ以外を、宮部に聞かせるつもりはない。ギャプフ村で死んだ少年の願いなど論外だ。宮部には絶対に伝えないし、リカルィデやヒュリェルにも口止めした。

 菊田は、宮部を殺そうとするほどの悪人ではおそらくない。だからこそ逆に寒気がするのだ。本人が思うところの“ちょっとした”嫌がらせを、結果を考えずやれてしまう神経が。

 いつだったか、宮部に階段から突き落とされそうになった、と泣いて周囲の同情を買おうとしていた時もそうだ。「どうせ逆だろ」と江間が言った瞬間、菊田は目を泳がせた。誤魔化すためにか、声を立てて泣き出した菊田を見て、彼女と仲のいい連中がさらに騒ぎ立てた。

 結果、教授たちの耳に入り、大学側が正式に聴取する事態になったわけだが、大事になったことにビビったのか、最後には勘違いだったと本人が認め、大学から厳重注意を受けていた。だが、結局宮部には謝っていないはずだ。

 あっちに帰れば、あんなのがうようよいる。宮部を自分の好きにしていいと信じ、隠そうともせずに嫌がらせを繰り返して、人の悪意を誘発させるあの妹がいる限り、いくら潰しても、あんなのはあちこちから湧いて出るだろう。


≪もし、リカルィデが、このままここにいたいなら、言ってね?≫

 今回の旅が始まったばかりの頃、宮部がリカルィデに告げた言葉を思い出して、江間は顔を歪める。

 もし、あの時リカルィデがこっちにいたいと言い、その上で宮部にも一緒にいて欲しいと望んだら、多分宮部は頷く気だったのだろう。リカルィデはそれを知っているから、宮部を途中で遮ったのだ、江間のために。

(宮部はどうしても向こうに帰りたいと強く願っているわけじゃない……)

 そして、それはごく当然のことに思えた。


 江間は沈んだ気持ちで息を吐き出し、扉をノックしようと拳を扉に向ける。だが、実行する前に鍵を開ける音が響いて、静かに戸が開いた。

「……おかえり」

 内から宮部が白い顔をのぞかせる。

 無表情だったのに、目が合って口角がほんの少しだが上がった気がする。

 その顔を見た瞬間、生じた衝動のまま腕で彼女を囲い込んだ。戸惑っても逃げないでいてくれたことで、江間も口元を緩めることができた。

「戸を開ける前に、相手を確かめろって言ってるだろ。俺じゃない人間だったら、どうするんだ」

 万が一、襲われたら……? 想像するだけでぞっとする。

「音でわかる」

「……」

(音? 俺の……?)

 思わずまじまじと彼女を見つめれば、しまったという顔をした後、薄闇でなおわかるほどに頬を染め、顔を背けた。

 江間は声を漏らして笑うと、横を向き続けようとする、宮部の顎と後頭部を両手でとらえて、自分へと向ける。

 顔を近づければ、閉じた睫毛が震えているのが一瞬目に入って、すぐに消えた。唇に柔らかさを感じた瞬間、全身にしびれるような感覚が広がる。その感覚に溺れて、角度を変えながら、何度もキスを繰り返す。

「……ただいま」

 どれぐらいそうしていただろう、鼻先を付けたままそう囁けば、潤んだ瞳で見つめ返され、すぐに逸らされた。


 全部奪いたい――。

 強い衝動が生じた。実行しようと腕が動く。が、かろうじて理性が働いた。王弟はむかつくが、やっぱり酒を飲まなかったのは正解だったらしい。

 共に部屋に入って内鍵をかけながら、できない理由その一を宮部に確認する。

「リカルィデは?」

「寝ちゃった。今晩はなんか特に荒れてた。何もかもにケチをつけて、何を聞かれても「別に」とか「なんでもない」で、最後は「もういいでしょ、ほっといて」って。本気で反抗期かも」

 奥の方にある二段ベッドの下で寝息を立てる彼女に近寄ると、宮部はずれていた毛布を肩まで引き上げる。そして、前髪をかき上げるように頭を撫でた。


 理由その二はベッドのサイズだ。シングルの三分の二程度で、ひどく狭く、どう考えても一緒に寝られる訳もなければ、というところだ。

「……」

(そういえば、あいつ、この部屋に入るなり、ベッドを確かめていたような……)

と江間は目を眇める。

 今日もシャツェランを含めた多くの者に、散々言われたのだ、なぜ宮部なのかと。自薦も他薦も露骨で、シャツェランに至っては止めるどころか、好きなだけ縁談を用意してやるぞ、とまで。

 あそこまでしつこく言われると、勘繰りたくなる。実はただのからかいではなく、本気で江間と宮部と引き離したいのではないかと。


 雹に降られ、手近な小屋に避難した時の話だ。リカルィデ曰く、王弟は宮部を幼馴染の少女だと完全に気付いている、宮部を下の名で呼び、謝罪していた、と。

 宮部の正体に彼が気づいているのは、さっきの彼の『アヤ』という発言からも確かだ。

 自分がまだなのに、王弟が彼女の名を呼び捨てていることも問題だが、二人がお互いに対して向けている感情が、それ以上に気にかかる。

 以前、シャツェランは宮部に対して、遠慮と警戒があったように思う。宮部は宮部で、シャツェランへの露骨な嫌悪があった。なのに、今日地図の話をしていた時には、二人の間にあったはずのそれらが消えていた。


 王弟と何があったのか、宮部の口から聞きたい。が、藪をつつくことになったら、と思うと躊躇する。

 王弟が宮部より妹を信じたことで、彼女は深く傷ついているようだった。大学で見た誰の場合よりも。それがなぜかと考えると、いつも眉根が寄る。

(そんな相手に謝罪されて、それで? 許したとして、その後、宮部はどう変化するだろう……?)

 思わず彼女の顔をじっと見つめる。

「江間? 疲れた?」

「っ、いや、何でもない」

 笑って見せたのに、宮部は眉根を寄せ、ひどく心配そうな顔をみせた。一度倒れてから、しょっちゅうこんな顔をさせている。

「……大丈夫。けど、ちょっと癒しがいる」

 もう一度宮部を抱きしめる。今度は自然に胸に収まってくれたことで、江間は息を吐き出した。


「あ、そうだ、土蟲」

「……」

 目下の宮部の興味はそれだ。微妙に頬を染め、居心地悪そうに腕の中にいた彼女が色気も何もない声を出したことで、江間は苦笑を零す。熱中するとこんな感じなのは、向こうにいる時から変わらない。

「江間、ちょっと来て」

 腕を取ってぐいぐいと窓際に引っ張っていく。普段彼女から触れてくることはほぼないのに、と複雑な気分になった。


「見てて」

 そう言いながら宮部は、二つあるうちの一つの籠の蓋を取ると、その中に左手を突っ込んだ。

「……逃げた?」

 大きい土蟲が身をよじり、宮部の腕――正確には腕輪から、離れようと動き出した。

「小さい方は反応しない」

 残りの籠に手を入れて見せ、宮部は首を傾げる。

「……」

 江間は後ろから宮部を抱え込むような態勢をとる。そして、左手で彼女の左手の甲を握った。近づいた二つの腕輪の月聖石が光り出す。

 そして、大きい方の土蟲の籠へと、そのまま腕を差し入れた。

「明らかによけてる……」

(月聖石を嫌がる……?)

 宮部の呆然とした呟きに、江間は眉をきつく寄せた。

「なあ、これ、イェリカ・ローダ、じゃないか……?」

「っ」

 宮部が音を立てて、背後の江間を振り仰いだ。

 それからはっとしたように、胸元の守り袋をひっぱり出した。中から祖父コトゥド・リィアーレの形見だという、月聖石のペンダントを取り出す。

 宝飾店の店主がひどく質がいいと言っていた、長さ二センチ、直径八ミリほどの結晶は、闇の中でほんのり光を放っていた。

「……」

 静かに石を土蟲に近づければ、先ほどまでとは比べ物にならない勢いで、土蟲たちはうごめき出した。他の個体に隠れようと、他を押しのけ、我先に下へと潜ろうとする。

 そのうちの一つに、月聖石を触れさせると、それは痙攣し、しばらくして動かなくなった。


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