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故地奇譚 ―嘘つきたちの異世界生存戦略―  作者: ユキノト
第20章 土蟲 ―ディケセル国―
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20-9.アヤとエマ(シャツェラン)

(――アヤだ)

 翌日、ヘルフャイの城の本棟を移動中、シャツェランは廊下の窓越しに、使用人用の宿舎の前で、真剣に土蟲を眺めている彼女を見つけた。

(また土蟲をいじっているのか……)

 横には当たり前のように江間がいて、何かを話し込んでいる。

『……』

 知らず眉根を寄せた瞬間、視界の端からリカルィデがバケツを持って歩いてきた。

 今日は二人きりではないらしい、と思うともなしに思ってしまって、シャツェランは顔全体を盛大にしかめた。

(……やはり見劣りするな)

 三人並んだ姿を見ながら、シャツェランは郁に同情を覚える。

 江間の容姿であれば、釣り合うのは美しいという表現以外見つからないリカルィデのほうだ。が、まだ幼いというなら、あの少女じゃなくても他に似合う女はいくらでもいるだろうに、江間はなぜあれほど郁に執着するのか。

 性格にしたって、この自分がわざわざ謝罪をしてやったというのに、『雹が降るはずだ』と返してくるような奴だ。ひねくれまくっていて、可愛げの欠片もない。

 そんなふうだからだろう、そもそも郁の方は、江間に執着している様子がないのだ。いつも戸惑っているようだし、昨日だって抱きしめられながら、嫌そうな顔をしていたし。


『見ろ、エマとミヤベだ。また虫を……心底気味が悪い』

『なあ、あいつら、伝え聞く魔徒のようだと思わないか? いつも訳の分からないことをやっているし』

『魔徒って、人を惑わす美貌の主なんだろ? じゃ、ミヤベはないな。エマとリカルィデだけだ』

『それはそうだ』

 同じ光景を見ているのであろう、メゼルから連れてきたグルドザたちの笑い声が、廊下の奥から響いてきた。シャツェランと共にいるシドアードが、『品のない……』と不機嫌を露にする。

『エマもミヤベ程度でいいんなら、あの顔くれないかねえ』

『辺境の絶滅した蛮族の出で文字も読めないくせに、あいつ、婿入りの話も事欠かないらしいからなあ』

『せめてリカルィデが婚約者だと言えば、みな納得して引くだろうに』

『リカルィデじゃないのは同性愛者だからってことなら、なおのことミヤベなんかにかまけてないで、いい家に入ればいいのにな』

『だから、いい家どころじゃない相手を狙ってるって話だろ?』

『あー、なるほどなあ。その可能性があるなら、せいぜい媚を売っておくか』

 エマとシャツェランの仲を揶揄する彼らへと目を鋭く眇め、シドアードが低い声で『――処分します』と呟いた。シャツェランは鼻を鳴らし、『放っておけ』と応じる。


 まったく同じことを考えていたくせに、彼らの会話がひどく気に入らない。

 確かに郁は、人の口の端に上るような美しい容姿じゃない。だが、雹の降る中、シャツェランにフードを被せた時に見えた、白く透き通る肌も細い手首も最後に見せた笑顔も、どう考えても男のものじゃない。それに気付かない程度の観察力しかないくせに、他人をどうこう評するとは、実に救い難い。

(顔は覚えた)

 シャツェランはシドアード以上に冷たい目を二人のグルドザに向ける。

 そもそも郁の価値は、容姿ではなく中身だ。頭が良くて話していて面白いし、色々知っている。オルゲィの言葉を借りれば腹黒いが、実は性根は善良だし、不愛想だが、たまに笑った時は、それゆえに可愛いらしく見えないこともない。わかりにくいだけで、思いやりだって誰よりある。

(それより何より一緒にいて彼女ほど……)


『シャツェラン殿下』

『っ』

 名を呼ばれた瞬間、何かしてはいけないことを見咎められたような気がして、シャツェランは息を止めた。

『こちらにおいででしたか』

『……ギャレイ嬢にガットゥ殿』

 即座に顔に微笑を張り付け、振り返れば、いつの間に近寄っていたのか、この城の主の娘と息子がシャツェランへと笑いかけている。

『我が城の庭園をご案内したいと思って、お誘いにあがるところでした』

『父自慢の温室がありまして、春の花が既に盛りを迎えております』

『すばらしいご提案です』

 心にもないことを心を込めて言い、シャツェランは微笑む。息子のガットゥの距離が昨晩の夜会より近いのは、先ほどグルドザたちがほのめかしていたような、自分と江間の噂を聞いたからだろう。

(ご苦労なことだ)

 視界の端で、さっきのグルドザたちがそそくさと逃げていく。


『難しいお顔で何をご覧になって……おや、例のイゥローニャ人ですか? なんでも農園にまで出て、土蟲を集めていたとか。蛮族とはいえ、いやはや』

 息子の方が苦笑交じりに言えば、娘の方は『嫌ですわ、気味の悪い』と嫌悪を露骨に表した。

『飢饉の先触れとなるような、不浄の生き物を持ち込むのは、ディケセル人ではありえませんね』

『その飢饉をどうにかできないかと考えています』

 郁も江間もただ気味悪がるだけでなく、ただそういうものとして受け入れるのではなく、問題を解決しようと動く。そして、彼らを動かしているのは、おそらく洗衛石の時と同様、知りもしない他人の命だ。

 自分の生活さえ保証されていれば、あとは他人事というふうに、彼らはなぜか考えない。自分が権力を握るために、という考えでもない。


『あのような者たちが、ですか?』

 嘲りを含んだ声で笑った息子に対し、娘は訝しげに眉を寄せながら、窓の外に目をやり、『あら。蛮族というふうには見えませんわ、お兄さま。特にあちらの背の高い……』と頬を染めた。息子の方は面白くなさそうに顔をしかめる。

『他にも協力している者たちがおります、私も含めて』

 煩わしい。だが、ヘルファイ家はできれば、こちらに取り込みたい。

 彼らへの苛立ちを、シャツェランは政治的な思惑ゆえに無理やり抑え込む。そして、頭の中で計略を巡らし、気まずそうな顔をしたこの家の子女へと、甘く微笑みかけた。

 彼らの頬が染まったのを確認し、共に歩き出す。

『……』

 去り際、窓の外へとちらりと視線を向け、すぐに逸らした。



『悪かったな、エマ』

『いえ』

 その日の夜会の後、シャツェランは自分の部屋へと江間を招き入れ、ラゴ酒を手渡した。そして、テーブルをはさんで対面の長椅子に腰を下ろす。


 ゴーゴで焚かれている薪が赤々と燃え、江間とシャツェランの顔を、炎の赤と影の黒に染め上げている。


 時刻はもうすぐ降の九刻だ。領主ヘルファイの娘とその友人たちが、娘を溺愛するヘルファイに頼んで、夜会の後にわざわざ非公式に設けた場に出たせいだ。その目的はシャツェラン派の若い貴族の品定めと、美しいと評判の江間の鑑賞だった。

(本気でうんざりする……)

 そう思っているのはシャツェランだけではないようで、江間も彼には珍しく不機嫌そうだ。眉間にしわを寄せたまま、「うぜ」と日本語らしき言葉を呟いて、固く留めていた首周りの立て襟に指を入れ、乱暴に緩めた。

『……』

 原因を作ったくせに、こいつでも不機嫌になることがあるんだな、とシャツェランは、長椅子にぐったりと背を預け、長い足を投げ出して、天井を仰いでいる江間を見やる。


 彼が怒っているのを、見たことがないわけじゃない。ただ相手はいつも郁で、だからこそ彼らの“婚約”は見せかけだと思っていたのだが、先ほど郁以外の相手を勧めてみたところ、ひどく冷たい顔で再三拒絶された。彼の不機嫌は、そのことも関係しているのだろう。

 自分やアムルゼたちには、身分故の遠慮があるが、江間にはそれがない。だからだろう、先ほどの会の参加者たちから、口先のみならず身体的にベタベタと触られていた。

 それでも最低限の笑顔を保ちつつ、あしらい切ったのは大したものだが、それなら自分にも笑顔を保て、と思わないでもない。

 本当に無礼な奴だ、とシャツェランは苦笑すると、自分のラゴ酒を口に含んだ。


『代わりに、カヴォジョ領のメゼルディセルへの併合に、ヘルファイは表立って反対しないと約束を取り付けた』

『カヴォジョというと、メゼルディセルの南西の土地でしたっけ? もともとディケセルとは違う国だったと』

『今年はシガが厳しいだろう。となると、カヴォジョ特産のケシアが役に立つ。南部諸国とのつながりも深いから、食料の融通も少しは効くはずだ』

『なるほど』

と江間は複雑そうに顔を顰めた。なら、まあ、仕方がないか、とそこに書いてあるのを見て、シャツェランは再び苦笑を零した。本気でお人好しだ。


 薪が爆ぜる音が室内に響いた。それを合図にシャツェランは本題に入る。

『バルドゥーバのバハルにいるキクタという稀人のことだが、イェリカ・ローダの幼体を育てているらしい』

 夕刻に使者が持ってきた書状を、江間の前に放り投げる。

『幼体の方は今のところ攻撃性がない上に、訓練性がそれなりにあるようだ』

 バルドゥーバ女王は、今頃狂喜しているだろう、とシャツェランは吐き捨てた。実に忌々しい。

『数は?』

『幼体は一体。他に成体が五体いて、繁殖も試みているようだ。キクタは無事だが、奴隷が散々死んでいる』

 江間は険しい顔で何かを考えこんでいる。

『薫風堂に逃げてきた少年が、キクタを助けてくれ、と言っていたことを考えれば、望んでのことではないらしいがな』

『それだけで判断するのは性急でしょう』

 ひどく珍しいことに、江間は猜疑と嫌悪を露にした。以前、バハルの稀人の情報をよこした時の様子から考えても、彼はその稀人に好意的ではないらしいと判断する。


『飼育しているイェリカ・ローダは一種、“切り裂くもの”だ。まだ数を増やす気らしい』

『切り裂くもの……』

 シャツェランが“切り裂くもの”の身体的特徴を上げるにつれ、江間の顔が険しくなっていく。惑いの森で江間と郁はそれに襲われているはずだという、シャツェランの見込みは当たったようだ。


『何をどこまでアヤに話すかは、お前に任せる』

『――ミヤベです』

(アヤは、夢で私と会っていたことをエマに話している――)

 間髪を入れず、刺すような視線を向けられて、シャツェランは眉を跳ね上げた。

 ディケセル王族の能力を知らない人間にとっては、それこそ夢物語にしか聞こえない、不思議な話だろう。郁はそんな話をするほどに、江間を信頼していることになる。

『……どっちでもいい』

 二人が信頼し合っていると言っていたオルゲィを思い出しつつ、シャツェランは投げやりに口にする。何かが面白くない。

『良くない。ですが、ご配慮については感謝します』

 むっとした顔をした江間は、次に何かに悩むように片眉を下げた。おそらくアヤのことを考えているのだろう。

(……エマはどうあってもアヤなんだな)

 物心ついた頃から毎晩のように顔を合わせていた幼馴染は、深く想ってくれる相手に出会ったらしい。

『……』

 シャツェランは、眉間に寄ってしまった皺を指で伸ばす。これは、自分だけが置いて行かれている気がして、少し感傷的になってしまっているからだろう。

 視線の先で江間が、左手を口元にやった。その拍子に袖口から見えた腕輪が、雹の降った日に郁の手首で輝いていたものと同じであることに気付くなり、伸ばした皺がまた戻った。


 江間が長椅子の上で伸びをし、『そろそろ帰ります』と立ち上がった。ふと、彼の目の前に置かれたまま、口を付けられていないカップが目に入る。

『そういえば、夜会でも飲んでなかったな。酒、ひょっとして飲めないのか?』

『いや、人前では控えています』

『……私が酔いつぶれたお前を襲うとでも?』

『あー、今飲んでなかったのは、そうじゃなくて部屋に戻った後のことで……でも、そうですね、少しぐらい』

『……なるほど』

 脳裏に、昼間見た、彼らの部屋の狭いベッドが浮かぶ。あのベッドでは、と思うものの、念のためシャツェランは江間の手が届く寸前で、目の前のラゴ酒を取り上げた。

 これは彼の意思を尊重し、幼馴染が貞操を守るのに協力しつつ、リカルィデというあの少女の健全な成長を見守る、それだけのことだ。

「……」

 引き攣り笑いを零した江間に、シャツェランはにっこりと微笑んでみせた。


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