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故地奇譚 ―嘘つきたちの異世界生存戦略―  作者: ユキノト
第20章 土蟲 ―ディケセル国―
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20-8.地図

『こんな所にまで、わざわざ来ることはないでしょう』

『こんな所ぐらいしか逃げ場がないんだ。夜会までの間ぐらい好きさせろ』

「あー……」

(あれは同情している……)

 追い掛け回される者同士、通じるものがあるに違いない。

 郁が白けた目で、テーブルに座る江間とシャツェランを見ると、シャツェランの横に座っている第一師団のシドアード筆頭兵士団長と目があった。苦笑と共に目礼されて、郁は彼にこそ深く同情する。

『ごめんね、ミヤベ、リカルィデ』

 そして、小声でそう謝ってきたアムルゼにも。


 十二畳程度しかない部屋に、六人はせせこましくて、郁とリカルィデは彼、そして土蟲と一緒に奥の机へと追いやられた。

『それ土蟲? ……妙に大きくない? 私が小さい頃見ていたのはこっちだ』

『……』

 郁とリカルィデが目を丸くすれば、アムルゼは、ああ、という顔をして笑った。

『メゼルに行くまで、日々畑を耕して生きていたから。母さんも土いじり、好きだっただろ?』

『そうでしたね』

 郁たちがギャプフ村からメゼルに出、オルゲィたちリィアーレ家の屋敷に滞在していた時のことだ。屋敷付きの園芸師と意気投合して始めた花壇と土づくりに、当主夫人のサハリーダが参加してきたことを思い出して、郁とリカルィデも笑う。

『そういえば、土蟲、食べられるって知ってた? そう言うと、大抵の人にドン引きされるけど、ミヤベはしないだろ?』

『私も食べられないかと提案して、土地の人に引かれました』

 くすっと笑えば、アムルゼも苦笑する。

『やっぱり飢饉対策として?』

『はい。食べる以外の方法も探ります』

『……自分がすべきことをする?』

 アムルゼの声のトーンが少し落ちた。怪訝に思って、土蟲から彼に視線を移せば、なぜか複雑そうな顔で、でも郁をまっすぐ見ている。

『はい。教わったように』

『……そっか』

 頷いた郁に、アムルゼは何かすっきりしたような笑いを見せた。


『そういえば、イケリハ領の人は、食べてはだめだと伝わっていると言っていましたが』

『大きいのはって、言ってなかった?』

『大きい方……? は知らないけど、小さいのは毒でも何でもないよ、美味しくはないけど』

 毒、と口の中で呟いて、郁は眉を顰めた。何かが引っ掛かった気がする。

『それで、今年の土蟲の被害はやはりひどくなりそうかい?』

 メゼルディセルの内務処官の顔に戻ったアムルゼに、現時点でわかっていることを報告していく。

『じゃあ、大きい虫が出ていない地域の被害は、とりあえず少なくなる?』

『おそらく。大きいのがどこで出ていて、どこで出ていないか、傾向がわかればいいのですが……』

 何の気なしに、『地図はありますか?』とアムルゼに尋ねたその瞬間、彼は息を飲んで止まった。リカルィデも信じられないものを見る目で、郁を見上げている。

「……」

 二人だけじゃない、室内全体に沈黙が落ちている。

 眉をひそめつつ、江間なら何かわかるかと、部屋の中央のテーブルに座っている彼に視線を向ければ、同じテーブルを囲むシドアードがこちらをひどく厳しい顔で見ているのが先に目に入った。その向こうの江間が、戸惑いを露に郁へと首を振る。

(何かやらかした。でも何を……?)

 冷や汗を流しつつ、なんとなくシャツェランを見る。やはり唖然としていた彼は郁と目が合った瞬間、肩を落として、ため息を吐いた。

『あのな、地図は軍事機密だ……』

「……っ」

(――大失態だ)

 郁は唇を引き結ぶ。

 日本ではスマホひとつで、地形や距離はおろか、どこに何の建物があるのかまで、簡単に見られた。その感覚のままでいた。

(この世界の人間ではありえない、どう取り繕う?)

 顔をこわばらせた郁を前に、シャツェランはふっと息を吐き出すと、『お前にそんな意図がないことぐらいわかる』と苦笑した。

『ただ、私以外の前で言うなよ? こうやって怖い顔をしたやつに睨まれることになる』

 隣のシドアードの肩を笑って叩く彼を少し意外に思いながら、郁は再び江間を見た。安堵しているという予想に反して、なぜか彼は微妙な顔で、シャツェランを見ている。

『アムルゼ、地図を見せてやれ』

『殿下』

『いえ、大丈夫です。必要になったら、私たちに代わって内容を地図に落とし、何かの傾向がないか見てください』

 シャツェランへの諫めを含んだシドアードの声を受け、郁は『思慮不足、お詫び申し上げます』と頭を下げた。


 夜会の時間が来て、シャツェランたちが立ち上がった。

 嫌そうな顔をしていた彼は入り口の前で、江間を振り返り、楽しげなのに人が悪いという顔を見せた。

『そういえば、カジニュ領のビスゴード家がお前の婿入りを打診してきている。道中の私たちを追いかけてわざわざ使者を出してくるほどだから、今頃メゼルの城にはかなりの縁談が舞い込んでいるだろうな』

(江間だし、ありそうなことだ)

 ビスゴート家とは確か三番目の滞在先の領主だったはず、と思い出しながら納得する一方で、モヤモヤが湧き上がってくる。それを勘づかれないよう、郁は視線を脇にやった。

『お断りです』

 いつものように軽く返すだろうと思ったのに、江間の声は予想外に低くて、しかも近い。驚いて顔を上げれば、目が合った瞬間、彼に抱き寄せられた。

「……」

 体は硬直してしまったのに、体表に集まろうと血だけは動くのを感じる。食い止めようと郁は神経を凝らした。

 あくまで身の安全のための、付き合っているふり、婚約しているふり、だ。客観的に考えて、彼と自分の組み合わせはない。

 なのに、事ある毎に、ひょっとしたら、と思ってしまう。だって、江間だ。いい加減なことはしない。だったら、と。

 でも、仮にそうだとしても、危険な状況に一緒にいるとそのドキドキを恋愛感情と錯覚するという、あの状態にあるだけかもしれない。

(だって、論外だと、対象外だとはっきり言っていたし、大体……)

 ――そんな未来は、“あってはいけない”ことだ。

「……」

 臨終の場で、骨と皮だけになった祖父が手を伸ばしてくる光景が、脳裏にまたフラッシュした瞬間、血は引いた。

 郁はすべての感情に蓋をしようと、ぎゅっと手を握り締める。

『? どうした?』

「……」

 それにすら気づいて、少しの心配を交えた、優しい顔つきで、こっちをのぞき込んで囁いてくる江間が、本気で疎ましい。こうやって彼は、郁の勘違いを助長する。

『嫌そうな顔してないか?』

 内心を見透かしたかのようなシャツェランの声に、ぎくりと体を固めれば、江間が目を眇めた。

 江間は眼だけそのままに笑顔を作ると、『――ご心配なく』と郁の後頭部をとらえて、自らの胸に押し付ける。

『さ、ヘルフャイさまとお嬢様方がお待ちなのでは? シドアード兵士団長もアムルゼ内務処官もお困りです』

『……お前な、追っ払うにしても、もう少し迂遠にやれ』

 輝かしくも胡散臭い笑顔で、「とっとと出てけ」とばかりに腕で出口を指し示した江間に、シャツェランは口をへの字にして出て行く。

 去り際、その彼と一瞬目が合った気がした。


 ドアが閉まり、三人分の足音が遠ざかっていく。

「なあ、その、嫌じゃない、よな……? いや、あいつの言うことを、真に受けてるわけじゃないんだが……」

「……慣れないだけ」

「そっか」

 腕の檻に囲われたまま返事を返せば、江間は息を吐き出した。罪悪感が湧いてくるが、その罪悪感が何に対してのものなのか、わからない。


「それより、土蟲」

 話題を変えようと、江間の胸を押して彼から離れ、ずっと横にいたリカルィデへと視線を向ける。

 ここのところずっとそうであるように、きっと呆れ顔をしているだろうと思っていたのに、彼女は顔の片側だけをしかめ、扉を見ていた。郁の視線に気づくと両目を細め、斜め下から、じーっと見つめてくる。いや、睨んで、いる……。

「ミヤベ、本気で土蟲、頭に飾っておいたほうがいいんじゃない? ――エマのためにも」

 そう笑いながら、親指サイズの蟲を実際に頭に載せてきた。

「……」

 この上なく整った美少女の笑顔だ。なのに、目が笑っていないせいで、ものすごく怖い。彼女が反抗期に入ったんじゃと、江間が言っていることを思い出して、郁は顔を微妙に引きつらせる。

「――やっぱ気のせいじゃないわけだ」

 鋭い目で二人のやり取りを見ていた江間は、リカルィデと同じ顔で微笑み、「その話、ちょっと聞かせろ」と彼女を引っ張って、部屋の外に出ていく。


「……」

 彼らを呆然と見送って、郁は一人ドアの前で立ち尽くした。影を求めて髪の中をもぞもぞとうごめく土蟲の感触に、我に返るまで。


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