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故地奇譚 ―嘘つきたちの異世界生存戦略―  作者: ユキノト
第20章 土蟲 ―ディケセル国―
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20-7.暗雲

 旅も六日目の昼過ぎ。大神殿まであと一歩の場所だが、シャツェラン派とも国王・バルドゥーバ派とも言えない大貴族、ここヘルフャイ家の城で、今日から三泊するらしい。

 ヘルフャイ家は王族の流れをくむ陽の位、最高位にある名門貴族である上に、シャツェランと特に近しいわけでもないことから、今回、江間はこの家が催す茶会や夜会などへの同行を免れることになった。

 ああいう催しが好きなのかと思いきや、「鬱陶しいだけだ」と心底嫌そうに愚痴っていた江間は、今日ここに着いてそう判明した時、隠すことなく喜んでいたのだが、到着してすぐの“身分低き者たち”にふるまわれた昼食の席で、雰囲気は一変した。


 そして、その空気のまま、郁とリカルィデと江間は、土蟲探しのためにヘルフャイ家の農園に向かっている。

「両方とも日光を嫌う。けど、大きい方は日光で弱って死ぬのに、小さい方は死なない。月光は嫌がっているかいないか、いまいちはっきりしない。餌、シガがあれば、小さいのは共食いを避ける傾向にある、大きいのは関係なさそう。シガを与えないと、大小問わず共食いをする……」

「なあ、宮部、さっきの、怒ってたり……」

「しない。むしろ感動している。昼ご飯を食べ始めた時に初めて出会って、食べ終わる頃に胸を押し付けられて、昼寝の添い寝に誘われる江間に。……地域差はあんまりないよね?」

「本当、一種の才能だよね。横に私もミヤベもいるのに。……でも大きい方の、なんだっけ? 割合? が高い地域とそうじゃない地域がない?」

「やっぱり私が婚約者じゃ、あまり意味がないんだと思う。……サンプルの数があまり多くないところもあるから、その辺ははっきりとは言えないかも」

「俺にとって意味が大有りだからいいんだっ」

「サンプルってなに?」

 リカルィデは、会話に割り入ってきた江間の言葉を、さらっとないことにした。

「サンプルは標本。何かを調べる時に、調査対象群の代表として、実際に採取する生物とかのこと。調査対象全体を代表できるように、サンプルにする個体を、偏りなく、それなりの数を採取しないと、正確なことが言えないという話だ。というか、無視すんなっ」

 土蟲について話す郁とリカルィデの後をついていく江間は、早口で「サンプル」について説明すると、不機嫌を露に抗議の声を上げた。

「……無視してないし、本当に怒ってもいない」

 郁は困ったような顔で立ち止まると、江間を振り向いた。

 彼に人が寄ってくるのも、色気のある誘いを受けるのも、彼が意図してのことではない。それどころか、彼自身は誤解の余地や隙が出ないよう、最大限注意していることも、こっちに来て知った。

「だって江間のせいじゃない」

 自分のせいではないことで、責められるのはひどくつらい。それが努力した上でどうしようもないことなら猶更だ。

 そりゃあ、居心地がいいかと言われれば、と思ったところで、郁は思考を止めた。

「……まったく嫉妬されないのもつらい」

 その郁をじっと見ていた江間は、顔を逸らすと、ぼそりと呟いた。

(しっと? ……って、嫉妬……)

 言葉の意味を理解するにつれて、顔に血が集まりそうになる。

 いつものただの軽口で、深い意味はないのかもしれないのに。そうだったら、赤くなった自分は、江間の目にどれほど滑稽に映るだろう?

(ああ、でも江間はそういうふうに人を笑わない。どこまでも人が良くて、逆に気を遣ってくるような人だ。なら、なおのこと、赤くなったりできない。実は少しだけ面白くないと思ってるなんて、間違ってもばれたくな……)

「――その日初めて出会って、しかも、私とミヤベが一緒の部屋なのに、『訪い』をかけられるような人にいちいち、ええと、嫉妬?していたら、倒れちゃうと思うよ」

 江間を見ながら、「三日前」と半眼で呟いたリカルィデのおかげで、郁のぐちゃぐちゃな思考は停止した。

「『オトナイ』? 三日前……げ。おま、なんで知ってんだよ……っ」

「『訪い』って、誰かが来た……ああ、そういうこと」

 その日、郁とリカルィデが土蟲で確かめたいことがあるから、と部屋を開けていた時のことだ。記録用の木炭を忘れてしまって、取りに戻ったリカルィデは、女の人が江間を訪ねてきているのを目撃してしまったという。

「うすーい、透け透けのコーカ生地の肌着を大胆に見せた、とーっても“大人な格好”の女の人だった。ね、エマ?」

「嫌な言い方すんなっ。大体見てたんなら、知ってるだろうがっ。マジで何もないぞ、ちゃんと断ってお帰り頂いた」

「あれー、そーだっけー、だきつかれてなかったー?」

「てない! 避けた! リカルィデ!」

「……疑ってない」

 そう言いながら、郁は顔を江間から背けると、歩き始めた。


「よかったね、嫉妬してもらえて」

「……あんな顔させて喜べるか」

「それでも嬉しいって顔に書いてあるよ。どうせすねた顔もかわいいとか思ってるくせに」

「っ、お前、最近マジで反抗期入ってきてね? つーか、覚えてろよ」

「女の人が寄ってくるの、誰にでもいい顔するエマのせいじゃん。自業自得だろ」

 睨んでくる江間に、リカルィデはべぇっと舌を出した。



 ヘルフャイ家所有の農園の、小作人たちの顔色は、ほかの地域より一段と悪かった。

 それもそのはず、土の中にいるのは、ほとんどが大きい土蟲ばかりで、盛んに共食いをしていた。既に翅が完成している個体もあって、夜、畑の周囲に出始めているという。

 しかも、今回の旅で見てきた他の地域の農民より、彼らは痩せている。

『お兄ちゃん、はい、これでしょ?』

『……ありがとう』

 郁は土蟲を探して差し出してきた、手伝いの子供の青白い手を見つめた。薄い皮膚は乾燥して粉を吹き、張りがない。あまり栄養状態が良くないのだ、と奥歯を噛み締める。

 街道沿いの町々の様子は、シャツェランの治めるメゼルから離れれば離れるほど、貧しくなっていく。

「今年の秋がまずいって話だったけど、そこまで持つのか……」

 掘り返した土を見ながら、江間が沈鬱な顔で呟いた。

 領主所有の農園でこの状況なのだ。おそらくこの地方の他の民たちは、もっとひどい状況にあるのだろう。去年から頻発する霧の影響で、ここら辺の昨秋の収穫は、ほとんどの作物で例年を大きく下回っていたと言うし、この上、今年、主要作物であるシガが、完全にダメになれば……。

『お手伝い、頑張ってくれる? ちゃんと“お給料”、出すからね』

 江間の向こうでは、無理やり張り付けたような笑顔で、リカルィデが子供たちに声をかけている。



 協力してもらって、籠いっぱいの土蟲を持ち帰り、与えられた部屋に三人で籠った。

 城の敷地の端、使用人の居住棟の横に建てられた、客人の従者用の建物は、周囲を木立に囲まれていて、降の三刻半、向こうでの午後四時だというのに、既に薄暗い。

 こんな離れた場所にまで、江間やリカルィデ目当てと思しき客が時折やって来るが、みな土蟲を持って応対すると、そそくさと帰っていく。

「首飾りにでもしてみる?」

 八本足をうごめかす親指大の生き物の束を、白く可憐な指で鷲掴みにしたまま、リカルィデが首を傾げる。

「……真顔で言うなよ」

「リカルィデの身の安全のためにはいいかも」

「エマの『貞操』と、ミヤベの精神の安定のためにもいいと思うよ?」

「『テイソウ』……俺、意味知らない方がいい感じ?」

「……だね」

 リカルィデの提案は、時々冗談なのか真剣なのか、わかりにくい。


 十二畳ほどの部屋の、入り口から見て右側には、幅の狭い二段ベッドが二組、縦長に並べられている。左側の空間には、四人掛けのテーブルと長椅子があり、さらにその奥、ささやかな窓の手前に、小さな机と椅子がある。

 江間への貢物の香草茶を淹れ、リカルィデへの貢物のラテヌと一緒にテーブルに並べて、三人はその横に置いた籠の中の土蟲を眺めながら、お茶にすることにした。

 大小の8本脚の生物が、かさかさかさかさと音を立て、光から逃れようとしたり、手近なものに食らいついたりしている。

「餌が少ないのに大型化する……共食い、肉食の結果かもな」

「それで翅を発達させて、食料のある場所に移動する」

「夜に移動するのは、昼だと大きいのは死ぬから。でも、なんで大きいのだけ?」

 首を傾げるリカルィデの前で、江間が籠の中の大きいものを手に取り、目を眇めた。


 またノックが響いて、全員そろって眉間にしわを寄せた。

「落ち着いて話もできやしねえ…」

 ぶつぶつ言いながら立ち上がった江間の目の前で、勝手に扉が開く。

「――下がれ」

 江間は手にしていた土蟲を投げ捨てると、腰につるした「刀」へと手をやり、体を低めた。郁は、リカルィデを自分の背後へと押し遣り、窓を視界に入れながら、スオッキに手をかける。

『っ。……お前たちは部屋の中にまで、こんなものを持ちこんでいるのか』

 扉の前で目線を床に向け、呆れた顔をしているのは、王弟シャツェランだった。


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