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故地奇譚 ―嘘つきたちの異世界生存戦略―  作者: ユキノト
第20章 土蟲 ―ディケセル国―
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20-6.『悪かった』(リカルィデ)

 チッチチチチチ

 可愛らしいさえずりに、リカルィデは外套のフードを指で押し上げて、頭上の梢を見上げた。

 散り損なった赤や黄の葉の間に、黒地にオレンジと白の雨覆、赤の冠羽を持った小鳥が二羽いて、枝に残った紫の実を仲良くついばんでいる。

『春告鳥だ、初めて見た』

『……あの黒い小さいの?』

『うん、冬が終わる頃に南から戻って来るんだ。親子かな?』

 サチコと一緒に図鑑で見た、白とオレンジ、赤が黒に鮮やかに映える小鳥を目の当たりにして、リカルィデは顔を綻ばせる。

『夏鳥なら、こっちで繁殖するんじゃない? つがいかもよ? 可愛いね』

 左横にいる宮部が同じものを見て、優しく笑ってくれた。彼女の前下がり気味の黒茶の髪が、その拍子にふわりと風に踊った。

 風が抜けていった先の空は、今日も高く、青く澄んでいて、境界なく広がっている。城の囲いの中で見た空とは違って、果てがない。

『わっ』

『っと。気をつけろ、落ちたら怪我するぞ』

 よそ見ばかりしていたせいだろう、ホダの上でバランスを崩してしまったリカルィデを、右にいた江間が咄嗟に支えてくれた。

 お礼を言いながら、彼の顔を見れば、黒い目が柔らかく弧を描く。

『リカルィデ、ホダ、こっちに乗り換えるかい? 大人しいよ』

『ううん、この子のせいじゃないんだ。だから大丈夫』

『そっか。辛くなったら、いつでも言って』

『ありがとう』

 コルトナが背後から心配そうに声をかけてくれた。彼の緑色の髪に、光が反射して、木漏れ日のように煌めいた。


 リカルィデが生まれて初めてホダに乗ったのは、宮部たち稀人の応接、つまりは迎えのために惑いの森に向かう時だった。それまで城の外に出たことがほぼなかったし、数えるほどの外出はすべてホダの牽く車の中。それもバルドゥーバ派の人間に厳重に周りを固められ、人と話すことはおろか周囲の景色を見ることすら、難しいような状況だった。

 当然、自分でホダを操って惑いの森まで行けと言われても、そのための技術も体力もない。初めて接する外の世界も怖い上、同行者も知らない人ばかりで、ひたすら苦痛だったのに、今はすごく楽しい。

 あの時、何度も振り落とされそうになって嫌いになったホダが、実はすごく優しい生き物だということも知った。


『わあ』

 左手の草原の湿地から、銀の体に緑の翼をもつ鳥の群れが飛びたった。羽ばたきの音が鼓膜をうち、鳥たちはぐんぐん高度を上げて、リカルィデの頭上を越えていく。青い空へと吸い込まれるように遠ざかっていく。

『――止まって』

 コルトナの声が、今まで聞いたことがないほど尖った。スオッキを抜き、リカルィデの左前にホダを進める。その横顔も別人のように鋭くて、リカルィデは思わず目をみはった。前方のグルドザたちも、みな動きを止めてあたりを警戒している。

 宮部が前後を気にしながら、リカルィデへとホダを寄せ、江間は首鉄師に特別に打ってもらった「カタナ」に手をかけ、後ろを向く。

(襲撃を警戒してるんだ)

 さっき水鳥たちが一斉飛び立ったからだ、と一拍遅れて理解すると、リカルィデは慌ててホダの上に身を伏せる。惑いの森への道中で、万が一の時はそうするように、とゼイギャクが言っていたことを思い出した。


『……ごめん、もう大丈夫』

 さっきまでの怖いような、大人の顔を消して、ふにゃっと笑いかけてきたコルトナに、リカルィデは息を吐き出した。

 その向こうの前方の紺の制服の集団の中に、遠目でも目立つ金色の頭が見えた。リカルィデとなった今では縁が切れたが、自分の叔父でもある、ディケセル国王の弟シャツェランだ。

 あれこれやって目立っているせいだろう、宮部や江間も狙われることはある。だが、シャツェランはその比ではなく、様々な勢力に命を狙われているという。近隣を蹂躙しつつあるバルドゥーバに対抗しながら、この国を立て直せるのは彼しかいないと、多くの人が知っているからだ。なのに、彼は怯えた様子もなく、顔を毅然と上げたまま、時に自信に満ちた笑いを零したりもしている。

 リカルィデは彼だけでなく、ディケセル王である父とも同じくらい疎遠だった。出会うのは基本公式行事の場だけ。彼はいつも眩いばかりに豪奢な衣装に身を包み、多くの宝飾品を身につけ、多くの人に傅かれていた。けれど、彼のその存在感は、グルドザたちと同じ格好をしている今の王弟の足元にも及ばない。


(確か「雲の上」って言うんだっけ)

 サチコが教えてくれた日本語の表現を思い出して、リカルィデは空を見上げた。手の届かない場所にいらっしゃる――なんてうまい表現なのだろう。


 宮部や江間が、

「リカルィデと王弟、結構似てるよね……」

「金髪も青目もあちこちいるし、気付かれるほどじゃなくね? まあ、もしなんか言われたら、美形は皆似通って見えるものだって言い通せ」

「……リカルィデは、自分を美形と言ってのけられる、厚かましい性格をしていない、江間と違って」

などと心配していたけど、そもそも空気からして違い過ぎる。

 自分は宮部が言っていた「インキャ」、叔父であるシャツェランは「ヨウキャ」なのだ。

 “アーシャル王子”が死んだ今、もうこの先、彼と交わることはない――。


『リカルィデ、あと少しでアルメイの宿場町に着くって』

『そしたら昼ごはんだ。腹減ったなあ、何食べたい?』

 少し寂しい気もしたけれど、宮部と江間が声をかけてくれて、リカルィデはにっと笑った。

『ソナたっぷりのカッガルク!』

『げ』

『また「ドクダミ」……』

 思いっきり嫌そうな顔をしても、二人は絶対に自分に付き合ってくれる。多分コルトナも。



 アルメイの町に入ってすぐ、先ほどまで晴れ渡っていた空が見る間に暗くなった。冷たい風が吹いてきて、天候が一変する。

 ガコンドゴンと恐ろしい音を立てて、赤子の頭くらいある大きな氷の塊が降り出し、通りにいた人々が、悲鳴をあげながらその辺の建物に駆け込んでいく。


『凄まじいな』

『……そ、そうですね』

(さっき、この人と交わることはもうない、と思ったところだったのに)

 宮部に引っ張られて入った軒下で、王弟と並んだリカルィデは、緊張に冷や汗を流す。

『ツェラ、今そこに行く』

『いいからお前も動くな』

『……あー、ミヤベ、中を確認してこい』

 兵士団長のシドアードが、王弟の外での名を呼び、通りの向かいから声を張り上げた。

 その瞬間、凄まじい音と共にひときわ大きい氷の塊が、リカルィデたち三人の避難する古びた家畜小屋の屋根を突き破った。


『かぶってなさい。あたったら怪我をするから』

 こんな時も宮部は冷静だ。鞄から好水布を取り出して、厚く折りたたむと、青ざめるリカルィデの頭に置いた。『気休めにしかならないかもしれないけど』とその上から外套のフードをかぶらせる。

『……』

 それから一瞬ためらった後、もう一枚あった好水布をたたんで王弟の頭に載せ、同じようにフードをかぶせた。

 そして、軒下から一歩だけ奥、小屋の入り口へと王弟とリカルィデの身を押しやる。

『中の様子を見てきます。こういう梁?の下にいるようにしてください』

『……ああ』

 目をみはり、大人しくされるままになっていた王弟に平坦に告げ、宮部は家畜小屋の奥にある物入れや物影を確認しに行った。きっと不審者がいないか、確かめているのだろう。


 遠くから悲鳴が聞こえた。誰かに雹が当たったのかもしれない。

 目の前の通りに大きな氷が落ちた。白い粉をまき散らして砕ける。落下地点の地面には大きな穴が開いていて、リカルィデは顔を引きつらせると、頭の上の好水布とフードをそっと両手で抑えた。


『なあ、お前、オルゲィの娘と仲がいいのか?』

『えっ、あ、と……チシュア、ですか。仲がいい、というより、仲良くしてもらっている、というか……』

『あの気の強い、やかましいのとか?』

『そ、んなことは……あります。けど、そこも含めてすごく好きです』

 雹が屋根や地面を打つ轟音だけが響く中、唐突にシャツェランにそんなことを言われて、リカルィデは『な、なんでその話題? なんでチシュ?』と目を白黒させながらも、なんとか答えた。


『喧嘩をしたことは?』

『喧嘩……今のところ、ない、です。チシュ、は、確かに気とか強いし、はっきり物も言うけど、ちゃんと話を聞いてくれるので……』

『したらどうする?』

『チシュと、喧嘩……』

 泣くだろうな、という気がした。


 ギャプフ村から領都メゼルに辿り着き、アムルゼの案内で、オルゲィの屋敷に行ったあの日。迎えに出てきた夫人のサハリーダの後ろから顔をのぞかせたのが、チシュアだった。

 長い黒髪と、小さな顔の中に輝く、夕日のように鮮やかなオレンジ色の瞳がひどく美しくて、何もかも忘れて見惚れた。

『なんってかわいいの!!』

 ――彼女がそう叫んで、サハリーダが『チシュ、お客様へのご挨拶は!!』と叫び返すのを聞くまで。

 その時から彼女はとにかくよく話す子だった。今も多分リカルィデの十倍は話している。その辺はオルゲィではなく、サハリーダに似たのだろう。

 同時に、うまく言葉が出てこないリカルィデの話も、根気よく聞いてくれる。これは多分オルゲィ似だ。

 色んなことを話して、考えが違っても、ちゃんと理解し合おうとしてくれる。だからリカルィデもそう思える、大事な、大事な友達だ。


(その彼女と喧嘩……? は嫌だ。でも、それでもしたら……)

『話をします。それで、自分が悪かったら、ちゃんと謝ります』

≪いつでも、誰に対しても、ありがとうとごめんなさいが、言える人間でいなさい≫

 サチコの声が蘇って、リカルィデはそう答えた。

 リカルィデが生きていくための知恵を、サチコはいっぱいくれた。困ったことが起きるたびに、彼女を思い出すのだ。そして助けられる。

『……』

 荒天下の暗い軒下でなお美しい王弟の蒼玉の瞳が、見開かれた。その顔は、失礼ながら少しだけ子供っぽくて、ああ、そういえばこの人は、宮部や江間より一つ年上なだけだった、と思い出した。

『その発想はなかった』

『……王子さまですね』

『事実そうだからな』

 自分もそうだったんだけど、まったく違うな、と思って、リカルィデはくすりと笑った。

 屋根にあたる音が、少し小さくなった気がする。


『問題はなさそうです』

 そう言いながら戻ってきた宮部が、シドアードに向かって同じことを叫んだ。彼の後ろから江間が姿を見せ、リカルィデは宮部と一緒にほっと息を吐いた。

『平気かーっ?』

『今のところはっ』

『もうすぐ止むぞっ』

 宮部と大声でやり取りを交わした江間が、楽しそうに笑いながら、空を指さした。

『……わああ』

 陽が射し始めた。まだ暗い空を背景に、うっすらと虹が現れる。それはどんどん鮮やかさを増しながら、先を伸ばしていく。完全なアーチができるまで待ちきれなくて、リカルィデは通りに走り出た。

『リカルィデ、まだ危な――』

『悪かった、アヤ』

(……アヤ? って「光」?)

 虹を忘れて振り返ったリカルィデの視界に、王弟と、彼へと目を向けた宮部の横顔が目に入った。

『私が間違えていた、その、色々、と』

 眉根を不快そうに寄せた王弟の頬は、気のせいでなければ、少し染まっているように見える。

 対する宮部は、眉を大きく跳ね上げたまま、その王弟を見つめていた。


『……なんとか言ったらどうだ』

『雹が降るはずだ、と』

『は?』

『誰かがあり得ないことをすると、おかしな気象現象が起きるという、私たちの言語における表現』

『……っ、おっまえは、無礼とか言うレベルじゃないっ、人としてどうなんだ!』

 いつもの無表情に戻った宮部に淡々と言われ、王弟は真っ赤になって怒る。

「……」

 宮部はその王弟を無言のまま見つめて……笑った。柔らかく目と口元を綻ばせ、少しだけ苦笑を混ぜて。

『……』

 その宮部に、王弟は唇を引き結ぶ。

 気のせいでなければ、泣く寸前のように見える――

『……、痛っ』

『ほら、リカルィデ、まだ屋根の下に居なさいってば』

 小さな雹がこつんとあたり、思わず声を漏らせば、慌てて宮部が走ってきて、リネルの袖を引っ張った。

『宮部もだろ』

 外套を脱ぎながら、向かいから江間が走ってくる。そして、宮部とリカルィデの上からそれをかけた。

『ったく。本当に何もないな? 隠してないな?』

 そして、宮部の頬に手を添えて、心配そうにのぞき込んだ。宮部は息を飲むと、慌てて、頭上の外套を引き下ろして、顔を覆い隠した。


『でん、ツェラも怪我はないですね?』

 江間はその宮部に喉の奥で笑うと、次に王弟のいる家畜小屋の入り口に足を向けた。

『……私はな。けど、ほら』

『おお、すげーっ、というか、怖っ』

 屋根を貫通し、小屋の中に落ちた雹の塊を指さす王弟の顔に、さっきの面影はない。

『だろう? 私も感動した。自然とはすごいな。だが、こんなのが当たったら、さすがに死ぬ』

『あー、こんな美形なのに、というか、そんな美形だからこそ、そんな間抜けな死に方は嫌ですね』

『顔は関係ないだろうが』

 江間といつものようにくだらない会話をして笑うと、彼は空を見上げる。そして、重い雲が割れて、青空がのぞいているのを確認し、シドアード達の方へと歩き出した。


『……好水布、もらっておく』

 宮部とすれ違いざま、王弟は頭上の好水布を取ると、目線も合わせないまま、そう口にする。そして、すぐに人に取り囲まれて、見えなくなった。


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