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故地奇譚 ―嘘つきたちの異世界生存戦略―  作者: ユキノト
第20章 土蟲 ―ディケセル国―
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20-4.留置(シャツェラン)

 シャツェランは招かれたとおり、降の六刻にメゼルディセルの北西に隣接するイケリハ領主、ナルカィ・アガテョータの館の迎賓の間に入った。

 その瞬間、王都セルの城でなじんだ香りが鼻についた。会場の灯火の油として使われている、ギビォナの実油――香りが良く、高級な品でディケセル国の貴族たちの間でもてはやされているが、シャツェランにとっての敵国、バルドゥーバの特産だ。微妙に神経を逆撫でされる。

 中央に据えられた広大なテーブルには季節の花と豪勢な食事、ラゴ酒をはじめとする酒の杯が並べられていた。その向こう、会場奥にはディケセルの民族楽器を手にした楽団がいて、歓迎の音楽を軽やかに奏でる。

 シャツェランから見て右手、会場南側は上部にガラスをあしらった両開きの扉が並び、バルコニーを経て庭園を望むことができる。

 その反対側の壁際には、半透明のコーカ布が大きな弧を描くように波状にめぐらされている。それぞれの半円の中に燭台と花、長椅子が設置されているのを見、シャツェランは周囲に気取られないよう、倦怠の息を吐き出した。周辺にいる、来賓の年頃の女性たちとは特に目をあわせないようにする。


『シャツェラン殿下、我が館にご逗留いただいておりますこと、誠に光栄でございます。ささやかではございますが、歓迎の意として宴席を設けました。ゆるりとお楽しみください。さ、キュズィル、殿下のお相手を』

 空間の真ん中、頭上に掲げられたガラス灯火の下で、シャツェランは領主一家から挨拶を受けた。

 双月位を持つナルカィは、シャツェランを大領主とし、公然と支持する者の一人で、政治的にも経済的にもかなり強く、メゼルディセルのすぐ横という立地の面でも、是が非でも押さえ続けておかなくてはいけない相手だ。したがって、十八になるというその娘は、シャツェランの有力な妃候補の一人でもある。

『今日はご迷惑をおかけしてしまいまして……』

 父親であるナルカィに背を押されて歩み出てきた娘は、シャツェランと目が合った瞬間、頬を赤く染めた。その初々しさも、自分の行動を鑑みて、恥じらいつつ謝罪してくる気性も好ましい。

 もちろんシャツェランには遥かに劣るが、見た目もそう悪くないし、昼間、籠の中身を見せるよう、郁に迫った時の言い分も、筋が通っている。

(まあ、アヤの意図にまんまと乗せられて、ひどい目に遭わされたあたり、駆け引きの才能は……)

 そこまで思ったところで、シャツェランは軽く片眉をしかめた。あれは相手が悪すぎる。

『おお、そうでした。昼にキュズィルが倒れた際、殿下自らお運びくださったと……なんとお礼申し上げればよいか』

『いや、私の従者が、もう少し言葉を尽くすべきだった。せめてもの詫びだ』

 今日の午後の出来事を、特別なことのように声高に言うナルカィに、こちらの不手際の始末でしかないことをほのめかし、シャツェランは微笑んだ。


 脳裏に、郁の顔が浮かんでイラっとしたが、笑顔の仮面の下に抑え込む。

(そう、あいつはアヤだ、アヤ以外の何者でもない――)

 シャツェランは既にそう確信している。昔から彼女は、シャツェランの内心を読むことに長けていた。王子たるもの、人に心を読まれるようではダメだと、事ある毎に彼女を煙に巻こうとしたが、成功した例はなかった。

 だから彼女は、シャツェランが土蟲を厭っていると、間違いなくわかっていたはずだ。

 わかっていたのに、キュズィル自身の責任となるよう、言質を取った上で、土蟲を差し出し、卒倒したキュズィルの面倒を、判断力の一瞬鈍ったシャツェランに、まんまと押し付けた――。


『それでも、気にかけてくださったことは事実ですもの。ありがとうございました』

 上目遣いにシャツェランを見てはにかむキュズィルに曖昧に頷けば、なおさら郁への苛立ちが増した。こうなるのも、郁のことだ、計算ずくだったのではないか。

(頭は良いのは変わらないが、一体いつあれほど性格が悪くなったんだ)

 その二つが組み合わさると、最悪に性質が悪いということを、シャツェランは身をもって思い知らされている。

 毎晩のように語り合った幼馴染で、話をしていて退屈しないのも変わらないが、あれはない。

 仲違いをしてから、シャツェランの方はもう一度彼女に会いたいとずっと願ってきた。十年越し、しかも世界を越えて再会できたというのに、郁の方は顔を合わせるたびに、本気で嫌そうな顔をする。

 昔のよしみで、この自分がよくしてやろうと、幾度となく声をかけてやっているというのに、その好意も無表情もしくは心底鬱陶しそうに、無下に叩き落してくるのだ。

 あんなのを女として見る江間の趣味を本気で疑う。


『……』

 シャツェランは手にした酒杯を口に運んで顔を隠しながら、目を眇める。

 基本立食の会場にいる、シャツェラン側の従者はゼイギャクとシドアード、アムルゼなど、今回の旅の従者の中でも黄月位以上の家の出の者に限られていて、郁も江間も彼らの妹分のリカルィデもいない。あれだけ秀でていながら、身分がないから機会を与えられない。


≪人は生まれながらに平等で、自由です。たとえ現実はそうでなくても、そうあるよう求め、行動する権利が皆にあります≫

 前回の稀人、サチコの声が頭に響く。

 サチコに言われるまでもなく、身分故に無能な人材が上に立ち、それゆえ起きた悲劇の例は、この世界でも事欠かない。今のディケセルもそうだ。

 逆に有能な人材を見逃すことも多いだろう。それを防ぐ手立てとしてサチコに提案されたのが、郁も昔話していた「ガッコウ」と、登用などで身分や性別などの条件なしに試験を実施することだったが、それらが成果を出すまで、もう少しかかるだろう。だが、今切実に人が欲しい。


(いっそあいつらが稀人だとばらすか……? そうすれば、文字が読めずとも問題ないし、身分も王族に準じるものになる。江間を側近として取り立てることも、郁をずっと傍らに置いておくこともでき、る……)

『殿下? どうかなさいましたか?』

『……あ、いや、すまない』

 シャツェランは微妙な動揺と共に、意識を目の前のキュズィルに戻すと、微笑を繕う。今ひどくおかしなことを考えた――。

(……いや、おかしくはないか)

 江間はもちろんのこと、あの性格の個人的な好き嫌いはともかくとして、郁も有能だ。二人ともどうしても必要な人間なのだ。バルドゥーバ国で宮宰にまで登り詰めているフクチに対抗する上でも、この国を統べるためにも、そして、

≪シャツェラン、それは違うと思う。横暴だっけ? 傲慢? まあ、なんせただの嫌な奴だよ、今≫

≪俺からすると、ディケセル人の方がおかしいですから≫

 サチコが戒めていた、狂った権力者にならないためにも。


『ご到着になったのは、今朝ですもの、お疲れでしょう。父が殿下をお迎えするのだと、あれこれ張り切ってしまって……申し訳ない限りです』

 心配そうに顔をのぞき込んできたキュズィルの表情に、含みも陰りもない。ひたすら純粋に見えて、シャツェランは笑みを顔に浮かべる。

 気性が悪くなく、聡明さもある。妃としても、自分の傍に置くに足る信頼ある人間かという意味でも、悪くはないはずだ。自分の父でもある先王と、兄の生母の王妃、シャツェランの母の側妃のような関係には、おそらくならないだろう。

『お手を』

『え、あ、で、でもお疲れでは……』

『あなたとの時間のためであれば』

 真っ赤になって差し出した手を取る様子を、とても可愛らしいと思うのに、ひどく冷めてもいる。

 広間の奥で楽団が奏でる音楽が緩やかな、甘い調べのものになった。シャツェランは領主の娘に甘く微笑みかけながら、傍らの語らいの場、長椅子へと誘う。


 周囲の人間が、憧れや嫉妬、興奮、詮索、推量、様々な視線でシャツェランとキュズィルを見ながら、二人が歩む先に道を作っていく。

 どうしようもなく煩わしい気分を仮面の下に隠しながら、シャツェランは布によって半円状に囲まれた空間に足を踏み入れた。揺らぐ半透明の幕は灯火の暗く赤い炎を映して、夕日を透かす水面のように見えた。

(……まるっきり水中だな、息苦しいわけだ)

 皮肉を覚えながら、キュズィルと共に長椅子に腰かけると、シャツェランは貴公子然とした顔を作って彼女に向き直った。


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