20-3.もし望むなら
「拾い直しだ」
「そりゃそうなるだろ……」
「ミヤベ、追い出されるんじゃない?」
「それならそれで」
郁は江間とリカルィデを付き合わせて、キュズィルが悲鳴と共にそこらにまき散らした土蟲を拾い集める。
青みがかった石で丁寧に舗装された通路にいるのは後回しだ。花壇など周辺の土に潜り込もうとするものから、手早く捕まえていく。
「まあ、目を覚まして、王弟にお姫様抱っこされたと知れば、機嫌は直るんじゃない、あのご令嬢も」
「『殿下、よろしくお願いします』って、ミヤベ、そんなこと考えてたの……」
「土蟲を前に醜態をさらさずにすんで、王弟も感謝してくれているはず。あの高慢ちきの文句言いが、大人しく彼女を連れて行ったことがその証拠」
「本気で性格わりぃ……。ちょっと同情したくなってきた」
小さく舌を出した郁に、江間は額に手を当てて、ため息を吐いた。
あれだけいた女性たちは、蜘蛛の子を散らすように逃げて行き、王弟は郁に倒れたキュズィルを押し付けられて、彼女を館へと運んで行った。
警護のシドアードたちと、文官としてシャツェランを補佐する役目のアムルゼも、その彼に同行。
ゼイギャクはいつの間にか消えて、コルトナだけが蟲拾いに付き合……いきれずに、郁たちを遠巻きにしている。
江間を上回る身長で、服の上からでもわかる筋肉質な体つき。柔らかい性格とは対照的に、腕はたつと評判のコルトナが、真っ青な顔をしているのは、彼自身が虫嫌いだからか、彼の憧れのリカルィデが虫を鷲掴みにしているのが、信じられないからか。
「……なあ、これ、大分弱ってないか?」
「本当だ。……あっちもダメっぽいね」
石畳の上の虫を集めていた江間が、差し出してきた手のひらには、大きい方の土蟲。石畳の上には、大きいものばかりが、ぴくぴくと瀕死の様相で転がっている。
「こっちは相変わらず元気だよ。大きい方が体力ありそうなのに……」
同じ場所にいた小さい土蟲は、リカルィデの手に載せられて、日陰を探して、手のひらをもぞもぞ這いまわっている。石畳の残るものも、思い思いの方向に這って、日光から逃れようとしているようだった。
「……なあ、宮部、やっぱバッタの話を思い出さないか? 環境によって、見た目だけじゃなくて、長距離を飛翔できるとか、生態的に違う行動をする個体が生まれてくるって言う」
「この大きい方は、例年はいないって村の人が言っていたから、可能性はあるね」
「調べてみるか……ってどうやるかな。PCR装置やシーケンサーがあればなあ」
「ぴーしー、しーけん……って?」
耳慣れない言葉に、リカルィデが反応した。郁は手の中の土蟲をしげしげと見つめつつ、いつものようにその説明をする。
「生き物には、それぞれ設計図がある――体のどこがどんな形で、どんな働きをしてっていうのが、それによってあらかじめ決まっているの。それが……なんと言えばいいんだろ、小さな本みたいな感じで、細胞の中に入っている。細胞は前に説明したよね? その本に書いてある内容を調べるための道具がPCR装置とシーケンサー。種ごとに本の内容は違っていて、装置、ええと、前話した機械とほぼ同じ意味のものね、でそれを見ることができたら、同じ種がどうかわかるのに、と江間は言っているの」
「…………郁たちの世界、は、神話より神話っぽい、ね」
信じられないものを見る目つきで郁をしばらく見つめた後、リカルィデが喘ぐように呟いた。
(しまった)
失敗した、と気づいて、郁は蒼褪める。
「最初はみんなわからないよ? 私たちもそうだった。わかろうとして勉強して、初めてわかるようになっていくの」
慌てて付け足し、不安そうな顔をしたリカルィデを宥めるべく、頭に手を置く。その上に江間の大きな手が重なった。
「努力次第だ。つまりは、お前なら絶対に大丈夫」
「そう、なのかな……」
青い目が揺れながら、郁と江間を見つめる。
そこにはひどい不安があって、郁は自分がとことん配慮に欠けていたことを思い知った。この子は、「このまま一緒にここにいて欲しいと思ってしまった」と、泣きながら告白していたのに。
「ねえ、リカルィデ。もし……もし、だよ? もし、リカルィデが、このままここにいたいなら、言ってね?」
郁は腰をかがめ、リカルィデの顔をのぞき込んだ。
江間は向こうに帰したい。彼には家族も友人もいる。それに、帰さなくては死んでしまうかもしれない。
(それに引き換え私は……)
「リカルィデが望むなら、」と口にした瞬間、江間に「――宮部」と名を呼ばれ、目の前のリカルィデがすっと真顔になった。
「行くよ、あっちに」
「……え? ええと、だって」
「行くに決まってる。ショータとマサチカさんを探すんだから。大丈夫、言葉を知らなかった江間が、ここでここまで出来るんだから、私ができないわけない」
(あれ、こんなふうに言う子だったっけ……?)
戸惑って江間を見上げれば、彼は彼でひどく硬い顔をしていた。
「ちゃんと助けてくれるんでしょ? ミヤベもエマも」
「あ、うん、それはもちろん」
「……ああ、勉強だけじゃなくて、全部。俺たちがずっとついてる」
リカルィデと江間は、お互いをじっと見つめている。
江間の顔は、気のせいでなければ、少し苦しそうに見えた。リカルィデは目を丸くすると、「エマ、ちょっと」と彼を手招きする。
怪訝な顔をした江間は、微妙に沈んだ空気のまま、身をかがめた。リカルィデがその彼に手を伸ばす。
「っ」
そして、彼の頭をぐしゃぐしゃっとかき回して、髪をぼさぼさにすると、呆然とする江間に「いつもの仕返し」と声を立てて笑った。