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故地奇譚 ―嘘つきたちの異世界生存戦略―  作者: ユキノト
余章 江間葉月 ―日本―
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3.“あの人のこと――”(江間)

 宮部が去っていき、扉が閉まった後、葉月はおもむろに江間に向き直った。

「兄さん、あの人のこと、好きでしょう? なんで誘わないの?」

 宮部のことに触れるつもりはまったくなかったのに、妹はあっさりと言いあてた。

 江間は苦いものを噛んだように顔を歪める。

「……勘違いだろ」

「違わない。宮部さんに私のこと、話してた」

 自分の周りの変な奴が、兄弟にちょっかいを出したりつきまとったりしないよう、江間たち兄弟は、お互いの存在をできるだけ周囲に話さないようにしている。

 なのに今回は、と言われて、咄嗟に返す言葉に詰まった。

「……成り行き」

「ふうん。成り行きねえ。智樹ならともかく、そんなものに流されてうっかりとかないでしょ、兄さんは」

 二月の日はまだ短い。半眼で睨んできた妹から、オレンジ味を帯びてきた日へと、江間は目を逸らす。


「ここのことだってそう。逃避場所が誰かにばれたら即場所を変えてきたくせに、宮部さんは知ってた上に、慣れてた。『今日は諦めて』とか言ってたし、いつも出入りしてるんでしょう?」

 兄妹というのは、時々本気でウザい。

 江間は嫌気を隠さずため息をつくと、「いいんだよ、あいつは。俺に興味なんか欠片もないんだ」と自棄気味に呟いた。

「……え、嘘、なに、ふられたの!? え、嘘、本当に……?」

 信じられないという顔で遠慮のかけらもなく、ずかずかと踏み込んでくる妹にイラっとした。

「ふられてねえよ、それ以前の問題だ」

「あー、彼氏持ち? なら、納得。あの人、ぶっきらぼうで冷たそうに見えるけど、多分ものすごく優しい人だし、わかる人にはわかるよね。めちゃくちゃいい男がついていそう。気付いたら、結婚してたりするタイプ――」

「――違う。もう黙れ」

 不愉快な想像をさせられて、江間はついに怒りを声に載せた。


「……黙らない。だって……貴重じゃない、寝ている時に側に来られても緊張しなくていい人って」

「……」

 妹の口調が不意に変わって、江間は息を止めた。

 もう何年も前、しかも学校での話だ。うたたねをしていた葉月にちょっかいをかけようとした奴がいて問題になり、結局彼女は転校する羽目になった。以来、葉月は家族以外の人の気配があると寝られなくなり、宿泊学習なんかも嫌がっている。

 そこまで警戒することはないが、似たような経験は江間にもあって、痛いほど気持ちが分かった。

「あー、もー…」

 長々と息を吐きだすと、「あいつもストーカー……つーか、実の妹につきまとわれてる」と呟いた。

「ストーカー? 妹?」

「宮部本人じゃなくて、その友達とかに接触してくる。俺も散々やられてる。親父に聞いたけど、対処はかなり難しいらしい」

「じゃあ、さっき断られたのって……」

「お前に迷惑をかけたくないんだろ。あいつ、誰とも深く付き合おうとしないからな」


 そろそろ宮部は研究室に戻った頃だろうと判断すると、屋上を出ようと江間も歩き出した。葉月が慌ててついてくる。

「その人、なんでそんなことするの?」

「さあな。言えるのは、人の皮を被った化け物ってことだ。しかも性質の悪いことに、飛び切り可愛いらしく見える皮――間違っても近づくなよ? そいつにのめり込んだ挙句、おかしくなった奴も、大学に来なくなった奴もいる。悪気なく、善悪の区別が一切ないんだ。自分の目的のためなら道徳も事実も相手の気持ちもどうでもいい。マジで人モドキだよ」

 吐き捨てるように言って江間は扉を開くと、「先に行って、西門の外でコーヒーでも飲んで待ってろ。荷物取ってくる」と妹にも出るよう促した。

 だが、彼女は動かないどころか、挑発的な目で江間を見た。

「で、兄さんはなにもしないの? 彼女を心配しておじいちゃんの誕生会、無視しようとするくらいなのに? そのくせ彼女に言われたら考え直すのに?」

「うるせえな。あっちにその気がないんだから、どうしようもないだろ」

 ぶり返した苛立ちに任せてつっけんどんに言い放てば、妹は目を丸くした。

「……なんだよ?」

「いや、そこまでわかるのに、そこはわかんないのかと思って。あー、なるほど、だからあんな言い方するんだ」

「はあ?」

「ほんと、ばか。まあ、これまで人と適当に付き合ってきた報いだよね」

「おい」

 言いたいことを言って一人納得すると、葉月はスタスタと階段を下りていく。

「ねえ、兄さん、」

 階段の踊り場から似ていると言われ続けてきた顔が、黒髪とスカートを翻して、江間を振り返った。

「私、あの人、好きだな」

「…っ」

 そして、にこりと笑うと、「じゃ、また後で」と言って、残りの階段を駆け下りて行った。


「…………あっさり口にするんじゃねえよ、ムカつく」

 ブツブツ言いながら、江間は用務員の山口からもらった合鍵で、扉を施錠した。

 江間の中で、押し込め続けてきた同じ言葉は、月日を経て訳の分からないものが絡まり、縺れて、雁字搦めになってしまった。取り出せる気がしない。

「じいさんも喜ぶ、か……」

 階段の薄暗がりの中で、江間は葉月の台詞を思い出す。

 確かに宮部なら、どうしようもなく気難しい性質のあの祖父であっても、絶対に気に入るだろう。母も間違いなく喜ぶ。父は態度には出さないだろうが、多分大丈夫。智樹はどう反応するかな……?

 もし、宮部を今日の集まりに連れて行けていたら――その様子を想像して小さく笑った後、息苦しくなった。


 さっき梯子を上ってくるのが宮部だと、江間はわかっていた。

 わかっていたのに、寝たふりをしていたのは、そうすれば、彼女がすぐそばまで来ると知っていたからだ。そのまま江間が起きなければ、実は人のいい彼女は起きるまで付き合ってくれる。普通に話ができる。

 ここ以外で宮部は江間を見ない。話そうとしない。

 この場所だけが唯一の彼女との接点――近づきたいのに近づけなくて、耐えられなくなるたびに、江間は彼女をここに呼んだ。一方的に「起こしに来てくれ」などと頼みごとをして返事を待たなかったり、共有の実験ノートに時間だけ書き込んでおいたり……。

 彼女が無視しないで来てくれるたびに、ホッとして幸せな気分になって……苦しくなる。一歩踏み込めば、触れられる場所にいる。なのに、その距離がどうしても縮まらない、縮められない。

「……」

 先ほど宮部に触れられた肩に自らの手を置くと、江間は「……なんであいつなんだろう」と小さく呟いた。


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