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故地奇譚 ―嘘つきたちの異世界生存戦略―  作者: ユキノト
第19章 戸惑い ―メゼル―
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19-8.変化

『お、エマにミヤベ、今帰りか? リカルィデは、だいぶ前にここを通ったぞ』

『知ってるよ』

『最初コルトナが一緒だったんだけどさ、エナシャがちょうど帰りで、行く先も同じだからって交代。コルトナの顔、見ものだったぜ』

『人がわりぃなあ』

『お前ら、明後日出発だっけ? 俺も行きたかったなー』

『殿下もゼイギャクさまも一緒だから、気楽じゃないぞ?』

『リカルィデとの旅だぞ……! どんな苦労でもする!』

 書物棟からの帰り道、城内は気楽だった。顔見知りのグルドザや内務処官などに、主に江間がひっきりなしに話しかけられて、郁はただそれを聞いていればいい。

 問題はその後だった。


『じゃあ、また明日なー』

『おう』

 門番のグルドザと挨拶を交わし、城の正門をくぐる。

 跳ね橋を渡り、坂の上から見下ろせば、メゼルの街は夜の帳に覆われつつあった。

 城から街の大通りへと繋がっていく白い道が、薄闇の中でほんのり浮かび上がって見えた。


 家に向かって歩き始めたが、江間は無言のままだ。

 いつも陽気で、何かを見つけては、賑やかに話しかけてくる彼が、ずっと押し黙っている。それだけで、これほどに会話がなくなるのだったと、思い出した。

 肩が触れ合うような距離にいるのに、勝手に手を握ってくることもない。それこそ正しい状態だと知っているのに、落ち着かなくなっていることに気付いて、郁は戸惑う。

「……」

 知らず、隣を歩く彼の横顔を見てしまう。

 相変わらずの顔立ちだ。すっと通った鼻梁も、長い睫毛に縁取られた切れ長の目も、形のいい眉も、男性らしさを感じさせる顎のラインも、首筋の筋肉も、見慣れてきたつもりだったのに、改めて見てみるとひどく遠い。

「見んな」

「ごめん」

 目線を合わせないままの拒絶に、郁は考えるより先に謝罪を口にすると、視線を前に戻した。江間は機嫌が悪いらしい。原因は郁にあるのだろう。彼は人にあたる性格じゃない。

 では、何が悪かったのかと記憶を探り始めて、郁は立ち止まった。

 江間が郁と一緒にいて不機嫌になるのは、こっちの世界に来て少なくなっただけで、向こうでは珍しいことじゃなかった。そういう時は離れた。原因を考えようなんて思ったことは、一度もなかった。

「……」

 自分の中で、何かが変わってきているのではないか――ここのところずっと抱えている疑念への証拠を、また見つけてしまった気がして、気分がさらに沈む。


「っ、あーもーっ」

 数歩前にいた江間が、唐突に呻き声をあげた。頭を掻きむしって、郁を振り返る。

「悪かった。見ていい。好きなだけ見ろ。と言うか、むしろ見てくれ。お前に見られる分には嬉しい」

「……」

 目を点にして江間を見つめてしまい、なんだかよくわからないが、見ても大丈夫になったらしい、と間の抜けたことを考えた。


「……怒ってる?」

 江間のすねたような、困っているような、怒っているような顔を見ているうちに、ポロリと言葉が出てきた。

 ああ、まただ、何かが変わってしまっている。こんなセリフを私が言うのはおかしい、と郁は戸惑う。

「……怒ってる」

 目を見開いた江間が、眉間にしわを寄せて、肯定を返してきた。

「菊田先輩のことであれば、連れて来られるなら、来るのが正しい。それで問題は一気に解決する。なんで怒るのか分からない」

 ――そう。ごめんなさい。

 怒っていると言われたら、以前ならそれで終わらせていた。なのに、今は、彼が怒っている理由を、ちゃんと知りたいと思っている。


「なんで? 俺が聞きたい。あいつをわざわざこっちに、俺たちのところに連れてくるとか、何考えてるんだ」

 江間が視線と声を尖らせた。

「お前ともリカルィデとも約束したように、できることはする、助けられる奴は助ける。でも、お前を傷つける奴は対象外だ」

「え、ええと、そんなことで怒――」

「そんなことじゃない」

 きっぱり言い切った江間は怒っているのに、泣きそうという不思議な顔を一瞬見せた。

「菊田とかの問題だけじゃない。あいつらも腹立たしいけど、俺は、お前がお前に無頓着なことに、一番ムカついてる」

「私が私に、って……」

 やっぱり“そんなこと”じゃないか、と言おうと開いた口を、ふと噤んだ。


≪お前の妹、あれ、鬱陶しいな。何とかしろよ≫

 そういえば、昔彼がそう言ってきた時、謝った郁に彼はさらに不機嫌になった。

 郁の妹は、郁に近い人に会いに行くのはもちろん、メールや電話などの連絡先を勝手に入手し、SNSなどをやっている人であればそれも辿り、接触しまくる。プレゼントをあげたり、食事や旅行をおごったり、相手が異性であれば、好意をほのめかしたりと、気を引くための手段も選ばない。

 郁と同じ学科で同じ専攻、同じゼミの江間は、多分一番迷惑をかけられているから、正当すぎる苦情だと思っていた。

 ひょっとして、あれも自分を心配して怒っていたのだろうか……?


「なに呆けた顔してんだよ」

 江間の顔をしげしげと見つめれば、彼は露骨に嫌そうな顔を見せ、ぷいっとそっぽを向いた。

 本当に信じられない。馬鹿じゃないのか。一体どこまでお人よしなんだ――

「ありがとう」

 そう言うつもりで開いた口からは、まったく違う言葉が出てきた。そして、その瞬間、何かがすとんとはまった。

 妹が自分の周囲の人に付きまとうようになったことを、郁は祖父母に言わなかった。

 妹が自分に迷惑をかけたからと言って、祖父母に害があるわけじゃないのに、それでも言えなかったのは、その頃、祖母が体調を崩すようになって、それで祖父もひどく消耗していたからだ。彼らはそんな状況でも、郁が困った状況にあると知れば、自分のことのように郁を心配し、郁のために怒ってくれると知っていたから、言いたくなかった。

 目の前のこのお人好しは、そんな祖父母と同じレベルで、自分を心配してくれているらしい。

「江間、ありがとう」

 もう一度、言葉の意味を確かめるように告げる。そのまま江間の黒い瞳を、まっすぐ見つめた。

 驚いたように少しだけ大きくなった目は、それでも自分を正面から見つめ返してくれる。彼はいつもそうだ。


「でも、菊田先輩のことなら、本当に問題ない。馴化をダメにして、かつ情報を取るなら、連れてくるのが一番いい」

「まだ言うか」

 自分のために怒ってくれる人が、この世に存在していることは、途轍もなく幸せなことなんだ、と郁は顔を伏せる。今顔に浮かんでいるだろう、泣き笑いを江間に見られたくない。

「私個人のことなら、今度は何かやられたら、放置しない」

 嫌がらせだろうと、嫌みや悪口だろうと、何をされようと、どうでもよかった。どうせ大した害はない。

 惑いの森で起きたことだって結果オーライで、今のところ郁はここでうまくやれている。でも……、

「江間が嫌だと言うのであれば、絶対に好き勝手にさせない――誓う」

「……言わないこともあるし、嘘を吐くこともあるけど?」

「じゃあ、これに関しては言うようにするし、嘘も吐かない」

「他のことに関しては、相変わらずなわけだ……」

 じろりと睨んでくる江間に、郁は笑いを零した。

 自分の中で何かが確かに変わってきている――それがいいことなのかどうか、わからない。変わるのは怖い。でも、この人を、自分を心配してくれる人たちを、大事にしたい。


 年明けの冷たい夜風が、背後から吹いて行った。

 郁の外套とマフラーの裾を揺らした後、江間のほぼ黒に戻った、少し癖のある前髪をふわりと揺らしていった。

 その背後の大通りは、家路に着く人がちらほらといるだけで、明年の期の賑わいが嘘のように静かだ。


「……まだ怒ってることがある」

 すねたように口を曲げる江間に、郁は眉根を寄せた。今度こそ思い当たることはない。

それが伝わったのだろう、江間は長々とため息を吐いた。

「避けないでくれ」

「……避けてない」

「避けてる」

 坂の下にいた江間が、長い足を動かしたと思ったら、すぐ目の前に来た。今まで同じぐらいの高さにあった目線が、上に行く。

「……」

「ほら、今だって」

 無意識に後退ろうとして、腕をつかまれた。

「……」

 顔が赤くなっていくのがわかる。これもおかしい。今までは、どきっとすることはあっても、江間の人との距離はそんなものだと思って、落ち着いて見せることができた。今はどうやっても落ち着かなくて、離れたいと思ってしまう。

 婚約していることになっているから、そうと見せるために必要なことだ、江間には大した問題じゃない、なら自分だって、と思うのに、うまくできない。


「……ごめん。うまくやれるようにする」

 情けなさもあって顔を伏せれば、全身を抱き込まれた。寒さが一気に遠のく。

「違う。避けないでいてくれたら、それでいい」

 後頭部と腰に回された腕にぐっと力が入った。江間に全身を押し付ける形になって、指先まで赤く染まっていく。心臓が痛い。

 きつい拘束の中、可能な限り小さくなろうと俯いた。

 だが、腰にあったはずの手が顎に回されて、抵抗を何でもないかのように、上を向かされた。

 見てはいけない気がして、咄嗟に目を閉じれば、江間の髪が額をくすぐる。

 吐息が、次いで温かい感触が唇に落ちた。角度を変えて、ついばむようにもう一度。そして、次は長く――。

「……」

 離れていく感触に、薄目を開いた。ごく近くにある江間の目は、どこか苦しそうに見える。

 そして、また抱きしめられた。無様なほど早い心臓の音が、彼に聞こえているのではないかと、気が気でない。

「戸惑われるのも、赤くなられるのも、緊張されるのもかまわない。その、なんていうか、お前は怒るかもしれない、けど、」

 言い淀む、彼らしくない様子に、郁はおそるおそる目線をあげた。

「そういうのも……か、わいい、と思ってる」

「……」

 目の前のこの人は江間、のはずだ。だが、黄昏れの中で、はっきりわかるほどに染まった顔も、郁と目が合って逸らすのもおかしい。なにより信じられない言葉を聞いた気がする。……正気、なのだろうか?

「……頭、大丈夫かって目すんの、やめろ」

 腕の中の郁を見て、「お前ってやつはほんっとに」とぶつぶつ呟きながら、肩を落とした彼に力が抜ける。

 思わず吹き出せば、止まらなくなった。くすくすと笑い続ける郁を睨んでいた江間も、次第に顔を緩め、最後には苦笑を零した。


『あのう、お取込み中、大変申し訳ないのですが、エマさまとミヤベさま、ですよね?』

「っ」

 びっくりして慌てて江間から離れれば、そこにいたのは、シャツェランの身の回りの世話をしている壮年の侍従だった。

 寒い風が吹く中、汗をかいているのか、布でしきりに額をぬぐっている。

『その、殿下が、ですね、一緒にお食事はいかがかと……急なお話ですので、無理ではないかと申し上げたのですが、オルゲィさまにお断りされた後、どうしてもお二人に、と……』

『内務処長が断った後……?』

 江間の声が剣呑に響く。角度的に郁からはよく見えないが、男性の顔が引きつったのを見ると、また機嫌が悪くなったらしい。

『え、ええ、なんでも今日は、お嬢さまのお客様が来られるので、都合がつかないとかで』

「……あの野郎」

 はっきりと不穏な言葉を吐いた江間に、郁も顔を引きつらせる。

『ああああの、夜遅くなるだろうから、客室も用意、せよ、と、仰っ……』

『……二つ?』

『は、はい、もちろんでございますっ、失礼のないよう、に、と……』

「――いつかぶん殴ってやる」

 素晴らしく整った笑顔で吐いた江間の日本語を、ディケセル人の彼が理解できないことに、郁は心から感謝した。


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