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故地奇譚 ―嘘つきたちの異世界生存戦略―  作者: ユキノト
第19章 戸惑い ―メゼル―
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19-3.見聞処長アドガン(ゼイギャク)

『――なぜ言わない?』

『久しぶりに会ったというのに、挨拶もなしか』

 ディケセル王弟シャツェランの執務室から退出したゼイギャクは、白い柱の陰から響いてきた声に、低く笑って返した。

 息をのんだゼイギャクの部下が、音を立てて声の主を向き直り、剣の柄に手をやる。

『鍛錬不足だな。今日はケォルジュじゃないのか』

 暗がりから音もなく出てきて、その配下を鼻で笑ったのは、メゼルディセル領見聞処長のアドガンだ。

『足りぬのは経験だ。いずれケォルジュにも追いつく。今のもよい教訓になっただろう。礼を言う』

 喉の奥で笑って返したゼイギャクは、顔を青ざめさせる配下に、外すように告げると、アドガンと肩を並べて歩き出した。


『なぜ庇う?』

『前途ある若者を導くのは、我々の世代の義務だ』

『とぼけるな、そっちじゃない――あの禍つ者どもの話だ』

『禍つ……はて、心当たりがないな』

 涼しい顔で返したゼイギャクを、アドガンは横目で睨む。

『あの青目の娘の髪はギャプフ村に来た時、今のお前のようだったそうだ』

『それは気の毒なことだ。大方、避難にあたって、男児のふりをしたのであろうよ。あれほど整った女児となれば、危険は増す』

『ギャプフの者たちも、あの娘にひどく同情し、今のお前とそっくり同じセリフを言った。年頃の女の子にとって残酷なことだからと、髪が短かったという事実一つを聞き出すのに、恐ろしく手間取った』

『ギャプフには心優しい者が多いな。コーゼン統官の人徳だろう』

 村の統官の名を称え、軽く返したゼイギャクに、アドガンは目を眇めた。威圧に空気が重くなるが、ゼイギャクは顔色一つ変えない。

『あの二人だ。あの二人が、ディケセル人であれば、当然持つはずの、娘の髪と性別への疑問を封じ、さらに同情を引き出すことで、人々の口が重くなるよう誘導した――青目の娘の正体を隠すために』


『……』

 ゼイギャクは立ち止まると、アドガンの白目がちの目の中に浮かぶ、緑の瞳を見つめた。

 メゼル城本塔のらせん階段の入り口にあたるその場所へ、階段内部から賑やかな声が響いてくる。登ってきた近衛兵士団所属のグルドザ三名は、行く先にカードルテ領主ゼイギャク・ジルドグッザと、見聞処長アドガンがいると見るなり、顔を固くした。そして、最敬礼すると、慌ててすれ違っていった。

 再び静寂が戻る。


『金の短髪、青い瞳、十二という年齢、公用通知文も古語も難なく扱える識字能力、そして扱う独特の言語――ゼイギャク、お前はあの娘の正体を知っているはずだ。そして、その娘とその言語で会話しているあの二人の正体も』

 ゼイギャクは止めていた足を動かし、無言のまま階段を下っていく。

 横に並んだまま、ゼイギャクに歩調を合わせるアドガンの顔を、階段の小さな窓から注ぐ、午後の日差しが照らし出した。

 本塔から内務処塔に繋がる渡り廊下に出る。ゼイギャクの鋭い耳が、自分たちが向かう方向から近づいてくる足音を捕らえる。

 歩幅は一定で、四ソケルと二ケケル、体重は二ソッタ四ガッタ、若い、訓練の度合いはそれなりに高く、利き足が逆に比べてかなり強い。覚えがある。確か、メゼルの内務処長オルゲィ・リィアーレの息子だ。

『お? おお、ゼイギャクさま、お久しぶりです。アドガンさまも』

 バルドゥーバと聖クルーシデの戦争時にシャツェランに随行していたエナシャ・リィアーレは、二人に略礼と共に明るく挨拶し、素早くすれ違っていった。軽く見えがちな言動とは裏腹に、空気と状況を的確に読み、抜かりなく行動する彼らしい動きだ。


 見通しの良い廊下から人の気配が消えたことを確認すると、ゼイギャクは口を開いた。

『アドガン、お前のことだ。青目の娘の正体を暴くために、情報を集めたのだろう? それで? 娘の耳の後ろにほくろはあったか? 犬歯の数はどうだ?』

『……嫌な奴だ』

 娘の正体としてアドガンが疑っているだろう、アーシャル・ディケセル王子の身体的特徴を、ゼイギャクが挙げれば、彼は顔を大きく歪めた。


 動機は異なるだろうが、アドガンもゼイギャクと同様、アーシャルについて調べたのだろう。そして、同定に失敗した。

 十二年間、だ。その間ずっとセルの城の中にいたはずなのに、アーシャルを正確にアーシャルと特定しうる情報は、どこにも残されていなかった。一方で、混乱を引き起こすだろう情報だけは、随所に仕掛けられている。

 そう、先ほどゼイギャクが、シャツェランの前で出会った青目の娘に、ほくろはないし、犬歯も上下一対ずつ、一部の者が侮るように頭が弱いということもない――ゼイギャクが森で見た本物のアーシャルと同じように。

 ゼイギャクは何度か話したことのある、黒髪の、穏やかな風貌の異世界の女性を思い浮かべ、くつりと笑った。何とも小気味よい話ではないか。

 あの人はあれほどの抑圧の中にいながら、頭一つでディケセルとバルドゥーバの二国を謀りにかかり、死してなおアーシャルを守り通している。


 だが、同じ存在に対してアドガンの抱く感想は、ゼイギャクと異なるようだった。

『危機感を持て、ゼイギャク。危険なのは、ヨコテサチコだけではない。“奴ら”の頭の中にあるものを、我々は知らない。“奴ら”が重きを置くものが、我々にはわからない。ゼイギャク、お前は理解できるはずだ――“奴ら”の考えを、行動を、我々が読むことは不可能だ』

 苦々しくそう呟くと、アドガンはゼイギャクを睨み、『放置すべきではない、危険すぎる』と繰り返した。

 ゼイギャクとは別の理由で、アドガンも、ミヤベとエマが稀人であると確信している。そうと知りながら、ゼイギャクはアドガンへ笑って見せた。

『彼らは、逆はあっても、これまで他者を害したことはない。今のところ特に野心も見せていない。やけに突っかかるじゃないか、カィーラ氏族のアドガンともあろう者が』

『あいつらは、わずか十日足らずで、あの森を自力で抜け、完璧に正体を隠し、この世界に潜り込んだ。誰がそんなことを考えつく? 知識も武器も装備も欠けた状態で、化け物に襲われうると知っていてなお、自分たちの素性を隠すべきと判断し、そのために必要なものをすべて森で調達し、その通りにした――危険性はヨコテサチコの比ではない』

 アドガンは顔を歪めた。

『そのくせ奴らは“違う”ことを隠そうともせず、好きに行動する。イェリカ・ローダも、疫病も、為政者たる王も、殿下でさえも、あいつらの枷にはならない。警戒しすぎるということは、断じてない』

『警戒していない訳ではない。だが、しばらく好きさせるつもりだ』

 先ほどの主君シャツェランの様子を見る限り、あの娘にはまったく気を払っていないが、宮部と江間の正体については、既に確信しているようだった。そして、それについて問い正す気はなく、むしろおもしろがっている。かなり気に入っていると見ていい。

 今のところ、それゆえの問題は出ていないようだが、シャツェランが元々向こうの人間に強く傾倒していることを、ゼイギャクは嫌というほど知っている。

 ならば、監視のみならず、あの二人の人となりを徹底的に検証せねばなるまい。彼らがあの娘をどうする気なのか、その確認も含めて。


『悠長なことだ』

『性急なことだ』

 白い目を向けてきたアドガンに、ゼイギャクは笑って答える。

『私は殺すぞ』

 少しでも不審な動きをすれば――

 不吉なほどに平坦な声だけを残し、アドガンは現れた時と同様、暗がりに吸い込まれるように、ゼイギャクの前から去っていった。


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