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故地奇譚 ―嘘つきたちの異世界生存戦略―  作者: ユキノト
第18章 暗殺 ―メゼル―
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18-7.足音

 顔の片側をしかめ、江間に向き直ったシャツェランの視界に、攻撃的な笑いを見せる江間と、顔を青ざめさせたリカルィデの姿が入った。

『……その枕で何をする気だ?』

『場合によっては投げようかと』

『お前ら、もう少し私に敬意を払え……』

 ため息をつきながら、シャツェランは江間のすぐ横に腰掛けた。そして、リカルィデに目を止めると、眉を跳ね上げた。

『お前も泣いたのか』

『え、あ、はい……』

『愛されているので。ちなみに、宮部にも大泣きされました』

 にこりと笑いながら、江間はリカルィデを自分の背後に押しやる。

『……生死が関わればな』

『ですね。助けようと、口付けて水を飲ませてくれるくらいですから』

『え』

 なんで知ってるの、と目を丸くして江間の顔を覗き込もうとしたリカルィデは、江間に微笑みかけているシャツェランから冷たい空気が漂っているのに気づいて、慌てて江間の背後に隠れ直す。

『……それも生死あってようやくだとすれば、切ないな』

『ご心配いただかずとも。生死関係なく、です』

『心配するとも。それが本当かどうか、怪しいからな』

『怪しまれる理由がさっぱり』

『どうせ口づけたのは初めてだろう、今日が』

『……光栄です、初めての相手に選ばれて』

『……初めてじゃなかったらどうする?』

『ありえないので、それこそご心配なく。それに最後の相手でもあるので』

『随分と楽観的だな』

 微笑み合っているのに、空気が寒い。江間は病み上がりなのに、とリカルィデは半泣きになる。

 そのリカルィデにふと目を落としたシャツェランは、大きく顔をしかめた。

『……取って食ったりはしないぞ。お前はお前で、毎回毎回、猛獣を見るような目で人を見るな』

『あ、え、その……ご、ごめんなさい』

『いや、真面目に謝る必要もないんだが…』

 困ったように自分を見下ろす王弟――自分の血縁上の叔父の顔を、リカルィデは驚きを持ってまじまじと見た。

『そんなに怖いか? 流石に傷つく』

と呟いて、自分の顔をペタペタと触る王弟に、リカルィデは江間と顔を見合わせる。

『毎回こうやって俺をいじめているからでしょう』

『大人しくいじめられているわけでもあるまいに』

『そう見えて、実は毎晩毎晩、枕を涙で濡らしています……』

『誰が見ても嘘とわかる台詞を、よくもぬけぬけと……』

 しょぼんとした顔を作ってうなだれてみせた江間に呆れたのか、シャツェランがうんざりとした顔で天を仰いだ。

 妙に子供っぽく見えて、リカルィデはくすっと笑ってしまった。慌てて口を塞ぐが、シャツェランと目が合ってしまう。

『……なんだ、笑えるんじゃないか』

 美しい蒼玉の収まる目元を緩ませて、頭をポンと叩かれた。

『……』

 その目に湛えられている優しい色に、サチコやミヤベ、エマを連想して、リカルィデは目を見開く。

 怖い人だと思っていた。自分はもちろん、この国の王である父さえも、彼と一緒にいると霞むし、あのサチコも尊敬を露にし、彼が会いに来る日は少し緊張していたように思う。

 彼と夢で何度も出会っていたというミヤベが、彼を傲慢だと、だからリカルィデに会わせたくないと言っていたことも、怖いというイメージに拍車をかけた。

 でも、そうでもないのかもしれない、と思う。

 先日は書物棟の本を読む許可をくれた。いつかの廊下の時だって、今だって、自分が緊張している時には、声をかけてくれる。さっきは泣き跡の残るミヤベを気遣っていた。なんだかんだ言い合っているけど、今もエマのこともちゃんと心配してくれている。

『……』

 そうしてようやく緊張を解くと、リカルィデは微笑を零した。



『どうぞ』

 郁は白湯とシガを煮た重湯を手に部屋の扉を開くと、内務処長のオルゲィと医処長である医師、昨日もいた兵士団長とその上役である第二師団長を連れて、再び江間の元に戻った。

 医師が江間に近寄り、脈や舌など体の調子を診始める。

『ほぼ元通りのようですな……』

 ほっとしたような声を出し、彼はシャツェランの様子をさりげなくうかがった。

 主君が誰より早く見舞いに行くほど、気に入っている人物だ。助けられなければ、自分の身が危うくなる。江間が回復して、郁やリカルィデとは別の意味で、彼も喜んでいるに違いない。


『それで原因は何だったんだ?』

『多分食……なんていうんだっけ? まあいいや、昼食に食べたものの何かじゃないかと』

『はあ?』

 呆れたような、怒ったようなシャツェランの声に、江間は肩をすくめる。

『なんだ、その間抜けな理由は!』

『そう言われてもなあ。体調もあったのかな。その、昨晩、あまり寝てなかったし』

 江間にちらりと見られて、郁は目を瞬かせた。

『よりによって刺客に襲われた時に倒れるな、紛らわしい』

『まあ、体質や体調によって、不調の出る食べ物は結構ありますので。他に、普段は平気でも、運動すると具合が悪くなることもあります』

 刺客と戦ったことで、余計ひどくなったのでしょう、と怒るシャツェランを宥める医師を、郁は見直した。

 彼が言っているのは、アレルギーのことだろう。今回の江間の症状はアレルギー症状ではなかったが、こっちの世界の水準でその知識があるというのは、なかなかすごいことに思われた。

 ならば、事情を明かし、稀人だと言ってしまえば、もっと協力を得られるのかもしれない。体質的に、毒となるものがあるのだ、と。

(そうすれば、例えばサチコさんの記録などを調べてもらえて、江間はもう少し安全になるかも……)

「……」

 迷いが生じる。

 だが、昨夜『魔』呼ばわりされたことを考えると、踏み切れない。稀人だとわかれば、ああいう扱いを受ける可能性は、さらに増えるだろう。


『リカルィデ、エマはもう心配ないとお医者さまが仰っているから、内務処の休憩室で休んできなさい』

 第二師団長の目配せを受けたオルゲィにそう言われ、彼女は戸惑ったように郁を見た。シャツェランもこっちを見ている。

『そうしなさい』

 少女に聞かせたくない類の話らしいと判断すると、郁はリカルィデを呼び寄せ、部屋の外で待機しているコルトナに彼女を託けた。

 憧れのリカルィデを託されて舞い上がりかけたコルトナは、郁の『頼みます』という言葉に、すぐに平静を取り戻す。

『それから、コルトナ、江間の心配をしてくれてありがとう。エナシャたちにも昨日のこと、お礼を伝えて欲しい』

 照れたように笑って頷いた彼は、ちゃんと距離を保ちながら、リカルィデを連れて行った。

「……」

 二人の後ろ姿を見ながら、郁は祖父を思い起こす。

 ディケセルは、彼の話で聞いていたような、美しく平和な、豊かな国じゃなかった。

 でも、少なくともここの多くの人々は、今リカルィデを気遣ってくれているように、子供や困っている人を思いやり、助けようとしてくれる。祖父がそうだったように、コルトナも、オルゲィも、グックルスも、先ほどの師団長たちも、そしてシャツェランも、だ。

(私たちが稀人と名乗っていたら、わからなかったことかもしれないな……)

 複雑な思いを抱えながら、郁は部屋に再び戻った。



『バルドゥーバの商人……?』

 メゼルディセル軍第二師団長の説明に、郁はぽかんと口を開けた。思わず江間を見れば、彼も同じ顔をしている。

 昨日捕らえられた襲撃犯が、軍のグルドザたちの尋問に、あっさりと雇い主を吐いたらしい。

 その辺の破落戸に毛が生えた程度の、訓練もさほど受けていない人間だということもあって、わざわざ偽証するようなことはないだろう、と補足しながら、師団長は『心当たりはないか?』と顔をしかめた。

『イゥローニャ、だから……? 何十年も経って、王が代替わりしたってのに……?』

『バルドゥーバ人は、基本的に残虐で粘着質だ』

 呆れと嫌悪を零した江間に、シャツェランも嫌気を隠さない声を返した。

『君たちの場合は、それに加えて洗衛石の件で、ギャプフ村の双月教徒を虚仮にしたからな。バルドゥーバ人たちは国教に喧嘩を売られたと思っているだろう』

 オルゲィが渋い顔で首を左右に振った。

『洗衛石、つまりヒュリェル、薫風堂から私たちの存在を辿ってきたということですか』

『おそらく。薫風堂と取引のある商人だ』

 眉をしかめた江間の横で、郁も嫌悪を露わに顔を歪めた。

 惑いの森で見た時から、バルドゥーバへの好感などまったくなかったが、イゥローニャ族への仕打ちや聖クルーシデとの戦争、稀人の誰かの処刑など、知れば知るほど、嫌いになっていく。

『その商人はバルドゥーバ国の意向で、私たちを狙ったのでしょうか?』

『商人のバルドゥーバ城への出入りは確認済みだ。その可能性もあるし、あの国の要人のご機嫌取りを狙った商人の独断という可能性もある』

「……」

 バルドゥーバの城には福地たちがいる、と郁は目を眇めた。

 その商人はおそらく洗衛石だけではなく、好水布についても知っているだろう。せっけんとタオル――寺下はともかく、福地ならそれらを見れば、確実に疑問を持つ。

 もし調べられたら? 薫風堂とヒュリェルの名前が出るだけならいい。だが、商人が自分たちを狙ってきたことを考えると、自分たちの名前が彼に伝わるのも時間の問題だろう。

 こっちでの江間の発音は、日本人の耳には「エ」に小さな「ン」、「マとバの中間音」、宮部の発音は、「リとミの中間音」に「ィァ」、「メもしくはレの中間音」となって響くはずだ。エンバとリィァレ――確証にはならなくても、福地の性格であれば、確実に疑って、探りを入れてくるはずだ。いや、既に入れてきているかもしれない。

(もし、私と江間が生きて、メゼルディセルにいると知ったら? 彼はどう出てくる?)

「……」

 自分たちを狙った今回の商人には、彼の息がかかっている可能性がある。

 名前を変えておくべきだったと後悔していると、江間と目が合った。彼の雰囲気が鋭く尖っていて、同じ懸念を持っていることが伝わってくる。


 シャツェランの声に郁は息を止めた。

『――明年の期が明ける頃にゼイギャクが来る』

 急に変わった話題、そしてそこに出てきた名前に、動揺しそうになるのを咄嗟に抑える。横の江間も平静を保っていた。

『ゼイギャクというと、英雄のゼイギャク・ジルドグッザさまでしょうか?』

 出来るだけ不思議そうに、かつ驚きを交えて――

『ああ、リバル村に行くのに同行させる』

『……させる?』

 今度は素で驚いた。同行『する』じゃなく、『させる』……?

 まさか、と顔色を変えた郁に、シャツェランは、含みと艶のある、美しい笑顔を見せた。

『生中の期の四日に出発だ、準備しておけ』


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