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故地奇譚 ―嘘つきたちの異世界生存戦略―  作者: ユキノト
第18章 暗殺 ―メゼル―
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18-4.昏睡

 メゼル城の医司。

 いくつかある患者用の個室の一つ、窓際に据えられた寝台で、江間が寝ている。倒れた直後には意識があったのに、その後無くなり、いくら呼んでも触れてもまったく反応しなくなった。

 室内の火鉢、ゴーゴで火が焚かれ、そこに片手鍋状の薬缶がくべられている。吹き出す蒸気は冬夜の冷気に接している窓に触れ、結露する。


『襲撃者の持っていた武器に、薬などが塗られていた形跡はありませんでした』

『そもそもエマに傷はありませんので…』

 第二師団の兵士団長の後を、シャツェラン付きの医師が受ける。

『では、エマが倒れて今なお目を覚まさない原因は何だ?』

 眉間にしわを寄せたシャツェランの不機嫌な声に、『何かの病がたまたま襲撃に重なったか、そうでなければ、事前に毒を盛られていたという可能性は……』と医師が郁に視線をよこした。

『……』

 郁は無言で首を振り、横たわったままの江間の顔へと視線を戻す。

 彼の手をぎゅっと握りしめたが、反応はやはり返ってこない。


『エマを警戒する者は、増えております』

『素性が知れぬ上に、やたらと妙な知識を持っている』

『そのような者を殿下のお側近くに置くな、という声も大きい』

 情報機関にあたる見聞処、その副長を皮切りに何人かが同意を示した。

 つい先ほど、泊りの予定を取りやめて、城にやって来たリカルィデと、その友人でありオルゲィ内務処長の娘でもあるチシュアが、彼らの言葉に顔を強張らせる。


『病や毒ではなく、呪いだとでも言う気か』

『私はそう考えます。現に狙われているではありませんか』

『彼らはこの地の民でも、ディケセル人でもありません。コントゥシャさまのご加護も、メゼルの土地神であらせられるアリロッソ様のご加護もない』

『そもそも彼自体が怪しいではないか。彼が呪いもしくは魔そのものだとすれば、』

『――外でやれ』

 耳にした瞬間、視界が真っ白になって、郁はシャツェランに熱心に弁を振るう、呪い師たちを遮った。

 血の気のない顔をまっすぐに向けられたせいか、壮年から老年に属する男たちが鼻白んだ。

『もううんざりだ』

 吐き捨てるように口にした瞬間、激情が湧き上がってきた。

(魔? なぜそんな風に扱われなければいけない?)

 何も関係ないのに、彼はこの国の人たちを、郁を、リカルィデを助けようとするお人好しだ。困っている人間に、時に自分を犠牲にしても手を貸そうとする、その彼が、なぜそんな風に言われなくてはならない。

 なぜこんなところで。なぜ江間が。なぜこんな目に遭わなくてはならない――。

 叫び出しそうになるのを堪えるために、唇を噛み締めれば、口内に血の味が広がっていく。


『……』

 激情のまま目の前の一人一人の顔を睨みつければ、シャツェランと目が合った。瞬間、なぜか泣き出しそうになって、それが嫌で再度口を開いた。

『っ、出て行』

『――ミヤベ、落ち着きなさい』

 自分の従伯父でもあるオルゲィ内務処長の静かな声と、祖父と同じはしばみ色の目に、かろうじて怒鳴り声を飲み込んだ。

 顔見知りの防病司長グックルスが、白い、長い眉を殊更に下げて、郁へと歩み寄って来て、肩を叩いた。

『悪いが、私も見たことのない症状で、原因がわからない。調べてみるから、ミヤベも少し休みなさい』

『グックルスさまの仰るとおりよ。あなたも顔色が悪いわ、気分は悪くない?』

 リカルィデを、チシュアと一緒に送ってくれたオルゲィの妻、サハリーダが近寄ってきて、郁の顔を覗き込んだ。

『……私、私は、大丈夫、です……』

 なのに、なぜ江間だけ――

『……』

 歪んだ顔を見られたくなくて、咄嗟に顔を伏せる。

 すると、視界に金の飾り鋲のついた靴が目に入り、次いで『……悪かった』と頭に手が触れた。

『そんな顔をさせるつもりはなかった。何かあったらすぐ呼べ』

 その靴を追って、列をなした人々が部屋から出て行った。


「ミヤベ、私、ケイコウホスイエキ、作ってくる」

 目を真っ赤にしたリカルィデが、サハリーダやチシュアと共に調理処へと出て行った。

 静まり返った室内で、薬缶から吹き出す蒸気の音が、ひどくよく響く。

「……」

 江間が寝かされている寝台脇のナイトテーブルには、先ほどの医師がおいていった様々な薬がある。

 その横には、呪い師と呼ばれる職業の者が持ってきた、小瓶に入った砂と小さな香炉、何かの骨――。

「……っ」

(何が『魔』よけの儀式だ……っ)

 郁はそこに目を止めた瞬間、衝動に任せてそれらを払い落した。


 時刻はおそらく没の刻、日が変わった頃だ。暗殺を退けた直後に江間が倒れたのが昼過ぎ、半日近く経ったことになる。

 倒れた江間は、エナシャや他のグルドザたちによって、すぐ裏にあるメゼル城に運び込まれた。その時にはまだ話も少しできたのに、一度眠りについてから、彼は目を覚まさない。

 早い呼吸を繰り返しているだけで、気付けば横にいて、憎まれ口を叩くこともないし、皮肉を言うことも、笑いかけてくることもない。事ある毎に触れてくることもないし、何かを見つけて、子どもみたいに話しかけてくることもない。

「……」

 彼のベッド脇の椅子に腰を下ろし、青白い顔に触れてみる。前髪をかき上げて額に手をやったけれど、相変わらず熱はない。そのまま手を頬に、そして顎へと移動させる。いつも彼がしてくるように。

「……どうした、宮部?」

 そう言って起きて、目元を緩めてくれるような気がした。

「……っ」

 その瞬間、耐え切れなくなって、郁は両手で自分の顔を覆った。視界がふさがれる寸前に入った腕輪の存在に、気管が震え出す。


 ――原因がわからない。

 兵士団長たちの言う通りだ。昨日の襲撃で江間が傷を負った形跡はない。相手が毒などを持っていた様子もなかった。では、何かの病気かと思えば、城についている医師や防病師たちも、誰も原因がわからないという。

 そうかもしれないと思いながら、それでも、と、すがった糸は簡単に切れてしまった。


(死ぬのだろうか、江間は……?)

 顔を覆う手が震え出し、それが全身に広がる。

(私を信用して付いてきてくれたのに、今日だって刺客から庇おうとしてくれたのに、私みたいなのにも笑いかけて、助けようとしてくれるお人好しなのに、私はその彼に恩を返すと誓ったのに、まだ何も返してないのに――)

「……ミヤベ?」

「っ」

 不安そうなリカルィデの声に、顔から両手を跳ねのけた。

 実蜜と塩を混ぜた水差しを持ち、「エマ、具合、悪くなった……?」と今にも泣き出しそうな顔で、部屋の入口で棒立ちになっている。

「……変わらない」

 郁が首を横に振ると、彼女はほっとしたような、悲しそうな顔で江間の寝台脇へとやって来た。郁の横にぴたりとくっついて座る。

「……これ、『病払い』の、ええと、おまじないの」

 足にあたった床に落ちた小瓶や骨を見て、リカルィデが戸惑う。

「ごめん、八つ当たり……それが悪いわけじゃないのに、あたったの」

 郁はそれらを拾い集める。でも江間の枕元に戻す気に慣れなくて、傍らの塵入れに放り込んだ。

「おまじない、効かない……?」

「気休め――心を慰めたり、元気にしたりする効果なら、ある人にはあると思うし、それで治る病もある。けど、そうじゃない病気は、原因とそれによって起きる症状の、最低どっちかをどうにかできない限り……」

「神様に祈ってもダメなのか? こっちのじゃなくて、エマやミヤベの神様でも……?」

「……」

 リカルィデにただ首を横に振り、唇を引き結べば、そこが震えた。

 孤独には慣れているはずだった。両親も妹も家族じゃなかったし、親友だと思っていた人も、自分を信じてはくれなかった。友達もいない。

 だから、祖父母が死んでからは、誰かに何かを望むこと自体を諦めた。

 幸い郁は大抵のことを一人でこなせる。ならば、一緒にいる誰かに足を引っ張られることもない状態は、そう悪くない。そう気付いてからは、ますます人に近づこうとは思わなくなった。楽でいい、そう思っていた。


 なのに――、

「じゃあ、望んでくれ」

 そう言って、青と黄の月光の下で笑った江間の顔を見た時から、何かが狂っていった。

 自分を心配してくれて、怒ったり、一緒に悩んだりしてくれて、同じものを見て笑ってくれる人ができた。顔を見て話ができて、食事を共にできて、一緒に夜更かしをしたり、目的なく街を散歩したりもできる。

 そうするうちに、思い出してしまった。最初から一人を望んでいたわけじゃない、と。

「……」

 その人の命が今、消えようとしている――。


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