体はひとつ、意識はふたつ
悶々としながらも、体は慣れた仕事をこなしていく。部屋の隅に用意されていた水差しから氷とミントの葉入りのミント水をガラスのコップに注いで、盆にのせてアーサーのもとまで運んだ。
「いつからお仕事なさっていたんですか。そこまで火急の要件ありましたっけ」
ローランドとしての意識が、アーサーに小言めいたセリフを告げた。
アーサーは、苦み走った男らしい顔に微笑を浮かべて「何かしていないと落ち着かなくて」と言った。
(イイ……、声がイイ。転移転生もので「声優の○○さんと同じ声で」という注釈を見かけるたびに「それどういうメカニズムで??」と不思議に思っていたものだけど、たしかにアーサーの声はあの声優さんそっくり。いいえ、そのもの。耳元で囁かれたらヤバイ……)
あの声優さんそっくり、までは私の意識。耳元で……以下は、明らかにこの世界の住人であるローランドの意識による願望だ。
囁かれたがっている。
伊達に、好感度カンストしていない。カンスト。カウンターストップ(和製英語)。つまり、ステータスとして、最高数値まで上がりきっている。攻略間近。
自分のお付きとして、謹厳実直に仕事に励んでいる男装少女に何してくれてるのよ、アーサー……(あ、そうか。男も女も関係ないんだった)。
執務机にそっとコップを置く。「無理しないでください」と少年にしては甘く澄んでいて、少女としてはやや低い声がたしなめるような言葉を口にする。
ははっ、とアーサーは明るく笑った。鼻筋の通った彫りの深い顔立ち。男らしくきっぱりとした眉、情熱的な眼差しに、快活そうな口元。
ハリウッドにいそうだな、とかつての自分が大雑把な印象を脳内で呟き、すかさずローランドの意識が「この世に二人といない黄金率を全身に宿らせた神の手になる造形美」とくどくどしい表現で褒め称える。
(わかるけど……。たしかアーサーは、相手によっては受けにも攻めにもなるのよね。筋肉美の騎士団長相手には攻めだけど、意外なことにたおやかな優男の魔術師団長には受けになる……だったはず。宰相殿とはなんとも言えない友愛に満ちたまったりした関係に落ち着いて、リリアンちゃんに対してはドSな獣、と。ああ~、ローランドルートが公開前だったのがとても残念だわ……。体が華奢で少女である以上立ち位置はリリアンちゃんのときと同じで間違いないと思うのだけど、恋人成立後にどんな展開を迎えるのかがさっぱりわからない)
そもそも、知識が偏っている。主な情報源が、原作よりはハッシュタグ付きで描かれたファンアートなどの方が圧倒的に多く、公式と非公式の境が曖昧なのだ。カップル成立後の動向も、もしかすると二次創作と混同した勘違いもあるかもしれない。
どうして、いざ転移転生しても万全なほど、熱心にこの界隈をなめ尽くして知り尽くしていたというのに、よもやほとんど唯一手を出しそびれていた世界へ転生してしまったのか。
「それにしても最近はたしかに根を詰めて仕事に没頭していたかもしれないな。執務室にこもりきりだ。少し体を動かしたいところだし、民の様子も見てきたい」
「アーサー様。まさかお忍びで城下に出られるというのでは」
「そう怖い顔をするな。ローランドは怒っている顔も可愛いくて、目を奪われる。もっと怒らせてみたくなる……。俺の悪いクセだが」
「もっと怒らせてみるって、どうして……」
戸惑いながらローランドが尋ねると、アーサーは黒曜石のような瞳でじっと見つめてきて、低い声でそっと囁いた。
「怒っている間は俺に意識が集中しているだろ? それが可愛くてたまらないんだ。ずっと俺だけを見ていろよ。もちろん俺もお前だけを見ている」
(出た~~~~~!! 恐れ知らずのたらしヒーローの無差別爆撃的口説き文句!! やめて~~!! この子、チョロインだから!! 落ちるから、そのセリフで落ちるから!! 軽率に二人だけの世界を作らないで!!)
私の心の叫びなど、ぼーっとのぼせ上がったローランドにはもちろんまったく響かず。
「陛下、お戯れを」
「戯れじゃない。真剣に言ってる。いつも見守ってくれてありがとう。ローランドがいるから俺はどんなときでも頑張れるんだ。お前の代わりは他の誰にも務まらない。このままずっと俺のそばにいてくれ。どこかへ行こうだなんて言い出したら、縛り付けてでも止めてやる」
(恐ろしい……、アーサー、恐ろしい子。相手が男だろうが女だろうが男装女子だろうが構わず、常に全力で骨の髄まで溶かしそうなセリフをぶっこんでくるの……。もう存在が強酸みたいなものじゃん。ローランド、ドロッドロですけど)
これは、骨太内政シーンではなく、極甘サービスシーンに違いない。動揺しすぎたせいか、目の奥がツンと痛くなってきて、涙が滲んできた。
よせばいいのに、その潤んだ瞳で、ローランドくんがアーサーを見てしまう。陛下、とかすれ声で呼びかけた。
黒い目を瞠ったアーサーが、ローランドのか弱い態度に、ごくりとつばを飲み込んだ気配があった。
(ローランド~~!! 仕事中、仕事中だから、正気に戻って……ッ!! このままだと、朝の爽やかな空気をものともしないこの男に、ひん剥かれて犯られる……!! 困るでしょ、今の段階で女だってバレたらたぶん失職よ!? アーサーと一緒にいられなくなるバッドエンドか、「一生外に出なくて良いように居場所を整えるよ。俺に囲われろ」なんて言われる監禁エンドかもよ!? アーサーってヤンデレの素養がありそうだからあり得る~。後醍醐先生、ときどき書くもの、ドギツイヤンデレ。ファンの間では有名よ? 櫻子必殺の闇デレ堕ちメリバ! あ、ちょ、ローランド、監禁エンドに喜ばないで!!)
十六年生きてきたローランドの意識が、アーサーに囲われて愛され嬲られるメリーバッドエンドを想像してうっとりしているのを感じて、私は心の中で悲鳴を上げた。
目が、机の上に置かれたアーサーの骨ばったごつい手を見つめる。あの手に触られたら、なんて生々しい妄想を始めるローランド。私はひたすら「わー! わー!」と叫んでそれを打ち消そうとする。
ローランドVS私、心の中でダイナミックな修羅場もしくは愁嘆場を演じていたそのとき、ドアがノックされた。
「陛下。ゴドウィンです」
イケメン声優かくやの低音ボイスが響いた。