あれを恋と呼ぶのなら、私は恋知らぬ乙女で良い。
極太霊魂勇士――そう呼ばれる強い魂を持っている者は死後、天界にてある職務を与えられる。天界の治安を護るために日々奔走する、誉れ高きお仕事だ。
その名も――【天界ポリス】である!!
荒ぶる神々にさえも臆せず突撃し、秩序の手錠をハメるのだ!!
しかし……いくら強い魂を持っているとは言え、元は下界の生物でしかない者たちがどうして神々をしょっぴけるのか!?
その秘密は、日々勇士に届けられる元気蜂蜜にある!
主神オーデンと女神フーレイアが片手間作業で雑に神パワーを混ぜ込み作るそれは、ひとなめで下界の限界を忘れられる逸品!! トべる蜂蜜!!
つまり、この蜂蜜を勇士へ届けるのは「間接的に天界の治安維持に貢献している」とても重要なお仕事なのである!!
「次で最後ね……」
夕暮れ空の下、草原の真ん中で、リアカーを引く乙女がいた。
味をよく吸った鰤の身めいて煌めく飴色の髪……は手入れ不足でぼさぼさ。
似顔絵一枚が宝石並の価格で取引されそうなほどに美しい顔立ち……は疲労でへたれている。
更に、身に纏う純白の天衣は袖と裾が大胆に破り取られていた。おそらく「この服は肉体労働に向いていないのよぉぉぉぉ!!」と言う激しい感情に任せて彼女自身が大胆アレンジしたのだろう。
彼女の名はブリノニッケ。
勇士へやべぇ蜂蜜を届けるために生み出された御使いだ。
「あの、お姉様……大丈夫ですか?」
ニャン、と言う効果音を伴ってリアカーから身を乗り出した一匹のニャンコ。
牛乳に白粉を混ぜ込んだような真っ白毛並みの子猫だ。くりくりのお目目は銀色。可愛い。
このすべてを無条件で許されてしまいそうな子猫の名はミルクファンデ。ブリノニッケの妹分にあたる。
「大丈夫ではないけど頑張るわ……今の所、私にしかできない仕事だし」
「ごめんなさい……ミィがもっと早く成長できれば、お姉様をお手伝いできるのですが……」
勇士は割といっぱいいる。
だがしかし、現状ハイになれる蜂蜜の配達員はブリノニッケだけだ。
元々は【蜜運ぶ者たち】と言う部署名で、九九体の御使いが初期配備される予定だったのだが……九九体の御使いのデザインについて、神々の企画部から狂った発言が飛び出した。
――『何て言うかこう……バラエティに乏しくない? 一体一体の個性をこう……さ』
と言う訳で、とりあえず試作として創られていた長女ブリノニッケだけが先行稼働。
残る九八体の御使いは全員デザインリテイク。デザインが決まったら随時生産・投入される形になった。
そしてブリノニッケがワンオペ蜂蜜運搬ブラック乙女になってから一〇〇年。
ついに誕生した次女がミルクファンデ。
生まれたてのミルクファンデを抱っこしたブリノニッケの第一声は「可愛いけど何で!?」だった。その渾身の叫びは天界全土に響いたと言う。
こんな子猫がリアカーを引いて天界中をかけずり回れるはずがない!!
仮にできたとしてもこんな可愛い生き物にそんな仕事はさせたくない!!
猫型なのは一〇〇歩ゆずるとして、何故に子猫!?
ブリノニッケが神相手でも致命傷を与えられる系の槍を片手に神々を問い詰めた所、「猫型で作るのに、子猫期間を省略するとか有り得なくない?」との返答!!
納得してしまったブリノニッケは現在に至る!!
「ミィは充分お手伝いできてるわよ。ほら、可愛くしょげてないで次の配達先にナビお願いね」
「はい!」
頑張るぞ~と尻尾をぱたぱたしながら、ミルクファンデは配達帳を広げ、首から下げた勇士ソナーを肉球で取る。
「本日最後の配達先は新入りさんですね」
「また増えたのね……」
「あ、あはは……えぇと、お名前はザイフリューズさん。下界では悪いドラゴンをやっつけたりしたバリバリの勇士って感じの御方みたいです。備考によりますと、数多の戦いで多くの武勇を打ち立てながらも、その俊敏さと強固な肉体の合わせ技で傷ひとつ負う事は無く。生涯唯一の負傷は『ドラゴンの心臓の焼き加減を確かめようとしたけど、近くに箸が無かったので指でいった』際に負った火傷だったそうです」
「武の天才と圧倒的馬鹿が同居している系ね」
確かに典型的な勇士だわ、とブリノニッケは鼻で一笑。
「このまま真っ直ぐ、そう遠くない場所にいるようです」
「了解」
気合入れていきましょ、とブリノニッケが歩速を上げる。
合わせてリアカーが跳ねたので、残りひとつの蜂蜜瓶が転ばないよう、ミルクファンデがぷにぷに肉球でそれを押さえた。
しばらく車輪を転がしていくと、草原の真ん中に寝そべる影を発見。
非番かしら、呑気なもんだわ……と小さく舌打ちしつつ、ブリノニッケは足を止めた。
するとミルクファンデが待ってましたと言わんばかりに蜂蜜瓶を抱え……ようとしたが、子猫にはまだ無理なのが可愛らしいと言う事でブリノニッケは荷台に回り、「ありがとね」とミルクファンデの頭を軽く撫でてから蜂蜜瓶を手に取る。
「そこのポリス。さっさとこっちに来てこれを受け取りなさい」
「ん?」
ブリノニッケの声に反応し、草原に寝そべっていた影が素早く起き上がった。
大男……と言うほどではないが、決して小兵でもない。素早さと頑丈さを高い水準で両立する理想体型と言われれば納得の体格だった。赤黒い短髪は乾いた血を連想させるが、デフォルト設定らしいおちゃらけた微笑がその剣呑さを相殺している。
この男が下界で悪竜退治を為した勇士、ザイフリューズ。
体格からその武勇も有り得るだろうと感じ、へらへらとした微笑から馬鹿な逸話にも納得する。
「おや、もしかして……それがウワサのキメるととてもハイになれる魅惑の蜂蜜かい?」
「そうよ。一度でも知ったらもう逃げられない成分とウワサのアレよ。さっさと受け取りなさい」
私は早く仕事を終えておうちでゆっくりミィとお昼寝するのよ、と言うオーラを放ちながら、ブリノニッケは蜂蜜瓶をほれほれと雑に揺らす。
「フフ、丁度いいや。キミが舐めさせておくれよ」
「はぁ?」
何言ってんだこの草原おやすみ男。前世はバッタなのかな? とブリノニッケは瓶を投げ付けてやりたい衝動に駆られつつ、その衝動を逃がすように溜息を吐いた。
どうにもザイフリューズは立ち上がる気が無いようなので、ブリノニッケの方から歩み寄り「ん」と無愛想に瓶を差し出す。
「ええ? 瓶ごとあーんはちょっと無理だよ。お口が裂けちゃう」
「ご要望とあれば裂くけど? ふざけてないでさっさと受け取って」
「おいおい、この僕にあーんできる権利と指を舐めてもらえる権利、その両方とも要らないって言うのかい?」
「むしろそれは言わないと伝わらないの?」
ああ、こいつあれか。ナル某とかいう神の近縁か。
ブリノニッケの関わりたくない奴ランキング上位に大型新人登場である。
「照れ隠しかな? やれやれ、僕の前では無意味だよ」
そう言ってザイフリューズは自慢げに右手の親指を立てた。
「僕はかつて、この親指に名誉の負傷をした」
「ああ、焼き加減を確かめようとして指でいったとか言う……」
「そう、食の安全を確保するために必要な代償だったんだ」
それはさておきとつぶやいて、ザイフリューズは何を思ったかその立てた親指をぺろり。
「ドラゴンの心臓から溢れ出した新鮮肉汁エキスを浴びたこの指は奇跡パワーを賜った。この指を舐めると――ほんの数秒だけ、あらゆる生き物の心を覗く事ができるのさ!! すごいだろう!! 僕はこれを使ってたくさんのシャイガールの心を丸裸にしてきた!!」
「神の槍を洗濯竿として使ってます的な話ね」
「手厳しい! だがその心の内は僕のイケメン具合に色めきたっているんだろう!? それはもう世界滅亡レベルの嵐薙ぐ大海原のように――」
そう自慢げにウインクした直後、ザイフリューズは固まった。
「…………まるで凪の海じゃん」
「奇跡パワーとやらは本物のようで安心したわ」
理解したのなら受け取れ、とブリノニッケは瓶を更に突き出す。
「どういう事だ……!? 僕を見て性的興奮を覚えなかった女子はいなかったよ!?」
「人間って万年発情期らしいものね」
残念ながら、ブリノニッケは疑神型生命体――即ち神を模した形質を持つ天界生物。同じく神を模して創られた人間と非常に近いデザインではあるが、決して人間ではない。
そして天界には繁殖と言う概念が無い。ここに在る生命の誕生は神々の悪ふざけが主成分の創造のみだ。故に発情期も無い。無いものは来ない。
「な、なんて冷めきった目で僕を見るんだ……!」
「この目を天界では呆れた目と言うのよ。とりあえずそろそろマジで受け取ってくれない?」
「この僕が、女子からそんな目でこんな雑な扱いをされる日がくるなんて……!」
「……?」
不意に、ブリノニッケの背筋に悪寒が走る。
具体的な原因は不明。だが、何やら頬を染めハァハァ言い出したザイフリューズを見ていると、そしてその蕩けそうな目で見られていると、どうしようもなく背筋が冷たくなる。ゾクゾクしてしまう。こんな感覚は初めてでブリノニッケは困惑する。端的に言って気色が悪い。手足や額が冷たくなっていく感じがする。
「キミを見ていると、キミに見られていると……背筋がゾクゾクして仕方無い!!」
「え?」
まったくの奇遇!!
ブリノニッケもザイフリューズを見ていると、ザイフリューズに見られていると悪寒が止まらない!!
この男と同じ感覚を共有している……その事実が更にブリノニッケを不愉快にさせた!!
「この感覚は――間違い無く、恋、だ!!」
「この感覚が……!?」
「この感覚が!!」
恋――ブリノニッケにはその言葉が知識としては収録されている。発情期を美化した表現だ。
いや、天界生物である私が発情なんて――と言いかけて、少し考えてみる。
言いぶりからして、どうやらザイフリューズには「己の容姿を見た人間を発情させる能力」の類があるらしい。もしかして、それが勇士選抜時に合格祝いとして賜る主神の加護で変に強化され、天界生物である私にも作用したのでは? と仮説を立てた。
「……恋とは、こんなものなのね」
自分には無縁のものとして興味すら抱かなかった概念だが……ここまで不愉快なものだったとは。
なんだかこう、知った所で損も得もしないけど、知りたくなかったと言う感じだ。
「僕は今まで恋される事はあっても恋する事は無かった……最高の初体験だ!! キミ、是非、名前と住所を教えてくれないか!?」
「お断りします」
「敬語になった! 心を読まなくてもわかる、距離を取ろうとしているね!?」
「正解でございます」
反吐が出まするぅ~と吐き気をこらえつつも仕事は仕事、瓶を差し出し続けるブリノニッケ。
そんな彼女の手を、ザイフリューズがぐわしっと力強く掴んだ!!
「ひっ」
神々に槍の穂先を叩き付けて恫喝するほどに勝気なブリノニッケもこれはキツい。大きめのバッタがいきなり肩にくっついてきたあの夏の日のように上ずった声を上げる!!
「距離を取られたら詰める!! 戦いの基本だ!! つまり僕はキミを逃がさない!!」
「放せこの虫野郎!!」
反射的に、ブリノニッケはザイフリューズの手ごと瓶を振り上げ、彼の顎へと打ちつけた。
これ以上は無いクリーンヒット!!
会心の一撃を示す赤いヒットエフェクトが散る!!
ザイフリューズは声も無く吹っ飛び、草原に転がった。
「……あ」
「お姉様……その、いくら何でも暴力沙汰はまずいのでは……?」
ミルクファンデの怯えた声に、ブリノニッケも血の気が引く。
勇士は天界の治安維持に大きく貢献する存在。
くれぐれも丁重に扱うように、と言われていたのだが……。
「……ミルクファンデ。あなたは何も見ていない。私はたった今記憶を失った。いいわね?」
「お姉様がそう言うのなら!!」
このあと普通にバレた。
◆
「……納得がいかないわ」
ブリノニッケは暗い部屋の中、ベッドに腰を下ろして溜息を吐いた。
ここはお仕置き屋敷、またの名を炎の館。その一室。
ちょっとおイタが過ぎた神や御使いを放り込む、軽めの刑務所的な場所である。
と言っても、外観も内装も普通の御屋敷。ただ敷地を囲うように七色の豪炎が燃え盛っていて目に喧しいので、自然と与えられた部屋でカーテンも閉め切って引き籠る事になる。このプチ不自由が地味に苦しい。
「あのバッタがいきなり触ってきたのが悪いのに……私だけが罰を受けるなんて」
まぁ、ギリギリセーフ系蜂蜜の配達業務はブリノニッケにしか配達員がいないし、どんなに長くても明日の朝には釈放だが……釈然としない。
「……でも、やっぱり暴力は駄目よね」
そこは要反省だと言う自覚はある。
仕方無い、と無理矢理に区切りを付けて、ブリノニッケは枕の位置を調整し始めた。
「それにしても……キモかったわね。あれが恋か……」
今でも鮮明に思い出せる怖気!!
ああ、明日もあれに蜂蜜を届けなければならないのか……そう思うと、不安で寝つきが悪くなりそうだ。
ミルクファンデの数でも数えようかしらとつぶやいたその時――カーテンを閉ざしていた窓を叩き割って、何かが室内に飛び込んできた!!
「ほあああああああああああーーーーーッ!?」
かつてミルクファンデが可愛すぎて誘拐しようとした猫好きの神をとっ捕まえ三角締めをキメてみせたほどに勇猛なブリノニッケもこれには驚愕。綺麗な花の匂いを嗅いでいたら花びらの裏から芋虫がこんにちわしてきたあの春の日のような悲鳴を上げてしまう!!
部屋に転がり込んできたのは――
「大丈夫かい、僕の恋しいキミよ!!」
虹色の炎に体のあちこちを現在進行形で焼かれているイケメン――虫野郎!!
「な、ななななななななななな……」
「キミの個人情報を手に入れようと神々に掛け合ったらここに幽閉されていると聞いてね!! 助けに来たんだ!! さぁ僕と一緒に逃げるんだ!!」
何一つとして理解できず、宇宙を見つめる猫のようにフリーズするブリノニッケ。
ザイフリューズは満面の興奮を浮かべながらブリノニッケを抱き締めようと飛び掛かる。
瞬間、ブリノニッケの脳内で火花が散った。
彼女の中のイマジナリー神が言っているのだ、ここでこいつを殺せと。
「死ねこの虫野郎!!」
反射的に、ブリノニッケは迫るザイフリューズの顎に張り手を入れて動きを止め、渾身の上段回し蹴りを彼の頭へ向けて放った。
記録更新、これ以上は無いスーパー・クリーンヒット!!
超会心の一撃を示す紅蓮のヒットエフェクトが爆ぜる!!
ザイフリューズは悲鳴を上げる間もなく壁をぶち抜いて吹き飛び、屋敷を取り囲む豪炎の壁にダイブ。じゅっと言うしょぼい音を立てて、影も燃え尽きた。
「……あ」
殺っちゃった。勇士を。
「……まぁ、蜂蜜配達員がいなくなって困るのは神々だし……そんな厳しい罰は受けないわよね」
しかもあのキモい奴を処分できて結果オーライだ。
そう言う事にして、ブリノニッケは現実から目を背けるようにベッドに入った。
何はともあれ、不安の原因となっていた虫は死んだと言う事実。
これで安眠できそうだ。
なお、勇士は基本的に不死身なので、何度殺したって雨期の虫が如く再出現してくる事を彼女はまだ知らない。