5thキネシス:強制力の下地となる見えないところのファウンデーション
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紺碧の空、白銀の世界。
陽光が眩く、澄み切った空気の中に氷の粒子が煌き、強い風に流されている。
常に暗い影を引き摺る陰キャラ少年の影文理人であっても、その光景には感動を抑えることが出来なかった。
現在の気温が、摂氏0度。
サイコキネシスの防御膜で風を防ぎ、パイロキネシスで温度を上げなければ凍死しそうだが。
「英語など、日本語に比べれば大して難しくはないと思うがね。
イングランドでは地方により難解な方言があり同じ英語でも通じないということがしばしば起きるが、日本の方言それに歴史的背景による慣用句の多彩さ、情緒を表す用法、世代間で全く異なる単語の意味、ひらがな、カタカナ、漢字が入り乱れる文章の複雑さに比べれば、どれほどのモノでもないと思うよ。
私も妻に聞いてばかりだった」
と、懐かしそうに仰るダンディ先生、エリオット・ドレイヴンは、いつも通りくたびれたコートにスーツ姿という格好。
寒さを全く感じさせず、超能力のコントロールも一見それと分からないほど静かだった。
教え子の方は、この日の為に先生に黒いフード付きコートを買ってもらい、それを着てはいるが猫背気味で火に当たるように諸手を前に突き出している。
両手の間に灯る炎は、自ら超能力で発生させた炎だ。
絶え間なく襲い掛かる寒気と強風から身を守る。
これが、本日の学習課程ということだった。
でもいきなり北極点は少々ハードル高過ぎると思う。
「ぅううう……さぶぶぶぶ……ま、まままマスター、そそそろそろサイコキネシスを維持するのが限界っぽいのですがががが……!
火も手の回りしか暖められないし足の裏から凍りそうでかんかん感覚くくくくくくく――――」
「まさか、キミの限界はそんなモノではない。サイコキネシスとパイロキネシスを同時に使いながらまだまだ余力があるのがその証拠だ。
今のリヒターのサイコキネシスが外気に負け温度もそれほど上がらないのは、偏にキミの認識によるモノだ。
テント程度の保護、たき火程度の火力、それをそうしているのはキミ自身であるという事に他ならない。
そもそも地面に足を付けている、ということ自体が既成概念に囚われているということだ。足下は氷の塊、それは冷たいだろう。
なぜ浮かないのかね?」
ガチガチ震えながら泣きが入る不肖の弟子なのだが、紳士の方は平然とそんなことを仰る。
ここ数日のトレーニングで多少使えるようになったとはいえ、未だ理人の超能力はオンかオフか程度のコントロールしかできなかった。
これを維持するだけでも、勝手に右に左にと傾く思考を制御する、という重労働を伴うのだ。
イメージ同様、ヒトの意思など本人の希望と無関係に駆け回る暴れ馬のようなモノで、乗りこなすのは相当な骨となる。
だというのに、この上どうすればいいかなど考える余裕は絶無だった。
「ではヒントを。脳だけではなく身体全体で思考をフォローしたまえ。
もうひとつ、器用に振舞うよりまずは力任せにやってみるのも、自分の力量を知るには良いことだ。
時に浪費は時間的リソースの節約という点において、総合的な評価を引き上げる」
そんな能力処理がいっぱい×2の理人に、ダンディ先生のセリフがスルッと入ってくる。
「サイコシールド隔絶しろ! パイロキネシス照らし出せ!!」
超能力の教師、エリオット・ドレイヴンは言った。
人間のイメージなど曖昧なもの。
ならば、イメージを形にする超能力も、畢竟それに準じるモノとなるだろう。
故に、身振りと宣言で、そのイメージを補強し、具体性を持たせる。
マスター・ドレイヴンから最初に教わったことだ。
ついでに、これくらい、というイメージ上の制限も外した。
「やれやれ……力任せに、とは言ったが、早々にコントロールを身に着けなければ都市部では危険すぎて使えないな」
そして、ダンディ先生は以前と同じように上空へ逃げていた。
理人の展開した念動力場が、半径3キロを更地にしてしまった為だ。
展開時に発生した衝撃波を加えれば、被害範囲は十数キロに及ぶだろう。
これを街中で使えば、天災規模の被害を出すところだった。
(それに、意識にブレーキをかけないよう言葉は選んだが、実際にここまで出力を伸ばすとは思いもよらなかったな)
最初の接触時に、その少年に大きな素質が眠っていることには気付いていた。
それこそ、世界最高の超能力者、『マスターマインド』が目を見張るほどに。
だが、自身の能力に疑いを持たせないよう褒めて伸ばす方針を取ったとはいえ、この結果は大分想定外。
(これは……彼は苦労しそうだな。ミアが傍にいるワケだ)
未来を見た渋い紳士は、地上で右往左往する若き生徒を眺めながら、その先行きに目を細めていた。
◇
「先ほどの話だがね」
「はい?」
北極での授業を終えた教師と生徒、エリオットと理人のふたりは、東京青山にあるオープンカフェにいた。
なんでもここは、ダンディー先生お気に入りの場所だとか。
7月に入り、夕刻になってもまだ日が高い。
しかし、街路樹により木陰となり風通しも良い屋外の席は、非常に過ごしやすくなっていた。
そこで、ロマンスグレーの英国紳士は上着を脱ぎ、ティーカップを傾け寛いでいる。
やや目付きの悪い陰キャ少年も、同じモノを注文していた。
それとクレソンと生ハムのピッツァ超美味い。
普段こんなの食べられない。
「理人が学校で英語科への編入を余儀なくされたという話だよ。少し考えていたんだが……。
ああ、そういえばキミの宣言、スキルの種別と効果の組み合わせ、あの構文は良かった。アレでスキルの発動と威力の制御に慣れていけばいいだろう」
「はい……さっきのはかなり……物凄くビックリしましたけどね。
まだ信じられません、ちょっと前までトイレの扉も開け閉めできないようなサイコキネシスだったのに、あんな広い範囲を吹き飛ばしちゃうなんて。
しっかり頭の中にトリガー作らないと、危なくて使えませんよね」
食べながらでも話を進めようとして、少し考えまずは今日の課題の反省から入る教師。
正確に評価するのが大事、と超能力的にも教育者としてもしっかりやらねばと考えている。
生徒の方は、心中複雑だ。
非力な念動力が兵器レベルの破壊力を持つに至り、実際かなり戸惑っていた。
だからこそ、ダンディー先生は将来的に制御できるという希望を持たせることで、萎縮させないようにしているのだが。
「それで、英語だが、良ければ私が教えよう。テレパシーを応用してね」
「はい。…………はい?」
すかさず話題を次に持っていく教師。この生徒の場合、あまり考え込ませるのは良くないと思っている。
そんな先生の目論見通りか、理人は先生のセリフにやや混乱していた。
英語の話がどうしてテレパシーがどうとかいう話になってしまうのか。
「テレパシーは会話文だけではなく、熟練すれば脳内のイメージも伝えやすくなる。発声しながらテレパシーでの意思疎通もできるというワケだな。
つまりキミとわたしに関しては、会話は英語で、同時にテレパシーで意味も伝えられる。効果的な学習ができるだろう」
「ええー…………」
そうかなぁ? と疑問を呈したい陰キャ少年である。先生の教育方針に口を挟むような度胸も無いのだが。
なんか口では英語、脳では翻訳、とすごく疲れそうな気がしていた。
「それに、これはESPのトレーニングにもなる。
サイコキネシスに代表される、PK。テレパシーはESP、超感覚の基礎だ。超能力は大きく分けてこのPK、ESPの2系統に分類される。
ESPの予見視、遠隔視、透視、思念視は、テレパシーの発展系だ。
テレパシーに熟練すれば、キミならこれらの能力も伸びるだろう」
「いやまぁテレパシーだけでも信じられないのに、そんなたくさんのスキルが使えるようになるのか、オレ今一自信無いですけど……」
「だがリヒター。…………キミは恐らく今の時点で予見視も使える、と思われる」
今までとは違い、歯切れ悪く言うエリオット先生。
もしかしてマスターも自分の判断に自信ないんじゃないですかね、と言いたい理人である。
だいたい、予知(予見)能力なんてモノがあれば、今頃こんな生活していない。
なので、どういう根拠で言っているのだろうかと。
「今は基礎を固めることに集中すればいいだろう。仮にサイコキネシスとテレパシーだけでも、他の超能力者の基準からすれば十分だ。
それに、そろそろ約束した金策の手段も教えておきたい」
「え!? もう!!? で、でもマスター、本当にマインドスキルをそういう事に使って…………も、問題とかは?」
「言いたいことは分かる。その辺の小技も、順に教えていこうじゃないか」
そんな教え子の不安など一切気にする必要を感じさせないダンディー先生は、席を立つと他のイスにかけていた上着とコートを身に着けはじめた。
理人も急いでカップを空け、フード付きコートを羽織り立ち上がる。
渋い英国紳士と俯き気味の少年は、会計を済ませて店を離れた後、不意に路地を折れ監視カメラの死角に入った直後に青山から姿を消していた。
◇
そこからは、驚きと努力に満ちた毎日だ。
理人は学校が終わると、すぐにエリオット先生のテレポーテーションで超能力の授業へと連れ出される。
北極に続き、どこかの無人島、砂漠、東欧のどこからしい無人の荒野。
パスポートとか無いんだが、とか心配している暇もなく、ひたすら超能力を使うよう指示される。
会話は基本的に全てテレパシーで行うことになった。
英会話と並行して、という話だったのだが、理人の英語力が低過ぎてそれどころではなった。
今は、最も基礎的な部分から教えてもらっている最中だ。これもテレパシーで行われた。
誰にも目撃されない場所では、とにかくパワーを伸ばすというのがダンディー先生の学習方針らしい。
細かいコントロールに関しては、当面は自習で、という話だ。
その為に与えられたのは、正六面体を形作る9マス×9マスの色をそれぞれの面で揃える、という古くからある玩具。
これを、手を使わずにサイコキネシスで揃えろ、という宿題だった。
普通に手を使っても出来ないのに!? と気が遠くなる生徒だったが、だからこそ頭のトレーニングになるのだとか先生は無慈悲に仰る。
サイコキネシスで何かを動かすというのは、見えないマジックハンドを使うというよりは、高圧水蒸気を吹きかける、に近い。
理人にはカラフルな箱型玩具を浮かすのが精いっぱいで、とてもそれを組み替えるような器用な真似はできなかった。
なお、先生のエリオット・ドレイヴンはこれを20個同時に揃えられるというが、ある程度慣れるともうトレーニングにならないというお話である。
そのような日々の積み重ねで、かつては消しゴムひとつ持ち上げられなかった理人の超能力は、ケタ外れの成長を見せる事となった。
◇
そんな夏休みもほど近いある日、終業後にまたプール脇なんぞへ呼び出された陰キャ少年である。
ここ最近は、授業とホームルームが終わると一目散に消えていたので、これらイジメ加害者どもと顔を合わせる機会はなかったのだが。
「影文くん。君、学校やめてよ」
「あ?」
「『あ?』、じゃねー!!」
理人を囲む5人の中で最初に口を開いたのは、珍しいことに主犯格である擬態優等生の花札星也だった。
この男はだいたい、取り巻きが理人を弄るのをニヤニヤしながら眺めているだけだ。
それが今日はどんな理不尽なことを言い出すかと思えば、これまた珍しいことに屁理屈を並べるのではく、何とも直接的な命令。
思わず聞き返してしまう陰キャラのイジメ被害者に、瞬間湯沸かし器のように激昂して殴りかかってくる大柄な坊主頭である。
そのコブシは、理人に触れる触れないの位置で止まってしまったが。
「はぁ?」
今まで幾度となく理人や他の人間を殴って来たので、どのような感触かはよく知っていただろう。
だが、今回の手応えは、今までとはまったく違っていたのだ。
「大クンどーしたぁ?」
髪にワックスを付けシャツの胸元を空けているチャラ男系は、いつものようにヘラヘラ笑いながら悪党仲間に話しかけている。
自分のコブシと目の前の陰キャ男子を交互に見えていたボウズ頭は、胸倉を掴んで来ると、声を押さえて理人に凄んでいた。
「おいテメー今何した?」
勘が良いのか、あるいは単に不可解な現象の原因を理人に求めたのか。半々と言ったところだろう。
胸倉を掴まれている少年は何も言わないが、事実それは理人の仕業だった。
単純なサイコキネシスの防御膜。基本的な防御技術となる。
もはや、理人を正面から傷付けるのは、爆弾を以ってしても難しい。
当人も、これくらいなら不審には思われないだろうと考えていた。
「何したかって聞いて――――!!」
「放せや」
顔を押し付けてくるように迫る坊主頭が飛ばす唾も、サイコキネシスで防御。
目付きの悪い少年は、その目を相手から逸らさず言い放つと、自分の胸倉を掴む手を払いのける。
「ッてぇええ!?」
それは軽い動作ながら、腕を払い除けられた方は機械か何かに巻き込まれたかのような力強さを感じたという。
坊主頭の様子に、それまでニヤけながら見ていた加害者たちは顔色を変えていた。
「もうオレに関わらんでくれないかな……。
だいたいこういう問題が起こるとマスコミから教育委員会から大事になるってニュースとか見て知らないのかよ。
そうなった時に困るのは、多分お前らの方だよ」
内心では心臓が爆動しているが、それでもイジメ被害者の陰キャ少年は冷静を装って言い放つ。
陰キャ少年精いっぱいの威嚇だったが、残念ながら短絡的で人数的に有利と思い込んでいる相手には効果がなかった。
「死ねッ」
ごく短く吐き捨てるように言うと、理人の腹めがけて足裏を叩き付けて来る坊主頭。身長差があればこその芸当。
しかし、いつもの頭ごなしに叩き付けるようなセリフが無いあたり、今まで以上に頭へ血が上っているようではあった。
反応が遅れて蹴られた陰キャ少年の方が、校舎の壁へと追い詰められる。
「なに調子乗ってんのクソザコくーん!?」
「今まで散々ボコボコにされたのもう忘れたの? 記憶力ないのかよ。ボケ始まってんじゃねーの?」
これの尻馬に乗った野郎ふたりも、捻じ曲がった怒りを露にイジメの対象へと殴りかかっていた。
自分が優位にあると信じて疑わない者は、屈服するべき相手が逆らう事を絶対に許さない。
子供の浅慮と大人以上の腕力を振り回し、どうなっても構わないという勢いで理人へと叩き付ける。
「なん――――うおぁ!?」
「おいちょッ――――おぼッ!?」
殴られても蹴られても、まるで意に介さない相手から逆に突き飛ばされて、イジメ加害者の方が地面に転がっていたが。
「なにやってんだよザコ! テメーも上から見てんじゃねーぞクズがよぉ!!」
そんな味方すら罵倒しながら、打たれた手をブラブラさせつつ顔を真っ赤にした坊主頭が、再度理人に迫る。
プールの土台である壁に押し付け、密着状態から何度も腹を殴ろうとするが、もはやそんな単純な暴力は通用しなかった。
今まで何度も殴り蹴りされた陰キャ少年の方にも根強い恐怖が残っているのだが、流石に少々ムカッ腹が立っていたので、
「ぐブッ! てッ……離せ――――!!?」
坊主頭の首を掴むと、そのまま持ち上げてから、少しばかり離れたところへ放り投げてやる。
尻餅をつく坊主頭は、怒りと戸惑いがない交ぜになった表情で、陰キャのヤツをただ見上げるほかなかった。
掴み上げられた本人だからこそ、相手がどれほどの力を持っているか分かるのである。
目の前に突き付けられた桁外れの力に、理人を囲んでいた加害者連中は声も出ない。
首謀者のエセ優等生も、完全に無表情で無言のままだった。
「もう一回言うけど……もうオレに関わるなよ。お前らと違って暇じゃないんだよこっちは。
あと金払う理由も無いから」
一見して圧倒的上位者の空気を放ちながら、それだけ言って背を向ける陰キャ少年。
その内心は、サイコキネシスがバレてないか、ちょっとやり過ぎたか、とドキドキさせていた。
そして、偽りの優等生は無言のまま、表情は完全に抜け落ち、感情も無い目に理人の姿を映していた。