21stキネシス:一歩影に入ると全く違う景色が広がっているのは当たり前にある話
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話には聞いていたが、河流登真昼先輩のご自宅は、鎌倉の外れにあるお寺だった。
いわゆる『湘南』、藤沢市との境に近い山の上にあり、長い階段を上り境内に出て振り返ると、右手に江ノ島と相模湾を見下ろすことができる。
特徴的な建物の突き出る島と、夕陽を返す海の光景に意識を囚われそうだ。
「あまり有名なお寺さんじゃないんですよ。その、代々影に徹するような教えのある寺院でして。檀家さんもそれほど多くありませんし。
何を守っているのかは、住職をやっている父も教えてはくれません」
黒髪中分けの先輩は、鳥居の前で少しバツが悪そうにしていた。何が悪いのかは、陰キャにはよく分からない。
だが、参道の両側にある狛犬ポジションの馬の像が珍しいのは分かる。
灰色の石造りの鳥居の奥には、木に囲まれた広い平地の中に、幾つかの建物が見えた。
理人は後で知ることになるが、それらは仏道で言うところの『伽藍』、僧侶が集り修行する建築物である。
古刹、名刹の多い鎌倉にあって、あまり観光客などに開かれたお寺ではないらしい。
だが、古めかしくはあっても傷んだり朽ちたりした様子は一切無い、小規模ながら立派なお寺に見える。
理人はここまで、先輩を送ってきていた。
「あの……ご好意に甘えてしまってこんな所まで、ありがとうございました。
ここまで歩くだけでもお疲れでしょうし、どうか上がっていってください。何か冷たい飲み物でもご用意しましょう」
「あー……はい、おかまい、なく?」
夕暮れ時に差し掛かっており、日差しにも茜が差しはじめる時分。
シュワシュワとクマゼミの鳴き声でいっぱいになる境内に、意識を向けていた理人は真昼先輩の声に反応するのが遅れてしまう。
そんなワケがないとは思うのだが、何故か一瞬覚えのある空気を感じたような。
「どうされました? 影文さん」
「いえ、すいません……」
「お寺さんにあまりご縁がありませんか? 幽霊なんて出ませんよ」
「いやそんなことは思ってませんよ!?」
なんぞ失礼な勘違いをさせたかと、慌てる陰キャはお寺の先輩に促されるまま、急いで境内に入る。
その後、仏像が来客を見下ろすお堂に通され、冷たい三つ葉サイダーをご馳走になり家路に付いた。
その際に聞いた話で、鳥居の前で感じた気配の事は、頭の片隅に追いやられた。
◇
数日後の事となる。
月末の生徒会長選挙も近く、選挙スタッフを勤める生徒による校門での掛け声も、激しさを増しているように聞こえた。
しかし、本命となる元ボクシング部の爽やかスポーツマン宗田亮と、もうひとりの男子の会長候補の呼び声は目立っても、唯一の女子の候補の名前は聞こえてこない。
河流登真昼を支える選挙スタッフの姿も見えなかった。
「それが嫌がらせ!? 酷ッ!!」
「ていうか、そうまでして生徒会長なんてなりたいものかしら? まぁだから妨害なんてするんでしょうけど。
真昼ちゃんも大変ねー」
校門前校舎脇の影になった場所、隠れ家のような階段前で、姉坂透愛が諸手を振り上げ全身で怒りを表現していた。
その格好で唸りを上げていると、怪獣の真似をしているようにも見える。
理人的にはひたすら可愛らしいだけだったが。
一方で、階段に座るメガネにミドルボブの先輩は、呆れたような溜息混じりに言う。
良い子を演じるだけの姫岸燐火には進んで面倒を抱え込むなど理解の外であるが、それでも口煩い友人を心配する程度には情があった。
「オレ、手伝っていいもんかなぁ?」
先日、河流登真昼のお寺で愚痴交じりに、その辺の事情を聞いた陰キャ。
なんでも、立候補当初から選挙戦を手伝ってくれていた10人の生徒が、イジメや暴力に近い嫌がらせを受けて全員が逃げてしまったのだとか。とはいえ、そこは被害生徒を責められまい。
その挙句の果てが、理人の遭遇した河流登真昼本人への暴行未遂現場、ということらしかった。
精神的肉体的にコンプレックスのある人間以外もイジメられる事なんてあるんだなぁ、と心底意外に思う陰キャである。
こうなると元イジメられっ子としても看過できないのだが、さりとて自分が手を出すと余計マズイことになりやせんかな? とも理人は思うのだ。
なんせ手伝うにしても、影文理人のクラス受けは最悪だ。他のクラスはに関しては知らないが。
自分のイメージが河流登先輩の足を引っ張ったら本末転倒である。
そんな感じの事を相談してみたならば、怪獣的に発奮したのが全校的アイドル女子であった。
面白くなってきたのか、ギャース! と理人の方を威嚇しはじめていたが。
サイコツッコミ待ちなのだろうか。
◇
「河流登真昼でーす! よろしくお願いしまーす!!」
「生徒全員参加生活と生徒による行事主導を掲げる河流登真昼、お願いしまーす」
「おねがいしまーす…………」
そのような経緯で、臨時の選挙対策スタッフに就任した姉坂透愛、姫岸燐火、ついでに陰キャである。
昇降口で登校する生徒を待ち構える美少女生徒ふたり。
煌くような笑顔のアイドル的女子と、メガネにミドルボブの理知的な美人女子。
このふたりに微笑みながらビラを差し出されると、男子生徒なら9割9分で手に取らざるを得ないという寸法だ。
陰キャはノボリ持って小さくなっていた。
特に超能力を活かす方法は思いつかない。
そして当然ながら、選挙戦で河流登真昼の脱落を目論む側としては、この動きが気に入らなかった。
「あれー? 花札君もしかして上手くいってない? 頼むよ、多分もう大丈夫だろうけど、もう一秒だってウザい気分抱えていたくないからさー」
「といっても、僕もまだ特に何もしていませんからね。何かしてみるのは、これからですよ」
いつもの家庭科準備室、煙を吐きながら言う他人任せボクサーは、飄々を装いながら微かな苛立ちを隠せずにいた。
いつだってクールに見られたいエセスポーツマンは、それに気付きはしないのだが。
そして、愛想良く笑ってはいても、ムカついているのは仮面優等生も同じか、あるいはそれ以上だった。
生徒会長になれそうで、扱いやすそうなバカでなければ、誰がこんな怠惰な俗物の相手などするものか。
しかも、頭の足りない雑魚をその気にさせて犯罪者に仕立て上げるのも、それなりに小知恵を使い手間もかけなければならないというのに。
それを邪魔してくれたのが、またあの秩序の反逆者であり身の程を弁えない根暗野郎であるというのが憤懣遣る方ない。
「……まぁ結局ダメになりますよ」
何がどうとは、決して言質を取らせない。
さりとてもう言葉を飾る気も起きず、花札星也はただ一言でそう呟いていた。
◇
時として落とし穴のように入り口を開け広げている、隣り合うもうひとつの裏の世界、アンダーワールド。
その存在は災厄であると同時に、非常に抗い難い魅力も孕んでいる。
神話や寓話に伝えられるような物資や資源、創作物に出てくるような景色、表の世界では見られない現象や自然法則。
裏の世界、とは言うが、それこそ世界各地の神話の元となったであろう古くから土地に潜むアンダーワールドも数多く、国家が存在を秘匿している場合も多かった。
『マカダミアンホテルは火災を偽装し州により封鎖されていたのですが、興味本位の大学生グループが敷地内部に入り込み、そのままアンダーベガスに迷い込んでしまったようです。
依頼はエリザ・マクギブソン一名の救出ないし遺体の確保という事になりますが、他の行方不明者の救出あるいは遺体を確保した場合、追加報酬が支払われます。
緊急性が高くまた危険ですが、その為にリヒター様へ依頼することになりました。よろしくお願いします』
北米の西海岸ネバダ州、言わずと知られたラスベガス。
このギャンブルとエンターテイメントの都にあるアンダーテイカーオフィスにて、依頼を受けたのが二日前のこと。
アンダーラスベガスの外に広がる無限の砂漠で遭難していた大学生グループ全員を救出できたのは、幸運としか言いようがなかった。
生存は絶望視されていたが、誰かが都市内に留まるのはマズイと判断したらしい。
実際、都市内を歩き回って、またはカジノなどの建物に入ろうものなら、凶悪な罠とファージにより命は無かっただろう。
結局は砂漠で行き倒れて6人中3人が瀕死だったが、救出に赴いたのがトップクラスの超能力者であったのも、彼らの幸運と考えられた。
記憶処理され、アンダーワールド内にいた数日間の記憶は消されることになるが。
華やかなりしラスベガスは、ストリップ地区。
個性的で豪華な建物の多い名所だが、この街並みを眺めることのできる少し離れたビジネス街に、ネバダ州南部を統括するアンダーテイカーオフィスがあった。
カジノとか興味ない、というか自分は一生ギャンブルやっちゃいけない人間だと思うので、陰キャ請負人もひと仕事終わらせたらさっさと日本へ帰る事とする。
とはいえ、現在のベガスはカジノとギャンブルだけではない総合的なエンターテイメント都市となっているので、一度誰かと観光に来れればな、くらいには思っていた。
そこで、学校でも屈指の美少女ふたりと、と言えるほど理人は調子に乗っていないつもりである。近々海とか行くが。
フードを被った陰キャ超能力者は、遠隔視の能力で瞬間移動元、瞬間移動先の下調べ。
道路を裏路地へと逸れた先に監視カメラの無い袋小路があったので、そこに入り込むとする。
建物の裏手で、非常階段があるのみの、四角く区切られた空間だ。
遠隔視と言っても、そう便利なモノではない。
結局は見えないドローンを操るようなモノで、どこを見るかは自分で決めなければならなかった。
雑なイメージだけで、オートトラッキングのように見たい場所を見られるワケではない。
次に、移動先を確認しなければならないが、これは簡単だ。移動先は理人の家なのだから。一応侵入者などがないか、確認すればよい。
ちなみに、瞬間移動で入国してはいたが、これは不法入国ではなかったりする。
アンダーテイカーオフィスが、緊急入国に際してはビザを発行してくれるのだ。
国家と結び付いている秘密組織だからこそできる力技であろう。
時間的にも気持ち的にも比較的余裕がある為か、ここでフと理人は別のことが気になった。
生徒会長候補の河流登真昼先輩と、その実家の寺のことである。
遠隔視を上空へ移動。地上を見下ろすアングルにして江ノ島を見付けると、そこから河流登寺の大まかな位置まで接近する。
そこで伽藍らしい建物の屋根を見付けると、改めて上から一帯を観察してみた。
理人の勘が正しいとするならば、それはそれでオフィスが掌握していないのはおかしい気もするのだが。
かと言って余計な事を言ったら、アレで結構な権力を持っているオフィスが動きかねんし。
腕組みして唸る、黒いフード付きコート姿の陰キャ。
その時に遠隔視が、件の先輩の姿を捉える事になるとは、想定外であった。
「は?」
屋内まで覗くようなプライバシーは冒していない。
中分け美人の先輩がいるのは、屋外である。
16時間の時差がある日本は夜。境内の中は暗い。
それでも実家なのだから河流登真昼が敷地内にいるのは、まだいい。
ではどうして必死な様子で走っているのか、と思えば、それは複数の男に追われている為のようだった。
これはいったいどういう状況なのか。
家族、には見えない。
音が聞こえないのが遠隔視の地味な弱点なのだが、顔を見ればそれくらいは分かる。
何にしても、これは放置できる事態ではないようだ、と。
陰キャ超能力者は、まず近くまで飛び、より詳しい状況を把握した上でどうするか決める事に。
光学遮蔽で姿をボカし、瞬間移動で移動しようと、した。
「待ちなさいッ!」
「はい??」
その瞬間、誰かにタックル喰らい、瞬間移動に巻き込んだ。
◇
瞬間移動の直後、陰キャ超能力者は念動防壁を発動。
自分を地面に引き摺り倒そうとした何者かを、力任せに跳ね除ける。
「くあッ!? ッ……!!」
強い斥力に突き飛ばされ、地面を転がり樹木に背中から激突する襲撃者。
そこで油断せずに追撃の構えに入る理人だったが、相手を見てフードの奥の両目を丸くすることになった。
『アンタは……シカゴの!?』
「チッ……棲家を突き止めたら後は簡単だと思ったのに! どこよここ!?」
長い金髪をポニーテールにした、筋肉質かつグラマラスなのが見て取れる美女。
そのスタイルがよく出る薄着であるのと、スレッジハンマーを持っているのも以前と同じ。
それは、シカゴで仕事をした折、その終わり際に理人を襲撃した人物だった。
どうやら、確実に現れるオフィスの出入りを狙われたと思われる。
なんか知らんが面倒臭そうなお姉さんにストーキングされてるな、と困惑の陰キャ。
こんな事なら早々にオフィスなり先生なりに相談しておくべきだったと思う。相手の狙いも先生のようだし。
だが今は、それより重要な用件があった。
場合によっては今すぐこの女を足腰立たなくするほど叩きのめしていかねばなるまい。
『何の用かは知らないが、今はアンタに構っている暇は無いんだ……。邪魔をするなら手加減はしないッ』
「言ったはずよ! 『マスターマインド』! あんたが知っているあの男の全てを教えなさい!!」
金髪ポニーテールのお姉さんは、既に戦意十分過ぎた。腰に差していた重そうなスレッジハンマーを引き抜き、手首で回し構えて見せる。
この上なく面倒そうな相手に、理人は自分の迂闊を本当に後悔した。
瞬間移動による、長距離跳躍。
これには、移動手段の瞬間移動に加えて、移動先を見定める遠隔視、理人の場合は念の為にと予見視や姿を隠す光学遮蔽、危険が予想される場合は念動防壁まで併用している。
移動距離に比例した力も要し、理人にしても非常な集中力を必要としていた。
故に、発動まで時間がかかる上に、使用の直前は無防備になる。
もっとハイリスクであるのを自覚して注意せねば、と心底反省する陰キャ超能力者であった。
「ぅオラァアア!!」
などと考え込んでいたところ、ポニテ姉さんが大上段からフルパワーでスレッジハンマーを振り下ろしてくる。
直撃したら多分死ぬんだけど、このヒト情報を吐かせる気あるのだろうか。
だが理人は問題なく、念動力でこれを止めた。
と思ったが、ガードの上から少し押し込まれるという想定外のパワー。今や戦車砲だって止められるんだが。
更にここで、予見視が次の相手のアクションを捉える。
女が片手で目の前に放り投げた、死角からのスタングレード。
陰キャは念動力でグレネードの缶を更に高く打ち上げ花火にした。
ズバンッ! という爆音と共に、眩い閃光に照らされる一帯。
真っ白な光と真っ黒な木々の影が2色のモノクロ映像となる。
『ダウンフォース! 寝てろ!!』
低空を滑るように高速で飛び退り距離を取るフードの超能力者は、真上から押し潰す念動力で相手を制圧にかかった。
ところが、スレッジハンマー女は、その力場圏内から寸前で逃れて見せる。
(早ッ!? なんだコイツ!!?)
獣のように姿勢低く地面を駆ける女は、金髪の尾を流しながらハンマーをフルスイング。
先の一撃より更に重く、念動力の防御幕を突き破りそうになる。
二撃目は受ける気になれず、理人は後ろへ飛び木の間を抜け遮蔽物にした。
ところが、
「カァッ!!」
と、狂戦士のようにスレッジハンマーを振るう女は、その一撃を木に叩き付けへし折ってしまう。
完全に人間の力ではない。
そう判断する理人は、制圧から排除へと頭を切り替えていた。
『サイコブラスト!』
焦点を絞った近~中距離での念動力攻撃。不可視の打撃が何十発という弾幕になりハンマー女を襲う。
「うぐッ!? こ、の! んぁああああ!!」
全身殴られたかのように吹き飛ばされるハンマー女だったが、それでも数秒耐えて見せたあたり、やっぱりバケモノだと理人は再認識。
もはや殺すつもりで、一帯諸共爆撃で吹っ飛ばすしかない、と考え木々の上まで高度を上げるが、
そこで、河流登寺が静か過ぎることに気が付いた。
(あれ? お留守? てか先輩どうなった??)
まさかの随行者への対応で頭の中からすっぽ抜けていたが、理人がここへ急いできたのは、中分け美人の先輩が非常事態にあったからだ。
そんなことがあった上に、更にここまで敷地内で大騒ぎしているにもかかわらず、誰も様子を見に出てこないとは明らかにおかしい。
これはとにかく最優先で先輩の現在地を掴まねばなるまい、と思っていたところで、下からスレッジハンマーが飛んできたので念動力で受け止め没収した。
「あッ! こらー! 返せー!!」
下で金髪ポニテの姉さんが叫んでいるが、相手をしている暇は無いのである。
急ぎ遠隔視で境内を見回すが、肝心な先輩の姿は見当たらなかった。
もしかしてこれは手遅れの事態なのでは? と、理人の背中がゾワッと総毛立つ。
しかしその時、お寺の裏手、森に面した小さな池の畔で何かが月明かりを返したように見え、フード付きの超能力者は急ぎそちらへ飛んで行った。
下から石とか木の枝とか物凄い勢いで投げて来る姉さんは放っておいた。




