03,イケメンすぐ死ぬ。
どうしてこやつらはこうも愛くるしいのか。
そんな疑問が、とめどなく脳内を駆け回る。
それが動物園と言うドリームランドじゃ。
アリスピース動物園はイケメン説得によりあらゆる事を理解した動物たちが飼育されており、檻や仕切りの類が無い。ここの動物たちは「食住環境の提供」を条件に、納得ずくで、己に好奇の目を向ける者たちにサービスをしてくれる。
広場の真ん中で見せつけるように開脚するライオンを眺め――溜息を吐いた。
……ここは、とても楽しい。
たくさんの動物たちが、訪れる者たち皆を笑顔にしようとしておる。
ワオキツネザルたちのフラッシュモブを見てテンションの上がらぬ者など存在せんじゃろう。
この場所に足を踏み入れて心躍らぬ者は、何かしら名称のある精神状態じゃとと思う。
……つまり、そう言う事なんじゃろうな。
そう改めて自覚して、苦笑が零れた。
頭上すれすれを飛び抜けていったネッタイクイナを視線で追うと、こちらを見下ろす翡翠の瞳と目が合った。グリンピースじゃ。「アイドルも割と大変なんだぜ?」との事で、変装用の度無し眼鏡をかけ、普段の貴族風衣装とは違いカジュアルなパンツルックに身を包んでおる。それでもイケメンイケメンしておる辺りイケメンよな。
「やっぱり、重症だぜ」
グリンピースは少し困ったような、微妙な笑みを浮かべながら言った。
「……そのようじゃな」
……認めざるを得まい。
ワシは今、この素晴らしき動物園を……あまり、楽しめておらぬ。
脳裏を過ぎるのは、仕事の事ばかりじゃ。
不承不承な態度を隠そうともしない軍事国家群の連中を、平和政策に乗り気にさせるためにどうすれば良いのか。勇者財団が行っている支援系企画の追加案は何ぞ無いか……気付けば思考はそんな事ばかり。
瞳には動物が映っておるはずじゃのに、その姿が脳にまで届いておらぬ。
「この動物園は、とても良い。こんな施設が現実でも、世界中にできぬものかと考えてしまう。するとやはり、仕事の方に頭が回ってしまうのじゃ……昔は、もっと自分の事も考えていたはずなのじゃが……」
昔はどれだけ自分の事を考えていても、現実がその実現を許さなかったから。
妄想に耽る程度の救いは許してくれ、と考えておった節がある。
じゃが今は違う。
ワシがワガママを言えば、きっとそれはいつでも実現する。
世界はもう敵ではない。ワシの望みを阻むシステムはもう存在しない。
そして、ワシの望みを実現させようとしてくれる、頼もしき者たちがたくさんおる。
有り難い事じゃ、幸せな事じゃ。
その幸福な環境が、ワシにこう考えさせる。
いつでも実現できるのなら、今でなくても良かろう――と。
「幸福にあぐらをかく権利は既にこの手中。ならばそれを行使するのは、別に後回しでも良いじゃろう。今はとにかく、この素敵な権利を、皆の手に届けるための責務を果たしたい……そう、考えてしまうのじゃ」
「……その考え方は間違ってないんだぜ、マスター」
グリンピースはそう頷きながら膝を畳んでしゃがむと、ぽんっとワシの頭に手を置いた。
「でも、マスターは少しひた向き過ぎて、周りが見えていないんだぜ」
「周りが……?」
「例えば、キャパーナが『全力を出すなんていつでもできますわ』つってダラダラしてたとするんだぜ。二・三日なら『まぁ、この全力中毒者でもそう言う気分になる事もあるか』って思うんだぜ。でも、それが一〇年も続いたら、マスターはどうする?」
「医者を呼ぶ」
グリンピースの問いに答えて、納得した。
そう言う事なのじゃろう、と。
……あの日、シヴァイヌに対して反応が薄かったワシを見た四天王たちの気持ちは、無気力なキャパーナを見たワシと同じであると。
「加減の問題なんだぜ。さっきも似たような事を言ったが……マスターは我慢し過ぎた。だからみんな『もう我慢しなくても良いんだよ』と言いたくなった――それだけの話なんだぜ。今回の事は」
……灯台の下が一番暗いとは、よく言う。
「しかし、やはり……ワシが休んでしまった事で、救えたはずの誰かが救えなくなるのではと言う危惧が……」
ワシの言葉を聞き、グリンピースは「つくづく重症だぜ」と軽く笑ってから続ける。
「マスター、魔王軍の四天王ってのは、そんなに役立たずばっかなのかだぜ?」
「何を言っておるのじゃ。そんな訳が無かろう」
「じゃあ、任せちまえば良いんだぜ」
「!」
「強硬手段でマスターを休ませた以上、マスターがいなくなって仕事の進捗が悪くなるような采配をする訳が無いんだぜ。だからこう考えるべきだぜ。『マスターが休む事で悪い変化が生じる事なんて有り得ない』ってな。だぜ」
「あやつらを、信じて任せる……か」
「そう言う考え方が、マスター向きだぜ?」
「……そうじゃな。ああ。まったくその通りじゃ」
今までも決してあやつらを疑っておった訳ではない。
イケバナに封印された時じゃって、人間との戦争については全面的に信じて任せた。
じゃが……そうじゃな。言うなればこれは自惚れ、傲慢か。
ワシが手を出せるなら手を出した方が良くなるに決まっておる、ワシが抜ける事で生じる穴はそう簡単には塞げぬはずじゃ……と、心のどこかで驕り高ぶっておったらしい。
大馬鹿者め、と言う自罰に加え、気合を入れ直す意味も込めて。自らの頬を打つ。
こんなぷにぷにほっぺの幼女が、何を偉そうに。
かつてのワシを支えてくれた、四天王を信じろ。
ワシが封印されても何ひとつ動じる事なく、ワシの信念に寄り添い続けてくれたあやつらを頼ろう。
「任せたぞ」
天に向けてつぶやいて、切り替える。
やってやるぞ。
休んでやる。
ワシの余りの休みっぷりに四天王たちが口を揃えて「いやもう仕事に戻って来い」と言い出すほどに、休みを満喫し倒してやるのじゃ!!
「そうと決まれば――グリンピースよ。すまぬがもう少し付き合ってくれるか? 園内をもっと回ろう!」
「おう、当然だぜ! どこまでだって付き合うんだぜ!! ちなみに、どこから回りたいとか要望はあるんだぜ?」
「そうじゃな……そう言えば、リン・シェンヴの出し物が最近は人気じゃと言っておったな?」
リン・シェンヴ……かつては美美美美美美の一人としてワシらの前に立ちふさがった強イケメン。殺人術と名高い一撃必殺武術クンフゥの達人――じゃったが、今では宗旨を変えて「長生きの秘訣をふんだんに盛り込んだ健康武術」を日々研究しておるらしい。
ナイアルラトとの最終決戦での共闘をきっかけにして……かは知らぬが、どうやらグリンピースとはよくつるみ、この園にも顔を出しておるそうじゃ。
して、あやつが率いるパンダ集団と共に体験する武術教室が、アリスピース動物園では人気の出し物であると。
「あー……確かにリンのイベントは人気なんだが……今日はちょっと都合が悪いかもなんだぜ」
「都合?」
む? 何じゃ、何故にそんな気まずそうに頬をかく?
「今日は、『親子で体験』ってのが主旨だって言ってたんだぜ。世間的にゃあ、大型連休の真っ最中で家族でログインしてる客が多いからな、だぜ」
「ああ、なるほどな。すまぬ。気を遣わせた」
グリンピースに両親の事を話してはおらぬが……幼い頃から魔王として神々の玩具にされておったワシの境遇は知っておる。そこに暗い何かを予測できぬほど、鈍いイケメンではないじゃろう。
「……ワシと貴様の取り合わせではどう考えても親子には見えぬし、これで混ざっては周りの親子連れにも何かと気を遣わせてしまうかも知れぬ。まぁ、リン・シェンヴの出し物は次の機会に――」
「はっ! そうだぜマスター! 親子に見えれば良いんだぜ!!」
「……はぁ?」
何を言っておるのじゃ、こやつは。
「演じるんだぜ、マスター……! 俺たちはただの親子……興奮してきたんだぜ!!」
「父親は娘の前で興奮してきたとか言わぬ。あと演技は自信が無い。一〇年前、四天王にボロクソ言われたのじゃ」
「気合だぜマスター!! って言うかぶっちゃけ俺としてはマスターと親子プレイがしたいって一点にもう心が囚われているんだぜ!!」
「プレイて」
こやつに限らぬが……イケメンって時々、どうしようもない変態性が出てくるな。
むぅ……まぁ、ワシのために時間を割いてくれておるし、ワシとしてもパンダと武術体験と言うのはそそられるものがあるし……ここは、やってやるのも一興か?
「しかし、親子の演技なぁ……」
父上と過ごした記憶なぞ、もう一〇〇〇年以上も前のもの……忘れた訳ではないが、鮮明に思い出すと言うのはさすがに難しい。しかも当時の親子観と今の親子観ってかなり違うじゃろうしなぁ。
そんな事を考えておると、ちょうど横目に親子連れが見えた。
ワシよりも幼い女児が、父の袖をくいくいと引いて「おねがい、パパ」と何か頼み込んでおる。どうやら木の上で休んでおるポンポコタヌキを少しでも近くで見たいと肩車をせがんでおるようじゃ。
ふむ、ああ言う感じか……。
少々気恥ずかしいが……仕方無い。
グリンピースの袖をくいくいと引っ張り、やっぱり恥ずかしいから少し目を逸らして――
「よろしくね……パパ」
「だぜぐはぁっ」
「グリンピース!?」
グリンピースが胸を押さえて倒れた!?
「ちょ、大丈夫か!?」
『イケメンの撃破を確認しました。推しの命日をカレンダーに設定しますか?』
「いつぞやの天の声!? 嘘じゃろマジ死に!? しっかりしろグリンピース!! グリンピィィィィィイイイイス!!」
このあと、グリンピースはイケメン病院へと搬送された。