01,過労幼女は元配下の叛逆によって裁かれる。
日照時間は年に数時間、魔境のド真ん中に在る仄暗き魔人国家【ピースフル】。
その首相官邸・執務室にて、ワシは今日も分厚い資料と睨めっこをする。
ワシが千年筋肉から幼女になって、早くも一〇年の歳月が流れた。
フレアが筋肉神を介して行った小細工のせいで、ワシの容姿と筋肉量は「不老不死系の種族かな?」ってなるほど変化が無く幼女ボディのままじゃが……確かな歳月の流れを感じる文言が、この分厚い紙束には踊っておる。むしろ「たった一〇年で、よくぞここまで辿り着けたものじゃ」としみじみ思う。
ワシが今読み込んでおるのは、【超国際連合憲章草案 要点抜粋】と表題された代物。
――魔族と人間の戦いは、すべて千年筋肉によって仕込まれたものだった。
そして、その千年筋肉が討たれた。
平和を求めて戦った、優しき勇者の手によって。
魔と人の停戦はそう難しくはないじゃろうと踏んでおったが、想像を遥かに越える速度で休戦から終戦へと進んだ。神々が天啓を下ろしまくり、政治的地位のある聖職者たちが魔族との融和にノリノリになったと言うのが大きいじゃろうな。
終戦からほどなくして、何かよくわからん団体が「魔族と言う呼称は差別に当たる」だのなんだの言い出して種族全体の呼び方が【魔人】になり、魔王軍と言う魔族のコミュニティはピースフルと言う名の魔人国家へ変わったりもした。
その頃には勇者が千年筋肉討伐報酬で立ち上げた勇者財団も活動を本格化。後進国への資金援助を中心に、国際的な平和政策を金の力で強引に推し進めた。勇者財団の財力にものを言わせた強烈なプロパガンダによって、世論は「争いの無い、平和な世界の実現」へと傾いていったのじゃ。
「多少のいざこざはあったが……思っていたよりもずっと、軽やかにここまで来れたのう」
平和な世界へ向かって爆進する世界情勢。
……それでは困ると暗躍を始めた者たちもおった。
四大国家を筆頭とする軍事国家群じゃ。
連中は当初、力づくでも勇者財団を潰そうと色々計画しておったようじゃが……そこで旧魔王軍が勇者財団の正式な後ろ盾となる事を発表、多数の国々がそれに賛同した事で、軍事国家群連中の企みは頓挫する。
まぁ、かつて四大国家をまとめて相手取っても終始戦局を支配していた超軍事戦力・旧魔王軍が、多くの国々と連合を組んで勇者財団側についたのじゃからな。政治戦でも武力行使でも勝ち目が薄いと観念した軍事国家群の連中は、勇者財団が提案した大規模軍備縮小条約へ調印せざるを得ないと言う流れになった。
……軍備縮小の気運を作った決め手が軍事力、と言うのは、何とも皮肉な話よな。
力とは、パワーとは常に諸刃の剣である……決して忘れてはならぬ事じゃ。
そんなこんなあって、そこから更に話は進み……今はこれ。超国際連合憲章。
簡単に言うと、勇者財団主導で行っておる国際的な支援活動を、全ての先進国に手伝ってもらおうと言う企画。皆が一丸となって、世界を良い方向へと進めていこうと言う約束じゃ。
「胸が躍るのう」
この一〇年、毎日が楽しくて仕方無い。
じゃってもう……仕事が、報われおる!
働けば働いただけ、対価を実感できる!!
これ超楽しい! ワシってば今超生きてるって感じする!!
ごめん本当もうね虚無みたいな労働を一〇〇〇年も続けてたからさワシ今テンションおかしいかもだけど本当に今これ楽しいわワシこれ!!
◆
「休んでください」
青いマントを翻す青髪の青年。頭から生やした角と頬を這う青い鱗から竜系魔族である事が伺える。
こやつの名はファナン。かつて魔王軍において最高幹部【竜王】の座に就き、竜系魔族師団【ファヴニィル】を率いておった魔将。今はピースフル首相四人衆にして勇者四天王と呼ばれる者の一人じゃ。
「……え?」
「休んでください」
聞き間違いかな? と耳に手を添えたワシに、ファナンは真顔で繰り返す。
やだ……何その冷ややかな目、恐。めっちゃ怒っとる時の奴じゃん……。
「いやしかし、超国際連合憲章のとりまとめ、いよいよ大詰めじゃし……」
「魔王様、昨日の睡眠時間を教えていただけますか?」
「……き、気分的には……七時間は寝たかも知れぬな?」
「せめて服を着替えてから言えよ魔王このやろう」
「のじゃ……!?」
ぬかった……昨日から同じ黒ロリドレスのままじゃったか……!
この幼女ボディに合わせた服は、かつての魔王軍四天王二大女傑【鬼王】ヨトゥンと【霊王】アンルヴが選んでくれておるのじゃが……どれもこれもパジャマでさえも見た目重視で、着替える手間が考慮されておらぬものばかり……ぶっちゃけもうこんなモンに着替える時間があるならば仕事を進めるわもう大詰めじゃもん、と強行してしまった。
昨日まではちゃんと着替えて誤魔化しておったのに……迂闊ッ……!
「魔王様……いいえ、ここはアリス嬢と呼ばせていただきます」
ぬ、公的な場での呼び名……。
「今現在、貴方の役職はなんですか?」
「……かつて千年筋肉によって一族郎党を粛清され身寄りが無いので、首相官邸にて保護されておる高貴な血筋の幼女A」
「それだのに『見ておるだけなんて嫌じゃ嫌じゃワシも皆のために働くったら働くぅー!! 世界が平和になったらちゃんと自分のために生きるから今はワシも頑張らせて欲しいのじゃー!!』とじったんばったん大騒ぎでダダをこねて聞かなかったから執務室と仕事を与えてこの一〇年……累計睡眠時間はいかほど?」
……数えておらんが、数えようと思えば数えきれる程度かも知れぬな。
フレア直伝のてへぺろを披露したら誤魔化せるじゃろうか……いや、あの静かな怒りに満ちた目は無理じゃな。下手を打てば絶対零度の蒼炎が飛んでくる時の目じゃあれ。氷の中で安らかに眠るのは御免じゃ。
「し、しかし、ファナンよ。見た目こそ幼女じゃが、ワシは一〇〇〇歳を超えておる。もはや幼女のようで決して幼女ではない何かこうワシ自身どう形容すれば良いかわからん生き物じゃぞ? しかも女神のバフ付きじゃ。別に常軌を逸した長時間労働でも体に悪影響など出ないと思うのじゃ」
「既に一〇年経っても幼女ボディのままと言う悪影響が出てるでしょうが。寝ないと子は育たないんですよ」
「これは女神の呪いのせいじゃもん!」
おそらく記憶以外の肉体情報が毎日リセットされとる。
おかげで疲れを知らぬ幼女ボディじゃが、筋肉を含め肉体的にまったく成長できぬと言う代償付じゃ。
「仮に女神の呪縛が貴方の推測通りの内容だったとして……記憶・知識的経験の蓄積が行われている以上、それが及ぶのはあくまでも肉体的な話でしょう。精神的には摩耗の一途のはずです」
「そ、それは……」
現に、服だけ替えて「ちゃんと寝て起きて作業しておるよ?」と言う偽装工作をぬかった。ワシの精神状態が万全なら、きっとこんなミスはしなかったじゃろう……そんな自覚があるだけに、否定できぬ。
「アリス嬢。これでこの寝不足過重労働ダメゼッタイ勧告も何度目か……一〇〇〇年を超える呪縛に囚われていた貴方の心境を慮れば、と今まで幾千回と目を瞑ってきましたが……最早、看過できません」
「そこをどうにか、おまけとか……」
「もう品切れです」
そしてファナンは内心ブチ切れじゃな。
ワシは今上手い事を考えたので大目に見てもらえんじゃろうか無理じゃろうな。
「いやでも! 超国際連合じゃよ!? 平和の集大成一歩手前まであるじゃんこれ!! ここまできたら走り抜けさせてくれるのが情けじゃと思わぬか!?」
「これから私の下す判決が無情無慈悲であるならば、冷血クソトカゲと謗られようと一向に構いません」
「あ、ごめん、違うのじゃ! 今の言葉は断じてそう言う意味ではない!」
わかる、わかっておる!
ファナンは意地悪を言っておる訳ではない。
ワシの事を思って休めと言ってくれておるのはわかる!
じゃがワシ的には――
「もはや、これまで。貴方は働き過ぎたのだ。特別選抜メイド部隊、ここへ」
ファナンの静かな声を合図に、どこからかいつの間にか現れワシのデスクを囲んだ無数の影。
出おったな……首相官邸の整備と警備を網羅する最強のメイド部隊、通称【メイド・イン・ヘルブレイズ】……!!
その正体は元魔王軍四天王が率いておった各師団から選りすぐられた猛者たち!!
系種も雌雄も関係無い、選考基準は一に戦闘能力、二に家事炊事能力、以上。
メイドの既成概念を粉砕する武闘派ハウスキーパー集団じゃ……!!
「勤務中の様子を見ていれば、貴方が心の底から今の仕事を楽しんでいる事は理解できます。しかし、仕事を楽しんでいようがいまいが、過労とはすべての生命へ平等に厄災を運ぶ。仕事が好きならどんな重労働も苦ではない……など、真の過労を知らぬ幸せ者の戯言なのです。手遅れになってしまう前に……我が権限を以て、ここで決を」
ファナンは僅かな呵責を噛み潰すように少しだけ口を閉ざし、そして、すべてを振り切る勢いでワシを指差した。
「アリス嬢。過剰労働の罪により、貴方には強制休暇三年の実刑を言い渡します!!」
「さっ、三年!? しかも実刑じゃと!?」
長い、余りにも長過ぎないかそれは!?
「ま、待て、待つのじゃ! いくら何でも横暴、権力の乱用じゃ! 弁護者を用意して正式な裁判を――」
「メイド部隊、その罪深き幼女を癒し特化のスーパーキッズルームへぶち込め。どれだけダダをこねようと問答無用でお昼寝だ。絵本の用意を忘れるな」
聞く耳無し!!
おのれ……舐めるなよ!
いくら幼女に成り果てたとは言え、ワシはかつて千年無敗を誇った魔王じゃぞ!
メイドとは名ばかりの歴戦の精鋭部隊が相手じゃろうと、そう簡単に捕――
「って、もう抱っこされとるーーーー!?」
いつの間にかワシの小さな体は、メイドによってしっかりがっちりと抱っこされてしまっておった。
一見すると華奢じゃが確かな筋肉密度の肉体をシックな白黒メイド服でラッピングした竜系魔人のお姉さん……確かこやつは、竜系魔族師団・隠密部の筆頭じゃったクリアスか!!
精鋭すごぉい! マジでまったく気付かんかった!!
そしてあぁんもうパッと見は乙女らしい細腕じゃのにすごいパワー!!
隠密性能が高いスリム系マッチョ女子って何か色々と強過ぎる!!
これ絶対に逃げらんねぇのじゃ!!
「は、放すのじゃ……いや、放してくれ! ワシはまだ働ける! 次からはちゃんと、ちゃんと適度に休みながら働くから! どうか今回だけは見逃して欲しいのじゃ!! 頼む!!」
「連れていけ。寝る子は育つ、それがこの世の法だ」
「嫌じゃああああああワシまだ寝ないもんンンンンン!!」
ワシの叫びは虚しく響き、癒しのキッズルームへと吸い込まれていったのじゃった。
★☆魔人豆知識☆★
◆クリアス◆
メイド・イン・ヘルブレイズの隊長を務める竜系魔人のメイドお姉さん。
昔は「影が薄い事」がコンプレックスの地味系女子だった。
地味子脱却の術をかつての魔王に相談し「うぅむ……筋肉でどうにかならぬかのう?」と言う答えを得たのでたくさん鍛えた。実は彼女の存在感の無さは突然変異によって獲得した特殊な鱗によるものなので、本来は筋力量で解決できるものではなかったはずだが……信じる肉は救われるらしく、どうにかなったスリム系マッチョ女子。結果、腹筋にパワーを込めている間だけそれなりに存在を認知されるボディを手に入れる。
即ち「腹筋から力を抜けば意識の外から忍び寄る事ができる隠密と筋肉を高い水準で備えた竜系魔族」と言うとんでもねぇ奴が誕生した。
魔王の筋肉なアドバイスが、幼女の労働を阻むメイドを生み出したのである。
ちなみに、その隠密能力で幸か不幸か「家政婦は色々と見ていた」的な状態になってしまい、意図せずして千年筋肉の真実を知る数少ない存在になった。