09,活路はキュウリ畑の中に
噴水の縁に腰を下ろし、流れゆく雲を眺める。
「……………………」
……敵は強大。
まだ二回しかイケメンとの交戦経験は無いが、どちらにもまったく歯が立たなんだ。
こちらにはまともな武器が無く、それを集める事すら至難。
……無力に流されていく雲のような気分じゃ。
こういう状況を……「神に祈るしかない」と言うのじゃろう。
正味、神々に祈るなど冗談ではないが……一柱だけ、祈っても良いと思える奴がおる。
我が母上が、困った時はそれに祈れと教えてくれた。
美と愛を司り、黄金を生み出すとされる金星の女神。スカンディナヴァ神話において、オーデンと言う主神と共に死者を出迎え、その生涯を称える者。
母・フライアスの名は、その女神にあやかって付けられたそうじゃ。
じゃから、何かあればその神を母と思って頼れば良いと。
……本当、めちゃくちゃな理屈よな。母上らしいが。
まぁ、良い。
さて、件の女神様よ。
母上に免じて祈ってやる。ワシに何ぞ妙案をよこせ。
……なんてな。
現実逃避はこの辺りにして――
「アリスちゃ~ん、さっきからずぅ~っと黙りこくっちゃってさぁ……ボクは寂しいぞ~い……」
「……なんじゃフレア。いきなり頬っぺをむにむにするな。おとなしくキュウリを食べておれ」
「キュウリはもうごちそうさまでした! アリスちゃんもどうぞ!」
こんな時でもごちそうさまでしたの心を忘れない事は素直に褒めよう。
魔族は御米しか食えぬから野菜をもらっても困るのじゃが……一応キュウリも受け取っておく。
……そう言えば、この幼女ボディなら食べられるのじゃろうか?
ふむ……とキュウリを眺めてみる。
すると突然、フレアの手がワシの脇に滑り込み、そのまま目線が合う高さまで抱き上げられた。
「にゃっしょい! へい、アリスちゃん。ちょっとこっち見て!」
「ぬおぃ? いきなり何のつもりじゃ貴様……」
……まぁ、抱っこまでは良いが、高い高いはするなよ。
高所恐怖症的にそこがボーダーラインじゃ。
「ジト目のアリスちゃんカワイイねッ!」
「それより何のつもりじゃと訊いておろう」
「アリスちゃん……実はボク、寂しいと死ぬ系のフレアなんだ」
真面目な顔で何を言っとるんじゃ、こやつ。
「このウザ絡みはさながら断末魔なのさ! そうですボクはウサギさんフレアだぴょん!」
フレアはゆっくりとワシを下ろすと、自分の頭に手をやってピコピコと……言動から察するに、ウサ耳のつもりか?
「……どうでも良いが、ウサギは寂しくても死なんぞ」
「ええぇ、そうなの!? 物知り幼女……すごいすごい! ねぇねぇアリスちゃん、他にも動物雑学があったら教えて~」
これ会話の糸口と言わんばかり、フレアがぐいぐい来る。
そんな場合ではない、と突っぱねようとも思ったが……ふと、アジトで元気無くうつむいていたフレアの姿が脳裏を過ぎった。
……仕方無い。気分転換も兼ねて、少し構うか。
では、何の動物の話が良いか……ふと視線が向いたのは、先ほどフレアからもらったキュウリ。
ああ、そうじゃ。先ほどはド忘れしてしまっておったが……。
「フレアよ、【ゴズテンバッファロー】と言う野牛の一種を知っておるか?」
「んー……知らない!」
「牛としては驚くほどに小型でアナグマ程度の体格しかない。こやつの名前の由来は【ゴズテンノー】と言う、オリエント大陸の伝承に登場する神じゃ」
「オリエントかぁ……東洋エキゾチックの宝物庫って感じで良いよね!」
うむ、ワシも一度は行ってみたい。
固有種がめっちゃいっぱいいるしのう。
「して、このゴズテンノーの逸話には『神同士の戦いに敗れ、キュウリ畑に逃げ込んだ』と言うものがあってな。まるでそれを参考にでもしたかのように、ゴズテンバッファローは肉食獣に追われるとキュウリの群生地帯、天然のキュウリ畑に身を隠す習性があるのじゃ」
「……何でキュウリ畑に隠れるの? あんまり効果無さそうだけど……」
「先ほど、見たじゃろ?」
未成熟なキュウリは、神でさえも恐れると言う強烈な――
「………………………………」
「ん? アリスちゃん? どうしたの急に固まって?」
……そうじゃ、【アレ】がゴズテンノーのあの逸話通りであるならば。
「イケメンは顔に少しでも傷を付けられればイケメン大爆発……そう言えばさっきは軽く流したがイケメン大爆発って何ぞ……? いやまぁ名称通り爆発するんじゃろうが……とにかく瀕死になってくれるならそれで良いか……」
もしかしたら……キュウリにはイケメンを打破し得るポテンシャルがあるやも知れぬ。
……いやしかし、難しいな。
この手でイケメンの顔を傷付けるには「イケメンの方から勢いよくキュウリ畑に突っ込む」ように仕向ける必要がある。
ワシらの手持ちは、爆撃を放つ足鎧とあらゆる野菜畑を召喚できるスコップだけ。
どうすればイケメンをそんな奇行に走らせられると――いや、待て……【あらゆる野菜】を生み出せるスコップと言うならば、当然――
「いけるやも……知れぬ……」
不確定要素の多い賭けじゃが、現状、唯一の突破口が見えた。
成功すれば一発逆転。
失敗したら惨めに敗走して、ふりだしに戻れば良い。
どのみち、現状より悪くなる事はもうあるまい。
この一手に賭ける価値はある……!
ふっ……母上には悪いが、どこぞの女神より身近な小娘の方がよほど頼り甲斐があったのう。
「でかしたぞ、フレア。貴様のおかげじゃ」
「にゃ? よく分かんないけど褒められてるっぽいから喜んじゃお! えへへのへッそい!!」
へッそい?
まぁ良い。
「よく聞け、そのスコップで上手くやれば――グリンピースを墜とせるやも知れぬ!」
「……? あ!」
ほう、察しが良いな。
今の発言だけでワシの計画が理解できたらしく、フレアが納得したように手で槌を打った。
「うん! ヴィジター・ファムートはグリンピース畑も召喚できるよ!」
「違うそうじゃない」
◆
南西都市ダーゼット郊外。
エリア中にイケメン・ボイスが溢れかえる。
「見つけたよ、麗しき君ぃ! 僕のために生き残っていてくれたんだね!」
「ああ、ぎゅっと抱きしめるよ! 比喩ではなく息ができなくなるほどに!」
「どうして逃げる? まさか攻略する気か……? 俺以外の奴を」
「月が綺麗だなァ~! まだお昼だけどとっても綺麗なんだァ~~~!!」
無数のイケメンたちが、残像の尾を引く速度で街中を駆け巡る。
そのギラギラとした視線の先には、逃げ惑うプレイヤーたち。
イケメンはプレイヤーに追いつくと、次々に壁ドン・床ドン・蝉ドンで拘束していく。
反撃に転じるプレイヤーもいるが……無駄だ。
銃弾が直撃させようと、槍で突こうと、イケメンたちのイケメンには一切、傷が付かない。
無敵に等しい強化イケメンの群れに狩り立てられ、プレイヤーたちは阿鼻叫喚のパニック状態。
そんな騒動を、天高くから静かに見下ろす者がいた。
「……ゲリラ残党狩りと新規プレイヤー狩り進捗、上々なんだぜ」
純白のペガサスに騎乗する緑色のイケメン――グリンフィース・ダーゼット。
南西都市ダーゼットを支配するボス・イケメン。植物属性最強と名高い上に、ペガサスを駆る機動力の高さを持つ。
「もうすぐ、この街のプレイヤーは根絶やしになるんだぜ――カイザー」
それはグリンフィースの独り言――ではない。
『ウフフフ……それは重畳。キミの報告はいつも楽しくて助かるねぇ、ダーゼットくゥん』
グリンフィースの報告に対し、虚空に声が響く。
ねっとりと鼓膜にへばり付く粘着質な、気味の悪い声だ。
グリンフィースは不快感を眉で現しつつも、言葉にはしない。
『さて、重畳ついでに朗報をひとつ。そろそろ例の【奴隷王】がログインする頃合だぁ。君たちイケメンが一番嫌うタイプのプレイヤーだろぉ? 存分にやっておくれよぉ』
「……ああ、もちろんだぜ」
『頼もしい。サイゴまでぬかりなく頼むねぇ。ウフフフ……フハハハ…………』
不快感を煽る笑い声は少しずつ小さくなっていき、やがて消えた。
「必ず、やり遂げてみせるんだぜ……!」
グリンフィースは端正な顔を歪め、手綱をぎゅっと握り締める。
眼下にて敵対者であるプレイヤーたちが蹂躙されていく中……その表情に、愉悦は無い。
何かに苦しみ続けている……そんなイケメンの顔だ。
「……この苦しみは、何かの間違いなんだぜ……胸が痛むはずがないんだぜ、同情なんてするはずがないんだぜ。だってこれは、このクソみたいな行為は、おまえたちが先に始めた事なんだぜ……!!」
その悲鳴にも似た声は、まるで自分に言い聞かせるようなニュアンスを含んでいた。
「そう言えば、あのおもしれぇ女……」
ふとグリンフィースが思い返すのは、今朝、街道にて遭遇した新規プレイヤー。
「ひと目見た瞬間に何かが違うってビビッと来たんだぜ。そんで、俺を見ても色めきたたず、あまつさえ俺の誘いを断りやがったんだぜ」
ペガサスにはソワソワしていたが、グリンフィースにはまるで興味が無いと言った様子だった。あんな反応を受けたのは初めてだ。
普通のプレイヤーは、グリンフィースを見れば色めきたち、そして目の色を変えて――
「あいつはマジに何かが違うんだぜ。イケメンを狩って隷属させる事しか頭に無いクソッたれなプレイヤー共とは……」
グリンフィースは「よし」と思い立ってペガサスの手綱を引いた。
「今度は、逃がさないんだぜ……アリス」