83,アホの女神を置き去りに世界は回り出す。
天界には放送室がある。
主に下界へと天啓を下ろす際に使用される設備だ。
そして放送室には種類が二つある。下界全域に天啓を届けるものと、特定の下界生物を個体単位で狙い撃ちして天啓を届けられるものだ。
「さて、と……」
まるで「きちっとした格好って苦手なんだにゃあ」と主張するように紅い長髪を雑に束ね、純白の衣もダラダラと着崩して――まぁ、それでも雑さより美しさが勝っている辺りが美の女神(一応)、フーレイアは放送室のドアを開けた。
フーレイアが入ったのは、個体単位で天啓を届ける方の放送室。室内は吸音素材を使用した壁で覆われており窓が無く、部屋の中心にごてごてとした機械と、それに接続された細長いマイクが設置されている。
「事の規模が規模だから、さすがに緊張するけど……頑張ろうね、アリスちゃん!」
今はこの場にいない魔王へ向けてエールを送り、フーレイアは気合を入れ直すようにぐっと拳を握る。
「……最大の問題は、ボクは意外にも最新の機械に疎い系の女神って所だね」
フーレイアはごくりと息を呑み、額に薄らと汗を浮かべながら、メカメカしい放送設備を見据える。
「魔力筋力や神パワーが動力の機械なら普通に使えるし、流行りものは嫌いじゃあないんだけど……科学系統の機械だけはちょっとに~……肌に合わないって言うか、生理的に何かそりが合わないって言うか……ボクに限った話じゃあないよ? 神様には割と多い気質なんだよ? 科学アレルギー。法則を書き換える手間とかが要らない科学のコスパが良いのはわかるけどさぁ~……温故知新? って言うのかな。何でもかんでも新しければ良いと言うものではないと思うんだよにー」
フーレイアの誰宛か不明な長ったらしい言い訳はおいといて。
放送室の設備は、数百年前までは神パワーを利用した術式稼働だったのだが……天界も近代化が進み、電力を応用した完全機械設備になってしまった。
そもそも天啓とか下ろすタイプじゃない女神なフーレイアは「ボクにはまぁ無縁の代物だしにゃあ」と余裕をぶっこいており、回覧板で回ってきた操作説明資料は流し読みしかしていない。そして紛失済――正直、目の前の代物を上手く扱えるかが不安でしかない。
「でもね、ボクだってアホじゃあないよ! ちゃんとさっきオッディに最低限の使い方を確認したモンね!」
そう言ってフーレイアがドヤ顔で取り出したのは、一枚のメモ用紙。
オーデンに操作手順と、勇者ユリーシアへチャンネルを合わせる方法を書き記してもらったのだ、ぬかりはない。
「さぁ……始めるよ、アリスちゃん」
――これから始めるのは、一世一代の大演劇。
天界を巻き込み、下界全土を観客とする大舞台。
アリスを含め誰ひとりとして犠牲にせず、すべてを丸く収めるための儀式。
みんなが笑い合える明日を創るため――最後の戦いだ。
天界サイドの根回しはオーデンが既に終えている。
あとは、下界で舞台の幕を開くだけ。
それもすぐにオーデンが始めるだろう。
だがその前に、勇者ユリーシアにあらかじめ事の全容を説明しておく必要がある。
フーレイアはその重要任務を、アリスから託されているのだ。
「魔王と勇者の戦いのために歪められた世界を元に戻す――その手段がこれって言うのも、何だか因縁を感じちゃうね」
輝かしい未来を想像して、フーレイアは祝福の笑みを浮かべた。
すぐに「いやいや気が早いって!」と首をぶんぶん振り、自身の頬を打って気合を入れ直す。
「それじゃあ、気張っていくぞー! にゃー!!」
元気良く、フーレイアは放送設備の主電源スイッチをONの方へと押し込んだ。
「さてさて? え~っと、オッディメモによると『主電源をONにしたら、電源ランプが赤く点灯する』。電源ランプって言うのは、このスイッチ横のこれだよね? 赤く光るって何か親近感がわくにゃあ~。さぁさぁ、景気良く光ってくれたまえよ~………………って」
…………………………。
「…………あれぇ?」
◆
――その頃、下界。
「……戻って、来たのよね?」
ある花屋の二階、元は物置だった小さな部屋で、少女は怪訝そうに呟きながら姿見の前に立った。
元々オシャレに興味が無い乙女の部屋にある姿見は、それ相応に埃を帯びている。薄汚れた鏡面に映っているのは、質素な部屋着に身を包んだ少女だ。年齢は誰がどう見たって一〇代中盤程度だと予測するだろう。間違っても、白いドレスに身を包んだ金髪の幼女ではない。
金髪の少女――勇者ユリーシアは自らの在るべき姿を確認し、その場にへなへなと崩れ落ちた。
「はぁぁ……一時は、どうなる事かと……」
と、安堵の息を吐きつつ、一連の事件が幕を下ろした事を実感する。
「でも、まだ終わってない」
空気の抜けた風船みたいになるのはまだ早い、とユリーシアは目尻を上げ口の端をきゅっと結び直す。
彼女は決めたのだ。自身が隷属させていたイケメンたち、すべてに謝罪し、復讐の意思があるかを確認して回ると。その意思があるのなら、甘んじて受け入れると。
それに、現実でもやらなきゃならない事がある。
緊急時だったので雑になってしまった魔王への謝罪……今度は、ちゃんとしっかり――
「……そう言えば魔王、ログアウト間際に何かアタシに言おうとしてなかった?」
ユリーシアが思い出すのは、ログアウト間際に幼女姿の魔王が何か言いかけていた事。
直後、時間が足りないと判断したのか、自称女神の赤髪お姉さんにパスしていたが……。
「ん? って言うか……」
更に思い出すのは、魔王がユリーシアに何か言おうとする前の発言。
「あいつ、サービス終了を止めるとか何とか言ってなかった……?」
イケメンたちへ向け、魔王は「必ずやイケメン・ニルヴァーナのサービス終了は回避する」と言っていた。
つまり、イケバナはサービスが終わる?
そんなバ――いや、考えてみれば当然か。
イケメン革命は、イケメンたちの制御に失敗した運営の不祥事と言う認識になるだろう。解放されたプレイヤーたちが被害を訴えれば、まず間違い無くイケバナは凍結。事件の規模的に、再開はほぼ有り得ない。だって、これだけの大事……再開したって戻らない客の方が多いだろう。セキュリティ面に脆弱性を抱えているかも知れない遊戯結界なんて、安心して利用できる訳が無い。そんな金脈皆無のゲームを運営継続する企業があるはずない。
邪神の気まぐれ……人間の技術では到底、抗い様など無い事だったのに、セキュリティの脆弱性云々の話になるのは理不尽ではないかとも思える。だが、それはユリーシアが真実を知っているからだ。実際にナイアルラトを目の当たりにしていない者たちからすれば、神様が一ゲームにちょっかいをかけていただなんて荒唐無稽な話、信じられるはずが無い。
世間的に今回の事件は、ゲーム運営会社がどこぞの悪徳術師にしてやられ、危うく多くの犠牲が出る所だった最悪の不祥事でしかないのだ!
「ふざけないでよ!?」
ユリーシアはイケメンたちに謝らなければならない。
と言うかそれ以前に、イケメンたちが世界もろとも消されてしまう。
イケメンだって、生きていると言うのに!!
「……いや、でも……誰が信じてくれるってのよ……!」
ユリーシアだって、魔王に最初「イケメンだって生きている」と説かれた時は、鼻で嗤って済ませた。
運営に訴えたって、同じ反応が返ってくるだけだろう。そしてろくに精査もされず、イケバナは葬られる。
ゲームの運営は営利企業だ。妙な悪評が広まる前に最善の対策を徹底的に打たなければ、後に死活問題となってくる。戯言にしか聞こえない声に耳を傾けて慎重に動く余裕など無いはずだ。
どうすればサ終を止められるか――その答えで、最も確実な手段は、金だろう。
力づくでの強奪と言うのは余り得策ではない。遊戯結界魔導書の本体はかなり大規模でデリケートな術式だ。下手に扱えばイケバナが崩壊して本末転倒になりかねない。
だから、確実なのは金で運営・管理を行っている人員ごと会社を買い取る事。
しかし、どれだけ莫大な額が必要になるか……!
更に、買い取った後の管理運営コストだって馬鹿にならない……!
「またお金か……!」
どこまでも纏わりついてくる……まるで、呪いだ。
それだけ、パワーのある存在だとも言える。やはり金には世界を救えるポテンシャルがあるのだと再認識させられる。問題はその金が手元にほとんど無いと言う現実だ。
「……って言うか逆に、魔王はどうやってサ終を止めようっての?」
かなり力強く断言していたが……何の確証も無しにあんな事を言う柄ではないだろう。
あの魔王と話していて、妙な所で変にリアリストと言うか、冷静な節を感じた。戦法で言えば、無理なものは無理と断言して別の勝ち筋を模索するタイプだろう。ヤケクソで実現不可能な事を口走るとも思えない。
だが、そもそも魔族では人間の通貨を仕入れる事すら困難なはずだが……?
あの魔王が暴力に訴える所も想像できないし……とユリーシアが首を傾げていると、
『――下界の子らよ』
「……え?」
脳内に、声が響いた。
勇者として何度か聞いた、神々の声に似た響きを感じる。
声色は、高齢男性を彷彿とさせる少ししゃがれたものだった。
『私はスカンディナヴァ・クランの主神・オーデンである。これは天啓だ。心して聞いて欲しい』
その言いぶりからして、下界に存在するすべての生き物を対象とした、天の声。
『目を醒ませ。キミたちの世界は今、邪悪なる者の侵略を受けているのだ』
「侵略……?」
唐突に何の話か……と考え、ナイアルラトの悪行についてか、と察する。
そうだ、そう言う事かとユリーシアは手で槌を打った。
ナイアルラト――あの邪神の行動を、神の言葉として世界へ向けて詳らかにするのだ。
そうすればもしかしたら、神の気まぐれに巻き込まれただけのイケバナは「いやもう神が関わってるんじゃあどうしようもないわな」と今回の不祥事を大目に見てもらえるかも知れな――
『邪悪なる侵略者の名は――魔王・アゼルヴァリウス』
「……は?」
思わず、ユリーシアは声を零してしまった。
『千年筋肉とも呼ばれるかの魔王は、その筋力を以て世界の記憶を改竄。人間と魔族の間に【存在しない対立の歴史】と言う虚構の因縁を植え付け、世に戦乱をもたらした。今まで人と魔が争うように仕向けるために行われていた天啓の類はすべて、アゼルヴァリウスによる偽装である』
「ちょっと、待ってよ……」
『我々神々は、かの魔王の余りにも強烈な筋力によってほとんど下界に干渉できずにいたが……どうにか勇者に力を与え、魔王の討伐を図っていた。そしてようやくかの魔王が封印された事で、私がこうしてキミたちに語りかける事ができるようになったのだ』
「さっきから、何を言ってんのよ……この声は……!?」
『下界において先日より発生していた事件。遊戯結界魔導書――イケメン・ニルヴァーナにてイケメンカイザーを名乗りプレイヤーへ危害を加えていたのは、魔王が作り出した筋力の化身だ。筋力の化身はイケメン・ニルヴァーナをエネルギー化し、そのエネルギーを使って魔王の封印を解こうとしていたのだ。だがイケメン・ニルヴァーナのエネルギー化は、ある勇士たちによって阻止された。これで下界に完全な安寧が戻る。神々の出る幕は無い……そう思っていた』
訳がわからない。
あの魔王が、まるでこの世のすべての不都合における諸悪の根源のように語られている。
ただひたすら「全部あいつが悪いんだ。あいつだけが悪いんだ」と言うような天啓が、なおも続く。
『しかし、今しがた、別の方法で魔王の封印がまた解かれたのを確認した。すぐにまた我々は干渉できなくなるだろう。故に、全ての人間よ、全ての魔族よ。協力して欲しい。我々によって選ばれし勇者が、今度こそ魔王を討てるように、あらゆる支援を惜しむなかれ――そして勇者よ』
「ッ……!?」
ユリーシアの嫌な予感を裏付けるように、彼女に宿る勇者パワーが総量を増した。
神々の加護が、強化された。彼女の肉体に直接宿るパワーは最初から彼女が耐えられる限界ギリギリの量に調整されていたが……この感覚は、ユリーシアが呼び出せる勇者カリバーを筆頭とした勇者アイテムが強化されたようだ。
『世界を救うために、魔王を討て』
天啓の直後、ユリーシアは唐突な悪寒を覚えた。
その原因は窓の外から流れ込んできた何かだと直感し、急いで窓から外を見る。
そして、絶句した。
「ま、魔王……!?」
空に浮かび上がる、巨大な魔族の姿――筋力立体映像。
筋力を用いて力づくで光とか色々捻じ曲げ、空に巨大な虚像を映し出しているのだ。
その姿は、間違い無い。
筋肉ムキムキのモッリモリ系の魔族ジジィ――千年筋肉、魔王アゼルヴァリウス!!
『えーい、小癪な神々めー。先を越されたのじゃー』
筋力立体映像として空に浮かぶ魔王は、忌々し気に少しだけ表情を歪め、舌打ち。
アリスの性格を知るユリーシアからすれば、違和感の強い、しかも実に演技臭い棒読みとぎこちない所作だった。もしもあれが舞台上の役者だったなら全力投球で大根を投げ付けてやる所だ。
『バレてしまっては仕方無いのー。ぐふふげすすすす、その通り、すべてはワシの企みよー。貴様らはみな、ワシの掌で踊っていたに過ぎぬのじゃ~』
ただでさえ現状への理解が追い付いていないユリーシアは、もう何かこう……魔王の棒演技っぷりに混乱極まって腹立ってきた。
『どうせすべて無駄な事よー。また筋力を貯めて世界の記憶を筋力改竄してやれば元通りワシの天下じゃあー。三日後には筋力貯まるからなー。見てろよー見てろよー』
……要するに、「三日以内にワシを倒さんと不味いぞ。みんな勇者が早くワシを倒せるように全力で支援しろよ」と遠回しに伝えている……のだろうか。魔王の演技が棒過ぎてもうユリーシアは思考力が破壊されてきた。
『せいぜい足掻くが良いのじゃー、筋肉の足りないかとー生物どもよー。ぐわははははははー』
クッッッッソ似合わない悪役風の笑い声(しかも棒演技)を無駄にエコーさせながら、魔王の筋肉立体映像は消えていった。
「………………はぁあああああああああああああ!?」
こうして――何だかもうマジでよくわからないが!!
勇者ユリーシアによる魔王討伐の旅が再び幕を開けたのだった!!