08,違う違う武器じゃない武器じゃない
噴水の水でがしがしと顔を丸洗いし、粘膜についたリューカアリルを流し落とす。
「ぶっはぁ!! ……うぬぅ……見えるようにはなったが、まだ目がしくしくするのじゃ……」
酷い目に遭ったのじゃ……。
「ところで、ここは……ワシが最初に訪れた街道か?」
「うん。ダーゼット街道。ここは中央噴水広場だね」
先ほどとは見違えるほど、街に人が溢れておる。エヌピーシーと言う奴か。
行き交う人々、店先で客に呼びかける商売人、可愛らしい栗毛の小さい犬と、はしゃぎながら駆けていく子供。皆、表情の細部まで造り込まれておる。
あれが魔術で作り出された虚像とはにわかに信じ難いのう……。
生きておるようにしか――本物の犬と人間にしか見えぬのじゃ。
「グリンピースとやらが徘徊しない時間は、こんなに活気があるのじゃな。良い風景じゃ」
虚構や幻想じゃとしても……きっと、現実のそこら中に、こんな景色が溢れておるのじゃろう。
憎き神々に色々呪縛されておる魔王がこうして直接、目にできる日がくるとは思わなんだ。
「うん。ほんわかするよね。でも油断は禁物!」
フレアが元気良く、両手を交差させて大きなバッテンを作る。
「イケメンカイザーが来てからこの世界に完全な安全地帯は無いのさ。どこから獰猛なイケメンが奇声と共に飛び出してきてもおかしくないよ!」
「イケメンの概念が乱れる」
イケメンは奇声なんてあげんじゃろ普通……このゲームは本当に……。
「……そう言えば、フレアよ。貴様さっき、何ぞ良いものを見つけたとか言っておらんかったか?」
「あ、うん。【ティアドロップ・アイテム】だよ!」
「てぃあどろっぷ……?」
「このゲームはね、イケメンの涙からアイテムが生成される事があるんだ」
フレアがパチッとウインクしつつ、閉じた目の目元から頬を指で撫で下ろす。
落涙を表現しておるのじゃろうな。
「それがティアドロップ・アイテム。イケメンが感動するように設定されているテーマのトークだったり、物理的な手段で泣かすと、稀にレアなアイテムが手に入るって事!」
「物理的な手段も可な辺りが本当このゲームよ」
製作者はイケメンに親でも殺されたのか?
「ふむ。要するに先ほどベジタロウが泣いた時にティアドロップ・アイテムとやらが発生し、それを拾ったと言う事か?」
「うん! それもただのアイテムじゃないよ! 今回はイケメン武装がドロップしたんだ!」
「なんと!」
イケメンを倒さずとも手に入る事があるのか!
「まぁ、ティアドロップで出るのは通常のイケメン武装より性能が低いものばっかりだけど……」
「ただの短剣や折れた矢よりはマシじゃ! して、どんな武器が手に入ったのじゃ!?」
これは一縷の希望!
ものによっては今後のイケメン戦闘で大いに役立つものかも知れぬ!
「じゃーん! これ!」
にっぱにぱ笑いながらフレアが取り出したのは――ハンディサイズのスコップ。
緑色の、安っぽい、子供が握りしめて砂場へ走って行きいそうなやつ。
「わーお☆ ワシそれ知っとる~。幼子が砂に突き立てて遊ぶ奴じゃ~ん☆」
って、お馬鹿。
思わず変なテンションでノってしまったわ。
「ぶっぶー☆ 違いますぅ! 玩具じゃないよ!」
まぁ、そうじゃろうな。そうであってもらわねば。
イケメン武装とは魔術的な武器なのであろう?
であれば、見てくれは性能とさほど関係が無いはず。
「これは立派な土工農具なのだ!」
「……そこは立派な武器であって欲しかったんじゃが」
「にゃはは、冗談だよ、ジョーダン! アリスちゃんはジト目も可愛いね! なのでほっぺをプ二ります!」
「やめれ」
貴様の陽気さは美点じゃと思うが、本気と冗談の区別がつきにくい。
「これは植物系の魔術が使えるイケメン武装! その名も【ヴィジター・ファムート】!」
「ほう、植物魔術」
グリンピースやベジタロウと同系統。まぁ、ベジタロウから発生したのじゃから当然か。
察するに、このスコップを振るうと植物の武器を召喚できる的な――
「このスコップを地面に突き立てると、ありとあらゆる【野菜畑】を召喚する事ができるのだ!!」
「……野菜畑?」
「うん! ニンジン畑やキュウリ畑やカボチャ畑、オクラ畑にヘチマ畑なんかも意のままらしいよ! すごくない!?」
よしきた頭痛案件。
「それは……武器じゃ、ないッ!!」
現実に存在したならば、兵站的な意味で驚異的な逸品である事は認めるがッ!
それはッ!
武器じゃッ!!
ないッッッ!!!!
「えー? でもさ、この世界は食べ物を食べると傷が治って体力も回復するよ。特に野菜系は状態異常も治せる! 健康は一番の力、つまりこれってある種の武器なんじゃないかな!?」
「それはそうかも知れぬが……」
顔面に爆撃を叩き付けても涼しい顔をしとる連中が相手じゃぞ?
すこぶる健康体じゃからって体当たりで倒せる相手ではないじゃろう。
「それに、アリスちゃん超似合うと思うよ!?」
「似合うじゃろうけども、砂場にでも行けと?」
砂場遊びは九〇〇年以上も前に卒業しとるわ。
「うぬぬ……もしやこれ、状況悪化しとらんか……?」
アジトを失い、手に入れたものと言えば野菜の食べ放題アイテム……。
「課金ができればもう少し楽なんだけどねー」
「カキン?」
「現実のお金で、ゲーム内で使える武器や道具を買う事ができるんだ。でもイケメンカイザーが現れてからは課金システムも使えなくて……」
「金か……」
まぁ、その手段が生きていたとしてもワシは人間が使う通貨なぞ持っとらん。
一応、ワシの首には「一国を一〇〇年は運営できる額の懸賞金」がかかっておるとは聞いたが……まさか自分の首を人間に差し出す訳にもいくまい。
「う~ん……とりあえず、アレだね!」
「何か案があるのか?」
「何か食べよう! せっかくヴィジター・ファムートがあるんだし。気分転換は大事だよ!」
「フレアよ……」
……ああ、うん。
まぁ、どんな状況でも笑顔を弾けさせてくれるのは美点じゃよほんと。
「本当、貴様は元気じゃな」
イケメンカイザーの話をしていた時のしおらしさは、どこへやらじゃ。
まぁ、頼もしい限りではあるがのう。
「そりゃあ勿論、今はアリスちゃんが一緒に戦ってくれてるんだもの。もうボクは独りじゃない! わき出る元気の量が違うよ! もちろん質もね!! ほら見てこの力こぶ!!」
「良い筋肉じゃな……しかし、ワシなど偉そうなだけでぶっちゃけ何の役にも立つまいに」
軽い手刀で山を吹き飛ばす千年筋肉も、今となってはリンゴひとつすら摘み潰す事もできぬ無力な幼女じゃ……偉そうな事を言っておきながら、ワシはまったくと言って良いほどフレアの力になれておらぬ。自分が情けない……そう俯きかけたワシの顔を掬い上げるように、フレアの両手が頬を包み込んだ。
「大丈夫。アリスちゃんがいてくれてすごく有り難いよ! 何より可愛いはパゥアだよ!!」
「フレア……」
「偉そうでふてぶてしい所とかもはや凶器! もぉ~。どうして幼女って生き物は自分の秘めたる力に気付かないかなぁ」
「……さりげに耳たぶをすりすりするな、こそばゆい」
「幼女の耳たぶってどうしてこんなに柔らかいんだろうね……」
「しみじみ言うな、何か危ない気配がするのじゃ」
何かちょっとぞわっとしたぞ今。
幼少期、「しょたこん」なるものを自称する女勇者に追い掛け回された時と似た悪寒を覚えた。「相手が魔王なら何しても合法……相手が魔王なら何しても合法ッ!!」と狂ったように叫びながらすごい勢いでこっちに走ってきて本当に恐かったあれ。
「さて、アリスちゃん耳たぶも堪能した事だし……何を召喚し・よ・う・か・にゃあ~……」
フレアは指先でスコップをくるくると器用に回しながら思案し、
「よぉし、キュウリに決定!」
スコップを逆手に握り込むと、その先端をレンガ道にガスっと突き立てる。
すると、フレアの正面に小さな緑の円が出現し、もさっと植物が生えた。
キュウリの蔦じゃな。巻き付く支柱が無いから地面を這うように広がっていく。
フレアの隣で膝を曲げ、少し眺めておると……ぽこぽこと緑の細長い実が生り始めた。
「わはー……キュウリの成長過程って初めて見るけど、実が小っちゃい内は何だかトゲトゲしてるんだね?」
フレアの言う通り、まだ小さなキュウリの実には岩にすらさくっと刺さってしまいそうな鋭いトゲが無数に生えておった。
「ふむ……そう言えば、『未成熟なキュウリには、神ですら恐れて避けるほどに鋭いトゲが生えておる』とどこかで聞いたな」
はて、どこで聞いたんじゃったか……?
何かの動物関連じゃった気がするが……。
「あ、すごいこれ! 発見! 大発見だよアリスちゃん!」
「……一応、訊いておこうかの。何がじゃ?」
「ヴィジター・ファムートで作った野菜は、ちょっとだけど操れるみたい!」
はしゃぐフレアの足元。
キュウリの蔦がぐねんぐねんともだえ狂いながら、まるで滝を登る魚のように天へと登って行く。
……ああ、触れ込みじゃと「野菜畑を召喚できる」だけじゃったか。
実は召喚した野菜畑を操れる。うむ、それはすごい新事実じゃな。
問題は「植物を武器化して操る攻撃系植物魔術と違い、ただの野菜を操ってぶつけたり蔦を絡ませたりしても『鬱陶しい妨害』以上のものにはならない」と言う点じゃろう。
「のたうち回るミミズみたいでおもしろくない!? ボクちょっとこのキモい動きがクセになりそう!!」
「そうか……ああ、うむ。楽しそうで何よりじゃ」
フレアがきゃっきゃとはしゃぐ横で、ワシは遠く果てない空を仰ぐしかなかった。