幕間:魔王パパとイケメン創世主
――時は少し遡る。
具体的な時系列で言うと、アリスたちがキャパーナとの激戦(一戦目)を終えた辺り。
天界・アスガルド地方。スカンディナヴァ神話に属する神々とその眷属たちが暮らす場所。
神秘的な大森林や広大な草原、炎の大地に絶対凍土の領域――下界の法則では地続きになっている事が有り得ないパッチワークのような光景が広がる。そしてその中心部には……意外な事に、レンガ造りの建造物が立ち並ぶごくごく一般的な大都市があった。
首都グラズヴィンゴール。「神々だって普通の街の方が暮らしやすいんよ」と暗に語る都市である。
そんなグラズヴィンゴール郊外の一画にある、小洒落た酒場のカウンター席にて。
ある魔族の男が佇んでいた。男の名はアズドヴァレオス。魔族特有である角と尻尾のほかに、艶のある黒髪に紅い瞳、たくましい筋肉で膨らんだ浅黒い肌が印象的である。
彼は生前、下界にて湖畔の小さな小屋に妻子と暮らしており、御米作りを生業としていた極一般的魔族であった。しかし、その肉厚なボディからわかる通り、彼はとても強い。その極太強烈魂魄はスカンディナヴァ・クランの主神であるオーデンの眼にとまり、自警団的なものにスカウトされ、現在に至る。
「………………」
アズドヴァレオスは物憂げな面持ちでグラスを傾ける。酒場の奥に設けられた舞台上では、厳かなスーツ姿のミュージシャンたちが小型の金管楽器をムーディに吹き鳴らしていたが、アズドヴァレオスの耳はその音色を素通りさせていた。
「……はぁ……」
魔族の特徴である尻尾をへたらせて、アズドヴァレオスは深く溜息を吐く。
「変な意地を張らずに、フライアスと一緒に行けば良かった……」
物憂げにグラスを傾けるダンディ魔族は一転、哀愁ただよう魔族のおじさんに成り果てる。
「アッちゃん……元気かなぁ」
しゅんとした様子でつぶやきながら、アズドヴァレオスはちびちびとグラスの中に入ったノンアルコールカクテルを減らしていく。お酒は苦手だが、アダルトな雰囲気の酒場のカウンター席で孤高の一杯を嗜むハードボイルドダンディって憧れん? そんな魔族である。
……まぁ、何だ。いくら嘆いても時は戻るまい。
切り替えよう、とアズドヴァレオスは意識的に尻尾を上向きにする。さて、御米を主原料とするおつまみメニューはあったりするだろうか……そうメニュー表を手に取ろうとした時、隣席に腰を下ろす者が。
なんとなくその顔を見て、アズドヴァレオスは心の中で「うおっ、超イケメンだ」と思う。
毛一本でも高級オークションを始められそうな見事な金髪に、宝石すら霞む碧色の瞳。雪原のような白肌は指で撫ぜると溶けてしまいそうだ。神か妖精の類と言われても納得できそうではあるが……一応、人間の気配だ。アズドヴァレオスと同じく、何等かの理由で転生ではなく天界残留になった元下界の者だろう。
イケメンは席に着くと、注文をするでもなくただ俯いて肩を落としてしまう。
(……なんだろう、めっちゃヘコんでるのか?)
とりあえず、確実に元気が無い方に分類されるテンションだ。
そしてどうやらこのイケメンは常連らしい。酒場の店主は注文を受けてもいないのに、グラスにしゅわしゅわのフルーツジュースを注いでイケメンの前に置いた。
(何かとても辛い事でもあったのだろうか? 気の毒だ……しかし俺みたいな部外者に何ができるとも思えん。ここで下手に声をかけるのは要らぬお節介と言う奴だ。鬱陶しがられてしまうかも知れないぞ。向こうに迷惑だろうし、何より俺、知らない人に声をかけて第一声が拒絶だったら立ち直れる気がしないんだ)
歯がゆいが……と自分に言い訳をして、意識を外そうとしたアズドヴァレオスだったが……。
「……なぁ、余計なお節介を承知で訊くが、そこな人。何か辛い事でもあったのか?」
結局、迷い迷った末「愚痴くらいなら聞けるが……」と声をかけた。
イケメンが静かにアズドヴァレオスの方を向く。
眼と眼が合うと、その美貌に一層、惹きつけられる。
アズドヴァレオスは妻子を持つ身でありながら、不覚にも少しドキッとしてしまった。
イケメン……特に弱っているイケメンとは、ズルい生き物だ。
「……あなたは? 魔族……ですか?」
「うむ。名前はアズドヴァレオスだ。えいんへりやる? とやらに分類されるらしくてな。天界の自警団的なものに所属しているぞ。正直、米作学以外の難しい話はさっぱりわからんが」
「……僕は、マルク・ハンス。僕も一応、エインヘリヤルと呼ばれる魂を持っていて、選ばれました……でも、入隊はしていません」
エインヘリヤル認定されても、天界の戦力になる事を強制される訳ではない。
それでも明確に転生を希望するまでは、こうして天界で過ごす事になるが。
「僕が誰かを護るなんて、できっこない……でも、下界に戻るのも嫌だ……あんな世界……もう嫌だ……でも、でも……天界に寄生するような今の生活、絶対に良くない……うぅ……」
「ぬぅ……それは、デリケートな問題だな」
自信が無い。勇気も無い。前にも後ろにも動けない……。
難儀な状況だ。とても辛いだろう。どうにか元気を出して欲しい。
アズドヴァレオスがささやかな語彙力を総動員して慰め激励する言葉を探していると、マルク・ハンスはうわごとのような曖昧な声で語り始めた。
「僕は見ての通り、イケメンです……」
「ん? ああ、うむ。そうだな。見ての通り過ぎるくらいだ、カッコいいぞ!」
よし、とりあえず肯定して褒めとこ! と言う発想で、アズドヴァレオスは元気良く応える。
「そのせいで、たくさんの苦難がありました……」
「えッ……あ、その……何かごめん……」
イケメンであったせいで、たくさんの苦があった。
そんなの想像もせずに雑に褒めてしまった事をアズドヴァレオスは後悔する。
「誰も彼も、両親や兄弟、妻でさえ……僕を装飾品の延長にあるものとしか見てくれなかった。みんな、僕と言うイケメンを連れ歩き、それを他者に見せつける事で自分のステータスをアピールしていたんです」
「そんな事が……」
酷い話だ、とアズドヴァレオスは尻尾を力無く垂らす。
家族から物のように扱われるだなんて……想像を絶する。
「……本当にごめん。カッコ良い事で苦労が生じるなんてまったく想像していなかった……でも確かにそうだ。俺もキミのようにカッコ良いイケメンが友や身内であったなら、喜々として誰かに紹介してしまうだろう。それが見世物にされているようで辛いんだな……」
カッコ良い! と思える存在と出会ったら、誰かとその感動を分かち合いたくなるものだ。名画を褒め称え、共感してくれる同志を探す感覚に近い……つまり、アズドヴァレオスもまたこのイケメンを無意識に芸術品の類として認識してしまっていると言う事だ。
自身が無意識に誰かを傷付ける発想をしていた事に、アズドヴァレオスは酷く落ち込んでしまう。
「なんかもうほんと……俺みたいなのが愚痴くらいならとか言っちゃってごめん……」
「あ、いえ、謝らないでください。反応を見れば、あなたが僕をどう見てくれているかはわかります。あなたのように純粋な気持ちで容姿を評価してもらえるのなら、僕だって普通に嬉しいんです」
「え、そうなのか?」
「はい……でも、あの人たちはそうじゃなかった」
家族を含むだろう者たちを指して「あの人」。
無意識らしいその表現の選び方が、マルク・ハンスの境遇の闇深さを感じさせる。
「あの人たちは、僕の容姿がどうこうではなく『容姿の優れた者と親しい自分』をひけらかしていただけなんです。だから辛かった。苦痛だった。僕を褒めてくれる気持ちなんて欠片も無い、僕を利用して自分をよく見せたいだけ……誰からも愛されてない感がすごかった」
絵画の芸術性などどうでも良い。価値のある絵画を所持していると言う権威が欲しいだけ。
そんな連中の醜悪さにマルク・ハンスは疲れたと言う話……なのだが、
「……?」
「……ピンと来ていない顔ですね?」
「いや、その……何と言うか」
アズドヴァレオスは「俺が賢くないせいなのかも知れないが」と前置きをしつつ、
「別にキミがカッコ良いからって、キミと付き合いのある者たちがすごいと言う話にはならなくないか……? 一体その者たちが何をひけらかしていたのかがよくわからなくて……」
「ああ、僕もその辺は理解しがたいんですが……そう言う価値基準の世界があるみたいなんです。優れた職業に就いていたり、能力や人気のある者と関係を持っている事がステータスになると言う。『不思議な世界があるものだなぁ』程度の感想で納得していただければ」
「うーむ……まぁ、承知した」
とにかく、イケメンだったせいでマルク・ハンス的には気分の悪い扱いを受けてきた、と言う事だ。重要なのはそこだ。
「だから僕は……使い魔造りにハマりました。拭いきれない孤独感を癒してくれる理解者が欲しくて……最終的に自己学習による経験の積み重ねで、生身の人間とほぼほぼ大差の無い感情機能を獲得する使い魔の構築式を組み上げるに至りました。感情とは、言ってしまえば『超超超高度な自動稼働設定』です。複雑な条件や経験の蓄積、個体差などなど挙げればキリのない夥しい量の情報が関わってきますが、それらの情報はある程度まで理論化できる。即ち、【ある段階】までは定型式として再現する事ができる訳で……なら、使い魔に感情をプログラムするのは『とても難しいが不可能ではない』はずだ……と考え、『理論化できない領域』は膨大な試行回数で運任せに突破しました」
「さらっとトンデモない領域に踏み込んでないか?」
つまり……人の手で、人と大差ない使い魔を作り出した。
それはもう、エッチな事をしないで生命を創造したに等しいだろう。
奥手過ぎて結婚後も中々行為に踏み切れず、「わたしの何がそんなに不満なのかな~?」とニコニコ笑顔でぶちギレ状態の妻に押し倒されたトラウマが脳裏を過ぎる。
「ちゃんと最期まで面倒見てあげられるならば問題無いさ……と考えていたんです。浅はかでした。まさか、僕が生み出したその使い魔製法まで……あの人たちの搾取対象になるだなんて、思ってもいなかった」
「……!」
さすがのアズドヴァレオスでも察しがついた。
きっと、マルク・ハンスが生み出した技術は……彼の望まぬ、最悪の形で運用される事になってしまったのだろう……と。
「僕があんな術式を生み出してしまったせいで……きっと今も、不幸なイケメンたちが増え続けている……」
「……ふむ」
マルク・ハンスの発言を受けて、アズドヴァレオスは顎に手をやって少し考え込む。
「……すまない。愚痴を聞くと言っておいて、これはとても非常識だと承知の上だが……少しだけ、俺の意見を言わせてもらって良いだろうか?」
「ええ、構いません。どうぞ」
「実は奇しくも、似たような後悔を抱えていた事があってね」
アズドヴァレオスは思い出す。生前の事だ。
……魔王城の暗い暗い一室で、誰にも見つからないように隠れてすすり泣いていた息子の姿を。
辛い、怖い、苦しい、でもみんなに心配や迷惑はかけたくない。小さいくせに、幼いくせに、そんな気遣いをして、もっともっと小さくなって、独り、声を殺して泣いていた。
「俺は……自分の息子に対して『この子は生まれて来ない方が幸せだったのではないか』……そんな傲慢な事を、考えてしまった事があるんだ。この子が生まれてくるきっかけを作ってしまった自分はなんと罪深いのかと、馬鹿げた考えから飽きもせず嘆く日々がしばらく続いた……でもね、息子はどれだけ辛くても、生き続ける事を選んだと聞いたよ。あれからもう一〇〇〇年以上も経っている。それでも俺の息子は、自分の意思で、生きる事を望んでいるんだ」
あの子は、その小さな手で、必死に生にしがみついた。
楽しんでいる訳ではないのはわかりきっている。
それでも、生きて為すべき事があると、あの子は考えたらしい。
そしてその行為に、己が苦しむだけの価値を見出したのだろう。
「親の責任と言うのが具体的にどういうものか、恥ずかしながら、俺はまだわかっていない……でも、少なくとも――子供の生き方を嘆くのは違う。子供の選択を否定し将来を悲観するのは、絶対に違う。そう断言できる」
苦しい思いをさせてしまっている事への罪悪感はある。
いくら謝ったってやりきれない気持ちを、永遠に抱えていくだろう。
あの子の姿を見る度に、思い返す度に、ずくりずくりと心臓に杭を突き立てられるだろう。
苦しいな、辛いな、耐え難いな。
でもそれは、親の都合だ。子供には関係無い。
「確かに、親には子供の手を引いて導く義務があると思う。しかし、大前提としてあの子の生の価値を決めるのは他の誰でもない、あの子だけの権利だ。あの子が己の選択に価値を見出しているのなら、俺は絶対にそれを否定しない。そもそもそんな権利、親には無いんだ。昔の俺は傲慢で……子供を守り育てている内に、あの子の生が親の所有物だと錯覚してしまっていたんだよ」
恥ずかしい限りだ、アズドヴァレオスは力無く笑った。
「だから俺は、あの子の頑張りをただひたすら応援している。まぁ、あの子は俺の事を恨んでいるだろうから、余計なお世話だ・要らないと拒絶されるかもだけど……それでも、俺の方はあの子を愛し続ける」
「………………」
「……と、まぁ、その、なんだ。長々と語ってしまったが、要するにだ。キミがきっかけで生まれた使い魔たちの今後に罪悪感を抱くのは、キミの自由なのだが……嘆く事に時間を使うより、その時間でその子たちの幸福を願い、届かないとしてもエールを送る――そう言う選択肢もあるのではないだろうか? と言いたかった」
……マルク・ハンスは思い出す。
イケメン搾取に晒される日々の中で、救いとしてすがった使い魔製作。
その技量を見込まれ、ゲームの製作に携わる事になった時は……胸が弾み、心が躍った。
当初は感情豊かなイケメンたちと共にプレイヤーが世界を冒険し、世界中でやんちゃなトラブルを起こしている愛くるしい御茶目な悪役令嬢たちをめっ! して回ると言う平和的な冒険アドベンチャーの予定で……イケメンと最高に信頼し合った場合にのみ解放される【超つよ隠しシステム】なんかも仕込んだりした。
イケメンは相棒であり、友であり、家族である、決して装飾品の類ではない。このゲームを通じて世間にそう訴える事ができると喜んだ。
……まぁ、結局、世に出たのはイケメン搾取文化の集大成のようなゲームで、御茶目な悪役令嬢たちは一時ボツデータ化した後、販促用の敵キャラとして採用される始末。
どうしてこんな事になってしまったのか、嘆かない夜は無かった。
こんな事なら……そう、何度も考えた。
……言われてみれば、ああ、なんとまぁ。
イケメンたちの生殺与奪の権を握ったつもりになった、傲慢な思考だ。
「子供の生は、子供のもの。生み出してしまった事を嘆くのは、親の傲慢……か」
彼らは辛いだろう、苦しいだろう。親を恨むだろう。呪うだろう。
それらを一身に受け止めて、微笑みながら「愛している」とエールを送るのが、親か。
「ありがとうございます、アズドヴァレオスさん」
そう言って、マルク・ハンスは立ち上がった。
その顔は来店時とはまるで別人。何か思い至ったように活き活きとしていた。
「ちょっと神々の眼を盗んで、下界侵入チャレンジしてきます!」
「え、いや、いきなり何言ってんのキミ。どんな発想の跳躍が起きたの今」
「イケメンたちに直接、愛しているって言ってあげたいなって!! アズドヴァレオスさんも行きましょう!!」
「マジでなに、ちょ、待って恐い恐い恐いあひっ、尻尾は引っ張らないでぇ!! それ抵抗できないやつだからぁ!!」
と言う訳で、何かやべぇスイッチ入っちゃったマルク・ハンスに弱い部分を握りしめられ、アズドヴァレオスは抵抗できずに引きずられていく。
しかし、そんな二人の前に立ちふさがる影が現れた。
灰色の魔術衣に身を包み、杖を突いたお爺さん。杖はどうやら足腰を労わるものではないらしく、大柄で肉厚なボディは背筋がピンとしている。前髪が長く、目が完全に隠れてしまっているのが少し不穏な雰囲気を演出している。
「え……オッディ!?」
そのお爺さんの事を知らぬものはこのアスガルド地方にはいない。
グッドなオッディと呼ばれるこのお爺さんは、結構すごい存在なのだ。
「まったく……アズドヴァレオス。キミは親子ともども変なのに絡まれやすいようだな」
それはともかく、とオッディは杖の先をマルク・ハンスに向けた。
「下界へ行くなど許す事はできないが……あつらえむきの仕事を用意してやろう。イケメン・ニルヴァーナの創世主よ」