67,あったけぇ筋肉
金属音の唸りを上げて、黒い鎖や鉄仮面、鋼鉄のブックカバーに抱かれた辞書の群れがやってくる。
闇に紛れて相手に襲いかかる厄介な漆黒の殺意。じゃが、タペタム・パワーを借りたワシの視界には丸見えじゃ!
手刀に筋力を込めて、筋力刃を飛ばして群れの最前列を粉砕。
ワシが飛ばした筋力を目印として、遥か後方からフレアたちも援護攻撃を飛ばしてくれる。
巨大な爆撃、翡翠の炎を帯びた植物の群れ、タマネギの散弾、白黒の魔力弾。ワシの筋力刃では破壊しきれなかった後続も、皆の援護がすべて蹴散らしてくれる。
ここまで、問題無く迎撃しながら進めておるな。
「ふむふむだぬぅ。攻撃量は多いが、それだけだぬぅ」
ワシの頭にしがみつくチシャウォックの言う通り。
フィールド展開前に、ダンダリィも「ただただ単純作業で敵を壊すだけ」と言っておったな。
闇で囲い、闇に紛れて襲い掛かる膨大な攻撃量で圧し潰す。
それだけと言っても充分にえげつないが、その攻撃量を捌けるならば突破は容易じゃ!
「一気に進むぞ!」
「ぬー」
足に筋力を込め、走る!
やれやれ……ワシの筋力を利用しておるだけあって、うんざりするほど広いフィールドじゃな。
じゃが、無限ではない。
その後も何度か黒鉄の攻撃を蹴散らして進み続け――ついに、見つけた。
◆
闇の中に、黒鉄の椅子がある。
背もたれや肘置きは無く、座面と脚だけ。装飾も無い質素な代物だ。
その椅子を乱暴に蹴飛ばして、ダンダリィは溜息を吐いた。
四方、見渡す限りの闇の中に、椅子が跳ねる金属音が響く。
何も見えない。金属音の残響だけが、いつまでも響いている。
耳障りな残響を掻き消したい一心か、ダンダリィは大きく舌打ちを鳴らした。
……ダンダリィは、このフィールドが嫌いだ。
この世界はダンダリィを中心としているが、ダンダリィに無関心。
ダンダリィの意思など無視して、取り込んだ相手の生命反応に対し、完全自動でただひたすら無機質な攻撃を繰り返す。要するに、使用者の操作を一切受け付けず、戦闘開始から目標達成まで自動で進むのだ。クソゲーにも限度がある。
「……悪い意味で、自業自得だけどなって話だ」
フィールドは、術者の心に依存して発現する。そして一度発現すると、そう簡単には変質しない。ダンダリィがこのフィールドを発現したのは、暗黒街のイケメンやくざとしてやさぐれ状態が最盛期を迎えた頃だった。
何をしても上手くいかない。あらゆる事象が自分に取って悪い方向に作用していると感じる。闇の世界から抜け出せない。陽の光を拝むと罪悪感を覚えて動悸が激しくなる。世界中のすべてが自分に悪意を向けていると錯覚しながら、暗闇の中で呪詛を吐く。
どれだけ進んでも闇を抜けられない。どんなに足掻いても何も変えられない。
やがてどこへ進めば良いのか、どう足掻けば良いのかすら分からなくなった。
月も星も無い夜の海に放り出されて、荒波と豪雨にもみくちゃにされているような気分だった。
だからすべてを拒絶した。考える事さえも嫌になった。
闇の中でただ座って時間が過ぎるのを待つ。気が付けば、都合の悪い存在――敵はいなくなる。
このフィールドは、かつて闇に憑かれ、そして疲れた果てたダンダリィが求めた理想の世界だったのだ。
今となっては、このすべてを自動で済ませてくれやがる機能はクソでしかないが。
「……クソが」
いつもなら、大した感情を露わにせず、薄い笑顔か気怠げな表情が貼り付いているだけの仮面。今そこにあるのは、哀し気に細めた目と無理やり上向きに歪められた口角。まともに表情を取り繕う事もできないくらい荒れに荒れているのは、このクソみたいなフィールドに頼らざるを得ない状況だから……ではない。ダンダリィの心が穏やかでいられないのは、別の【要因】だ。
どうにかして落ち着きたいと椅子にあたってみたが、ダメだった。
ダンダリィは蹴り倒した椅子を起こして、腰を下ろす。背を丸めて、頭を抱えるように俯く。どこを見ても闇しか無いのだ。そこらを見渡すのも足元を眺めるのも同じだ。
深呼吸をして、心を荒らす要因に思考を集約する。
「……何で、あの魔王は前を向けているんだろうなって話だ」
魔王アゼルヴァリウス。千年筋肉。
イケメンカイザーから、ざっくりとした話は聞いていた。でも詳しくは知らなかった……今さっきまでは。
幼女と成り果てた魔王の筋力を吸収した時、その筋力に刻まれた魔王の記憶……その断片を垣間見た。
ああ何だ、あのクソゲーの極みみたいな生涯は。
魔王と言う役割を押し付けられて、日々、勇者を撃退し続け、いつか殺されるための生。
普通そんな生を押し付けられたら、早々に生きる事を諦め、不貞腐れるだろう。神々の力で妙な事ができないのならば、せめて可及的速やかに勇者に殺される……それが一番まともな選択肢にすら思える。一番、救いがある生き方……いや、死に方か。
だのにあの魔王は、そうはしなかった。
むしろ一〇〇〇年もの間、真逆の道を進み続けた。
……イカれている。あの魔王は、頭がおかしい。
想像するだけで悍ましさすら覚える異形の怪物だ。
「……!」
静かに震えるダンダリィの視界を、暖かな翡翠の光が侵食する。
足元を、翡翠の炎を帯びた菊畑の道が貫いて行く。
「これはまさか、ダーゼット卿の……」
「見つけたぞ、ダンダリィ!」「ぬー」
「ッ」
その幼い声と猫の鳴き声に顔を上げると――少し離れた場所に、黒い幼女……あの怪物が立っていた。頭には何故かまんまると太ったデブ猫を乗せている。
やや吊り上がってはいるが決して幼女らしさを損なってはいないお目目……翡翠の光をたっぷり取り込んで輝くその瞳からは、魔王の面影を思わせる力強い視線を感じた。とても真っ直ぐに、ダンダリィを見据えている。
「テメェ……マジで、頭おかしいんじゃあねぇのって話だ」
圧倒的攻撃量でひたすら敵を攻撃し続けるこの闇のフィールドを、駆け抜けてきた。
圧し潰そうと降り注ぐ強烈な闇の力よりも強い力で、前へと突き進んできた。
こいつが今ここにいるのは、そう言う事だろう。
……どうして、そんな事ができるのか。
呆れ果てて、迎撃する気力も失せたダンダリィは力無く肩を沈ませた。
「……少しは、恐ぇとか思わねぇのかって話だ。先の見えねぇ闇の中を進んで進んで、辿り着いた先に何も無い……いや、そもそもどこにも辿り着けやしねぇかも知れないとか、考えねぇのかって話だ」
ダンダリィはそう考えて諦めた。
闇を抜けようと進む事を止め、立ち止まり、闇の中でふんぞり返る事を選んだ。
それが一番、苦しまずに済むはずだと思ったから。
「訳がわからねぇって話だ。わざわざ自分が苦しい方に進んで、何がしたいって話だ。気持ち悪ぃんだよテメェは……反吐が出る、諦めなきゃどうにかなると信じてんのかって話だ。ハッ、それもそうか。報われる奴は信じていられる、往々にして世界ってのはそう言うもんだしなって話」
……衝動任せに的外れな事を言ってしまっているな、とダンダリィは自嘲する。
目の前に立つ怪物は、確かに諦めが悪い。粘り強い。やれるだけの事はとりあえずやっていくタイプだ。
だが、ダンダリィはその記憶の断片を垣間見て、知った。
こいつは、今までに何度も諦めている。
例えば、現実世界において……この怪物は仮初の平和の維持には全力を尽くしたが、理想的未来――真の平和の実現など、とうの昔に諦めていた節がある。勇者に対しても、そもそも戦わずに済ませる理想の道を模索する事は諦め「力の差を見せつけて可及的速やかに戦意を削ぐ戦い」をする事に徹していた。
その他にもこいつは一度「仕方無い」と割り切ったら、その妥協案を行動に移すまでに躊躇いがほとんど無い。とてもじゃないが「諦めなければ理想が実現する」なんて考えている奴のやり方ではないだろう。
こいつは、諦めを知らない訳じゃない。
ただ、諦めただけでは、立ち止まらない。
そこまでの道のりを、努力を、苦労をすべて否定するような惨憺たる結末を叩き付けられても、「最善は尽くした。それでこれなら仕方無い」と、また始めの一歩から、別の道へと踏み出せるのだろう。
理解できるか、こんなイカれ野郎。
「……テメェは狂ってるって話だ」
……うらやましい。
「頭がおかしいって話だ」
そんな風に生きられたら、きっと、自分を嫌いにならずに済んだだろう。
「気持ち悪い」
この生をクソだと切り捨てて、投げやりに消費せずに済んだだろう。
「……………………」
例え苦しくても、報われなくても。
胸を張って、心から笑って生きていけただろう。
「……どうしてオレは、こんな風になっちまったんだ」
昔は違ったはずだ。
暗黒街のイケメンやくざ、闇属性イケメンの吹き溜まりの中で足掻いていた頃は。
ダークヒーローみたいなものを目指した事もあった。
暗黒街そのものをどうにかしようとした事もあった。
せめて手の届く範囲で、嘆き苦しむ誰かを救おうと拳を固めた事もあった。
だのに、すべて諦めて、立ち止まった。
どうせ理想は叶いっこないと悟った途端に、固めた拳から力が抜けていった。
「どうしてオレは……諦めただけで、心が砕けただけで、進めなくなっちまったんだ」
――何を言ってんだって話だ、オレは。
こんな怪物に愚痴たれたって、無駄だ。
理解や共感など得られるはずもない。むしろ馬鹿にされるさ。「それは貴様が弱いからだ」と怪物は嗤うだろう。
「ダンダリィ」
その微かに震える声は、耳元で響いた。
いつの間にか、怪物はすぐそばにいて――俯いたダンダリィを、そっと抱き締めた。
「……は……?」
魔王とは言え、幼女。子供体温の心地好いぬくもりが、伝わってくる。
そして今、その小さな体から溢れている筋力は……攻撃や防御のためのそれではない。すべてがふわりとダンダリィを包み込んでくれる。ついでに怪物の頭に引っ付いているデブ猫の毛が顔にもふっとくる。
抱き締めてから、怪物は何も言わない。
その小さな体は、小さく震えていて時折……ぐすっ、と小さな啜り泣きのような音も聞こえた。
「……ああ、そうかよって話だ」
きっと、この怪物――この幼女は推測したのだろう。
ダンダリィの様子や言葉とこのフィールドの性質から、ダンダリィがどう言う経緯で闇堕ちしたのか……そこに悲劇がある事を察した。
そしておそらく、悔やんでいるのだ。
ダンダリィがこうなる前に手を差し伸べる事ができなかった事を。
でも、いくら悔やみ嘆いたって時は戻せない。「過去はどうあっても変えられない、ダンダリィがこうなる前に戻ってやり直す事などできない。ワシにはどうする事もできない」と諦め、涙を堪え切れなくなってしまったのだろう。せめてもと、衝動的にダンダリィを抱き寄せたのだろう。
諦めても立ち止まらない……だけど、諦める事が平気と言う訳ではないらしい。
この幼女はきっと今までも、救えなかった・取りこぼした何かを思い知る度に、こうして悔やんで嘆いて……過去はどうしようもないと諦めながら、未来を見据えて筋肉を鍛え続けたのだろう。
苦しみからも悲しみからも目を背けずに、血と涙にまみれながら――
「諦めても、心が砕けても、テメェはそうやって進んでいくのか」
暗闇に閉ざされた茨の道で、血まみれの小さな足跡が延々と続いていく光景を想像した。
悲惨な生き方だ、と苦笑してしまう。
それと同時に「そうか」と納得した。
諦める罪悪感から、心が砕ける痛みから、この幼女は逃げない。
その強靭な筋肉で、すべてを受け止める。力任せにすべて抱えて進み続ける。
「……オレにゃあ、筋肉が足りなかったって話か」
――完敗だな。
そんな感想が脳裏を過ぎった刹那。
ダンダリィを閉じ込めていた闇のフィールドが、砕け散った。
★☆魔族豆知識☆★
◆魔王ハグ◆
魔族には「魔王さまの強さにあやかろうぜ!」と言う事で、
産まれたばかりの我が子を魔王さまに抱っこしてもらい、寝かしつけてもらうと言う慣習がある。
魔王在位期間最長のアゼルヴァリウスは当然、この慣習によりふんわり抱っこの百戦錬磨である。
最初こそ「ボクなんかが抱っこしたら赤ちゃんさん壊れないかな……!?」とか言っていたが、在位一〇〇年を過ぎた辺りから秒で赤ちゃんを寝かしつける脅威の安眠魔王と化した。筋肉のゆりかご。
故に魔王ハグのあったかさからは闇イケメンだろうと逃げられない。