48,全て等しい命で在れ ~パワー・オブ・マッスルヘイム~
幼い魔王の前には、ベッドに寝かされた老人が一人――人間のお爺さんだ。
「魔境の端を巡回していた兵士が見つけたそうだ。おそらくは、口減らしで捨てられたのだろう」
冷たく言うのは、幼い魔王の傍らに立った青髪の魔族。頬を這う竜麟からして竜系魔族。
「くちべらし……?」
「……食糧資源の節約だ。米作学の研鑽に余念の無い我々魔族にはまず無縁の話だが、人間は農耕技術が拙いからな」
幼い魔王の問いかけに、青髪の竜系魔族は溜息まじりに頷いてから答える。
「戦争が続けば、ろくに狩猟や採集ができず、かといって拙い農耕栽培だけで賄いきれるはずも無く。当然、食糧不足に陥る。すると、すべての人間を食わせていくのは不可能になる。食糧を得られる人間を選別し、そこから零れた弱者は殺されるか、死以外の未来が無い場所に捨てられると言う事だ」
「そ、そんな……人間と魔族は今、大きい戦争はしていないはずじゃ……」
「……相変わらず、眩暈がするほどに無知な魔王だな」
青髪の竜系魔族は舌打ちと共に、幼い魔王へ嫌悪の視線を向けた。
「人間は人間同士でも殺し合うんだ。魔族の常識は通用しない。覚えておけ」
「……ッ……!?」
「それから、貴様の要望で殺さずにおいてはいるが……その人間は早めに処分しろ。自分の幼さに甘えるのは子供の権利ではあるが、分際は弁える事だ。魔王がこんなザマでは、魔王軍全体の士気に関わる」
――今回の魔王は、つくづく使い物にならんな。
そう静かにつぶやいて、青髪の竜系魔族は青いマントを翻し、立ち去った。
残された幼い魔王は、ベッドに横たわる老人の顔をそっと覗き込む。
老人は息も微か。目は半開きだが……眼筋が衰え、ほとんど何も見えていないようだった。
「戦争のせいで、同族を捨てなきゃいけなくなるなんて……悲し過ぎるよ、そんなの」
小さなお手々で、骨と皮だけになった老人のシワシワの手をぎゅっと握る。
「貴方も、貴方を捨てなきゃいけなくなった人たちも……どうして、そんな悲しい想いをしなきゃいけないんだ……!」
ベッドのシーツに、ポツポツと水滴が落ちていく。
「ボクには……何もできないの……? ねぇ、お爺さん。ボクがしてあげられる事は、何か無いかな……?」
「――ぁ――」
「!」
老人が微かに呻いた。
それを聞いた幼い魔王はすぐに老人に口元に耳を寄せる。
「最期、に……ま、孫に……あい、たい……頭を……撫でて……やりたい……」
「……ッ……」
幼い魔王の顔が、悲痛に歪んだ。
その願いを叶える事など、到底、できないからだ。
「ごめんなさい……」
幼い魔王が涙と共に崩れ落ちそうになった時、彼が握っていたシワシワの手が少しだけ動いた。
まるで、彼の涙を掬い取ろうとするような動きだったが……もはや、それを為す筋力すらも、老人には残されていなかった。
憎むべき魔族が相手でも、その涙を拭おうとした。そんな老人の優しさと、そんな優しい人がこんな悲劇の渦中に在る事が、幼い魔王の心をより締め付ける。
「これが……お前たちの創る世界の在り方だって言うのか。邪神ども……!」
ふざけるな。
嗚咽に濁った掠れ声で、幼い魔王が吠える。
「認めない……認めるもんか! ボクはこんな悲劇、認めないぞ!!」
幼い魔王が、触れた手を通じて老人に筋力を流し込む。
「お爺さん、大丈夫! きっと元気にしてみせる! ボクは連れて行ってあげられないけど……お爺さんが自分で歩いて帰ってお孫さんに会えるくらい、元気にしてみせる……! だから! だ、から……!」
……しかし、当然ながら、幼い彼の筋肉は未熟。
人一人を死の淵から救い上げるほどの筋力は、無かった。
それでも、幼い魔王は筋力を注ぎ続けた。自分の体を支える事ができなくなり、膝を折ってもなお、老人に筋力を送り続けた。
「ボクは……絶対に、邪神どもなんかの、思い通りには……」
「……もう、やめるのじゃ。貴様が死んでしまうぞ」
優しく嗜めるような声と共に、シワシワの手が幼い魔王の頬を撫でた。
僅かとは言え、筋力を注がれたおかげだろう。老人の眼筋は力を取り戻し、その目に幼い魔王の姿を映していた。
「……すまぬな。死に際で意識が朦朧としておったせいか、年甲斐も無くワガママを言ってしまったようじゃ。気にするな。ワシは大丈夫じゃから、自分を労われ。優しき魔族の子よ」
「で、でも……お孫さんに会いたいんでしょ!? ボクの方こそ、大丈夫だから……」
「孫と同じ年頃の子を犠牲にしては、孫に合わせる顔も無かろうよ」
老人は頬のシワを増やして笑みを作った。
「薄らと話を聞こえておったが……貴様は魔王なのじゃろう? であれば先の願いは忘れて、貴様にしか頼めぬ別の願いを聞き届けてはくれぬか?」
「別の願い?」
「少し難しい事かも知れぬが……どれだけの時が過ぎ、どんな事があったとしても……ワシに向けてくれたその優しさを、どうか、忘れないで欲しいのじゃ」
フフフ、と老人は声を上げて笑いながら、幼い魔王の頭をわしわしと撫でる。
きっと、老人は幼い魔王に気を遣っただけだ。「孫に会いたい」と言う叶えようの無い願いが、この優しい魔王の心を締め付けないよう、代わりの願いを提示しただけ。幼い魔王でも、それはすぐに理解できた。
幼い魔王は、死の淵に在る老人に気を遣わせる己の無力に歯噛みする。でも、それを表には出さない。
ぐしぐしと袖で涙を拭ってから、老人に対抗するように笑みを取り繕った。
「わかった。約束する」
「ああ、この世で一番、優しい笑顔じゃな。貴様はきっと、誰よりも優しい魔王になるのじゃろう」
「……なるよ。絶対に。お爺さんにみたいに……ううん。お爺さんにも負けないくらい、優しく」
拭っても拭っても溢れる悔し涙。
それでも幼い魔王は口角を上げて、涙声で宣言した。
「こんな悲劇は、もう二度と起こさせない――優しい世界を創れる最高の魔王に、ボクはなる」
◆
リン・シェンヴの意識が現実に戻ったのと同時、爆炎が割れた。
「ッッッ」
爆炎を割いて現れたのは、どこか悲し気な表情を浮かべた幼女――魔王だ。
リン・シェンヴには、その表情の意味がわかった。
顔こそ守り切ったものの、リン・シェンヴは全身に強烈な爆撃を受けてボロボロ。
その様を見て、心を痛めているのだろう。この幼女は。
ああ、まったく……魔王と呼ぶのがここまで躊躇われる幼女も珍しい。
「すまぬ。苦しかろう――この一撃で、確実に決着をつける!!」
幼女が両手を振り上げ、強力な筋力を迸らせる。
強烈な爆炎で炙られたリン・シェンヴの体は咄嗟には動かない。顔の防殻もかなり削られた。
迎撃も防御も、間に合わない!!
「魔王チョップ・十字斬!!」
血を散らす右手刀による横一閃の魔王チョップが、リン・シェンヴに顔面の防殻を完全粉砕!!
間髪入れずに振るわれた左手刀、縦一線の魔王チョップを防ぐものは何も無い!!
「ぐ、あああああああああああああああああああああああああああああ!!」
顔面にダメージ――当然的イケメン大爆発!!
内なるイケメンパワーの暴発、加えて、今は幼女から分け与えられた筋力まで乗る!!
辺り一帯の樹海を吹き飛ばす大爆発――幼女は広範囲に筋力防壁を展開し、自身と紅髪お姉さんを守った。
爆発の閃光が止み跡に現れたクレーターで、黒焦げになったリン・シェンヴは膝を折る。
「なる……ほど……これは、勝ち難い、訳だ……」
黒煤の息を吐きながら、リン・シェンヴは笑った。
筋力を分け与えるだけのフィールド展開――その起源が、先ほど見せられた記憶か。
世界の残酷さに手も足も出なかった悲劇の記憶……それが、あのフィールド展開を獲得する原動力になった、と。
……ああ、勝てるはずがなかったのだ。
技巧と筋力の優劣とか、そう言う話ではなかった。
目の前の壁を壊し、武の道を突き進む事しか考えていなかったイケメン。
悲劇の無い世界を創ると言う、優しい野望を胸に秘めた魔王。
一個人をどうこうする程度の技術と、世界をどうにかするために発達した筋肉。
そもそものスケールが、違い過ぎたのだ。
「俺の――完敗だ。最高的魔王」
清々しい心地で、リン・シェンヴは意識を手放した。