32,唐突に神!
「……さて、マスターは無事なんだぜ?」
グリンフィースが視線を送る先。アリスは未だ、震える背を丸めて伏していた。傍らの金髪幼女――ゴールドさんがイケメン奴隷王ユシアと呼んだプレイヤーは、アリスの様子に為す術が無いのか、呆然と座り込んでいる。
どうやら、本性モロバレの呪いは術者が倒れても一定時間は続くらしい。ふざけた術のくせに厄介な事だ。
術が解けるまでは、寄り添う事しかできないだろう。
フレアとグリンフィースは無言で頷き合って、アリスの元へ――行けなかった。
「ッ、何だぜ……!? 足が……いや、体が動かないんだぜ……!?」
「この感覚は、【壁ドン】……!?」
フレアとグリンフィースを縛る圧力――その感覚は、イケメンの壁ドンによるスタン効果によく似たものだった。しかし、二人の背後に壁は無いし、ましてや二人を拘束するようなイケメンもいないはずだのに。
「哀しい哉……」
――声が響く。腹底を優しく揺らす低音イケボ。
空を仰げば、虚空に座す者がいた。紅い羽衣を纏う、太陽のような山吹髪のイケメンだ。
完全な左右対称の顔立ちに、丁度良いキレ具合の逞しき筋肉。
理想形。至高の領域。完成された存在。そんな言葉たちが脳裏を過ぎる美顔が、悲愴に歪んだ。
「英雄的だと感嘆するほどでの傑物あっても、所詮は衆生。愚かな歩みを止めない……楽土も未来も消え失せ、向かう先は骸を踏み往く地獄か、完全な虚無しか在り得ないと言うのに。それを知らない。想像もしない」
内容は関係無い。その圧倒的イケボは、聞く者すべてを耳から癒す。
フレアもグリンフィースも、ここまでの疲労や消費した魔力・筋力がどんどん回復していく。
だが、動けない。
「ねぇ、グッピー。あのイケメンは誰なのかな……! ボク、あんなイケメン知らないんだけど……!」
「奇遇だな、だぜ……俺もあんな奴は見た事が無いんだぜ……!」
状況から鑑みて。
この壁ドンによく似た拘束圧の主は、あの唐突に表れた虚空に座すイケメンだろう。
「大体……何なんだぜ、あいつはだぜ! 色々とおかしいんだぜ!」
壁無しの広域壁ドンも充分に奇妙だが……イケメンにしても美し過ぎると感じる美貌、グリンフィースですらも把握していないその存在、何の術も装備も無しに滞空している様、そして強烈なイケメン除け効果を持つこのゴールデン・ヴィレッジに侵入できている事……色々と謎なイケメンだ!!
「おかしい……か。まぁ、そうも思えるだろう。我は本来、この世界に表出すべき存在ではない。そもそもが世の理において埒外にある特殊なイケメンなのだ」
虚空に座していた男が、ゆっくりと立ち上がる。そして相変わらず悲し気に「ああ、これから我はとても残酷な事を言うのだ」と思いつめるような表情で口を開いた。
「我が名はプロメテス。イケメン・ニルヴァーナ運営管理の一端を内部から担う制御系イケメン――便宜上【神イケメン】とでも、呼称しようか」
「神……イケメン……!?」
「今キミたちを拘束している圧が、証明だ。それは我が放つ壁ドン的拘束。一般イケメンと違い、神イケメンの壁ドンに壁は不要……言うなれば【神ドン】」
――それは、理を越えた【権能】。
壁ドン拘束とは、「イケメンが壁ドンをする」事で発生するありふれた現象だ。
だが神イケメンはその法則を無視して、指先によるトンすら無しにただ壁ドン拘束の結果だけを引きずり出し、適用する。
それが、神ドン。
理を掌握する者のみが行使できる理不尽。
「ッ……まさか、そんな存在までイケメンカイザーの配下にいたなんて……!」
「否」
冷や汗を流すフレアの言葉を、プロメテスは即座に否定した。
あまりにも悲し過ぎてか頬を落ち始めた涙を振り払うように、首を振る。
「我はイケメンカイザーの軍門になど下っていない……下る必要が無いのだ。我にはイケメン革命も何も関係無い。我はただ粛々と、終焉までこの世界を運営するだけのシステマチック・イケメン。徹底的傍観者であるべき存在だ」
「どういう事だぜ……? なら何で今さらここに出てきて、俺たちを拘束していやがるんだぜ……!?」
タイミングと状況からして、プロメテスがグリンフィースたちと敵対しているのは明らかだろう。
プロメテスは悲しみの雨が止まぬ目尻を押さえながら、静かに言い放つ。
「慈悲だ」
「慈悲……だぜ?」
「【プロメテオウス】と言う神を知っているか?」
「聞いた事はあるんだぜ」
「ギルジア・クラン……ユーロピアン大陸南部を中心に語り継がれている神話の神だね。『寒さに脅かされていた下界の者たちを見て、慈悲の心から【神の火】を【芹の葉】に灯して地上にもたらした』って言う」
フレアの補足に、プロメテスは小さく頷いた。
「我はその神をルーツとする特殊イケメン……その伝承、かの神によってもたらされた火の文明により、衆生は寒さに打ち勝ち繁栄する。即ち、世界に慈悲を以て接し、良き発展をもたらす――それが、かの神にあやかって生み出された我の役割である」
もっとも、衆生どもはその火の文明を争いにも利用したようだが――そう悲し気に小さくつぶやきつつ、プロメテスは続ける。
「我は見ていた。我は聞いていた。そこで哀れに嘆き震える……世が世なら『おもしれー女だ』と賞賛すべき幼女が掲げた理想を。イケメンカイザーを打倒し、この世界をプレイヤーとイケメンのどちらに取っても良き世界にする――実に哀しいが、それは不可能だ」
「何を根拠に……!」
「この世界が行き着く先は、もはや地獄か虚無の二択である。であれば我が為すべきは、その最低の選択肢の中から、少しでも、比較的良い結末を招く事。そして思い至った。せめて、この救いの無い世界にひとつの美談を残そう」
涙をぬぐい濡れた指先で、プロメテスは未だにうずくまって泣いているアリスを指差した。
「グリンフィース・ダーゼット、キャパーナ・アクレイジ……強大な敵を強い意志と機転を以て打破してみせた幼女。そしてついさっき、その幼女のために勇猛に吠え、そこそこ強大な敵と言えなくもないゴルドーンを討ち破ったキミたち……ああ、その武勇は神が讃えるに相応しい。英雄的だ。神は英雄が大好きだ。だからそんなキミたちの健気で美しく……そして虚ろな徒労を止め、諭し、せめて安らかな最期を与えたい」
プロメテスはアリスを指していた手を広げ、今度はグリンフィースたちへと差し向ける。
この手を取りたまえ、と命令するように。
「哀しき英雄たちよ。さぁ、神に宣誓しておくれ。イケメンカイザーへの抵抗を諦め……ここで終焉の日まで安らかに暮らすと」
「たらたら長々と……言っている意味がわからないんだぜ!」
「言ったはずだ。慈悲だと。神による救済だ。衆生は受け入れるだけで良い、圧倒的な思し召しなんだ」
「……なるほど、神を名乗るだけはあるね」
フレアは苦虫を口いっぱいに含んだような表情を浮かべ、プロメテスを睨み付ける。
「ボクが言うのもなんだけど――典型的な神様気質、悪気の無い独善性の塊だ!」
――説明するつもりも必要も無い。どうせお前たちでは理解が及ばない神の思考により、神の意志として決めたので実行する。救う。めっちゃ救う。救ってやるのだからつべこべ言うな低次元生命体ども。すべて神に任せておけ、絶対に良くしてやるから。
プロメテスは暗に、そう言っているのだ。
至極一方的理不尽……唐突な気まぐれで、そこまでの流れを滅茶苦茶にしてしまうような事をしでかす――デウス・エクス・マキナなどとも揶揄される、言うなれば神災ッ!!
「……その様子。我の慈悲は受け入れ難いか?」
「当然だよッ!!」
「いきなり現れて、素っ頓狂をぶっこいてんじゃあねぇんだぜ!!」
吠えたフレアとグリンフィースを涙目で見下ろして、プロメテスは「ふむ」と頷いた。
「では仕方無い……神の火を以て導こう。具体的には少し焼く。素直になるまで」
軽い言葉と共にプロメテスの周囲に噴き出したのは、まるで太陽。
周囲の景色をぐにゃぐにゃに歪めてしまうような熱の塊が、天を覆い尽くす。
「「ッ……!?」」
「神の火だ。命は奪わない。でもしっかり、そしてすごく熱い」
もはや呼吸のように悲しみの涙を流しながら、プロメテスは静かに指を振り下ろした。
太陽が、墜ちる。
黄金の建物群が一区画まるごと、消える。燃える間すらも無い。
太陽は地表に衝突すると同時に黄色い閃光となり、そして消えた。
跡には更地と――こんがりと焼け焦げ、白眼を剥いたフレアとグリンフィースだけが立っていた――いや、神ドンによる全身拘束圧で、意識を失ってもなお倒れる事すら許されていないだけだ。
「まずは、一度目」
プロメテスが、パチンと指を鳴らす。
すると神の筋力とイケメンパワーがフレアとグリンフィースに流れ込み、その全身火傷を即座に癒し、意識を引き戻した。
「ッ、ぶは!? え? 今ボク死ななかった!? めっちゃ熱くて痛かったんだけど!?」
「俺も熱痛すぎて絶対『あ、これ死んだぜ』って思ったんだぜ!?」
「神の火は命を奪わないと言った。では二度目だ。イケメンカイザーへの抵抗を諦めると誓え」
「はぁ? ふざけるんじゃあねぇだぜ! 誰が――」
グリンフィースの言葉を遮るように、再び太陽が墜ちた。
◆
「何なのよ……この状況……!?」
イケメン奴隷王ユシア、または勇者ユ■■シア。
金髪の幼女と成り果てた彼女が空を仰ぐ。
そこに浮かぶ山吹神のイケメン――曰く、神イケメン・プロメテス。
ユシアは完全に眼中に無いのか、それとも不要だと判断されたのか……神ドンの効果はこちらに及んでいない。
ユシアは歯噛みする。
クソみたいな妖精とその部下たちは打ち倒された。
だのに、唐突に、あんな訳のわからない神イケメンが出てくるなんて!
プロメテスは現在、イケメンカイザーに歯向かう二人を焼いては叩き起こす作業を繰り返している。
どうやら、イケメンカイザーへの抵抗を諦めさせるためらしいが……えぐい。
二人は意識が戻る度に拒絶の意思を込めて吠えているが……どこまで持つか。
あの二人が屈したら……今度はこちらに炎が向くかも知れない!
「くッ……魔王! あんたいつまでメソメソ泣いてんのよ!? あのふざけたイケメンを何とかし――」
ユシアは未だにうずくまって咽び泣くアリスの背を引っ掴んで無理矢理に起こそうとしたが――その情けなく震える小さな背中に、手が止まる。
「ッ……あんたまで、何なのよ……! 魔王でしょ……!?」
ユシアの耳の内に、響く。
アリスがうずくまる前に零した言葉。
親を求めて咽び泣く、哀れな幼子のような嘆きが。
「……ッ……」
本当にこの小さな情けない生き物は、魔王なのか?
魔王だとしたら、おかしい。こんなの。
魔王とは、邪悪な魔族の親玉。人間に害を為し、世界を滅亡させる怪物。世のため人のため、殺さなければならない悪害の権化。
そのはずだのに。
何だ、あの嘆きは。
何だ、この姿は。
死んで当然の存在であるはずだ。
だから、迷わず殺そうとしていたのに。
この幼女は――本当に、そんな怪物だったのか?
この手で殺そうとしていたあの筋肉の塊は、本当に死んで当然の存在だったのか?
ユシアは唐突に、足元が揺らぐような感覚に見舞われた。
「ちが、違う……ッ……こんなの魔王じゃないでしょ!? 千年筋肉だの筋肉大魔王だのと呼ばれて、魔境の城でふんぞり返る邪悪な筋肉、それがあんたでしょ!? しっかりしてよ……!!」
認めない。こんな事実、認めてたまるか。
そんな想いから、ユシアは懇願するように叫んだ。
彼の名を。
「魔王・アゼルヴァリウス!!」