幕間:勇者、ログイン
――現実世界。
ユーロピアン大陸、とある小国にて。
四頭立ての四輪馬車がレンガ道を往く。牽く屋形は「快適な旅をお約束します」と言わんばかり、外観からして豪奢な造り。換気のためか少しだけ窓が開けられているものの、重く厚いカーテンが閉ざされていて中の人物を知る事はできない。
四輪馬車が広場に差し掛かった時、びゅうと強い風が吹いて、重いカーテンに隙間を作った。そんなカーテンの隙間を縫って、今朝がたバラまかれていたらしい号外記事が車内へと滑り込む。
「………………」
号外記事の見出しに、乗車していた少女は大きく溜息を吐いた。
『勇者、【千年筋肉】を見事封印! 一〇〇〇年ぶりの人類勝利!!』
記事を眺める少女の名はユリーシア。
獅子を思わせる金色の髪に、神々の加護を受けた白亜の鎧が特徴的。
彼女は、今、世界中を「騒がせている」勇者様である。
もっとも、彼女が勇者である事は世間に認知されていない。
この国の王族関係者と、彼女を支援する極一部の人間だけがその事実を知っている。
遥か昔の時代、勇者の力が発現した者は、その顔と名前が世界中に公開されていた。人間側の希望の星だ。総出で期待を込めてその旅路と激戦の前途を祈るのが当然。
……しかし、千年筋肉が君臨し始めてから、歴代勇者は連戦連敗。そのくせ、どいつもこいつも何故か五体満足で帰ってくる。
信じたくはない話だが……やがて、負け帰ってきた勇者への迫害が起きるようになったらしい。
勇者なら死ぬまで魔王に喰らい付いてこい、負けたなら生きて帰ってくるな恥晒しめ――そんな罵声と共に石を投げられたとか。
だから、ある時を境に勇者の詳細は伏せられるようになった。
魔王を倒せる勇者が現れたなら、きっとその名は世界に届けられる……はずだった。
「……なに、お祭り事みたいに書いてくれてんのよ」
この号外記事はおそらく、ユリーシアが魔王を封印した直後、昨晩の内に発行されたものだろう。
その時はまだ、誰も「こんな事」になるなんて予想していなかったのだ。
「………………」
ユリーシアは端正な尊顔を不愉快そうに歪ませ、号外記事をぐしゃりと握り潰した。
丸めた紙屑を床に放り捨てて、窓辺に頬杖をつく。
揺らいだカーテンの僅かな隙間から、道端で元気に遊ぶ子供たちの姿が見えた。
「……子供は、何も知らないって訳ね」
何だか見ていられず、ユリーシアは傍らに恨めしそうな視線を向ける。
そこには一冊の書物。
イケメン・ニルヴァーナと呼ばれるゲームにログインできる結界魔導書。
そして――千年筋肉、あの筋肉大魔王を封印した代物。
「魔王がいなくなったせいで……こんな事になるなんて」
◆
魔王封印成功を国王へ直接報告すべく、ユリーシアが王城へ訪れた……訳だが。
城内は異様なほど、物々しい雰囲気に包まれていた。衛兵たちが忙しない。そこかしこで騎士たちの怒号が聞こえる。
「……やっぱり、本当なんだ」
魔王が封印されたせいで、各地に駐屯していた魔王軍の部隊に混乱が生じた。
それに乗じて、【四大国家】と称される四つの軍事大国が動き出したと言う。
偶然にも魔王軍の配置は、過激な思想の大国たちを睨みつけ抑え込む形になっていたのだ。そのため四大国家は魔王軍に漁夫の利を与える事を警戒して、周辺の小国への侵略戦争を控えていた。魔王軍も四大国家の戦力を警戒してか、睨むばかりの静観。
そうして長久の睨み合いを続けて、仮初の平和が九〇〇年近くも成り立っていたのである。
しかしその関係が瓦解同然になり、奇跡的に保たれていた安寧は失われた。
魔王封印の報が世界を駆け巡って半日足らずで――小国のひとつが地図から消えたのだ。
魔王軍が機能しなくなった隙を突いて、人間の大国が、人間の小国を蹂躙した。
魔王軍の横やりが入らないだろう今の内に、適当な小国を食って勢力を拡大しようと目論んだらしい。選ばれし勇者が魔王討伐に乗り出したと言う情報が出た時から、四大国家の連中はこの日を想定して、周到に準備を進めていたのだろう。魔王が消えると同時に動き出せるように。
ユリーシアの祖国であるこの国は、規模で言えば間違いなく小国。四大国家にくくられる大国とはどれもそれなりに距離はあるが、楽観視できるほどではない。何せ、昨日まで手を繋いでいた隣国が「大国の侵略に対抗するための国力拡大」を目的に、攻めてくるかも知れない……それに、いざとなれば『逆』も考えなければならない。
……世界の激動に、備えなければ。
故に、城内は狂騒にも似た状態になってしまっているのだ。
「ユリーシア様、ようこそいらっしゃいました」
出迎えた従者たちの声に、歓待の色は感じられない。その目はむしろ、批難がましいニュアンスを帯びているようにすら感じる。
「陛下がお待ちです。どうぞこちらへ」
◆
「本当に……やってらんないわー……」
王への報告を終えたユリーシアが足を運んだのは、王城内にある聖堂。
鎧を脱ぎ捨て軽くなった体を長椅子に放り投げて、ぐったり転がる。
「城のみんなは『おまえのせいで滅茶苦茶だ』みたいな目で見てくるし、王様はウッキウキでアタシを魔王討伐に送り出したくせに、なぁ~んかアタシに全責任を押し付けようと必死に言い訳してくるし……多分、この様子じゃ世間に顔バレしたら罵声と石投げられコースね……って、言うかさぁ!」
ユリーシアはがばっと体を起こして、腹の底から叫ぶ。
「何より『あくまでも封印であって、討伐には成功してないから賞金は出さない』って……どういう事よぉぉぉぉぉおおお!!」
そこが一番ありえない! とでも言わんばかりのシャウト。
「金! 金金金金!! 金のためにアタシは勇者なんてくっそ面倒な仕事を引き受けてあの筋肉のバケモノと戦ったってのに!!」
背もたれを拳でガンガン叩きながら、ユリーシアはとても勇者のものとは思えない叫びを続ける。
だが、不意にそれは止まった。
「どうして、こんな事になっちゃったのよ……アタシが、何したっての? お金のために戦うのが、そんなに悪いの……?」
……お金の無い人間は、手を差し伸べてもらう事さえできない世界だのに。
「……アタシは絶対に間違ってない」
小さく、自信無さげにつぶやいてからユリーシアは自分を納得させるように大きく頷いた。
「そうだ、教会だし祈っとこ。金運関連の神様って、誰がいたっけか……」
「『黄金を生み出す権能』で有名所は、スカンディナヴァ系の女神・フーレイアあたりだねぇ。うちとは派閥が違うからオススメはしないけどぉ」
まるで鼓膜にへばりつくような、ねっとりとした声が響く。
「……ナルラットさん」
「ウフフフ……荒れてるねぇ。ユリーシアちゃぁん」
声の主は、神官の装いに身を包んだ黒髪の青年。
ひょろりとした痩せぎすの長身と深淵のように真っ暗な瞳、そして常に下弦の三日月を描く口が不気味。神官服を脱いだらとてもじゃないが聖職者には見えない。
青年の名はナルラット・テレップ。
装いの通りであるならば、おそらく神官だ。
「ごめんねぇ? 私の入れ知恵がどうも悪い方向に働いたようでぇ」
「……本当ですよ」
はいこれ、とユリーシアが差し出したのは、魔王を封印した魔導書。
そう、この魔導書を用意したのはナルラットだ。
ユリーシアが旅立つ直前に教会で(王にやってけと言われて渋々)祈りを捧げていた時。もしも魔王に負けてしまった場合の最後の手段として、ナルラットはこの魔導書に魔王を封印すると良いと助言した。封印用にログアウトできないようにするなど、特殊な処置を施した代物であると。
「ああ、これは我が神の威信にかけて、厳重に永久封印するよぉ……ご苦労様ぁ」
「……はぁ。労いの言葉よりお金が欲しい……」
「ウフフフ、切実だねぇ」
嫌いじゃないよぉ、とナルラットはけらけら笑い、受け取った魔導書を掲げた。
「キミもこのゲーム、プレイしているんだろぉ? しばらく現実逃避してきたらどうだぁい?」
「……そんな気分じゃ……」
自分のせいで世界が大荒れだと言うのに、ゲームなんてする気分ではない。
「いやいやぁ……キミがどれだけ落ち込んだってぇ、もぉどうしようも無いだろぉ?」
「……それは、まぁ」
もはや、ユリーシアがどう動いたって世の狂乱は止められない。
勇者パワーは人間相手に振るうと、ほとんど発揮されないと言う呪縛があるのだ。まぁ、当然だ。神様は対魔王用に勇者に力を与えているのだから、それを人間同士の戦争に転用できる仕様にはしない。
「だったらせめてぇ、キミ自身がキミを労わってあげようよぉ……ウフフフ。イケメンたちを玩具にして弄ぶぅ……他者を自分の思い通りに躍らせて楽しむぅ……最高の遊興だよねぇ、これぇ。何ひとつ思い通りにできない、クソみたいな現実を忘れるにはピッタリだぁ。ウフフフ」
「言い方……でも、そうですね。帰って奴隷たちに八つ当たりしよ」
「道中、気を付けて帰るんだよぉ。念のためぇ……フードは深めにねぇ」
「はぁ……まるで犯罪者ね」
ユリーシアは立ち上がろうとして、ふと気付いた。
「……ログインして、魔王とカチ合ったりしない?」
「大丈夫だよぉ」
「まぁ、そうですよね」
普通に考えて、一般人のプレイヤーがいる世界に魔王を放り込む訳が無い。
その辺りは当然、ナルラットも配慮しているだろう。魔王封印のための特殊加工とやらで、その辺りは対策しているはずだ。
と言う訳で、ユリーシアは自宅に戻って現実逃避すべく、聖堂を後にした。