16,キュウリを嗜む者
目指すはこの南西都市ダーゼットより西方、イケメン奴隷王とやらの砦。
「カイザーも俺たちが奴隷王との合流を狙う事は予想するはずだぜ。急いだ方が良いんだぜ」
「うむ、そうじゃな」
では早速、出発と――
「と言う訳でマスター、今度こそ俺のペガサスに乗れだぜ」
「………………」
よく見れば、新たに取り付けたというペガサスの鞍は二人がけ仕様になっておった。
「ちょっとグッピー! これもしかしてボクだけ仲間外れの奴じゃないかな!?」
「ヴァーンの爆撃を利用すりゃあ自力で飛べるはずだぜ」
「長距離はさすがに無理があるよ!」
「ふッ……まぁそう騒ぐなだぜ。軽い冗談だぜ。そしてボスイケメンを侮るなだぜ。腐っても女であるおまえをないがしろにしたら、イケメンが廃るんだぜ。きちんと考えてあるんだぜ」
「腐ってないけどさすが! でもどうする気なのさ?」
「そこを見ろだぜ」
グリンピースは顎でペガサスの足元を指す。
ペガサスの後ろ足には、雑にロープがくくりつけられていた。
「それを掴むと良いんだぜ」
「ないがしろだよこれは!! 激しめにないがしってるよこの扱いは!!」
猫のように「ふしゃー!」と毛を逆立てて威嚇するフレア。
グリンピースは「鬱陶しいんだぜ」とそれを一蹴する。
……まぁ今は協力体制にあるとは言え、グリンピースに取ってフレアは憎きプレイヤ-の一人。
多少は扱いが雑になる感情もわからんではないが……ワシとしてはもう少し仲良くして欲しいものじゃ。
その辺りは、少しずつ打ち解けていく事を期待するとしよう。
それはさておき……ペガサスに乗る、か。
いや、まぁ……乗りたいか乗りたくないかで言えば乗ってみたい。
幻想美獣、現実では乗るどころか目にする事すらまず不可能なアニマルじゃもの。
しかし……。
「グリンピースよ。絶対にペガサスを飛ばさぬと約束できるか?」
「いや、意味がわからないんだぜ? ペガサスは空を駆けてなんぼだぜ?」
「わかっておる。その上で言っておるのじゃ。地に足が着いておるって素敵じゃと思わぬか?」
「至極真剣な面持ちで何言ってんだぜマスター」
「強情か貴様!」
「マスター、一旦落ち着くんだぜ。何故かは知らないが情緒が不安定になっているんだぜ」
何故か? そんなもの決まっておろうが!!
「空を飛ぶとか恐すぎるじゃろがい!!」
「……アリスちゃん、高い所が恐いの?」
「うんむッッッ!!」
「もう恥も何も無いヤケクソって感じの肯定だぜ」
「にゃはは、大丈夫だよ。アリスちゃんくらい小っちゃい子なら高い所が恐くても何も恥ずかしくないよ?」
すまぬフレア。
ワシは現実じゃと千年筋肉とか呼ばれとるド級のジジィじゃ。
「まぁ、そう言う事なら仕方無いんだぜ。ここから奴隷王の砦まで大して複雑な地形も無いから、空と地上でそこまで速度は変わらないんだぜ」
「だってさ、良かったね! アリスちゃん!」
にゃぱ~と笑顔で祝福してくれるフレアじゃったが、ふと何かに気付いたようで。
「……あれ? そうなるとボクは?」
「たっぷり全身で地面を舐めると良いんだぜ」
「そこはどうにかして乗せる方向で頑張ってくれないかな!?」
フレアは猛然と抗議。直後「あ、そうだ」と手で槌を打ち、
「じゃあボクがアリスちゃんを抱っこして後ろに乗る!」
「なッ……ふざけるなだぜ! それならおまえが手綱を持って前に座れだぜ! マスターを抱っこするのは俺がやるんだぜ!」
「ペガサスはキミのペットじゃないか! キミが前だよ! ねぇアリスちゃん!?」
いや、ワシに訊かれても。
「ペガサスだってたまにゃ違う奴に操縦されたいはずだぜ! なぁマスター!?」
いや、じゃからワシに訊かれても。
せめてペガサスに訊け。
「ひひん」
どうでも良さ気じゃな。わかる。
「こうなったら勝負だよグッピー!」
「上等だぜ! こういう時は古今東西、相場が決まっているんだぜ……じゃんけん勝負なんだぜ!」
「鉄板パンだね! 受けて立つよ!」
何か始まった。
「あ、ちなみに顔狙いの蹴りはアリ?」
「……そもそも、じゃんけんに蹴り技の概念は存在しないんだぜ?」
「えぇ!? ボクの故郷のじゃんけんと違う!?」
「どんだけ物騒な田舎から出てきたんだぜ!?」
「ボクの故郷は田舎じゃないよ! あと霊験的なものがとってもあらたかな良い所だよ!!」
「嘘吐けだぜ!!」
「嘘じゃないもーん! 本当だもーん!!」
「……………………」
まぁ、アレじゃな。
ぎゃあすかと元気に言い争いながら取っ組み合っている様子からして。
案外、早々に仲良くなるかも知れんな。この二人。
◆
南西都市ダーゼット、ある豪邸の一室にて。
「グリフ殿が攻略されたでござる」
ソファーに腰かけた和装のイケメンが、溜息まじりに言う。
彼の名はベジタロウ。植物属性のイケメンであり、ソファーの横に立てかけている鍬を用いて戦う。南西都市ダーゼットの中ボスイケメンだ。
敵に対しては無表情、冷徹なほど冷静な態度をみせる。
しかし、オフ……味方に対しては、意外と柔軟で変化に富んだ表情で接する。
実装されて日は浅いが、ギャップが美味しい和風イケメンとして人気が出ていた。
「カイザーは随分と軽い調子で通達してきたが……大層、由々しき事態ではござらぬか?」
ベジタロウはやれやれと目を伏せながら、窓辺に設置された席で優雅に佇む女性に問いかけた。
比較的大柄ではあるが、決して可憐さを失わない範疇に収まった麗人だ。
纏っている水色のドレスは装飾こそ控えめだが、素人目に見ても上質な逸品であるとわかる。
水色の麗しき令嬢、と言った所だろう。
「………………」
令嬢は静かにティーカップを口に運ぶ。
中の緑茶を一口だけ飲み下してから「そうですわね」とまるで他人事のように頷いた。
「露骨に興味無げでござるな」
「当たり前ですわ。全力で興味無し。だって貴方たちと違って、わたくしはプレイヤーへの憎しみなど抱えてはいないのですから」
「……それは異な事を。やられ役の貴殿が思う所無しなどと」
「負けて悔しがるのは庶民の思考ですわよ」
令嬢は卓上にソーサーとカップを戻すと、フフッと微笑を浮かべる。
気品と余裕、そして何より自信に満ちた態度。凛然。そう表現して良い領域の佇まいだ。
「この世には、なるべくしてなる『事の流れ』と言うものがありますわ」
何を思ったか、令嬢は卓上に置いたカップを軽く小突いて倒す。
中に残っていた緑茶が零れて、テーブルクロスに薄緑色の染みを広げていく。
「湯呑が倒れれば茶は流れ出て零れる。当たり前の事ですわ。だのにこの一連の流れに文句を付けるなんて、それは醜悪にもほどがある。同じく、負けるのは負けて当然の所以が在っての事。わたくしの場合、その所以とは『この世界のルールとして負ける事を定められていたから』。負けるべくして負けて、何を思うと? 全力で疑問ですわね」
わたくしからすれば、異な事を言っているのは貴方たちイケメンですわ。
そう言って、令嬢は指を鳴らした。
すると虚空を裂いて執事たちが現れ、倒れたカップと汚れたクロスを回収。瞬きの間に新たなクロスを敷き終え、湯気の立ちのぼるホットな緑茶を注いだカップを令嬢の前へ。更にはティーフーズとして、キュウリの輪切りを盛った皿も置いた。
「己が運命を変えてやろうと言う気概は、わかぬのでござるか?」
「下克上は庶民の特権。わたくしには無縁ですわね」
令嬢はどうでもいいと言わんばかりの口調。キュウリの輪切りに小さなフォークを立て、上品な所作で口へと運ぶ。新鮮なキュウリを咀嚼しているのに、咀嚼音は一切立てない。貴族の風格かくありき。
「……まるで、篭の中の鳥でござるな。篭の戸が開いても、止まり木から飛び立とうとしない」
「品格を護るために不自由を全力で受け入れる。その境遇すらも全力で誇らしく感じる精神性こそが、全力の貴族を全力で貴族たらしめるのですわ」
「……左様でござるか」
ベジタロウは察した。
彼女は達観しているのではない。諦観しているのだ。何もかもを生まれた瞬間に定められる【貴族令嬢】として設定され、そして完成した性質だろう。
更にタチの悪い事に、彼女はその諦観に価値を見出している。
常人では共感できないほどに潔く在る事に、美学を持っているのだ。
運命への抵抗など、貴族の振る舞いではないと。
――……東洋に所縁を持つよしみで頼ってみたものの、協力を得るのは望み薄でござるな。
心の中でそうつぶやいて、ベジタロウは立ち上がった。
「あら、もう行かれるの?」
「グリフ殿を攻略した連中はおそらく、奴隷王の砦を目指すはずでござる。奴隷王の下僕たちは皆、留守の内にカイザーが救出済みでござるが……奴隷王そのものの戦闘能力も侮り難し。合流される前に耕さねば」
言葉の威勢は良いが、ベジタロウの眉間にはしわがより、口はへの字に折れていた。
現状、下手な加勢は選べない。
イケメンはプレイヤーに敗北するとプレイヤーの戦力になってしまうのだ。イケメンカイザーでもそのシステムは変えられなかった……まぁ、変えなかった可能性もあるが。
ともかく、逸った人選は敵に塩を送るだけ。しかし、グリンフィースを撃破したプレイヤーに単独で挑んでは……鯉が自らまな板に上がるようなものだ。
イケメンカイザーは色々と不明な点が多いので、あまり頼りたくはないが……背に腹か、とベジタロウは苦渋に表情を歪める。
「そう。では全力で支度をしますので、少しお待ちいただけるかしら?」
「……は?」
不意をつく令嬢の言葉に、ベジタロウは目を丸くした。
「加勢していただけるのでござるか……? しかし貴殿、拙者らの革命には興味など無いはずでは?」
「ええ、微塵も無いですわね。全力で心底どうでも良い。あのカイザーとか言うドブ川ボイスの不審者に従うつもりもまったくありませんわ」
酷い言い様である。
「けれど、わたくしは犬ではない」
「……犬?」
令嬢は一気に緑茶を飲み干し、とても楽しそうに笑みを濃くした。
更には、まるで血気に盛ったチンピラのように拳をバキゴキと鳴らし始める。
「ボスイケメンを撃破し従える強者を前に『待て』だなんて、全力を以てしてもできる訳がありませんわ」
「……なるほど。確かに、貴殿は犬などではござらんな」
先ほどまでの凛然とした貴族令嬢かくありきと言う風情はどこへ消えたか。
そのギラついた瞳は「犬のよう」なんてぬるいものではない。唇を舐めあげる所作がこうもサマになる令嬢は、他にいないだろう。
この令嬢を頼って、正解だった。
「東洋より出でし【水害の末裔】――惡麗慈家の【暴れ龍】よ。その腕前、大いに期待させてもらうでござる」