幕間:魔王軍の進撃~米、届けにいきます~
――現実世界。
オリエント大陸の広大な山脈に、魔族が築いた城がある。
ユーロピアン大陸の魔王城にも見劣りしない立派な巨大城塞だ。
城の名はドラグヘイム城。
重厚な黒い城郭と獰猛な竜の装飾が、攻め入らんとする者を威圧する。
魔王軍・竜系魔族師団【ファヴニィル】本部基地である。
「……人間とは、どこまでも度し難い生き物だな」
ドラグヘイム城、会議用に設けられた一室にて……蒼白のマントを翻し、青髪の青年が悪態を吐いた。
彼の名はファナン。青髪に溺れた二本角、そして竜鱗に覆われた頬と太い尻尾が彼が魔族だと物語る。
ファナンはただの魔族では無い。
竜の形質を兼ね備える竜系魔族であり、更には魔王腹心の四臣にして【竜王】の異名を持つ魔王軍四天王。竜系魔族師団の師団長でもある。
「【鬼王】【霊王】【米王】……他四天王からも次々に連絡が着ている。人間連中はつくづく争い事が好きらしい」
竜系魔族師団の幹部が囲む長机の上に、ファナンが報告書の厚い束を投げ捨てる。
「『魔王様が封印された』――その一報が駆け抜けて僅か半日たらずで、これだ」
ファナンが吐いた息に、蒼い炎が混じった。
それは万物を凍結させる絶対零度の炎。ファナンの周囲に、キラキラと氷の結晶が舞い踊る。
無論、ゴキゲンでそんな事をしている訳では無い。
ファナンの額には青筋が浮かんでいる。怒りだ。激怒によって、体内で荒れ狂う蒼炎の制御が外れかかっているのだ。
「【四大国家】などと大層に呼ばれている四つの軍事大国が、一斉に行動を開始した」
半日ほど前、勇者によって魔王が封印された。一〇〇〇年以上も君臨したあの筋肉の牙城がついに崩れた。
当然、魔王軍には混乱が生じるだろう――と人間どもは考える。そして、その好機を見逃すはずが無い。特に血気盛んな四大国家が魔王軍を討とうと動き出すのは必定とも言える。
何せ魔王軍は、四大国家に取っては目の上のたんこぶなのだから。
竜王ファナン率いる竜系魔族師団の本拠ドラグヘイム城。
鬼王ヨトゥン率いる巨大魔族師団の本拠ストルヘイム城。
霊王アンルヴ率いる妖精魔族師団の本拠フェンヘイム城。
米王エイリズ率いる大食魔族師団の本拠ニデルヘイム城。
この四城は、それぞれ四大国家を睨みを利かせられる立地にある。
四大国家が周辺諸国へ侵略戦争を仕掛ければ、魔王軍が漁夫の利を狙って横腹を突いてくる。ならばと魔王軍の撃退に動き出せば、魔王軍の次は自分たちだとわかっている周辺諸国が静観している訳が無い。
故に四大国家は沈黙せざるを得なくなり、魔王軍もまた睨みを利かせるばかりで攻勢には出ない。
そしてこの均衡を甘受しているその他の国々が積極的に行動するはずも無し。
こうして、戦況は完全に膠着した。
魔王はそんな、絶妙な布陣を敷いていたのだ。
故に現魔王が君臨し、現体制を確立してから九〇〇年近くもの間……人間と魔族だけでなく、人間同士の戦争も無く時が過ぎていた。戦いが起きても、戦争と表現するほどでもない小競り合いや、定期的に繰り返される魔王と勇者の決闘くらい。
世界規模で見れば、かつてないほど長きに渡る冷戦の時代である。
故に、魔王が落ち、魔王軍に揺らぎが生ずるとなれば。
当然、四大国家は「待ちかねたぞ」と動き出す。
邪魔な魔王軍を、この混乱に乗じて片づけてしまえと……なるはずだった。
「ふざけた真似をしてくれる……!」
ファナンの苛立ちをあらわすように、彼の息に混ざる蒼炎の量が増す。
……もし四大国家の軍勢が「魔王軍を討とうと動き出した」のであれば、ファナンもここまで荒ぶる事は無かっただろう。
ファナンは非常にクールな竜系魔族なのだ。
普段は額に青筋どころか、喋る時に口周りが動くくらいで表情は限りなく無が平常運転の男。
魔王が消えた今が好機と人間どもがかかってくるならば「魔王が倒れれば我らが無能と化すとでも? 失笑だ。何のために我々四天王――肩書に王を冠する重臣がいるのか、教えてやろう」くらいの態度で構えていられた。
……しかし、人間どもが揃いも揃って「こんな事」をし始めたら、その顔も激怒に歪む。
「あろうことか……四大国家の人間どもは、同じ人間の国に対して侵略行動を開始している……!」
たった半日だ。魔王が封印されてたった半日で――人間たちの小さな国のひとつが、四大国家の一角に名を連ねる大国によって蹂躙され、国と言う体裁を失った。今も、各地で戦禍は拡大の一途を辿っている。戦況報告書で踊る名は……どれも、人間の国の名だ。
おそらく、四大国家の連中は常々準備していたのだろう。
勇者が魔王を倒しに出たと言う情報が出る度、魔王が倒れたらすぐにでも動き出せるようにと。
――四大国家はことごとく、強大な魔王軍と戦争をするより、周辺の弱小国を食い尽くす事を優先した。
……まぁ、理屈としては間違っていないだろう。
多少は揺らいでいるとしても、魔王軍相手に仕掛けて楽々勝利できる保証は無い。
だったらまずは、魔王軍が大きく動けない内に労せず落とせる小国を食って力を蓄えよう。
ああ、実に論理的だ。
冷酷なほどに堅実で、冷静な一手だ。
だから、ファナンは角にきている。
「賢しいだけなら獣と同じだろうが……! 魔王様を失望させるな、人間どもめ!!」
ファナンの拳が長机を打った。
長机は一瞬にして完全凍結、瞬きの間で粉々に砕け散ってしまう。
ファナンの荒ぶる様に動揺したり、彼をいさめようとする幹部はいない。
むしろ、幹部たちもファナンと同様。顔中に筋を浮かべて牙を剥き、瞳の奥に炎を滾らせ、苛立ちを露わにしている。
――魔王四天王とその部下である幹部たちは皆、知っている。
現魔王が、どういう気持ちで人間との戦いに臨んできたかを。
「我らが魔王様は常に! 人間も、魔族も、どちらも可能な限り血を流さない方法を考えてこられた方だ!! 血塗られた歴史故に和平など不可能であるとは弁えつつも……それならばせめて、いがみ合うだけで衝突する事が無いようにと、手は取り合えずとも拳を交わす事も無いようにと! 仮初の平和を維持する事に全力を傾けておられた!!」
――「仮初じゃろうが、世界が滅ぶまで続けば本物の平和と大差はあるまい……ワシにはそれくらいの『抵抗』しかできぬ」
魔王は、どこか悟ったような様子で、常々そんな事を口にしていた。
ファナンたちは知っている。
魔王が何か重大な事実を隠している事を知っている。
そしてそれを明かす事は、何か強大な存在の呪縛によって封じられ、魔王はただ独りでその強大な何かに抗い続けている事も知っている。
「あの御方が……どれほどの想いでこの世界と向き合っていたか……皆も知っているだろう!?」
ファナンの言葉に、幹部たちが全員、一斉にうなずいた。
「竜系魔族は好戦的な者が多い。ここに顔を並べている者たちも、かつては大半が人間の殲滅を謳っていたはずだ。だが今は違う! それは何故だ!? 魔王様が長い時と強い意志を以て我らと接し、それを変えてみせたからだ!!」
魔王は、人間との戦いに極めて消極的だった。
しかしそれは、臆病だった訳ではない。人間と魔族の争いの歴史を軽視していた訳でもない。
魔王は、自らが死んだ時、あの世で先達の英霊たちに八つ裂きにされる覚悟すら決めていた。
死後の安寧や幸福など望むまい、と、魔王は寂しそうに言ったのだ。
「先達たちの怒りを受け止める覚悟を決めて、魔も人も区別せずに今を生きるすべての命を優先した……この世の誰にも悲劇など味わわせまいと!! この世界からすべての悲しみが消えてくれる日を本気で願った! そんな、まるで幼い童女のような願望を抱いておられる御方だったのだ!!」
魔王は何よりも、ただひたすらに願い続けた。
自らがどうにか選び取れる最善の選択。
魔族と人間の戦況が膠着しきって動かない、この仮初の平和の中で。
今を生きるすべての命に、少しでも幸福な生が訪れる事を。
魔王は、敵であるはずの人間にすら、幸福な未来を生きて欲しいと願っていた。
「だのに……あろうことか、人間が人間同士で!? 恥を知れ!!」
憤怒の叫びと共に、ファナンの全身から絶対零度の蒼炎が溢れ出す。
「何よりもォォォォ私ともあろうものが!! この竜王ファナンがァ!! 米王殿と並びこの世で最も長く魔王様にお仕えしてきたこの私がァァァ!! 魔王様の願いを守り切れなかったァァァ!! 輪廻の最果てまで付き纏う大恥だクソがァァァァァァァアアア!!!!」
魔王軍きってのクール系魔族・ファナンが冷静さを欠くほどに怒りを向けているのは、人間だけではない。四大国家の動きを予測できず、弱小国の滅亡を許してしまった己の無能さにも激昂しているのだ。
「ッ……ああ、だがしかし怒鳴り散らしている場合ではない……落ち着け。魔王様は封印されただけだ。あの筋肉の塊はどうせすぐに戻ってくる……その前に! 汚名の返上を! 名誉の挽回を! 雪辱を、屈辱を、可能最大限に清算しなくてはならなァい!!」
故に、ファナンが取るべき行動は。
「ファヴニィル全隊進軍ッ!! 愚昧極まった大国の軍勢を殺さない程度に、しかして二度と戦う気が起きないほど圧倒的な全力を以て蹴散らし、我ら魔王軍に一切の陰り無しと証明せよ!!」
魔王が封じられても魔王軍は揺らがない。これは好機などでは無かったのだ。
その事実を四大国家の連中に叩き込んで、踏み荒らした小国からお帰り願う。
「それから、小国の領土と生き残り・捕虜は根こそぎ奪還だ! 良いな!!」
まずは魔族の植民地と言う形で良い。保護して再建させる。復興しきった頃に解放運動を誘発させて、統治権を人間に返せばそれで済む。完全に元通りとはいかずとも、可能最大限のリカバリーも図る。消えてしまった国を、建て直す。
「米王殿への連絡も忘れるな! 復興までの食糧確保、加えて戦禍の恐怖と悲しみを味わってしまった者たちにまず届けるべきは、温かく、そして最高に美味い飯だッ! 急げよ、魔族が普段どれだけ美味い御米を食べているか、人間どもの愚かな舌に教えてやれ!!」
「「「「「ォォオオオオオオ!!」」」」」
ファナンの怒号混じりな号令を受け、幹部たちが雄叫びと共に動き出す。
どこも大体こんな感じで、四天王たちは奮起していた。
★☆魔族豆知識☆★
◆魔族が食べている御米◆
非常に美味しいぞ!
魔族の食性は基本的に米オンリーなので、極限まで追求されたクオリティ。
米作学研究大臣こと米王は、事実上魔王と同等に敬われているぞ。
◆竜系魔族◆
好戦的性格の者が多い戦闘民族。
成体になると老化が止まる。かつ魔族内でも非常に長命。
竜系魔族が誕生してから五〇〇〇年余、老衰による死亡例は未だに確認されていないらしい。
竜王ファナンは見てくれこそ青年だが、実は現魔王の倍近く生きていたりする。
たまに幼年期で老化が止まる個体もいるので、ゲーム世界に放り込まなくても合法ショタや合法ロリが出来上がるぞ。
竜系魔族には無限の可能性があるんだ。