44,燃えろ、炎の眼鏡!
――ラグナロク学園(まだ普通の校舎だった頃)、保健室。
「当方は……ここで寝ている場合では、無い……!」
苦しそうに喘ぎながらベッドから身を起こしたのは、レンズが砕け散った赤眼鏡をかけた男神・アシャワシャ。しかし、身を起こすので精一杯、ベッド横の棚上に置かれた紅鋼の天秤に手を伸ばそうとして、ドサッとベッドに崩れ落ちる。
そんな様子を呆れたような半目で見下ろすのは学ランの上から白衣を羽織った半神・アスクラピアス。
「いくら主神クラスと言えど、無理ですよ。あなたがウサギさんたちから受けたダメージ、普通の神なら生死の境を彷徨っててもおかしくないレベルですからね?」
「それでも……だ! 誠実に、当方が為すべき事を為さねばならない!」
「……………………」
主神クラスにはオーデンから緊急招集がかかったらしい。
議題は、さっきのラフムラハムによる宣戦布告まがいな宣言について……つまり、アリスが人質にされている事案に関する対策会議。
アリスに迷惑をかけたと言う負い目と、己の凶行を止めてくれた恩義を感じているアシャワシャが、じっとしていられるはずも無い。このままだと、這ってでも教員会議室へ向かおうとするだろう。
「まったく……」
生体標本はおとなしく寝てろよめんどくせー……と言う小さなつぶやきを添えて、アスクラピアスは首に巻き付いている御使いの白ヘビの頭を撫ぜる。すると白ヘビが口をかぱっと開けて小瓶を吐き出した。
「副反応として若干テンションがおかしくなると言う症状は出ますが……一応、強壮剤を処方しましょうか? 数時間、軽い運動ができる程度には持ち直せるかと」
「頼む……!」
アシャワシャの即答に応え、アスクラピアスは白ヘビに指示。
白ヘビは小瓶のコルクに噛みつき、牙に小瓶内部の薬液を吸い上げ浸透させる。アスクラピアスの御使い、白ヘビのヒーズィは医療器具としての機能を付与されており、その牙は注射器としての役割を果たす。
「それでは、ちょっとザクッとしますが暴れないでくださいね。急に動かれると、ヒーズィが驚いて過剰投与してしまうかも知れませんので」
「誠実に承知した」
と言う訳で、ヒーズィがアシャワシャの額にガブリ!
投薬開始した、まさにその瞬間。
――校舎のトランスフォームが始まった!!
◆
――ラグナロク学園(巨人形態)、内部。
人体で言えば心臓にあたる区画に、教員会議室は移動していた。
「……くっ……これは……」
己の全身を絡め取って拘束する赤黒い光の根に、オーデンは顔を顰めて静かに舌打ちする。
――神パワーが、練れない。いや、非常に練り辛い。
まるで赤黒い光の根が神パワーの通り道を塞き止めているようだ。
「対神パワー結界、その流用であろうな」
ふぅむ……と悩まし気な息を吐いたのは、まるで彫像のように屈強・豪快な御鬚を蓄えたギルジアの主神・デーウス総統閣下。オーデン同様、赤黒い光の根によって雁字搦めにされている。
ここに集ったすべての神が、同様の拘束を受けてしまっている!
「まぁ、時間をかければ神パワーの圧力で無理やり封印を突破できるであろうが……」
「それはデスメローアも承知の上だろうな。つまり――」
デスメローアは「時間を稼げればそれで良い」と考えている、のだとすれば。
……レーヴァティン封印解除は、秒読みか!!
「オーデンよ。星戒樹はこの星における【原初の悲劇】を乗り越えた象徴。悠久の悲劇を終わらせてくれたアゼルヴァリウスを出迎える施設を、かの星戒樹から切り出した木材で造ると言う発想は悪くなかったが……裏目に出たな。どう対処する?」
デーウスのそれはオーデンの迂闊な行動に対する糾弾ではなく、ただの問いかけ。
「どうもこうも無いぞ、デーウスよ」
はぁ、と深い溜息を吐いて、オーデンは歯を食いしばり、前髪に隠れた双眸からカッっと光を放つ。
「がああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!」
吠え猛り、全身の筋肉をパンプアップ!
全力で身をよじりまくる!!
神パワーだけでは突破に時間がかかるなら――筋力も併用するのみ!!
「であるな。がああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!」
そこかしこで次々に神々が雄叫びを上げ、筋肉を奮い立たせ始めた。
「このオーデン、智慧だけではないと証明し――」
「にゃああああああああああああああああああああああああ!!」
気合の雄叫びと共に、校舎の壁を突き破って来たのは――女神・フーレイア!
自慢の蹴り技で流星が如く吶喊、ラグナロク学園の胸部壁面をブチ抜いたのだ!!
フーレイアの蹴りはそのまま、オーデンの後頭部へ直撃する!!
「へごっ」
「あ、オッディ!?」
神パワーでの防御もできず、オーデンは一撃でノックアウト。赤黒い光の根に支えられてだらりとうなだれる。
「……………………てへぺろ!!」
「フーちゃんナイス! 一発で目的地!!」
フーレイアが開けた穴から空飛ぶ黄金スケボーに乗って飛び込んできたのは、イシュルナンナ!
派手柄な外套を翻しながらぴょんっと飛び降りる。
「うわ、マジで何が起きたのこれ……主神級の神々がみんな拘束されてるし、スカンディナヴァのオーデンに至っては意識まで持ってかれてるじゃない! 一体、誰がこんな……」
「そ、そだに! 誰がこんな事をしたんだろーねー!!」
「拘束に関してはデスメローア。オーデンをやったのはフーレイアである」
デーウスに秒でバラされ、フーレイアは「にゃあ!」と鳴く。
そんな事よりと言わんばかり、イシュルナンナは視線を走らせて、ある神を見つけると真っ先にその神の元へと向かった。
イシュルナンナが一直線に向かった先に拘束されていたのは、黒衣の女神エレシュルカルラ。
「ったく、このメンツであっさり出し抜かれてんじゃないわよってのよ」
イシュルナンナの手に太陽のような光が灯り、ニュッと尖って刃と化す。それを振るって、エレシュルカルラに絡み着いていた赤黒い光の根を斬り払った。
「すまないのだ。イシュルナンナ。迷惑をかけた……助けに来てくれて、ありがとうなのだ」
「……フン。別にあんたを助けに来た訳じゃないわ。アリスちゃんを助けるためには一柱でも多くの神々が必要なのよ。そんだけ!!」
「む……ああ、そうなのだな……」
「エレち、イシュルンのこれは分りやすい妹ツンデレだから」
そんな『ですよね調子に乗って喜んだりしてごめんなさい』みたいなガチ凹みしなくて良いから……とフーレイアが言うと、イシュルナンナが顔を真っ赤にして「はあああああ!?」と吠える。
「だ、誰がツンデレよ! 全然、違うもん! アタシは生理的にこいつが嫌いなの!!」
「……安心するのだイシュルナンナ。フーレイアも気遣いは不要なのだ。承知しているのだ……」
バイザーで表情が隠れているせいで表情を読みづらいが、それでも雰囲気だけで分かるくらいシュンとするエレシュルカルラ。
それを見たイシュルナンナは「ぅ……」と気まずそうに引き攣るが、素直になれない妹ソウルがどこまでも邪魔をするらしく。何も言えずに視線を逸らした。
エレシュルカルラにもう少しツンデレ理解力があり、イシュルナンナがもうちょっとだけ素直になれれば、すぐに上手くいきそうな姉妹なのだが……と神々はみんな思っている。
「って、言うか!」
気まずさの限界か、イシュルナンナは思い出したように声を上げる。
「デーウス総統閣下、さっきデスメローアって言った?」
「うむ。確かに言った」
「それって確か、あれよね。ママが星になった後、それをぶっ壊そうとしたって言う……」
「……あの子が……」
イシュルナンナは名前を聞いた事がある程度だが、フーレイアはオーデンの同期で原初組だ。デスメローアとの戦いに参加していた。
その名と、星戒樹絡みの騒動から諸々を察する。
「……急ごう。あの子が関わってるとなると、本当に何がどうなるか予想できな――」
と、その時。
フーレイアの言葉を遮るように、会議室のドアが乱暴に、大きな音を立てて開け放たれた。
ドアを開けたのは――アスクラピアス。火事の現場でも走り抜けてきたのか、白衣の裾が焦げ、全身に薄っすら黒煤を浴びている。その背では未だに気絶中のアンリマンがぐったり。
「だー、やっぱりか。全員あの赤黒いのに捕まってましたと。嫌な予感がしたから探しに来て正解だった」
ぜぇぜぇと息を切らしながらアスクラピアスは白ヘビの御使い・ヒーズィに額の汗を拭わせる。
どうやら相当、急いで来たらしい。
「む? アスクラピアスではないか。貴様、デスメローアの根には捕まらなかったのか?」
デーウスの質問に、アスクラピアスは「デスメローアってのが何なのかは知らないけど……」とつぶやいて、ひと息。
「赤黒い根になら襲われましたけど、捕まる前に燃え尽きましたよ」
「燃え尽きた?」
「で、このままだとみんなもそうなるから、さっさと脱出しましょうか」
アスクラピアスの言葉を肯定するように、その背後、廊下の床と天井をぶち抜いて、真っ赤なレーザー砲――超高威力の炎撃が噴き上がっていく。
「にゃあ!? い、今の炎なに!? 明らかに主神級の全力ブッパっぽかったけど!?」
「……えー……アシャワシャさんって神様いるじゃないですか。ゼロアスターの。あの御方」
アスクラピアスとその御使い白ヘビは、とても気まずそうに視線を泳がせる。
「ちょっと怪我されてたんですけど、どうしてもこの会議に参加するって聞かなくて。強壮剤を処方する事になったんですが……丁度、投薬開始した瞬間に校舎が変形し始めまして。手元が狂ったと言うか口元が狂ったと言うか……」
「……ま、まさか……」
「過剰服薬でハイになって、何かこう――暴走してますね。完全に」