39,魔王様のお気に召すまま。
「クリアス! 大丈夫か!?」
緊張の糸が切れたか、ぺたんと尻を地に突いてしまったクリアスの元へ急ぎ駆け寄る。
俯いておったので小さなお手々で頬を掴み持ち上げた。呆然、と言った様子じゃったが、ワシと目が合ってハッと我に返ったらしく「だ、大丈夫です!」と元気の良い返事を返してくれた。
無事で良かった――そう、安堵するのはまだちと早いか。
視線を、ラフムラハムの方へと向ける。
すると、ワシらとラフムラハムの間に立つ五つの影が。
「アリスさま。この方々は、一体……?」
ククミスコップの疑問は当然じゃな。
「こやつらは元魔王軍四天王と、勇者じゃよ」
竜王・ファナン。
霊王・アンルヴ。
鬼王・ヨトゥン。
米王・エイリズ。
そして勇者・ユリーシア。
現在の下界においては「国際社会を引っ張る勇者財団総帥とその有力な支援者四人」、と言うのが世間的な評価になるか。
まぁ、こやつらの事はとてもよく知っておる。
じゃが、ワシとしても疑問じゃ。と言うか、クリアスの安否確認と言う最優先事項に意識が持っていかれておったから驚きを抑えられておるが、本来ならワシも「は????」と口を開けて固まっておる所じゃ。
「貴様ら、一体どうやって天界に……?」
こやつらが出現した時、ワシの胸元のブローチに異変が起きたのは分かる。
おそらく、このブローチを媒介に転移してきたのじゃろう。
元々このブローチには、装飾以外にも防犯装置としての役割がある。中心の宝石を押し込めば、四天王に緊急事態を告げる警告と、ワシのいる場所へ直通の転送魔術ゲートが出現する――そう言う装置。
確かに、道自体はあるのじゃからそこを通ってくる事は可能じゃろう……とも思えるが、ここは天界、下界とはまさしく次元が違う領域じゃぞ?
いくら何でも、下界側からのアクセスで天界に来る術があるとは思えぬのじゃが……。
「どうやって? 魔人随一と謳われる妖精魔人の魔導技術部を侮らないでいただけます?」
ワシの疑問にどや顔で答えたのは、ミニマム幼女であるワシよりも小さい蝶々翅の妖精女王、霊王・アンルヴ。煌めく鱗粉を撒き散らし、豪奢なドレスをひらめかせながらワシの元へ飛んでくると、その小さな小さな手でブローチを軽く叩いた。
「目印さえあれば、どこにだって転移魔術を繋げてみせますわ。天界だろうが地獄の底だろうが。妖精魔人からは逃げられませんことよ? がーっとしてぐわー、で、ちょちょいのちょいなのですわ!」
「……察するに、気合でブチ抜いてきたと」
「気合と技術ですわ。まぁ、試行回数の暴力でこの一回を突破できればそれで良いと言う仕様ですので、恒常的な再現性の確保にはしばらくかかりそうですけど」
妙に小難しい言い方をしておるが、やはり気合でブチ抜いてきたと言う事じゃな。
「さて、魔王様の御無事を盛大に祝いたい所だが――」
ファナンの言葉を遮るように、巨大泥タコ・ラフムラハムが吠えた。
草の根が如く細く枝分かれした黒い光が、ラフムラハムのほぼ全身を侵食しておる……!
明らかに、あの黒い光はラフムラハムの意思とは別の何かじゃろう……でなけければ、黒い光が脈打つ度に、ラフムラハムが苦しそうな悲鳴を上げる訳がない!
「んー……あれが神、ですかぁ。聞きしに勝る禍々しさぁ」
不敵に笑いながら、エイリズがその稲のような細長い体を軽く揺すった。炊き立て御飯の香ばしい匂いが広がる。
「ああ、向こうもやる気マンマンと来たもんさゴルァ!! 上等だねぇオルァ!!」
鬼王・ヨトゥンがその小高い丘めいた巨体に相応な巨大棍棒を抜く。
竜王・ファナンの周囲には冷気の風が吹き始め、霊王・アンルヴは散布する鱗粉の量が増え始めた。
勇者もジャージお姉さんルックにはまったく似合わない白銀の剣・勇者カリバーを水平に構え――全員、臨戦態勢。
「いや、ちょっと待て貴様ら! ここに来れた理由はなんとなく分かったが……あやつと戦うつもりか!? 神じゃぞあやつは!」
神とまともに戦うには神パワーか神キラーが必要。
ナイアルラトの時と違い、今のワシには神キラーを皆に与える筋力が無い。
「魔王様と我が誇るべき優秀な部下を手にかけようとした痴れ者。神だろうが悪魔だろうが見逃す道理はありませんが?」
当然、処す。
ファナンはあっさりと言い切った。
「いや、そう言う話ではなくてじゃな……」
「神パワー云々の心配をしているんなら、安心しなさい。アタシを誰だと、そしてこいつらを何だと思ってんの?」
そう言って、勇者が勇者カリバーを見せつけるように掲げて――そうか、勇者!
勇者は神の加護を受け、神パワーに類似する勇者パワーを膨大に保有しておる!
そして……勇者は【一党】にそのパワーを分け与える事が可能……【勇者四天王】とも呼ばれる元魔王軍四天王たちは、勇者パワー=神パワーに類似するパワーの恩恵を受けられると言う事か!
「そうじゃ、ならば――」
言いかけて、留まる。
こやつらは今、神と戦う術がある。神の暴走を止められる力がある。
なら、あの苦しみ悶えるラフムラハムを止める事ができるじゃろう。
ラフムラハムを無力化し、あやつを苦しめておると思われるあの黒い光から引きはがす事ができるはず。
……しかし、それは容易か?
激戦になるのではないか?
隣に座るクリアスを見る。
ワシは「ラフムラハムを放っておけない」と言うワガママで、クリアスを危険に晒した。
最初から、母神胎宮からの脱出を目指しておれば良かったものを。
ワシの感情如何で、ひとつの命が失われかけた。
……愚行を、繰り返すな。
「戦ってはならぬ。ここは撤退じゃ。おそらくもうアキレイナたちが退路を確保しておる」
母神胎宮からの脱出を優先し、後の処理は神々に任せるべきじゃ。
その間にラフムラハムがどうなってしまうかと言う不安はあるが……しかし、「ラフムラハムを一刻も早く救いたい」と言うワガママで、こやつらを危険に晒す訳にはいかぬ。
「じゃから――」
「あんた今、何か我慢したでしょ」
呆れるわ、と勇者が溜息。
続くように、四天王たちがやれやれだと首を振る。
「我々の事など、道具のように使い捨てていただいて構わない……と言っても、魔王様には無理だろうな」
「だろうなオルァ! それでこそアーくんってとこもあるけどなぁゴルァ!!」
「えぇ、えぇ、まぁ、むしろそうであるからこそ、アッちゃんさまになら使い捨てられても構わないと思えるほどの忠誠を抱いていると言う矛盾すらありますねぇ!」
「言えていますわね。まったく、我らが愛すべきボンクラ魔王は本当に仕方がありませんわ」
四天王が一斉に振り返り、揃い揃って満面の笑みを向ける。
「我らは魔王軍四天王。魔王・千年筋肉に永劫の忠誠を誓いし忠臣!」
「この戦力に不可能は無ぇんだオルァ! どんな命令もどんと来いだゴルァ!!」
「ですのでさぁさぁ魔王様ぁ。望むままぁ、存分に御命令をぉ!」
「あなたの望みを叶えるための力が、我々四天王なのだから!」
――ッ。
「無駄よ、魔王。あんたが一〇〇〇年以上も独りで我慢してたのはみんな知ってんの。もう誰も、あんたに我慢なんてさせてくれやしないわ」
にひひと悪戯娘のような笑みを浮かべて、勇者が白銀の剣を振り上げる。
「アタシの建前は……そうね。アタシは勇者、魔王とは永遠の対抗馬。だから勇者以外の誰かが魔王を負かすなんて認めない。つまり魔王の障害は勇者の障害。魔王の問題は勇者の問題。だから言いなさい、魔王が今解決すべき問題はなに?」
……目頭が熱を帯びるのを感じた。
良いのか、と頭の中で理性の声が響く。
良いに決まっている、そう肯定するような笑みが眼前に並ぶ。
「…………ワシは、あやつを止めたい。例え最善の選択ではないとしても、あんな風に苦しんでおる者を放ってはおけぬ。一刻も早く、あやつを苦しめておる何かを、取り除いてやりたい」
じゃが……、
「しかし、それで貴様らを危険に晒すのも嫌なのじゃ……!」
ワシに全盛期の筋肉があれば、どうにかできたやも知れぬのに。
何もできぬ幼女の体が憎い。
ワガママに叫ぶしか無い己が憎い。
誰かに無茶をさせねば望みひとつ実現できぬ無力が憎い。
「あっそ。じゃあ、簡単な話ね」
ワシの自己嫌悪を「くだらない」と笑い飛ばすように、勇者はあっさりと頷いた。
「『危なげなく、圧倒的な実力差であの巨大タコを無力化しろ』――って御要望でしょ? むかし、魔王が勇者にやったみたいに」
「!」
「だ、そうよ。あんたら。いけるわよね?」
「承知した。問題無い」
「余裕だろゴルァ!」
「ん~、朝のおにぎり前ですねぇ!」
「むしろ、その程度の事もできない、と思われていたのが遺憾ですわね」
アンルヴの不平に、他四天王と勇者が違いないと揃ってかんらかんらと笑う。
強がりや演技ではない、本当に、余裕綽々といった呑気さを漂わせておる。
これくらい軽いノリで済ませるのがお望みなのでしょう? とワシに問うように。
「で、どうなのよ。まだ何かある?」
「……いや」
……ああ、ワシはまた傲慢な考え方をしておった。まったく以て、恥ずかしい。
ワシの目の前におるのは、我が誇るべき配下たちと好敵手じゃぞ。
全盛期のワシにならどうにかできる程度の事――
こやつらならば、簡単に成し遂げてくれるに決まっておるではないか!
「頼む。あやつを、ラフムラハムを助けたい! 貴様らの力を貸してくれなのじゃ!」
「「「「御意ッ!!」」」」
「はいはーい。魔王様のお気に召すままに、ってね!!」