31,疾走ペアレンツと神々の円卓。
天界、スカンディナヴァ・クラン領・アスガルド地方。
主神オーデンによって整えられた下界のある地域を模した森の中、湖畔の小屋のドアが勢い良く開く。
軽快なステップで躍り出たのは、赤毛の魔人女性。
魔動洗濯機で洗い終えた洗濯物を山の如く積んだ篭を抱えて、鼻唄混じり。とてもゴキゲン。
彼女はフライアス。アリスの母上である。
愛しの独り息子……独り娘? ともかく愛しの子と一〇〇〇年ぶりの再会を果たし、もう登り詰めたテンションは一向に下がる気配が無い。洗濯物だってダンスしながらこなしちゃうのも自明の理。
「あらら、珍しく天気が悪いわ」
ふと、空を見上げてフライアスはタップダンスをやめる。
数分前までは眩い朝陽が輝いていた青空が、どんよりとした重苦しい鉛雲で埋め尽くされてしまっていた。しかも、ごろごろ……と雷の発射準備音まで。
天界は基本的に快晴だ。
雨や嵐を呼ぶ系の神々が気まぐれで雨雲クリエイティブしない限り、天候が崩れる事はまず無い。
どこかのクランの神が気まぐれを発動みたいね、タイミングが悪かったわ~とフライアスは洗濯篭を抱き直し、魔動乾燥機の方へ向かおうとした……が、ふと、妙な感覚を覚える。
「……何だか、妙にざわざわする雷鳴ね?」
ごろごろごろ……と、いつまでも黒い雲の中で唸るだけで、一向に降る気配が無い雷鳴。
フライアスには不思議と、その雷鳴が誰かの声のように聞こえた。
それも、ただの声ではない。何かを必死に訴えかけてくるような……。
『おれの名はラフムラハム』
「……え?」
空を見上げていたフライアスに取って完全に予想外、地面を伝って聞き覚えの無い声が聞こえ始めた。
『偉大なる【創星母神】、その直系の子だ……我が母なる星の上でのうのうと生きる、すべての神々に宣言する』
地面を伝う声は、とても息苦しそうに聞こえた。
今すぐにでも泣きながら全てを投げ出しベッドに潜り込みたい……そんな声。聞いているだけでも、胸に窮屈さを覚えてしまう悲痛な呻きにも似ていた。
『これより【母神再生の儀】を始める。それに際して、この星の上に在るすべてが邪魔だ……だから、滅ぼす。おれたちはこれから……この星の上に在るすべて、神も、下界の生物も……すべてを、焼き払うんだ』
「……!?」
所々、フライアスには聞き馴染みが無く意味を図り兼ねる部分はあった。
しかし、その声がどれだけ過激な宣言を天界全土に向けて放ったかは理解できる。
「フライアス!」
フライアスを呼びながら小屋から出て来たのは、ナイスマッチョな魔人男性。
フライアスの夫でありアリスの父上、アズドヴァレオスだ。
「あなた……」
「今の声、明らかに異常事態だ。俺は一旦、天界ポリスの本部に向かうよ」
アズドヴァレオスは極太強烈魂魄を持つ勇士として、アスガルド地方の警察組織【天界ポリス】に所属している。アリスが天界にいる間はオーデンにより強制休暇を与えられていたが……そうも言っていられない事態だろうと判断したようだ。
「キミは戸締りをしっかりして、とりあえず玄関や窓に魔術トラップを――」
『おれたちが星戒樹の地下、【母神胎宮】にいる事は、まぁこの放送の出所を探知すればすぐわかる事だろう』
アズドヴァレオスの指示を遮るように、ラフムラハムの放送が再開された。
一瞬、口を閉じたアズドヴァレオスだったが、構わずこちらも再開しようとしたその時――
『だから、おれは人質としてアリスをここに連れて来た』
「「――ッ――」」
夫婦そろって、眼を剥いて言葉を失う。
『今、星戒樹には母さんが展開した対・神パワ~用の概念防殻が展開されている。神では絶対に突破どころか、干渉すらできない防殻だが……まぁ、ウルトラ・デ~ウスやオ~デン、原初世代の大神が連携すれば、破壊する事もできなくはないだろう。だが………………』
そこで、ラフムラハムの声は一瞬だけ途切れた。
まるで、そこから先の言葉を発する事に罪悪感で胸を抉られ、言葉が出なくなってしまったような、息漏れだけが響く。
『……っ………………だが、それだけの強大な神パワ~でぶち抜けば――防殻内部は余波だけでぐちゃめちゃになる。下界の生物が、そこで生存できる訳が無い……わかるな?』
ラフムラハムを止めるために神々が星戒樹地下へ行くには、その周囲に展開された神対策に特化した防殻を破壊する必要がある。しかし、それを破壊するために必要な攻撃は、余波だけで防殻内部の生命体を死滅させるに充分以上。神ならばワンチャン耐えられるかも知れないが、ただの長生き幼女でしかないアリスは――
『指を咥えて待っていろ。母さんがレ~ヴァティンの封印を解き終えるまで』
そこでラフムラハムの放送は途絶える。
その時には既に、二人の魔人は走り出していた。
◆
――ラグナロク学園、教員会議室。
本来は教師側を務めるスカンディナヴァ・クランの神々が集い本日の反省点や今後のイベント運営について話合う円卓会議場だが……そこには今、学ランやセーラー服に身を包んだ生徒側の神が多く円卓に座していた。各クランの主神や主神級と評される神々である。
その円卓の一席の上で、空間が歪んだ。
歪みから姿を現したのは、魔術衣に身を包んだ筋肉老爺。スカンディナヴァ・クランの主神にしてラグナロク学園の最高責任者、オーデン。
オーデンはそのまま着席し、円卓に集った錚錚たる面々についてコメントする事もなく本題に入――ろうとしたが、スルーできない事態に気付く。
「……待て、フーのバカタレはどこだ?」
錚錚たる面々、の中に相方のアホ面が無い。
「先ほど、すれ違ったのだ」
オーデンの問いかけに答えたのは、円卓には座さず壁に背を預けていた黒衣の女神・エレシュルカルラ。
「アリスちゃんの名前を連呼しながら校門の方へ全力疾走していた。一応、妹……イシュルナンナが連れ戻しに行っているのだ」
「………………」
会議の結果次第では、神々の総力を結集する必要があるかも知れない。
なのでオーデンは緊急会議の招集メッセージと共に「勝手な行動はくれぐれも慎め」と送ったのだが……無駄だったようだ。アリスが絡むとあの女神は暴走特急である。
バカの帰還を待っている時間的猶予は無い。
オーデンは軽く首を振ってから本題へと入る。
「皆、先のラフムラハムによる宣言は聞いていたな?」
「当然だ。でなければ俺を始め、これだけの面々がこの緊急招集に応じる訳ないだろう」
毅然とした声で答えたのは、石板を抱えて佇む金髪の学ラン男神。
其の名はキングーウ。メシュタミア・クランの主神。
メシュタミア・クランは創星母神により一挙に大量の神々が生み出されたと言う性質上、複数の主神がおり、彼はその一柱である。
「派閥は違うが、弟の不始末を恥じるばかり……だが、今は謝罪会見や釈明をしている場合ではないだろう。先の宣言には不可解な部分が多すぎる。今は一刻も早くそれを検め、今後の対策を話し合うべきだと考える。納得いただけるか?」
事態は火急。この場でキングーウの監督不行き届きについて糾弾するのは非効率である、と神々は満場一致。
次々に頷く主神たちを見渡し、キングーウは話を続ける。
「まず不可解の最たる部分は――星戒樹の周辺に、奴の母が防殻を展開しただと?」
キングーウの疑問は当然。
メシュタミア・クランの神々は先に挙げた通り、大半が創世母神を母とする。
キングーウもラフムラハム同じ……つまりその防殻は、創世母神――ティアーマット・イェーミルが展開したと?
……有り得ない。
集ったすべての神々が声にするまでも無くそう思った。
かの母神は、己の肉体のすべてをバラバラに分割し、この星へと変生した。その過程で彼女の意識はこの星全域に溶け、生物としての意思活動能力を失った。もはやティアーマットは無意識の生理現象――この星に生きる者たちの言葉で言う「自然現象」を起こす能力しかないはず。
己の意志で特定箇所に防殻を張るなど……考えられないのだ。
「で、だ。御使いを放ち、実際に星戒樹周辺を緊急調査した。すると確かに樹を覆うように超・超規模の防殻が展開されている。宣言通り神パワー対策に特化した代物。神パワーに関連するあらゆる現象を【破壊】し、無効化するようだ。空間転移系権能も完全にシャットアウトされている」
キングーウ以外の主神たちも同様に各々の御使いを飛ばして調査したのだろう。
円卓の神々は次々に「こちらの結果も同様だ」「同じく」と声を上げていく。そんな絶え間なく続いていく「同じく」の声を遮るように、オーデンが「だがっ」と声を張った。
「防殻から検出された神パワーは――ティアーマット・イェーミルのものとはまるで違う」
「そうだ。あの防殻を形成している神パワーは……【星戒樹そのものが有する神パワー】だ」
オーデンとキングーウが提示した調査結果に、他神々はまたしても「同じく」の連鎖。
「……星戒樹は、私を含め、ここにいる多くの神々が協力して創り上げた【神造装置】。それが含有する神パワーは、即ち我々が込めたものと言う事になる」
――かつて、星を破壊しようとした【原初の破界神】がいた。
オーデンを含む天地開闢の頃に生まれた主神たちはそれと対決、打倒したものの……殺し切る事は叶わず、かの破界神が落下した地点に蓋をする事で封印した。
その蓋が星戒樹である。
「是非とも外れて欲しい推測だが……おそらく、この騒動の首謀者は――」
◆
――ラグナロク学園。校舎屋上。
そこに佇む褐色肌の少女が独り。黒いつば広帽子を深く被り、黒いメッシュ生地の外套からはみ出した細長いトゲトゲ黒尻尾を楽し気にふりふり。
どこかの会議を盗み聞きしているらしく、黒く長い爪の生えた手を耳に添えている。
「デススス……ああ、意外とみんな冷静デスね」
さすがデス! と少女は満足げに手を打って、少女は上機嫌に笑い声を上げる。
きゃっきゃきゃっきゃと、無邪気にはしゃぐ幼子のように。
「何はともあれ、いよいよ佳境デス。次はどうなりマスかネ? 何がどう動きマスかネ? とっても楽しみで、興味深いデス。やはり、好奇心は最高のスパイスなのデスね!!」
無邪気に笑い続ける少女の身体は静かに――沈んでいく。
ラグナロク学園の木造校舎に、染み込んでいくように。
「一〇八魔識【虚実混濁識】発動――さぁ、そろそろワタシの【本体】を、お外に出してもらいますデスよ」