29,テンタクられるメイドと幼女。
アシャワシャは「一刻も早く自首しなければ……」と繰り返しておったが、自首ならいつでもできるじゃろうと説得し、ひとまずワシらは保健室へと向かう事にした。
ヴィゾブニルは「校舎にはあのサイコ女神がいるかも知れん。この安寧の地を離れるつもりは無ッシングな鶏」と飼育小屋に残る事に。
クリアスは、まぁ気配を消しておるだけでその辺におるじゃろう。
「なんかこれ、ごうごう燃えてておもしれーな!!」
廊下を歩きながら、白眼アンリマンを小脇に抱えたセーラー服の半神アキレイナがけらけら笑う。
何をおもしろがっておるかと言えば、その手に持ってブンブン振り回しておる炎剣・レーヴァティン。軽く振るだけで辺りの景色が陽炎で歪むのが見ていて可笑しいらしい。
「レイナ。危ないからやめなよ、まったく……」
相変わらず世話焼き幼馴染気質か。アシャワシャに肩を貸しながら歩く銀色キノコ頭のパーレスが溜息まじりにアキレイナを諫めた。
そんなやり取りをしておると、程なくして保健室に到着。
ワシらを出迎えてくれたのは、学ランの上から白衣を纏った若い男神。
首からは聴診器と共に一匹の白蛇が垂れ下がって舌をチロチロとしておる。
「お、アスクじゃあねェか。何してんだこんな所で」
と、アキレイナが馴れ馴れしく声をかけるのを見るにギルジア神話の神か半神か。
「保健委員さ。保険医を務めるスカンディナヴァ・クランの女神エイールの補佐を買って出た」
「自分から引き受けたのかい?」
パーレスの疑問に、アスクと呼ばれた白衣の神は「他クランの医神と接点を持つ機会は、とても貴重だからね」と頷いた。
どうやら、医学の研鑚・発展に意欲的な神らしい。
どんな神か図りかねておると、羽音を立てずにワシの傍らへ舞い降りた翡翠のフクロウ、ククミスルーズがこほんと咳払い。解説は任せろと言う事じゃろう。
「あちらのアスクラピアスさまはギルジアの半神にして医神です。下界では【死者蘇生の薬】を開発しようと試み、死者の魂を管理する系の神々からさすがにちょっと待ったをかけられまくった末、デーウス総統閣下が直々に動き、他の半神さま方より一足先に天界に引きずり上げられたと言う経歴をお持ちです。天界においてもその辣腕は留まる所を知りません。神風邪の特効薬を初めて開発されたのもアスクラピアスさまです」
死者の蘇生か……医学を突き詰め倒した最終形じゃな。
まぁ、さすがにそれを為されては下界の管理が滅茶苦茶になる、と神々の手で阻止されたらしい。
下界で生きる身としては「惜しい」と言う感想も抱くが……戦争に次ぐ戦争が基本の神話時代の治安じゃと、その蘇生薬によって悲惨な生き地獄を味わう羽目になる者も現れたかも知れん。ここは仕方無しとしておこう。
ふむふむ。それにしても、神でも病や不調はあるものか。
苦しむ誰かを救うための技術を極めるために頑張る者、前向きな感情を抱――
「女神エイールは今、朝の職員会議とやらに出席しているため不在だよ。生体標本……じゃなかった。患者は私が見よう。さっさと実験台……ではなかった。診察用ベッドに患者を寝かせると良い」
何じゃか聞き流してはいけない系の言い間違いが二度ほどあった気がするが気のせいか?
……まぁ、あんなに爽やかな笑みを浮かべておるし、気のせいじゃと信じたい。
◆
アシャワシャとアンリマンを保健室に預け、ワシらは一旦退室。
そろそろ始業時間じゃし、教室に向かうべきなんじゃろうが……。
「先に、レーヴァティンを処理すべきじゃな」
振り回し飽きたのか、アキレイナが適当にくるくると回して陽炎を撒き散らしておる炎の大剣レーヴァティン。こんなもん教室に持ち込むのもアレじゃし、アシャワシャの件を報告するついでにオッディに預けてしまおう。
別に教室でフレアに預けても良いのじゃが……イベントの目玉でもある「レーヴァティンでキャンプファイヤーに火を灯す」と言う役割をアシャワシャが遂行できる状態ではない以上、イベントの最高管理者に直で報告した方が良い気がする。
加えて、オッディに訊きたい事がある。
先ほど飼育小屋で聞いた「ヴィゾブニルがレーヴァティンを奪取し、紛失した」と言う話についてじゃ。
普通に考えれば、その紛失の後にレーヴァティンを回収し、景品にしたと言う順序じゃろうが……レーヴァティンを景品に据える必要性の無さを考えると、何ぞ企みの匂いがするんじゃよなぁ。
「ククミスルーズ、オッディの所在は分かるか?」
「オーデンさまは主催者ではありますが平時は通常勤務組ですので、御自身の執務室かと。学園からは少々距離がございますが、クゥならば案内可能です!」
頼りになる。
しかし、学園から距離があるとなると……授業は休む事になりそうじゃな。
「アキレイナとパーレスは先に教室へ向かってくれ。ワシはちと、オッディに用がある。レーヴァティンもこちらで引き取ろう」
「そりゃあ構わねェけどよォ。引き取るって、テメェで持ち運ぶにゃあこの剣はデカ過ぎンだろ」
む、言われてみれば確かに。
かれこれ幼女歴一〇年、未だにちょいちょい身の程を忘れる時がある。
仕方無い、直接オッディに渡すのは諦め、教室でフレアに――
「俺も同行――ああ、こっちの姉ちゃんに渡しゃあ良いのか」
不意にアキレイナはそう言って、ひょいっとレーヴァティンをワシの隣に放った。
すると、慌てた様子でクリアスが姿を現し、レーヴァティンの柄をキャッチ。
「バカレイナ! そんな燃えてるものを誰かに投げない!」
「いやいや、この姉ちゃんそれなりに鍛えてるっぽいし、こンくらいは平気だろ」
「……と言うか、よくクリアスの位置がわかったのう?」
「直感」
この野生児よ。
いや、アキレイナの圧縮された筋肉量を考えれば無意識に筋肉探知しておるだけかも知れんが……無意識でそんな芸当ができるのはやはりワイルドじゃな。
そんな風に呆れておった、その時。
ワシらが歩く廊下、窓の外で――ばっくりと空間が裂けた。
「……は?」
最初は、何かの見間違いかと思った。
刹那、黒々とした口を開けた空間の裂け目から、何かが噴き出して窓ガラスを粉砕。
それは――
「ど、泥の……触手!?」
濁った泥を押し固めて造ったらしいそれは、まるでタコの脚。
不均一な円形吸盤がびっしりと生えた触手が無数!
窓ガラスを叩き割った触手どもが、蛇のようにうねりながら凄まじい速度でこちらに襲い掛かってきた!
「なっ――」
理解は追い付かぬが、確実にろくなものではない。避けねば。
しかし一瞬にして視界が埋め尽くされるほどの物量、躱せる訳が――
「何か出たァ!!」
脊髄反射ですが何かと言わんばかりの雄叫びと速度で、アキレイナが背負っておった三又槍を抜き、一閃。小さな竜巻を巻き起こすほどの槍撃。視界を埋め尽くしておった泥触手の群れが、そのたった一振りで粉砕。爆裂四散してしまった。
……やんちゃ坊主な野生児的一面が際立っておったが、そう言えばアキレイナは伝説を残すほどの戦神じゃったな。伝説に違わぬ腕前じゃよ。助かった。
「あ、やっべ。校内で槍ブン回すなって言われてたのに、やっちまった」
「いや、多分ナイス判断だよレイナ」
パーレスはワシとクリアスを挟んでアキレイナと反対方向を警戒しながら、背の小弓を手に取って構える。
「なァんかゾワッとしたから迎撃したンだが、パー坊も同感か?」
「まぁね。今の触手――どう見ても、そこのメイドさんを狙ってた。僕の直感はレイナほど鋭い訳じゃないけど……どうも悪い予感がするって言うのは同じだ」
「なに……?」
どういう事じゃ、クリアスが天界で何者かに狙われる理由など――っ!
クリアスの方を見上げた瞬間、その背後に、空間の裂け目が出現するのが見えた。
窓の外に先ほどまで存在いていた、泥の触手を吐き出した裂け目じゃ。
「クリアス!!」
反射的にクリアスのエプロンを掴む。引き倒して裂け目から遠ざけようとしたのじゃが――うん、幼女のこのお手々で、歴戦の諜報員からジョブチェンジした体幹しっかり系メイドさんを引っ張れる訳も無く。
クリアスもろとも泥の触手に絡め取られ、声を上げる間も無く空間の裂け目へと引きずり込まれてしまったのじゃった。