21,モーニング、故に鶏。
窓から穏やかな陽光が差し込み、どこか遠くから鶏の声が響く朝。
鏡の前で、軽く頭を振る。揺れる後ろ髪は、三房に分けた髪を編み込み可愛らしいウサギさんリボンで留めた三つ編みスタイル。
昨日の放課後、ワシが母上に教えてもらいながら自力でやった三つ編みとは比べものにならぬほど綺麗に仕上がっておるな。さすが母上じゃ。
「うむ、これは解けぬように気を付けねばな」
「あらあら、大事にしてくれるのは嬉しいけれど、ママはアッちゃんが元気にぴょんぴょこしてくれてる方が嬉しいわよ? その証拠にウサギさんのリボンです!!」
ウサギさんのように跳ねろと?
さすがにそれはワシのキャラでは無い気がするのじゃ。
「今日、昨日は見れなかった飼育小屋を見に行くのよね?」
「うむ。どんな動物が飼育されておるのか楽しみじゃ! まさにウサギさんもおるやも知れぬ」
「仲良くなれると良いわね」
母上は優しい言葉と共に、優しい手つきでワシの頭を撫ぜ下ろす。
こそばゆいが、心地好い。
と、ここで食器を洗い終わったらしい父上がやってきた。
「わぁ、アッちゃんはどんな髪型でもカワイイねぇ……パパもヘアセットの練習しようかなぁ」
「なぬ!? ダーリン、母と娘の聖域に踏み込むつもり!?」
娘と言う形容に違和感はあるが合っている気もするワシってば本当にややこしい生き物。
「パパだってアッちゃんの髪を整えながら世間話したい!!」
「ッ……その叫び、覚悟は“ホンモノ”のようね! 良いでしょうダーリン! アッちゃんともども、このわたしがどこの美容院に出しても恥ずかしくないくらい特訓してあげるんだから!!」
「ママ師匠!!」
いや、ゴールまでの道のりとんでもなくない?
◆
と言う訳で通学路。ランドセルに停まったククミスルーズと他愛無い会話をしつつ、公園に寄るもアンリマンの姿は無し。そのままラグナロク学園へと向かう。
校門の前にはフレアが立っており、校門を通る神々に元気よく朝の挨拶を繰り返しておった。
相変わらずザ・女神な天衣姿は似合っておらぬが、見慣れてきたな。
「おはようございますなのじゃ、フレア。朝から元気じゃのう」
「おっはよーアリスちゃん! 三つ編み萌え!! 今日もよろしくね!」
萌え?
「そして今日こそデーウス総統に勝つよボクは!! もう何も増やさせない……!!」
「何の勝負をしとるんじゃ貴様らは……」
目に割とマジな闘志を燃やし、拳を堅く握るフレア。ガチっとるなぁ……。
「ボクにももうよく分かんないけど、ただひとつ言える事は……意地だね!!」
そうか。ならば何も言うまい。
「そう言えばアリスちゃん。チーさん……女神・チーティスから連絡が着てね、昨日、アキレイナくんがお家に帰ってないらしいんだけど……どこ行ったか知らにゃい? ほら、アリスちゃんお昼は彼と一緒だったって言ってたじゃん?」
「む? ああ、あやつなら公園におったアンリマンに絡みに行ったきりじゃが……」
……昨日の放課後も今朝もアンリマンは公園におらんかったな。
まさか、未だにアキレイナとパーレスにどこか連れ回されておるのか。
「そっか。まぁ、アキレイナくんは少し目を放すと天界の果てまで特に意味の無い走り込みして何日間も行方不明とかよくあるらしいから、チーさんもそこまで心配はしていない風だったけど。もしどこかで見かけたらお母さんに一報入れるように伝えといてに」
「うむ、承知したのじゃ」
あやつ、本当にやんちゃ盛りなんじゃな……。
フレアと「また教室で」と約束し、校門を抜ける。
さて、早速じゃが授業が始まる前に、軽く飼育小屋を見ておくかのう。
「ククミスルーズよ、飼育小屋の場所は分かるか?」
「はい、お任せあれ!!」
ホーウ!! と頼もしい声を上げ、ククミスルーズがランドセルから飛び立つ。
その後を追ってしばらく行くと、それらしい小さな建造物を発見した。
小屋、とは言うが雨風をしのぐための屋根と壁が立てられておるだけで戸や柵の類は無し。建物前面は完全開放状態で、目の前に広がっておる田畑との境界が無いな。
まぁ、飼育されておるのは天界の生物、ククミスルーズのように意思疎通ができるアニマルじゃろう。アリスピース動物園の動物たちと同じく、食住環境の保障を条件にすれば柵で囲う必要も無いのか。
さて、どんな子らがおるのかのう?
軽く様子を伺ってみると――
「………………………………」
……何か、すっごいデカい鶏がおる。大男でもパクっといけそうなくらい。
これが天界生物の規格……? いや、あの鶏に「邪魔くせぇ!」と言わんばかりに後ろ蹴り連打を入れておる鳥の翼のような耳の可愛らしいウサギさんは標準ウサギさんサイズじゃな。
「……何ですか、あのデカい鶏」
いや、ククミスルーズよ。
貴様ですら分からんのならワシも分からんよ。
「デカい鶏ではない。我は強い鶏である」
ああ、しかもきっちり喋る系アニマルじゃな。
「強い鶏……? まさか、神獣・ヴィゾブニルさまですか!?」
「その通りである!!」
これは失礼しました!! とククミスルーズは慌てて地面に這いつくばった。
ククミスルーズがさま付けで呼んでおるし、神獣とやらは神々と同格の存在と見るべきか。
「ヴィゾブニルさま、一体、なぜあなたが飼育小屋に……? あなたは星戒樹の頂をナワバリにしていたはずでは?」
ウグドラ……と言うと、ここからでもぼんやりと見える、あの天まで伸びた巨大樹の事じゃったな。ラグナロク学園の校舎にもアレから切り出した木材が使われておると言う話じゃ。
「我は今、訳のわからんサイコバーニング女神に尻を狙われているのである。ほとぼりが冷めるまで実家に帰ろうと思ったが、両親が鳥インフルエンザに罹ってしまったため帰宅禁止令を出されてな……ここに安寧を見出したと言う訳である」
……安寧、と言うが、貴様の周りにはその巨体を鬱陶しがっておるらしい小動物が群れになって貴様に蹴りを入れまくっておるように見えるのじゃが。
「で、汝らは一体?」
「クゥはスカンディナヴァ・クランが御使い群【蜜運ぶ者たち】が一体、ククミスルーズでございます!」
「ワシはアリス。下界から来た者じゃ」
「コケ? アリス……どこかで聞いた名であるな。ふむ……記憶が定着する前に三ステップ以上の歩みをしてしまったか、思い出せない」
まぁ、それなりにワシの話は広まっておるようじゃし、どこかで耳にしていてもおかしくはないじゃろう。しかし鶏って本当に三歩で忘れるのか……。
「目的は何ぞ? まさか我の尻肉……」
「訳のわからん理由で身構えるな。ワシはただ、飼育小屋の動物と戯れたくて来ただけじゃ」
「コケケ。であればよろしい。この安寧の地では我も客分、大したもてなしはできないが……どれ、我の強き羽毛に埋もれてみるか?」
「なにっ、良いのか?」
これだけ大きな鶏、それも見事な羽毛……モフり心地はとても良さそうじゃ。
「無論。強き鶏は幼子へのサービス精神が旺盛である。そこのメイド服の女子も遠慮は要らんぞ」
厳密には幼子ではないのじゃが……いや、天界の生物からすれば一〇〇〇余年程度の年齢では幼子と変わらぬか。うむ。では御言葉に甘え――
「見つけた、アゼルヴァリウス……いや、アリス」
「む?」
いざヴィゾブニルのモフにモフしようとしたその時、何と言うかぴしっとした声――ワシの記憶にある中じゃと、仕事モードのファナンに近い印象を受ける声が聞こえた。
明らかにワシを名指ししておるし、無視する訳にもいかぬな。
声の方へと振り返る。
そこに立っていたのは、妙に裾の長い学ランに身を包んだ紅髪の男。紅いフレームの眼鏡に、相変わらず読めぬが意味はわかる天界文字で【正義】と記された腕章。そしてその手には紅鋼で造られた天秤。
この特徴、聞き覚えがあるな。
確かこやつは――アキレイナたちの尻にお灸(物理)を据えたと言う、ゼロアスター・クランの神。
名はアシャワシャ、じゃったか?
アシャワシャは慣れた手つきで眼鏡をくいっとして、灼熱色の瞳でワシをしっかりと見据えた。
「当方と、友達になってもらうぞ」